逃避、そして接近
私とお母さんは赤い街の中を進んでいた。
鳴り止まないサイレンが街中に響き、異様な臭気が漂っている。
黒い死体。目のない死体。裸の死体。全部死体。
道すがら、焼夷弾で焼かれた人たちの死体が山のように倒れていた。
「ひっ!」
それを見て、思わず私はお母さんにしがみついた。
私と手を繋いで走っていたお母さんは足を止める。
私はお母さんに抱きついたまま震え、黒い死体の山から目を離せずにいた。
「見ちゃダメッ!!」
咄嗟にお母さんが私を抱き寄せる。
両腕を私の頭に回し、自分の胸の中に私の顔を引き寄せる。
私は悲惨な光景から目を覆われたが、なおもその禍々しい人だかりが網膜に焼き付いて離れない。
「......お母さん、こわいようぅ」
自然と瞼から涙が出てくる。ガタガタとまた体が震えだし、お母さんの胸の中に顔を埋める。
「......おかあさん、おかあさん」
念を唱えるように、何度もお母さんのことを繰り返して呼ぶ。
怖くて怖くてたまらない。
今の私にとって、唯一安らげる場所はお母さんの胸の中だけだった。
お母さんの胸に涙を濡らしながら頬ずりをし、その安寧の在り処を探り出そうとする。私はお母さんの胸に甘えることを繰り返す。
しばらくすると、繊細な手の感触が、私の頭の上へとそっと置かれた。
「大丈夫よ、カミエ。お母さんが一緒にいるから」
お母さんが力強く言い、私の頭を撫でてくれる。
優しくて、たくましい。そして私が確かにここで無事に生きていることを証明してくれた。
そんな頼もしいお母さんの存在が、やがて私の震えを止めてくれた。
そして視界がはっきりとし、サイレンの音も明確に聞こえるようになってくる。
「さあ、もう泣くのは止めて。早く広場に行かないと」
「......うん......うん。わかったよ、お母さ――」
けれど、その時だった。
私とお母さんは白い光に包まれていた。
そして次の瞬間には耳が劈くほどの爆裂音が響いた。
私とお母さんはその突風により、離れ離れに吹き飛ばされる。
意識が一瞬暗くなり、頭に急激な鈍痛が走る。
私は焼けた地面に仰向けになって倒れていた。
痛みを堪え、私は頭を押さえながら起き上がる。
その瞬間、崩れ落ちようとする家屋が目に飛び込んできた。
ピキピキと悍ましい物音を立て、炎に包まれた木の柱が私に目掛けて倒れようとしている。
「キャアッ!!」
私は思わず悲鳴を上げた。右腕で顔をかばい、咄嗟に両目を強く閉じてしまう。
おかあさん、おかあさん。
頭の中でお母さんとの思い出が高速で流れる。私は瞬間的に自分の死を覚悟した。
「カミエッ!!」
けれど間一髪、私の体はもう一度弾き飛ばされていた。
柱が倒れる大きな音がドシンと響き、焼けた地面がまたわずかに揺れる。
背中が熱い。気がつくと私はまた仰向けに倒れており、焦土と化した地面と火傷しそうなほどに接していた。
けれどそれ以上に私が感じ取っていた温度があった。
それは私の上に覆いかぶさるようにして、倒れているお母さんの体温だった。
私の胸とお母さんの豊かな胸が引っ付き合い、私の足とお母さんの細い足が絡み合う。
そして何よりも、唇が触れ合いそうになるほどに私とお母さんの顔は近づきあっていた。
「大丈夫? カミエ」
心配そうに目を細め、私を突き飛ばしたお母さんが尋ねる。
唇から漏れる温かな吐息が、私の鼻孔の奥へと流れ込んでくる。
私は目を逸らすこともできず、顔を真っ赤にして正面からお母さんを見つめた。
「......うん」
心臓の高鳴りが止まらない。このドキドキがお母さんにも聞こえてしまわないかと心配になる。
お母さんは私の手を再び引いて、私をまっすぐに立ち上がらせる。
私はその時咄嗟に顔を俯向け、やっとお母さんから目を逸らすことができた。
「さあ、もう大丈夫ね、カミエ? ここももう危険だわ。早く避難しないと」
「......うん」
顔を赤くしたまま、私はまた生返事をする。
再び手を繋がれた私はもう、お母さんの体温しか感じ取ることができなかった。