缶コーヒー公爵
自分の欲しているものが、本当にコーヒーなのかどうかは分からない。
けれどそう思い込んだら、無性にコーヒーが飲みたくなって、私は辺りを見渡した。
探すまでもなく、すぐ近くにあったのは自動販売機。
師走のこの時期、既に自販機には「あったか~い」のドリンクたちが妙に紳士的な表情で整列していた。そしてその紳士たちの中に、コーヒー公爵がいない事はまずない。
無糖と微糖。私はその二つを交互に眺めながら、自然と気怠いため息をついていた。
駄目だ。全然心が躍らない。一日の自分へのご褒美としては、缶コーヒー公爵には失礼だけど、あまりに陳腐だ。
結局私は、三つ目の選択肢を選びに行った。
コーヒーのチェーン店は、大行列だった。それでも、クリスマスの時期の紙カップはデザインが愛らしく、それを持っている自分をいつも以上に輝かせる魔法を宿している。
私は行列の最後尾につき、スマホで時間潰しを始める。しかし行列はまさに蟻の行列程度しか進まず、前方のカップルはその苛立ちからか、みるみる険悪なムードになっていた。
既に十五分。レジの方を見ると、何やら客と店員がもめていて、一向に進む気配がない。
私はいよいよ行列から抜けだした。そして潔く、駅に向かって歩き出す。
結局、体が芯まで冷えただけ。別にいい、コーヒーが飲みたかったわけじゃないんだから。
「豊田さん?」
電車のホームに立っていると、会社の二つ下の後輩、冴島君に声をかけられた。
「お疲れー。」
「あれ、僕より結構前に出ましたよね?」
「ああ、コーヒー飲みたくてお店に並んでたんだけどさ、異常な込み具合で諦めたの。」
へぇ。それ以上の会話はなく、じゃと別れる。
かと思ったら一分もせず、冴島君は私の所へ戻ってきた。
え?と、思わず怪訝な顔をする私の視線は、彼の大きな手の平に止まった。
冴島君が持っていたのは、缶コーヒー。
しかも、二つ。
「俺も飲みたかったんで。無糖・微糖、豊田さんの好きな方わからなくて、どっちも買っちゃいました。好きな方選んでください。」
いいの?と尋ねると、軽く頷く冴島君。
「…じゃあ、微糖で。」
冴島君から受け取った缶コーヒーは、冷え切った私の手の平―心を、みるみる熱く灯していく。
思わずぎゅっと、缶コーヒー公爵を抱きしめる。
「ありがと。」
二人そろって、小気味よい音で蓋を開ける。相変わらず中身は、心地よくぬるい。思わずついたため息は、白い湯気となり、琥珀色の月へと昇っていった。