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異世界童話『ミラー・バース』

1st:EP08:ヴィーガンの晩餐

作者: たかや もとひこ

               1

「おい、力士(りきし)肉はどうなってんだ」

「そんなこと言ったってしょうがないでしょ。午前中で出ちまったんだから」

「なに言ってんだ! 霜降りの上級肉なんて1年半ぶりなんだぞ。家で子供が待ってんだよ」

「だったら通常の配給品で我慢してくださいよ」

「『配給品』だと。人民(じんみん)肉の配給だって海外の輸出規制で庶民の口に入りにくくなってることくらい知ってんだろ」

「とにかく無いもんは、無いんです」

 押し問答は、もう終わりだと言わんばかりに山根(やまね)の目の前で窓口シャッターは閉められた。同じようなやり取りが繰り広げられていた彼の周りでも次々とシャッターが閉め切られると、配給センターの広い待合所は怒号(どごう)(あきら)めの溜息(ためいき)に満たされた。

 待合所の空いているベンチにへたりこんだ山根(やまね)が、家族、とりわけ養女のシヴァに約束した御馳走(ごちそう)が手に入らなかったことを、どう説明したものかと電源の入っていないスマホを(もてあそ)んでいると、突然ポンと肩を叩かれた。

「お久しぶりっすね、山根(やまね)さん」

 顔を上げると昔、“半グレ狩り”で知り合った岡島(おかじま)の顔が10年ぶりに目に入った。

「よう、君か。久し振りだね」

 再会した知己(ちき)の顔を見て(うれ)しさがこみ上げてはきたものの、お目当ての力士(りきし)肉が手に入らなかった山根(やまね)の口調は重かった。

「その様子じゃ、手に入らなかったんでしょ、力士(りきし)肉」山根(やまね)の気持ちを察した岡島(おかじま)は肩をすくめた。「僕もっすよ」

「まいったよ、最近は人民(じんみん)肉も(とどこお)りがちだっていうのに」

「仕方ないっすよ。大陸の方でも需要急増で人口は激減してんすから」

「とは言っても、世界には、まだ17億も人間がいるんだぞ。まったく、やってられんよ」山根(やまね)は相手の薬指を見て話題を変えた。「ところで岡島(おかじま)君、結婚したの」

「5年前っす。会社の同僚でした」

「へぇ。じゃぁ会社勤めも変わりなくかい」

「ご冗談でしょ。今じゃ立派な農地監視員。山根(やまね)さんだって、そうでしょ」

「残念。私は、しがない培養クロレラ工場の管理主任さ。まぁ、これだけヴィーガン法が徹底された世の中じゃ、みんな似たり寄ったりてとこか」

               *

 30年前、完全菜食主義を(かか)げるヴィーガンたちは多くの人々から単なる変人だと思われていた。しかし、そこに1人の過激なヴィーガンの生物学者が現れる。彼女はヴィーガンの心の()り所である自然環境の大規模破壊を常に(うれ)いていた。そこで自分と考えを同じくする仲間と、あるウィルスの開発に没頭し、数年後、それに成功するや、(あまね)く世界にばら()いた。あらゆる動物性タンパク質の分解吸収だけを阻害する代謝阻害因子を持つヴィーガン・ウィルスである。ついに彼女とその一派は世界中を自然とそこからの恵みである一次産品だけに目を向けさせる目的を達成したのだ。だが、そんな社会が実現したものの、旨い肉を腹いっぱい食べて満腹のまま餓死したいと肉食を実行に移して悶死(もんし)する人間は世界中で(あと)()たなかった。その殉教者たちの切なる思いと行動が天に通じたのであろうか。3年後、人類は天の御業(みわざ)をみた。

 ウィルスの変異である。

 変異した今度のそれは更なる試練と一握りの恩恵(おんけい)を残った人類に与えた。更なる試練は、動物性タンパクの味覚を人類から完全に抹消してしまったこと。そして一握りの恩恵(おんけい)は、人肉だけに代謝阻害因子を働かなくした上に、その味覚だけは奪わなかったこと……。

 大規模かつ組織的な人肉食(カニバリズム)の幕開けである。

               *

「でも会社勤めをしていた頃と比べたら、嫁さんも僕ものんびりした生活を送れるようになりましたよ」岡島(おかじま)は山根の横で伸びをした。「なんせ農地監視員といったって、穀物(こくもつ)や野菜の栽培から収穫まで全部、機械がやってくれますもん。日がな一日、畑を眺めながら、珈琲(コーヒー)でも飲んでりゃいいんだから楽なもんすよ」

「確かに君の言う通りだが、やっぱり人間は雑食性だよ。グルテンで造った模造肉やゼロミートみたいな偽物じゃ身体が満足しやしない。舌が満足しないのかな。生きてる間は、やっぱり本物の肉も食わなきゃ」

「そもそも僕らは本物のヴィーガンでもなきゃ、ヴィーガンなんかになりたいなんて思ったこともなかったっすもんね」

「おいおい、岡島(おかじま)君。それって危険思想だよ」

山根(やまね)さんこそ」

               *

 二人は人肉配給センターの外に広がる耕作地に遊ぶ多くの動物たちをぼんやりと眺めた。いま所々に見えているビルや高速道路など、大都会の残滓(ざんし)も、いずれは耕作地に浸食(しんしょく)されて姿を消し去るのだろう。


「話は変わりますが、先週、真壁(まかべ)さんにバッタリ会っちゃいましてね」

「『真壁(まかべ)さん』って、あの真壁(まかべ)さんかい」

「えぇ」岡島は辺りに警戒する視線を素早く(めぐ)らせると声を落とした。「元気でしたよ。それどころか、今日みたいな日がこれからも続くと踏んで、また仲間を集めはじめてましたよ」

「それじゃぁ」山根は急に胸の高鳴りを覚えた。

「そおっす。また狩りが出来るんすよ」

               *

 狩りと言っても動物を狩るのではない。人類に許された唯一の食用動物。

 人間を狩るのだ。

「でも、10年前と違って当局の目も(きび)しくなってるぞ。密猟が見つかったら、自分たちが加工品にされちまう」

真壁(まかべ)さんと組んでたとき、一度でも危なっかしいことってありましたっけ」

 確かに元商社マンの真壁(まかべ)さんは、豪胆(ごうたん)な中にも緻密(ちみつ)さを()(そな)えた頼もしいリーダーだった。当時は半グレの若造どもが“令和最後のオヤジ狩り”と(しょう)して金品だけでなく、自分たちの食用に被害者の肉体までも奪い去る事件が日常茶飯に起こる食糧混乱期だった。また社会や国政に対する、やり場のない怒りを義憤(ぎふん)という名の(ころも)に包みこんだ中高年が、そういった無軌道で自分勝手な若者たちに対して逆撃に転じても何ら不思議はなかった。

 地方から出てきた人間を(よそお)った岡島(おかじま)が人気のない工場地区をオドオドした芝居で歩くだけで入れ食い状態だった。巧妙(こうみょう)に狭い倉庫裏の路地まで誘い込めば、しめたもの。屋根の上から仲間がコンクリートブロックをボカスカ降らせて、怪我(けが)をして路地から()い出てきた若造どもを一人ずつ寄ってたかってタコ殴りにして息の根を止める。そして戦利品としてバラバラにさばいた奴らの肉を持って帰る。

「危ないどころか、スカッとしたよ。戸川(とがわ)女史なんか戦国映画の合戦シーンみたいねって、大はしゃぎしてたもんなぁ。そのあと家族で食べる焼肉の(うま)かったことといったら……でもなぁ、私もあの時より年も取って動きが鈍くなったし、今じゃ小さな娘もいるからね」

「えっ。山根さんちの娘さんて、そんなに小さかったっすか」

「養女だよ、インド人の。前の娘はとっくの昔に家出さ。ちょうど皆で半グレ狩りを楽しんでた時だったかな。無断外泊から帰ったと思ったら、大事な身体に入れ墨(タトゥー)なんか入れててな。妻と一緒にキツく(しか)ったら、『どうせ年取って動けなくなったら、加工品になるんだから、入れ墨(タトゥー)ぐらいいいでしょ。ほっといてよ』って言うのが最後の言葉だったかなぁ」

 山根は娘の左太腿(ふともも)()られたトライバル模様の中の“人肉と自由(フレッシュ&フリー)”というフレーズを思い出して溜息(ためいき)をついた。

「そうだったんすか……」

「おいおい。君が暗くなる必要なんかないよ。当時は社会的な食糧混乱期だったんだ、どうしようもなかったのさ」

「でも……」

「さて、今日みたいな日が続くんじゃ、食べ盛りの一人娘に人肉の一欠(ひとか)けも食わせてやれないからな」山根(やまね)は決然と顔を上げた。「岡島(おかじま)君、仲間は私で何人目だい」


               2

「よく来てくれたね、山根(やまね)君」

 角張(かくば)った(いか)めしい顔に優しげな眼が印象的な真壁(まかべ)山根(やまね)の手を握った。すでに五十代後半のはずなのに、そのがっしりした身体から発する握力は昔のままだ。

「お久しぶりです。また狩りをするって聞いたもので。それに岡島(おかじま)君や戸川(じょし)女史まで一緒なんですから」

 山根(やまね)の言葉に相好(そうごう)を崩した真壁(まかべ)は、新たな仲間を2人紹介した。彼らも以前は別のグループで狩りをしていた経験者だということで、すぐに意気投合した。

 今回の狩場は使われなくなった港に面した旧工場街。官憲も複数の警備車両でたまにしか巡回しない立ち入り禁止地区。厳重立ち入り禁止地区に指定こそされてはいないが危険であることに変わりはない。

 さっそく真壁(まかべ)のトラックの荷台に乗り込んだ山根(やまね)たち狩人(かりゅうど)は、陽が落ちた狩場に到着すると手際よく待ち伏せの準備に入った。この地区は、まだバイクに乗った半グレどもが出るという噂なので、(おとり)役の岡島(おかじま)は廃棄寸前の原付バイクを使用することになった。電波の基地局もないので、真壁(まかべ)さんが用意したトランシーバーのヘッドセットを装着して道路を流している岡島からは、期待と興奮が入り混じった声がスピーカーを通して時どき聞こえてくる。

「よし、かかった……うわっ、何てこった」

 狩場を原付で流していた岡島(おかじま)の興奮した声が、突然、恐怖で引きつった。

「どうした、(おか)ちゃん。何があったんだ、報告しろ」

 真壁(まかべ)の声に緊張が走った。

「もうすぐ着くっす」岡島(おかじま)の悲鳴まじりの声がスピーカーから流れた。「奴ら……奴ら加工車を使ってます。助けて」

 岡島(おかじま)の叫びとともに、旧工場街の広い角を曲がって原付に肉薄する禍々しいヘッドライトが山根(やまね)たちの待ち伏せ場所に接近してきた。観光バスと廃棄物収集車を掛け合わせたような人肉の移動加工車(ヘビー・ブッチャー)。この代物は国内紛争地の食糧支援用に造られているため、分厚い装甲と機動力を()ね備えている。そんな怪物に追いかけられたのでは原付などひとたまりもない。だが移動加工車(ヘビー・ブッチャー)山根(やまね)たちの隠れている場所を通り過ぎた辺りで原付に優しくキスするように追突すると急ブレーキをかけた。せっかくの人肉を()(つぶ)してしまっては元も子もないからだろう。原付ごと道路に投げ出された岡島(おかじま)はピクリとも動かない。山根(やまね)は背中に冷や汗が流れるのを感じた。

               *

「みな、騒ぐな」真壁(まかべ)の感情を押し殺した声。

 山根(やまね)には、どんなときにも冷静さを失わない彼の存在が有難かった。

「作戦変更だ」真壁(まかべ)は闇の中で加工車(ヘビー・ブッチャー)の側面ステップに取りついている数名の人影を指差した。「奴らは俺たちに、まだ気付いてない。山根(やまね)君と戸川(とがわ)さんは中距離攻撃と支援を頼む。俺たちが接近して一人目を(たお)したら攻撃開始。形勢が、こっちに傾いたら俺たちに合流して一気に(たた)みかける。いいね」

 加工車(ヘビー・ブッチャー)のステップに取りついている獲物は、夜目(よめ)にも奇抜なその服装から車両の加工係員ではなく、半グレの若造どもだと判断できた。おそらく係員と裏で手を組んだ新手の人肉狩りだろう。

               *

 山根(やまね)戸川(とがわ)が見守る中、真壁(まかべ)と2人の仲間は闇の中をイタチのように走り抜け、狼のように1人の敵の後ろから素早く襲いかかった。

 仲間が狩られことに気付いた1人が大型ナイフをかざして真壁(まかべ)たちに迫った。だが山根(やまね)はそれを無視して、車両の屋根にいた男に強力パチンコ(スリングショット)の鉛球を放った。狙いすませた一撃は男のゴーグルを突き破って眼窩(がんか)に吸い込まれると、手にした拳銃とともに身体を路面に落下させた。大型ナイフの敵は戸川(とがわ)女史の強力パチンコ(スリングショット)の攻撃で喉に傷を負った(すき)を突かれて2人の仲間に狩られた。

 一番の脅威(きょうい)を瞬時に判断して、それを排除した山根(やまね)真壁(まかべ)が顔を向けた。互いに目が合った。どちらともなく雄叫びが口をついて出た。仲間たちも次々と雄叫びを上げて、(ひる)んだ半グレどもに襲いかかった。

 真壁(まかべ)が死体からもぎ取った拳銃を手に加工車(ヘビー・ブッチャー)の中に走り込む間に、山根(やまね)は小柄な敵に肉薄(にくはく)して、その顔面に鉛球を撃ち込んだ。驚いたことに、汚れたゴーグルとマスクで顔を隠した敵は、山根(やまね)対峙(たいじ)した瞬間、戦意を喪失したかに見えたが、彼は構わず撃ち(たお)した。気付いたときには6人の獲物が路上に転がっていた。

 2人の仲間に抱えられて道路に横たえられた岡島(おかじま)怪我(けが)を負ってはいるものの生きていた。しかし山根(やまね)が、加工車(ヘビー・ブッチャー)から2人の係員を蹴り出した真壁(まかべ)微笑(ほほえ)みあったのも(つか)の間、返り血が付いた眼鏡の奥から戸川(とがわ)女史の低い(つぶや)きが聞こえた。

「第2幕の始まりね……」

 狩りの面々は自分たちを遠くから取り巻く無数の松明(たいまつ)の炎に度肝(どぎも)を抜かれた。


               3

 所々に(とも)っている明かりは、住宅街に人間が住んでいることを示す唯一の(あかし)だった。バス停まで送ってもらった山根(やまね)は仲間たちに別れを告げると、リュックサックに手をかけた。

「また、一緒にやろうや」

「さぁ、どうですかね」

 なぜ、そんな返事を真壁(まかべ)にしたのか、山根(やまね)自身にもわからなかった。ただ凄く疲れていたことは確かだ。彼は気を取り直すとバス停から、ゆるやかな坂を上がった先にある我が家へ向かって歩き出した。

               *

 狩りの帰り。

 トラックの荷台に揺られながら戸川(とがわ)女史が興奮気味に語った言葉が、山根(やまね)には(すべ)てだったような気がした。

「ほんとに駄目かと思ったわよ、ねぇ、あなたたちもそう思わなかった」

 1人が彼女に同意を示すように軽く手を()げた。

「でもカッコ良かったと思わない、私たちみんな。映画の題名は忘れちゃったんだけどさ。傷だらけの幌馬車(ほろばしゃ)隊がインディアンの大集団に(かこ)まれるの。そこで酋長(しゅうちょう)と駆け引きしてさ。危機一髪で脱出に成功するの。ねぇ、あの映画の題名って思い出せないかな、山根(やまね)さん」

 トラックの荷台に背中を(あず)けていた山根は首を振った。

 映画の題名は思い出せないが、確かに危機一髪だった。

               *

「俺が行こう」

「でも真壁(まかべ)さん。あれだけ多くの棄民(きみん)が相手じゃ……」

「大丈夫。奴らがその気なら、とっくに俺たちは死んでる。話し合う余地はありそうだ。それより話が上手くいかなかったときは頼むよ、山根(やまね)君」

 真壁(まかべ)松明(たいまつ)が密集して(かか)げられている中心へ向かって、ゆっくり進んでいった。それから、どれほど時間が()っただろう。先端にナイフをつけた竹槍(たけやり)山刀(マチューテ)で武装した二十人ほどの棄民(きみん)に囲まれて帰ってきた真壁(まかべ)は、大きく息を吐くと仲間の顔を見渡した。

「ここは彼らの土地だ。それは間違いない。彼らには彼らの法がある」

 次に真壁(まかべ)は年かさの棄民(きみん)のリーダーに視線を向けた。

「無断で、あんたらの土地に入る者がいたら、殺されても文句は言えない。だが、俺たちも、あんたらと同じで人肉に()えているし、黙って、ここで()られるわけにもいかない」

 山根(やまね)たちは手にしたそれぞれの武器を握りしめて棄民(きみん)の群れに油断なく視線を走らせた。

「そこでだ」真壁(まかべ)は話を続けた。「今夜、俺たちが狩った獲物の半分を置いていくから、見逃してくれないか」

 棄民(きみん)のリーダーが口を開いた。

「全部だ」

「では五分の三。それ以上は駄目だ」

「いいや、全部だ」

「では、あんたたちに、もう少し土産を渡そうじゃないか」

 真壁(まかべ)は腰のベルトから拳銃を引き抜くと、仲間の一人一人に視線を向け、最後に岡島(おかじま)(うなず)いて見せた。

               *

 インターホンを押すと、すぐに妻が出た。そしてドアが開けられると同時に黒い影が山根(やまね)の胸に飛び込んできた。娘のシヴァだ。

 彼は娘を抱き上げてリボンで結ばれた癖毛(くせげ)を優しく()でた。

「あなたが帰るまで待ってるって、夕食も食べずに起きてたのよ、この()

 妻は、そこまで言うと言葉を(つま)まらせた。

「遅くなって本当にすまない。心配をかけてしまって……」

「いい狩りだった」

 なじったりする代わりに妻は静かに、そう聞いた。

「あぁ。いい狩りだった……お腹が減ったろ、手伝うよ」

 当初より少なくなった分け前が入ったリュックサックを妻に手渡すと、山根(やまね)は上着を脱いだ。

               *

 決断した真壁(まかべ)の行動は素早かった。

 彼は岡島(おかじま)から視線を外すと、(ひざまず)かせていた加工車(ヘビー・ブッチャー)の係員2人の頭を撃ち抜いて、銃口を棄民(きみん)のリーダーに向けた。

「さぁ、土産だ。これで文句があるなら、俺たちは最後まで戦う。先ずは、あんたを撃ってからな」

「死ぬのは怖くない」と棄民(きみん)のリーダー。「わたしが死んでも、()わりはすぐに現れる」

「さて、それは、どうかな。たぶん、あの松明(たいまつ)の中には、あんたの家族も混じってるんじゃないのか。それも見殺しにするのか。きっと全滅するぞ」

「どういうことだ」

「政府が黙ってないってことさ」真壁(まかべ)意図(いと)に気付いた山根(やまね)人肉加工車(ヘビー・ブッチャー)の車体を(たた)いた。「係員が消えても政府には、どうってことないが、この怪物(ヘビー・ブッチャー)はどうするんだ。このままここに置いとくのか。隠したって無駄だ。政府は躍起(やっき)になって探すぞ。もちろん、ここへも今まで以上に頻繁(ひんぱん)に来るだろうな。その点、私たちなら人肉配給センターの横にでも乗り捨てて家へ帰っておしまいだが、あんたたちはどうだ。 誰がこいつ(ヘビー・ブッチャー)を返しに行くんだ。一度は逃げ出した街中へ戻りたい奴を(つの)るんなら、話は別だ。どうせ(たた)けば(ほこり)の出る身なんだろ。棄民(きみん)は見つかれば()め抜かれて殺されるだけだ。それでもいいんなら死ぬ気で行くんだな」

 密集した松明(たいまつ)に明らかな動揺が走った。

「政府は国の財産を回収にくるぞ。回収に大量投入されるのは、きっと陸自のレンジャーだ」

 この真壁(まかべ)の言葉が駄目押しとなって、(またた)く間に話はまとまった。

 食糧を持たされずに厳重立ち入り禁止区域でサバイバル訓練を積む陸自のレンジャーにとって、棄民など半世紀前の蛇や川魚ほどの価値しかないタンパク源だ。殺され放題、喰われ放題になるということだ。

 加工肉の五分の三と係員の死体を捨民(きみん)に引き渡した山根たちは、損害を出さずに帰路についた。

 真壁(まかべ)は「傷が()えるまで事業所には連絡を絶やすなよ。加工所送りにならないように鼻薬は()かせておくからな、(おか)ちゃん」と岡島(おかじま)の頭を子供にするように、くしゃくしゃと()きまわした。狩りの仲間から安堵(あんど)の笑いが起こった。


               4

 キッチンから妻の小さな悲鳴が上がった。

 テーブルに皿を並べていた山根(やまね)(いぶか)りながらも妻の(そば)に行くと理由がわかった。まな板の上の腿肉(ももにく)は加工が不十分で、まだ皮が付いている所があった。それを見た山根の視界が(くも)りはじめた。皮には入れ墨(タトゥー)の跡があり、“人肉と自由(フレッシュ&フリー)”と読めた。

「どうしたの」

 テレビを見ていたはずのシヴァが心配してキッチンに顔を出したのだ。

「何でもないのよ、シヴァ」

「そうだよ。母さんの言う通り、何でもないよ」

 妻の鼻声に山根も喉を()まらせながら(うなず)いた。

「うわぁ。美味(おい)しそうな、お肉」

 シヴァの言葉に山根と妻のお腹が同時に、ぐぅっと鳴った。

「うん。ほんとに美味(おい)しそうだね」

 山根(やまね)と妻はキッチンペーパーで涙ととともに自然に()き上がってくる(よだれ)(ぬぐ)うと、小さな娘のために塩とコショウをほどこした腿肉(ももにく)をフライパンに入れた。山根(やまね)と妻の目の前で娘の肉がジュッと食欲をそそる音をたてた。

 今夜の晩餐(ばんさん)は特別な味に違いない。


               了

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