魔法のランプ
「父さん…」
「隆弘…」
それは突然の再会だった。事業に失敗し、大きな借金を抱えた父は母と私の前からある日スッと姿を消した。5年前の事である。私たちの元には借金だけが残り、父を探そうにもどうにも出来なかった。
それから私と母は死に物狂いで働いた。父を恨むとかそう言ったことはもはや邪魔な考えだった。そんなことを思うくらいなら働いて借金を減らすことのほうが優先だった。
幸いなことにその膨大な借金のおかげで私は働き詰め、出世することができた。その出世は借金返済に大いに役に立った。
そして私が35歳になった時、ついに借金を完済することができたのだ。父が姿を消して4年後である。その時には母も私も仕事に追われたせいで身も心もボロボロだった。父を恨んだのはその時が初めてだった。
それから私は母と共に心の平穏を望むようになった。年齢を考えたらそういう思考は一般的には早すぎると思う。しかし4年間、私と母は寝る間も無く、ただ借金のことしか頭になかったのだ。ゆっくりしたいと思うのは当たり前の感情だと思う。私は会社を辞め、退職金を使い新たな商売を始めた。それは母と共にゆっくりとやれる喫茶店だった。アンティークな装飾で誰もがゆっくりとくつろげるようなそんな喫茶店をそれこそゆっくりと育てていこうと思ったのだ。
喫茶店はゆっくりだが軌道に乗って常連のお客さんもできて1年間順調に営業を続けている。店内は程よくセピア色に彩られて落ち着いた雰囲気になっている。柱の時計や窓辺に置かれた人形などアンティークに囲まれた静かに時の流れる空間になった。
休日にはもっと喫茶店を彩るような雑貨を求めて骨董品の店や蚤の市を覗いた。そこでふと目に留まったのがランプだった。それはいかにも、おとぎ話に出てきそうな大陸系のデザインのランプだった。正直、それは喫茶店のどこに置いても浮くだろう。しかし妙に惹かれたのだ。
価格は安かった。その子供心をくすぐるデザインに興味が湧いたというべきだろうか。私はそのランプを買うことにした。
しかし安かった代償はそのランプがひどく汚れていることだった。古式ゆかしいなどの問題ではない。単純に汚れていた。ある程度水で流してもまだ汚れはしつこかったので私は雑巾で強く擦ったのだ。その時頭の中にはランプの魔神が当然のようによぎったのだが、まさか本当に出るとは思いもしなかった。
「ハーイ!ランプの魔神だよー!願い事をどうぞー!」
それが父だった。
父は我々の前から姿を消して、ランプの魔神になっていたのだ。
話は最初に戻る。
「父さん…」
「隆弘…」
まさかこんな再会をするとは思っても見なかった。私の知っている父は寡黙で、あまり喋らない人だった。そんな父がランプから陽気な声で現れたのである。
心の準備ができていない。この状況にどう対処していいのかわからない。
「隆弘…お前がどうして…」
「…父さん…こそ…なんで…」
どうやら父も動揺しているらしかった。化粧なのかどうなのかわからないがランプから現れた父は体全体が青い。しかしその体の色とは別に父の顔は青ざめているようだった。
「隆弘…それがお前の…願いなのか…」
「…え?」
「父さんはランプの魔神だ。願いを聞くのが仕事だ…お前の願いが私が魔神になった理由というのなら…その願いを叶えよう…」
「父さん…いや…そんな願いは…」
「他の願いがいいのか…」
「そう…だな…父さんが今何をしていようと関係ない話さ。一時期は恨んだよ。顔も見たくなかったくらいさ…。ただ今は父さんはランプの魔神なんだろ?願いを聞くのが仕事なんだろ?ならそれを叶えてもらおうじゃないか」
「…何を叶える?」
「母さんを…」
「母さん?母さんは今どうしている?」
「逃げたあなたには関係ないことだ」
私は慄然と父に言い切った。
「そうか…そうだな…。それで母さん…いや、お前の母親を…お前はどうしたい」
「幸せにしてくれ」
「幸せに…か…」
父は戸惑っているようだった。母を幸せに…それはどのような形ですれば良いのか困惑しているのだろう。
「わかった…」
父は指をパチンと鳴らし、それから「お前の願いは叶った」と言った。そして
「辛いな…」
と一言呟いてランプの中に戻っていった。
後には古びたランプが残っているだけだった。そのあとまたランプを擦ってみたが父は出てこなかった。私の願いは叶ったのだろう。だからもう出てこないのだ。
やがて扉の開く音がして母が入ってきた。母は怪訝な顔をしていた。
「どうしたの?」
「不思議なのよ」
そう言って母は通帳を私に見せてくれた。通帳にはいつのまにか膨大な金額が振り込まれていた。振込先はよくわからない名前だった。
「母さんこの金額って…」
「そう、お父さんの借金とピッタリ」
これが父さんの叶えた願いだとでもいうのだろうか。これで母が幸せになれるとでも思ったのだろうか。私は妙な怒りを覚えた。
「父さんなのかな…今更?」
「そうなのよ。今更こんなことされても嬉しくないわ」
やはりそうなのだろう。ならばどうやって母を幸せにしてくれるというのか。
「聞こう」
「え?」
「父さんに聞くんだよ」
「どうやって聞くのよ」
そこで私はランプを母に見せて説明した。最初は「まさか」と冗談混じりで笑っていたが、私は執拗に母に勧めた。冗談と思ってもいい。ただ母はまだ願いを叶える資格があるから、ランプを擦って欲しいと。
そういうと母は少し緊張した面持ちでランプを擦った。するとランプから煙のようなものが出てきてやがてそれは人の形を成してきた。
「この度は長い間、申し訳ありませんでした」
形を成したのはスーツをしっかりと着込んだ見覚えのある父の姿だった。
「隆弘からお前を、いや、美江さんを幸せにしろと言われました。しかし私には方法がわからなかった。借金から逃げた私に何ができるだろう。まずはランプの力で今までの借金を全て返した。しかしそれで美江さんが幸せになるとはとても思えない。だから…」
父は母を見た。
「だからあなたに直接願いを聞くしかなかった」
私は真摯な父を見て、そして母を見た。母は
母は子供を見るような目で笑っていた。