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「ハァッ、ハァ…っ、オェッ、ゲェ……」
嗚咽にえづきを混ぜた息を漏らしては、微かな希望を持って迫り来る震音に振り返る。
しかし……いや当前と言えば当然なのだが、先程運命的な出逢いをしてしまったソイツは、凄まじい速度で迫って来ていた。
擬態する気が 1 ミリも感じられない蛍光黄色の全身に、明らかに設計者が深夜テンションで書き上げたかのような凶悪極まりない爪牙。ヒビと見紛うほど濃く血走った双眸は、まるでコチラを射殺すかのように睨んで来ている。
あいにく俺は生物学者なんて名誉変態じゃないので名前なんぞ知らないが、挙げれる精一杯の特徴が上の連中なんだ。もし付けるとしても "バケモノ" の一言で片付けてやろう。
なんて心の中で吐き出した筈の悪態は、思ったより大きかったらしい。
奴は "ガオー" でも "ギャァァ" でも無い、
"ゴゴボッ、ゴボボボッ！" ──っと、まるで潰されて喘ぐゴキブリのような、ある意味 期待通りのキモさとヤバさを響かせて加速して来た。
「──ッっ待て待て待て待て！！ そんな怒んなって！！ コレには深い深いワケが……あるかって聞かれたら無いんだけどさ！？、とにかく違うんだよ出来心なんだよ！ 本当、少しだけ好奇心が湧いちゃった的な！？ 貴方様の住処が魅力的でチョットぉ興味が湧いちゃったって言うかぁぁ"あ"あ"っ熱ッつ"！！」
恐怖に急かされ目を逸らし、騒ぎ回って 3 秒間。突如後ろで鳴った "バシャン！" という不吉な破裂音。
やがてソレは "疲労" 一辺倒だった神経に次々と押し入ると、手に持った "激痛" の斧を手当たり次第に振り降ろし始めた。
「い"、痛ってェ！、っこのッ、フザケんなボケェ……なんでその体格で毒なんざ持ってんだよ、パワーバランスって言葉知らねえのか？」
凶行に顔を歪ませながらも、その正体を知るために俺は振り向く。
しかし背後で目に出来たものは、血みどろになったヤケに見覚えのある服の、現在進行形で進む火炙りだった。
既に痛みに耐え切れずヤクに手を染めそうになっていた精神をへし折るのに、そのグロテスクなワンシーンは充分も良いところで。
気付いた頃には、自分の理性を言の葉っぱに包み火を付けて、換気扇を付け忘れた副流煙の如く、辺りに向けてブチまけていた。
「…… あぁぁクソッタレが！！ 何だって俺ばっかりがこんな貧乏くじ引かなきゃなんねーんだよ！？ もっと居るだろ？ 引いて良さそうなの！ こう……なんて言うかさ？ 金持ちとか貴族とか犯罪者とかさぁ！？」
「それをなんで神様は、俺みたいな純真無垢──とまでは行かんけど善良？ な一般市民にソレを引かせちまうんだ！？ ちゃんと明確な選定基準あんのか？、いいや、絶対選んでないよな！ 選んでないに決まってるよな！ 昨日夢で見たからな！ 遊びに来た孫に選ばせてんの！！」
叫ぶだけ叫んで溜まった熱と鬱憤を頭から EXIT したら、落ち着きを取り戻すのに兼ねて背中にへばり付いた燐と労を流す為、未だに煙を立てていた背中に水筒の残りを振り撒く。
正しく焼け石に水な行為に果たして意味があるかは分からないままだったが、このまま居るかどうかも分からない存在にキレてるよりは遥かにマシだろう。そう思った。
「んっ─……ぐぅ、ぅ"」
ズクズクと背中に軋むような痛みが染み渡る……が、どうやらこの選択は正解だったらしい。主張こそ激しいままであれど、朝に食べたスクランブルエッグ並みにグチャグチャだった視界や冷静さについては、どうにか親父に作らせた目玉焼き位には正気を取り戻してくれた。
しかし回復すると同時に思考は、今更もう使い物にならないニュースを知らせて来た。
それは決して、朝の卵が痛んでたとかじゃなくて。ただ一番限界なのが怪我でも理性でもなく己の体力だという、純情な感情を超えるほどに解りきっていた事実だった。
そう、ピンチなんだよ……少なくとも今 自分で勝手に想定してる 30 倍くらいには。
こんな伝わるかも分からない下らない比喩で遊んでたりする暇がないくらいには……
──いやマジで！、何してんだ俺！？ 何でこんなノンビリ落ち着いてんの！？ 探せよ！ 走れよ！！ マジで死んじまうんだぞ！？
やっと自覚した命の危機に、フル回転させる足と視界。葉を 木を 茂みを 穴を 瓦礫を、この際ゴミでもヘドロでも。
手当たり次第に目当たり芝居で、死中に活を見出す為に。四方八方総ての方位、痛みも忘れて我武者羅に。
こそあど全てを見渡せど、その度に押し寄せてくる "絶望" の波。それでも最後の気力を振り絞って、己の足に "狂" と "叫" を混ぜた挟檄を掛けて、刻々と迫る限界を、銑々と叩く激痛を振り払い続けた。
土を蹴飛ばし枝をへし折り、
全速力で駆け回った。
底無しの沼や決壊した橋を、
骨折覚悟で飛び越えた。
誰も知らない遺跡が作った断崖も、
スリ傷 片手によじ登った。
──そして、遂にその時が来た。
全身でけたたましく鳴り響いていた警告が、一際 強く跳ねたかと思うと、そのままの勢いで吐き出したのだ。
とうに事切れてボロ雑巾と化していた肺の残骸を、意識と共に投げ捨てたのだった。
