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抽象音  作者: 中條利昭
6/7

Bridge & Chorus

 YAMAHA(ヤマハ)のスピーカーから私の曲が流れる。縦長で床置きのものだ。サブウーファーも置いてあるため、上から下まではっきりと聞こえる。壁一面がスクリーンになっているみたいに、音のひとつひとつが見えた。高音は上に、低音は下に。

 いつもは師匠の環境か自分のPCスピーカーでチェックしながら調整をするけど、今回はヘッドホンでしか作業をしなかった。余裕がなかったのだ。

 こうして空気を通して聴くと様々な違いがある。

 弱くしたかった音が弱くなりすぎて聞こえなかったり、リバーブ(残響)の量が多くなりすぎて音が全体的にぼやけてしまっていたり。

 再生を終えると、隣の師匠はパチパチと拍手した。お日様の香りが広がる。

 眼鏡越しの部屋は普段よりも狭く感じた。目が腫れているためコンタクトがつけられなかったのだ。訪問時、師匠は「眼鏡、似合いますね」とだけ言った。


「ど、どうですか?」

「切なさや儚さ、あるいはそれを写実した美しさ。そのようなものを感じました。明るい音色と前向きな四つ打ち。しかし、メロディーからは哀愁が漂います。この対比は、痩せ我慢や感情を押し殺した、作り笑いのような」


 ワインの香りを説明するソムリエのように、師匠は続ける。


「前に進もうとしてるけど、気持ちが追いついていない。あるいはその逆。もしくは……。想像が膨らみますね」


 そして、師匠は私の目を覗く。


「テーマは、なんですか?」


 ドキリとしてしまう。本当にこんなテーマ設定で良かったのかと、改めて自らに問いただしたくなる。今からでも無理矢理変えてしまいたくなった。

 でも、私は正直に答える。


「この曲のテーマは、ありません」


 師匠は顔色一つ変えない。


「具体的なテーマがないことが、テーマです」


 私も、表情を崩さない。


「感情としては、師匠の感じたとおりです。この曲を聞いた人や、あるいはこの曲をBGMにして使う人が、それぞれ自分の中にある何かと当てはめてくれたらと思って、創りました」


 言葉を紡げば紡ぐほど、さまざまな感情が込み上がってしまう。

 それを堰き止めようとするたび、声が萎んでいく。


「芸術をやる人間として失格なほど、私には『自分』がありません。だから、顔も知らない誰か、これから出会う誰かが主人公になればと、思っています」


 自分の気持ちをテーマにすることができなかった。哀しい。寂しい。色々な感情があったのに、そのどれかに焦点を当てて表現しようとは思えなかった。いや、表現する方法が判らなかったのだ。

 私にとって、私は他人。ひとりでは居られない。誰かの人生の登場人物でなければ存在できない。そこに存在できないことが、一番の苦痛。

 ()の強さがないとやっていけないと言われるクリエイターの世界で、こんな人間に生きる権利などない。

 でも、


「素晴らしいです」


 師匠はそんな私を認めてくれた。


「それを説明できるのであれば、なにも問題はありません。テーマとして成立しています。解説にも説得力があります。プレゼンもクリエイターの重要なスキルのひとつです。すべてにおいて合格点ですので、そんなにつらそうな顔をしないでください」


 もっと笑ってください――。


 師匠は小鳥を両手で包むように言葉を紡ぐ。


「佐野さんはきっと、自分に自信がないのでしょう。具体的なものを表現する、ということが苦手だと感じているのでしょう。しかし悩む必要はありません」


 師匠は人差し指を立てる。


「何かの用途のために、ピッタリと当てはまるピースを作る能力もあります。たとえば、汽車の車輪。ひまわりの花弁。背景の青空」


 人差し指はそのまま、中指を立てた。


「逆に、ぴったりとは当てはまらないものの、様々な絵に合うピースを作る能力もあります。例えば、青一色。白一色。それは空かもしれない。雲かもしれない。海かもしれない。衣装の色かもしれない」


 そして中指を掴む。


「佐野さんは後者が得意なのだと、私は確信しています。抽象的な作品を創る才能」

「抽象的な作品……?」

「U87Aiというマイクを知っていますか?」


 急に何だろう、と私は首をかしげる。


「知らないです」

NEUMANN (ノイマン)社のU87Aiはレコーディングにおけるボーカルマイクの定番です。価格は三十万円ほどでしょうか」

「さ、三十……!」

「ようやく、明るい声を聞くことができました」


 びくん、と。

 かゆみに似た、跳ねるような胸の痛み。

 久しぶりの大きな声がお金のリアクションなんて恥ずかしい。顔が熱い。

 師匠は長閑(のどか)な調子で話を進める。


「このマイクでは、人の耳には聞こえない繊細な音まで鮮明な輪郭で録ることができます。しかし弱点があります。それは、なんだと思いますか」


 あまり動かない頭で考えるも、なにも思いつかなかった。

 師匠は言う。


「はっきりと録れすぎることです」


 ソフト音源から音を出して打ち込み、その後に本物の楽器を聴くと、「音源は音がはっきりしない」と思うことが多かった。輪郭が薄く、立体感がない感じ。だから、音がはっきりとしていることは絶対的にプラスだと思っていた。


「例えば、ビニール袋をクシャクシャする音をU87Aiで録音したとしましょう。すると、この音はビニール袋の音にしか聞こえません。しかし、もう少し輪郭のぼやけたマイクで録れば、ちょっとした加工次第で様々な音に聞こえさせられます。たとえば森を搔きわける音。たとえば火のパチパチした成分」


 はっきりしすぎるがゆえに誤魔化せない。変化させられない。


「『恋』をテーマにした曲を作れば、それは恋の曲にしかなりません。でも、『寂しい』『つらい』『楽しい』と具体的でない言葉を並べていれば、聴く人によって情景の異なる曲になります。佐野さんの曲は今回も前回も、その前も、私の記憶にある情景や心理に重なるものがありました。別の人が聞けば、きっとその人は私とは別のポイントと重ね合わせることでしょう」


 それはきっと、どちらが良いとか悪いとかの話じゃない。


「具体性がないからこそ、抽象的だからこそ、できることもあります。自らを、あまり卑下しないでください。決して、誰にでもできることではないのです」


 師匠はにっこり笑う。太陽に照らされる月のような笑み。

 ありがとうございます、と笑う私の頰は、きっとぎこちない。

 苦しかった。

 師匠は私が思っているよりも遥かにたくさんの経験をしている。

 顔を合わせるたびに、師匠が遠い存在だと思い知らされる。

 そんな大河のような人物の物語に、私のような小人なんて登場しているはずがない。


「佐野さん」


 名前を呼ばれ、私は初めて自分が俯いていたことに気がついた。

 師匠の目尻にシワが寄る。その笑みは、なにかを企んでいる色だった。


「明日は祝日ですね。お昼は空いていますか?」


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