2.コスモスの花を見るまで
「それ、持ってやろうか?」
「はい?」
ヒールは目をパチクリとして、目の前にいる数日前に出会った男を見た。道ばたでばったり再会したハインツは、両手をポケットに突っ込んでヒールに話しかけてきた。
今、ヒールは両手で抱えるくらいの大量の花束を持っている。一束あたりの花の本数は少ないが、それが十束以上あるため、量としてはかなりのものだった。それを見かねて彼は話しかけてきたようだ。
しかし、ヒールは首を縦に振らずに、他人行儀で素っ気なく言い放った。
「大丈夫ですよ。この程度の量、いつも持っていますから」
そう言って彼から離れようとしたが、彼はニヤニヤとした表情をして、後ろから付いてきた。
「花なんか持っていると気になるだろう。少しは持たしてくれよ」
「……忙しいので、これで失礼します」
「なあってば」
ハインツが軽くヒールの肩を握ってきたため、さらに顔をしかめて彼を見た。
「あまりしつこく言ってくると、自警団に突き出しますよ。今は仕事中です。仕事に支障をきたしますので、あまり構わないでください」
きっぱり言い切ってからヒールは歩き出したが、結局ハインツは少し遅れてついてきた。追い払う気力もおきず、肩をすくめる。
(なんだか、変な人に絡まれている気がする……)
数日前に彼の手を握り返したことが、悔やまれ始めそうだった。
ヒールが向かった先は入院できるベッドもある、診療所だった。受付の女性に挨拶をして、廊下を進んでいく。そして手前側にある部屋に入った。
診療所の関係者や入院している人たちが顔を向けてくる。彼女たちはヒールを見るなり、顔をぱあっと明るくした。
「こんにちは、ヒールさん! お花、持ってきてくれたのね。ありがとう!」
中年のふくよかなおばさんが、ヒールが持ってきた花を二束受け取った。それと花瓶を手にとって、部屋から出ていく。
入院中の女性患者がヒールに対して、手でこまねいてきた。彼女はヒールが持っている花束をじっくり見てくる。
「今日は何の花?」
「今日はガーベラを中心に持ってきました。ピンクや黄色など、様々な色を取り揃えています。あとでゆっくり見てくださいね」
小さい花びらがいくつもついている、ガーベラ。色も多彩であり、見ていると元気になる花だとも言われていた。
ガーベラを見た女性は、にこりと微笑んだ。つられてヒールも微笑み返す。
やがて花瓶を持って出ていったおばさんが戻ってきた。花瓶に水を入れて、そこに花を挿している。ヒールは彼女と入れ替わりに、部屋から出た。
その後、続けて他の部屋にも顔を出した。花を手渡し、時には花瓶に水を入れて、生けたりもした。
ヒールが働いている花屋は、この診療所からの依頼で、定期的に花を持ってくるように頼まれていた。
花は綺麗であり、その生命力は見ていて惹かれるものがあるため、少しでも患者に元気になってもらおうと、診療所の所長が決めたことだった。そのためヒールはときどき大量に花束を持って、診療所に顔を出しているのだ。
最後の一束になったときには、一番奥にある個室の部屋に辿り着いた時でもあった。ドアを軽くノックすると、中から声がかかる。それを聞いて、中に入った。
入った瞬間、そよ風が部屋の中を吹き抜けていく。木漏れ日が部屋の中に射し込んでいた。眼鏡をかけた白髪の老婆が、上半身を起こして、静かに木漏れ日を見つめていた。
「こんにちは、アンナさん」
呼ばれた女性はゆっくり振り向いた。
「ヒールさん、こんにちは。いつもありがとう。今日は何の花かしら?」
やや緊張感を持ちながら、ヒールは彼女に近づいた。
「今日はガーベラという花です。茎がしっかりとして、色も種類があり、見ていて飽きない花ですね」
「花言葉は?」
「色にもよりますが……、ガーベラ全体で言えば、希望や前進です」
「希望……ね」
アンナは一拍置いてから、ヒールのことを見てきた。
「ねえ、ヒールさん、コスモスはいつ咲くかしら?」
「コスモスですか? あと半年近く先になるとは思います」
今、花が咲き誇る春と呼ばれる季節。それから新緑が美しい夏がきて、やがて秋がくる。
秋桜とも呼ばれるコスモスは、その名の通り秋に咲く花だった。柔らかで繊細な花びらをつけて、一見可愛らしくも見えるが、実は強風で倒されても茎の途中から根を出し、また立ち上がって花をつけるほど、強い植物でもある。
アンナは再び窓の方に目を向けていた。太陽に雲がかかったのか、部屋の中は薄暗くなる。
「コスモスは私にとって、とても思い出深い花なの。愛する人から贈られた、大切な花。でも、半年も先となると、私はきっと見られないでしょうね。残念だわ……」
ヒールは目を大きく丸くする。そして唇を噛みしめながら、花を淡々と花瓶に移し替えていった。
すべての花を振る舞い、診療所で談笑をして外に出た時には、日は傾き始めていた。店に戻るために歩き出すと、横からハインツが現れた。
「あのばあさん、どうしてコスモスは見られないって言ったんだ?」
盗み聞きでもしていたのだろうか。ヒールは息を吐き出した。仕事もひと段落したため、出会った当初と同じように、砕けた口調でざっくばらんに言う。
「アンナさんの病気は日に日に進行していて、余命は三ヶ月もないのよ。夏をこえるのは、厳しいでしょうね」
「それでコスモスを見るのは厳しいってことか」
ハインツは少し間を置いてから、ヒールのことを横目でじっと見てきた。
「お前、本当に見るのは厳しいって思っているのか?」
ハインツの言葉を聞き、ドキリとする。無言のまま立ち止まり、右手を広げる。ヒールが持っている、いわゆる生長の力を使えば、アンナの願いを叶えてあげることは不可能ではない。
だが、果たしてそれがアンナ自身のためになることだろうか。秋まで生き続けたいという思いが含まれている言葉に、反するのではないだろうか。
「力っていうのは、使わないと勿体なく――」
「――ねえ、ハインツ」
ヒールは彼の言葉を遮るようにして、口を開く。
「夜、暇? 貴方が知っている植物を巡る話を是非聞いてみたい」
彼との交流を決めたのは、その話を聞くためである。今まで知らなかった話を聞けば、思い悩んでいる考えが、少しは確信を持った考えに変わるかもしれない。
ハインツは目をすっと細めた。
「話すのはいいが、立ち話程度で終わる話じゃない。それなりに長くなるぞ」
「それならあとで店に来てくれる? 今日の店仕舞いは私だから」
「店に話す場所とかあるのか?」
「入り口に打合せ用の机があるから、そこで話を聞きましょう」
「……わかった。閉店を見計らって行く」
それから一言二言かわしてから、二人は別れた。
夜の帳が下りる前に、ヒールは花屋の入口に下げている札を『閉店』にひっくり返した。それから店内の清掃を始める。今日、店長は夜に用事があるため、早めにあがっている。
広げていた花や包装紙をしまい、明日もすぐに花束を作れるように、机の上を整理していた。
ある程度片付けが済んだところで、コンコンと扉が叩かれた。ヒールが扉を開けると、ハインツがパン屋の袋を持って立っていた。昼間は持っていなかった袋を見て、目を丸くする。
「おい、さっさと中に入れろ。せっかくのパンが冷めるだろう」
「ああ、ごめんなさい」
扉を大きく開いて、彼を中に入れた。店の入り口には机と椅子が置かれている。そこに彼を座らせて、ヒールはエプロンを外してから椅子に腰をかけた。すると彼はパン屋の袋をヒールに向かって突き出してきた。
「美味しそうだったから、買ってみた」
「え、食べていいの?」
そこは美味しいことで有名なパン屋だ。店を閉める時間帯はパン屋も閉まっているため、できたてのパンを食べられるのは、せいぜい休みの日くらいだった。
ハインツがさらに押し出してきたので、有り難く袋を受け取り、パンを取り出した。ふっくらと焼き上がった丸いコーンパンが入っていた。それを手に取り、かぶりつく。ほくほくとした温かさとコーンの甘さが口の中に広がった。
「美味しい……」
そう呟きながら、黙々とパンを食べていく。そしてあっという間に食べ終わって顔を上げると、ハインツが肘をついて嬉しそうな笑みを浮かべていた。目を瞬かせていると、彼ははっとした表情になり、そっぽを向いた。一瞬見た彼の表情が、今までに見たことがないものだったため、思わず見入ってしまった。
「……腹が落ち着いたのなら話すぞ。なにから話せばいい?」
「ええっと、そうね……、植物を巡る力って、どういう人が持っているの? ハインツは私以外にも知っているの?」
とりあえず思いついたことを投げかけた。彼はゆっくり指を折っていく。
「俺が知っているのは、十人くらいだな。力を持つもの同士、何か惹かれあうところがあるらしい。だいたい通りかかった町で一人は接触できる」
「そんなにいるの?」
「まあな。この国の歴史は知っているか? 数百年前に隣国と統合されてできたっていう歴史は」
ヒールはこくりと頷いた。ある程度の年齢になれば、学校で必ず習う内容だ。
かつてこの国は、北の国との国境にて、激しい争いが繰り広げられていた。その状況を打開するために、長年親しくしていた東の国と力を合わせて、北の国を退けたという過去がある。
その際、友好を深めるために、この国の王子と東の国の姫が結婚した。最終的には様々な情勢を考慮して、統合したのだ。
「その時の姫が不思議な力を使い、戦う者たちを助けたという話がある。その力というのが植物の生長を促進する力だった」
「そんな話、初めて聞いた……」
「不思議な力を毛嫌いする人間も一定数いるからな、公にはなっていない」
それならなぜハインツは知っているのだろうか――そう聞きそうになって、口を閉じた。彼は旅人だ、誰かから話を聞いたり、ここではないもっと大きな都市で調べて知ったのだろう。
「どうやって姫がその力を得たのかはわからないが、それをきっかけに戦況は大きく変わった。兵たちを鼓舞するために花を咲かせて気分を盛り上げたり、戦闘時に蔓を生み出して、相手の動きを封じたり、盾を作ったり。さらには木々を枯らして、落葉で相手の目をくらませたりと、極端な自然の理を壊さない範囲で使っていたらしい」
「この力でそんなすごいことができるのね……」
「力っていうのは使いこなすことで、化けるからな。まあ、今の平和な世の中では必要のない力さ。無暗に力は使わない方がいいと思う。理に触れているのは、間違いないからな。余計なことをして、どんな反動がくるかわからない……」
ハインツはぐっと手を握ってから、話を続けた。
「――その後、姫の力は静かに広まっていった。広まり方についてはいくつか逸話はあるが、一番有力なのは、力を使って生み出された花に触れた者に対して、力が宿る可能性があるというものさ」
「触れた者、全員ではなく?」
「全員だったら、この国はどこも能力者だらけさ」
ハインツが肩をすくめている。たしかに単純に触れただけで力を得ていれば、かなりの勢いで増えていくことになる。花を作り出し、それを他者に触れてもらうだけで力を広めるということは、あまりにも単純すぎた。
「力を得る人には、何か共通点でもあるのかしら」
「それも知りたいから、俺は旅しているのさ。見たところ、お前と他の町で会った人間とでは共通点はなさそうだな」
結局は謎ということか。
ふと、ヒールは幼い頃に口ひげが生えた老人に、目の前で種から花を咲かせてもらったことがあったのを思い出した。種から生み出されたその花をもらい、とても喜んだ覚えがある。
「ハインツの言うとおり、私も力を持った人から、目の前で咲かせてもらった花をもらった記憶がある」
「へえ、どんな花だった?」
記憶がもやにかかっていて、思い出せない。だが、色だけははっきり覚えていた。
「鮮やかな赤い花だったと思う。何の品種かは、当時の私ではわからなかった……」
「誰からもらった?」
「髭を生やしたおじいさんだったと思う」
そう言うと、ハインツの目が大きく見開いた。ヒールは彼の反応を見て、びっくりする。
「知り合い?」
「い、いや……。……それよりも力を持っている人間は、どういう人間がいるかってことも聞いていたよな。俺が知っている奴らの職業は様々だった。教師をやっている人間もいたし、食堂で働いていたり、道を作っている人間もいた。質問に対しての回答はそんなところだ」
明らかにはぐらかされた。じっと見ていると、ハインツは立ち上がった。
「すまん、調べたいことができた。他に聞きたいことは、またの機会にでも話す」
「え、は、はい」
慌てて返事をする。間もなくハインツは店から出ていった。
ヒールはぽつんとその場に取り残される。彼が出て行った扉を見つめて、あっと声を漏らした。
「お礼、言い忘れた……」
それからハインツとは町中で時々会うが、彼から積極的に接してくるようなことはなかった。ヒールが話題に出した男の存在が気になるのだろうか。話しかけようにも彼は忙しそうにしているため、声をかけにくい。
そのような中、診療所への配達の日がやってきた。仕入れた花の中から、華やかそうなのを選んで花束にしていく。当たり前であるが、コスモスは仕入れた中にはなかった。
配達前、ヒールは小さな種を掴んで、花屋の裏庭に行った。そこには芽を出し始めた花たちがいくつか育っていた。その脇に何も撒かれていない地面に向かって、種を撒こうとする。
しかし思い悩んだ末に、ヒールの手が開かれることはなかった。そっと種を袋の中に戻し、配達の準備の続きをした。
準備を終えると、すぐに診療所に向かった。中に入り、挨拶をしながら花束を渡したり、生けたりしていく。今日もまた明るい花でいいわねと言われながら、進んでいった。
途中で寄り道をしながらも、最後にアンナがいる部屋に着いた。今日も窓を開けているからか、心地よい風が吹き抜けていく。少し痩せただろうか――、という懸念は置いて、彼女に近づいた。
「こんにちは、ヒールさん。今日も素敵なお花を持ってきたのね」
「アンナさん、こんにちは。あの、一つ提案があります」
そして彼女に種を差し出した。アンナは不思議そうな目で種とヒールを交互に見る。
「この種は?」
「コスモスの種です。アンナさんの手で、コスモスを育ててみませんか?」
「私の手で?」
ヒールはしっかりと頷く。
「一般的にコスモスは、種を植えてから三、四ヶ月程度で花が咲くと言われています。今月はまだ適した気温ではないため、蒔くのはお勧めしませんが、来月になれば発芽に適した温度になってきます。そこで蒔いて、花が咲くのを待ちませんか?」
コスモスは育てやすい花であり、ヒールの店の裏でもある時期になれば栽培している。部屋に置ける鉢でも十分育てられるともいわれていた。
アンナが生きている間に咲くかはわからない。だが、きっと咲くのを待つのは生きる力になるはずだ。
診療所の先生にも了承はとってある。あとは彼女の気持ち次第だ。
アンナはシーツを軽く握りしめた。
「つまり花が咲くまで、四、五ヶ月かかるということよね……」
彼女は逡巡する。風がそよぎ、温かな空気が流れる――。やがてアンナはヒールに穏やかな笑みを向けた。
「ねえ、ヒールさん、お願いがあるの」
「私にできることであれば」
「もし――私が花を見る前にいなくなってしまったら、花が咲くのを見届けてくれる?」
一瞬、言葉が詰まった。それから言葉を選んで、精一杯の考えを伝えた。
「見届けます。ですが、できる限り一緒に咲く瞬間を見ましょうね」
「ええ」
アンナは安堵の表情を浮かべて、頷いた。
これで少しでも彼女に生きる希望を与えられただろうか――。
力を使わなくても人を喜ばすこともできるはずだと、ヒールは思った。