08 魔導具と結界
交易都市レナルドより皇都に帰還した私は、通常業務に戻っていた。ほとんどが、合議組織『元老院』が合意に至った結論を認証するだけだが、それ自体は事後対応でも問題ないものばかりだ。
むしろ重要なのは、日々要望が上がる、様々な人々との謁見や会食である。そこでやりとりされた内容が、宰相ガリウス他関係者によって元老院に伝えられ、『皇帝の意向』として国政に反映されることになる。
「もともと、元老院の判断基準が『ウェンディ様ならこの問題についてこうお考えになられるはず』というものでしたからな。御意向を明確にお示しになられれば、その分、国政は円滑に進むわけです」
「でも、私の方針はひとつだけよ? 『命の価値を、他人が求めてはならない』」
「命を蔑ろにされ続けた御経験に基づく、堅実な御意向かと思います。ですが、それだけでは割り切れない問題も数多くあります」
「たとえば?」
「たとえば……そうですな、陛下が交易都市におられた際に持ち込まれた案件なのですが……」
そう言ってガリウスが語った内容は、確かに、なんともいえない問題だった。
◇
皇都の郊外、主に日雇いの肉体労働を仕事としている家庭が多く住む場所。昔はともかく、今となっては身の安全がある程度保証され、収入も、多くはないが少なすぎるということもない。そんな階層の人々が生活している地域である。
「確かに、平和ね。活気はないけど」
「そうですね……」
ハロルドを伴って訪れたその地域は、とにかく活気がなく、しかし、争いごとの様子も見られない。老若男女に関わらず、何か呆けたような、そんな雰囲気に包まれていた。
わたしは、建物の入口でひとり座り込んでぼーっとしている男の子に、声をかける。
「ねえ、ちょっといいかな?」
「……なに? お姉ちゃん」
「『サリー・モルネス』という人の家を教えてもらいたいんだけれども」
「サリー? サリーって、魔導具作りのお婆ちゃん?」
「うん、そうそう」
「じゃあ、こっちだよ」
私たちは男の子の先導で、目的の家に向かう。
「特に警戒もせずに我々を連れていくということは、そういう魔法なのでしょうか」
「そうみたいね。ああ、あそこと、あそこ、そして……あそこ」
「わかるのですか?」
「魔力の動きでだいたいは。強力だけど、実害は確かにないわね。けれども……」
「やはり、思うところはありますか」
「まあね」
ハロルドとそんな会話をこっそりしながら男の子に付いていくと、その家にはすぐに到着した。男の子が入口の扉をノックすると、しばらくして、年老いた女性が扉を開けて出てきた。
「なんだ、二軒隣の坊ではないか。何用だい……ん?」
「お婆ちゃんに、お客さんだよ」
「……お前たち、なぜここに来ることができた?」
「私は冒険者のラン、こちらはハロルドと言います。お話をしたいのですが」
「魔導具ギルドに頼まれでもしたかい? あの連中には、この地域を見つけることさえ厳しいからね」
「ええ、まあ」
嘘ではない。例によって、皇城が差出人の手紙を持って魔導具ギルドに行き、依頼を引き受けた形をとったからだ。
「簡単には追い返せないようだね……。入りな、少しは話を聞くさ」
そう言って、お婆さん……サリーさんは、連れてきてくれた男の子にお菓子をあげ、私たちを家の中に招いた。
◇
居間のテーブルの椅子に座り、サリーさんが淹れてくれた紅茶を飲みながら、話を始める。
「さてと……私がこの地域にしかけている、魔導具のことだね?」
「そうですね。認識阻害と……様々な欲望を抑える効果のある、結界魔法。それらを定常的に発動させる、魔導具」
「お前たちは強力な結界魔法が使えるのかい? だが、あれらを無効にするほどの者がふたりもとは……」
「それは後ほどお伝えします。魔導具ギルドとしては……いえ、城下町を治める皇城としても、この効果を弱めてほしいそうです」
このサリーという女性は、魔導具ギルドに登録している者の中でもずば抜けた能力をもつ魔法使いである。現存する魔法の全てを操ることができるだけでなく、それらを複雑に組み合わせて様々な現象を起こすことができる。しかし、魔力自体は極めて少なく、威力も低い。だから、結晶体に時間をかけて魔法効力を込めることで、優れた魔導具を生み出すことを生業としていた。
けれども、数年前からこの地域に先の魔法、認識阻害と欲望抑制の結界魔法を発動する魔導具を設置し、自身はその結界内にある自宅に引きこもるようになってしまった。自宅だけならともかく、広い地域一帯をそのような魔法で発動してしまうと、治安は良くなるが、発展も望めない。激しい暴力が吹き荒れていた父上の治世下であれば、この地域は天国のような場所となっただろう。しかし、今は……。
「ふん、皇城だと? 欲にまみれた貴族共が圧力をかけてきたか!」
「いえ、そういうわけではありません。確かにここは穏やかであり続けているのですが、無欲も過ぎると、前に進めません。寿命が尽きるまで時が過ぎるのを待つだけの人生は、とても悲しいことだと思いませんか?」
「婆さん、あんたの人生は残り少ないかもだけどよ、さっきの子供まで巻き添えにするのはどうなんだ?」
「ハロルド、言葉が過ぎるわ」
「……失礼しました」
とはいえ、ハロルドの言うことも正論なのだ。それが、自身の考えや経験に基づいて自ら影響を受けているならともかく、物心つく前の子ども達まで否応なく魔導具の影響下に置くのは、むしろ危険かもしれない。
それはともかく、ハロルドって、普段はこんな言葉遣いなのか。これまで同伴していた時は、目上や護衛対象しか近くにいなかったから知らなかった。ぶっきらぼうだけど親しみやすい感じ……とも言えるけど。
「いいさ。むしろ、ランだったかい、お前が丁寧過ぎだよ。あんた、根っからの冒険者じゃないね?」
「普段は、副業として宿屋などで接客することか多いので、そうかもしれません」
「そうかい。どちらにしろ、私はいまさら魔導具を止めないし」
「その理由を、聞いても?」
「お前たちくらいの年ならわかるだろう? もう二度と、聖女様を苦しめるようなことがあってはならないんだよ!」
◇
そう、これが『なんともいえない』問題である最大の要因だった。このサリーという女性、私の信奉者らしいのだ。皇城で話を聞いた時もそうだったが、素性を隠して魔導具ギルドで尋ねた時は、困惑で意識を失いかけてしまった。
「この結界は、聖女様のお心を現しているのさ。旧皇族による混乱の中でも権威を一切振りかざさないどころか、人知れず城下町にやってきては多くの人々を癒やされていく。垣間見たそのお姿は、伝説の賢者など足元にも及ばないほどの清貧さを感じたものさ!」
清貧……確かにあの頃の私は、あまりの悲惨さに、食事も喉を通らないほどではあったが。それに、父上たちに関知されれば当然妨害されるから、身なりも質素にして城下町をこっそり動く必要があった。そもそも、私の権威など地に落ちていた。あの頃の私が皇族を名乗ったところで、何の意味があっただろう?
「私はね、一度だけこの目ではっきりと見たのさ、その癒やしの魔法を。この地域のちょうど中心、道が交差するところに、あの方はふらっと現れた。フードをかぶっていたからすぐにはわからなかったけれど、その場に跪き、祈るような姿勢をとった、その時。この一帯を淡い光がゆっくりと包み込んだ。広い広い草原の隅々まで、そよ風が行き渡るように」
超広域治癒魔法。『復元』のような世の理を逆行させるようなものではなく、人々の治癒能力を増強させる、それだけの魔法。私の膨大な魔力を広く薄く引き伸ばしたようなその魔法の効果は、よほどの重症でない限り、だいたいの傷を癒やし、病原を駆逐する。見方によっては、かなり力任せのやり方だ。
「私の右手はね、昔の魔導具作りの失敗で中指が欠損していたのさ。けれども、あの時の聖女様の癒やしで、こうして復元した。もちろん、当時の第二皇子の熾烈な攻撃魔法に巻き込まれた周囲の者たちも、あっさりと傷が癒えた。ああ、あれがかの聖女様なのかと振り返った時には、既にそのお姿はなかった。夢でも見ていたのかとすら思ったこともあった」
それは間違いなく、夢ではない。父上たちが皇都の人々を蹂躙した直後、私は数え切れないほどの超広域治癒魔法を発動していた。父上たちを止められなかった罪悪感に苛まれながら、這いずるように駆け巡って。皆には悪いが、どこでどのように発動させたかはもう覚えていない。もしかすると、一部の場所では復元魔法を併用してしまったかもしれない。
「この結界は、聖女様のイメージそのもの。清貧にして穏やかな、無欲の精神。私はこの世界を守るよ。聖女様が再びこの地を訪れた際に、共に安寧の祈りを捧げられるように」
……めまいがしてきた。まさしく悪い意味で波乱の半生を過ごした私とは、正反対のイメージである。
「聖女様の……陛下の、イメージ……」
「ふむ、お主もわかってきたようだの」
いけない、あまりのショックに、ハロルドの魔力制御が疎かになってしまった。私自身は魔力が膨大過ぎて、他者からの魔法の影響を受けにくいのだけれども。
「……はっ。ラン様、この結界はやはり危険です。ここは、あなた様が素性を……!」
「それでは意味がないわ。サリーさん自身が、気づかないと」
「ふん、やはりお前たち、皇城の間者か何かか。ああ、おいたわしや、聖女様。目覚めてもなお、魑魅魍魎の亡者共に利用されるなど」
こう言ってはなんだが、彼女自身も結界魔法にかなり影響されている。彼女は、本来であればとても聡い人物である。いくら私が魔力を抑えているとしても、先ほどのハロルドとのやりとりあたりから、私の素性に気づくはずだ。つまり、私が意図的に素性を明かしたとしても、今のこの場所と状態では信じないかもしれない。彼女はこの数年、この地域に閉じこもって噂を聞くだけだったから、私が邪神竜と戦っていた数週間の様子さえ見ていない。
「……わかりました。今日はこれで帰ります。ですが……」
「何度来ても同じさ。私は魔導具を止める気はないよ」
「お試し、はダメでしょうか?」
「お試し? なんだいそりゃあ」
「邪神竜が討伐されるずっと前から、数日ごとに魔法を付与し直して動かし続けていたのでしょう? 今の情勢は、以前と違います。一回くらい、試しに止めてみてはいかがでしょう」
「……確かに、最近は年のせいか、付与に時間がかかっている。もっと効率の良い運用をしたいとは思っていたが……」
「もちろん、認識阻害は発動させ続けて結構です。魔導具の位置を変更するのも良いかもしれません」
うまくいくかはわからないが、少し『休んでもらう』ことを考えた。実際のところ、魔導具を無理矢理撤去したり停止したりすると、この地域の人々にどのような影響があるかわからないのも確かだ。残念ながら、父上たち、特に、『封印の聖者』であるルティオ兄上がいない今、複雑な結界魔法に関するノウハウが失われていた。邪神竜封印に関わるそれらと同様に、兄上たちが秘匿していたという背景がそこにあった。
「……何たくらんでるんだい? そういえば、結局お前たちが認識阻害をくぐり抜けてきた方法がわからないままだね」
「それは、次に訪ねた際にお教えします。では、よろしくお願いいたします」
そうして私たちは、次に来るのは10日後ということにしたのち、サリーさんの家を辞した。
「あの者、陛下のおっしゃる『お試し』を本当に行うでしょうか?」
「するはずよ。運用が厳しいのは確かだし、私が結界魔法の影響を受けずに行動できることも知ったのだから」
「陛下の膨大かつ繊細な魔力制御あってのことですからね。私も魔法が使えない代わりに、少しは魔力耐性があったはずなのですが……」
「将来的には、彼女に封印系統の魔法を研究し続けてほしいのだけれど……」
いずれにしても、賽は投げられた。しばらく、推移を見守ることにしよう。
◇
それから、数日後。問題は、あっさり解決した。サリー・モルネスが地域一帯に設置していた魔導具の出力を大幅に下げた上、数年ぶりに魔導具ギルドに復帰したからだ。私が期待した以上に、魔導具技術の継承と発展が望めそうである……というのがガリウスからの報告だった。
「陛下、お見事でした」
「………………………………………………ガリウス、それは、私に対する皮肉かしら?」
「い、いえ、決してそのようなことは!」
サリーさんは約束通り、次の魔法付与をやめ、数日の間、魔導具の効果を停止させた。地域のほとんどの人々には大きな変化は見られなかったのだが、当のサリーさんと、近所に住む同年代の男性には、少なくない変化があったらしい。魔導具を発動させるまでは絶望の時代しか知らなかった彼らの、遅くて新鮮な感情が生まれたようだ。
正直に言おう。私はこのような結末を全く想定していなかった。結界の効果が一時的にでも抜け、彼女の本来の思慮深い心が取り戻されて、あらためて私の言葉を考え直す機会になれば……という程度であった。しかし、私の言葉など関係がなかった。ハロルドの言う通り、さっさと素性を明かして魔導具を強引に一時停止させた方が話は早かった。
「ですが、その、陛下が今回の件でそのようにおっしゃるということは、やはり思われるところがあると愚考するところです。いかがですか、甥のハロルドは」
「優秀かつ好人物ね。あなたに似ているわ」
「そ、そうですか……」
なぜ、そこでがっかりするような反応をするのだろうか、ガリウスは。
いずれにしても、私は『なんともいえない』気持ちになった。もちろん、問題が持ち込まれた時とは全く違う意味で。はあ……。