07 領主と不穏分子
「一時期は、貨幣経済自体が停滞しましたからね。食料や資材を奪って使う。それが物資流通の多くを占めていたのだからたまらない」
「耳が痛い話よね、本当に」
「陛下、あなたは卑屈になり過ぎです。私があなたの立場だったら、迷わず他国に亡命ですね」
「なら、私は自害も亡命もできなかった出来損ないだわ」
「挑発されておられるのですか? もしそうでしたら、無駄な努力ですよ」
「本音と半々、かしら? いいのよ、そのまま不満を言ってもらっても」
「陛下には敵いませんね……」
話し相手は、この交易都市レナルドを治める貴族、ルーイン侯爵クリス。ここ十年近く領主として活動しているが、都市の外にはあまり人となりというものが伝わってこなかった。交易都市の領主がそんな状態だったから、ベラード卿の証言を聞いて警戒していたのだが……全く別の理由だったようだ。
「政治経済は、庶民が自由に行えば良いのですよ。それが、交易都市として維持するコツなのですから。駆け引き中心の社交など、もってのほかです」
「父上たちと同じようで全く異なるのが興味深いわ。まあ、今の私も事実上似たようなものなのだけれども」
「陛下は求心力が桁違いです。旧皇族に虐げられていた頃からの積み重ねですね」
「私は、したいことを、したいようにしていただけだったのだけれどね……」
「繰り返します。陛下は挑発されておられるのですか? それとも、天然ですか」
「天然?」
「したいことが、身内からの暴力と死の恐怖に耐えながらの救済活動など、常軌を逸しています。お母上と比べても」
常軌を逸して……か。私の心は、お母様の死によって、とうの昔に壊れている。善悪に関する相応の信念はあれど、依然として空虚なままであると自認している。
「あ、あの……陛下、クリス閣下、口を挟んでもよろしいでしょうか?」
「なに? ハロルド」
「その……こうして、お茶を嗜まれながら国政について語り合うお姿は、大変優雅で心強いものと感じ入りますが……」
「ハロルド殿、はっきり言っていただいて良いのだぞ?」
「はっ。街にはお戻りにならないのでしょうか? 野生動物の討伐は完了しておりますが」
「私の収納魔法ではティーセットが限界でね。運搬担当のギルド員を待ちながら、こうしてお茶をするのも悪くない」
ここは、交易都市レナルドを出て少し離れた場所にある、森の中。野生動物の氾濫がイノシシに留まらず、野ウサギや大型野鳥にも及んで対処しきれない。そういう話をローレンスに聞き、食事を共にした日の翌日、早速こうして討伐クエストをこなしている。
なお、受注時になぜかお忍び中のクリス侯爵が冒険者ギルドにいたのは偶然……ではないのだろう。なるほど、確かにフットワークは軽そうだ。ちなみに、クリス侯爵は剣に炎を纏わせた魔法剣が得意だった。私は『光の刃』で加勢、ハロルドは剣のみで善戦した。
「それにしても、これが『魔物』なのね。邪神竜が現れる前は当然のように跋扈していたと、碑文に刻まれていた詩で歌い上げられていたのだけれども」
「邪神竜は、魔力の塊。『邪』でありながら『神』を冠していたのは、魔力によって生み出される魔法が神聖視されていたからなのだが……」
「魔力も魔法も、それ自体に正邪はない。操る者の心の違いに依るところが大きいのね」
「自我や意思が弱い動植物は、魔力によって暴走しがち……ということだったのですな。まあ、繁殖力も高くなるので、交易都市の領主としては、食料供給に事欠かず嬉しくもあるのですが」
邪神竜討伐後の5年間、邪神竜消滅に伴う変化がいくつか現れた。そのひとつが、魔力によって暴走する野生動物、すなわち『魔物』の出現だ。邪神竜が現れる前の時代を、父上たちは『野蛮な時代』と嘲笑していた。しかし、家畜を必要としない程に恵みの宝庫となったという森を見るに、クリス侯爵の言葉以上の効果を期待してしまう。
そして、考えてしまう。邪神竜とは、なんだったのか。そして、結界に封印されてなお、世界から次元を超えて、より多くの魔力を吸収していたと思われる、その意味を。
「それにしても、なぜ今になって、氾濫するほど魔物が増えたのかしら。やはり、誰かの……何かの、影響?」
「私は、逆ではないかと考えています」
「逆?」
「本来ならば、陛下が邪神竜を討伐された直後に、氾濫するほどの魔物増加があったはずなのではないか、と。誰かの、何かの差し金があったにしても」
「……つまり?」
「つまり、今になって、魔力を吸収する何かを、止めたのではないかと」
「邪神竜の、復活……」
私は、最近まで眠りについていた。もし、新しい邪神竜を必要とする何者かがいたとすれば、いつ目覚めるかわからない私が眠っている間に、邪神竜を復活させたいだろう。しかし、私は目覚めた。結界の特性に依らず、膨大な魔力を取り戻した上で。
「古文書には、こういうことも書いてあったそうです。『我らは、邪神竜を奉ずる』と」
「邪神教団……史上唯一の宗教組織にして、ガーディナー帝国の祖」
すなわち皇族とは、その教団の教祖の末裔である。大魔法使いとも言われていたが……今となっては、その直系は私しか生存していない。
「もちろん、陛下は心当たりがないのでしょう? 邪神竜復活のための何かは」
「ないわ。あったら、そんなものはすぐに消滅させる。百害あって一利なしよ」
「ならば、旧皇族が秘匿していた何かが流出したのでしょう。おそらく……」
「代々の『封印の聖者』に引き継がれていた、何か」
一旦はその何かが持ち込まれていたと思われるレナルドには、その痕跡は既に残っていなかった。旧皇族と癒着のあった貴族たちは、隠れ蓑として利用されていただけのようだ。
でも、絶対に見つけ出す。邪神竜は、復活させてはならないのだから。
◇
明日には皇都に戻る旨をクリス侯爵に伝えたところ、夕食を共にしたいという申し出があった。場所は、冒険者ギルドの近くにあるレストラン。最寄りの宿に泊まっている私たちにとっては都合が良かったのだが……。
「紹介しよう。我が愚息のマイロと、愛する夫のユーリだ!」
「母上、いきなりその紹介はないでしょう……」
「全くだな。ああ、失礼。妻が年甲斐もなくはしゃぎまくって」
「とんでもありません。クリスさんには、本日の討伐で大変お世話になりました」
「いやあ、ギルドでたまたま一緒に仕事を受けてなあ。意気投合したから、こうして家族にも会わせたいと思ったのだ。どうだマイロ、ランは美人だろ?」
「え、あ、はい。とっても……」
「あら、光栄ですわ」
会話からわかるように、クリス侯爵は自身の身分を、皇都から来た冒険者である私やハロルドに隠している……ということになっている。設定としては、小さな商会を営んでいたユーリ殿が護衛などで親しくなった冒険者のクリス様に求婚した……という感じだが、実際は、ユーリ殿がクリス侯爵に婿入りしている。交易都市の近くの町を治める、子爵家の三男とのこと。
とにかく、そんな立場の方が気兼ねなく話ができると思ったのだろうけど……まさか、ローレンスの入れ知恵じゃあないわよね? 私と同世代に見えるマイロまで連れてきているあたり、あながち間違いでもない気がするのだけれども。
「それにしても、ラン殿は冒険者にしては、言葉や所作も美しい。その……実はどちらかの御令嬢ですかな」
「ああ、ランの親は相当悪どかった没落貴族でな。そこの元従者のハロルドと自活するしかなかったんだそうだ」
「お恥ずかしい限りです」
「その設定、採用されたのですか……」
ちょっとハロルド、変なことをつぶやかないで。バレるでしょ。
「でもまあ、こいつ自身は見た通り悪いやつじゃないし、ちょっと同情もしてな。普段は皇都に住んでるそうだから、今度皇都に行く時にはお前たちも連れていって、ついでにランにも会いに行くことにするからな!」
「それは、楽しみですね。でも……そうですか、それなら、相当苦労されたのでしょう?」
「ええと……はい、そうですね。一時期は長い間寝込んでいたこともありました」
「それはお気の毒に。いや、すまない。あまり過去を詮索するものではないな」
「母上が余計なことを言うから」
「なぜそうなる?」
侯爵一家は、とても仲が良いようである。……私には、眩しすぎるほどに。
「いやあ、次に上京するのが楽しみだな!」
「母上、少しは自重を。この間も、親戚の商会長にお土産と称して、野ウサギを3匹血抜きもせずに渡されていましたし」
「そして、護衛していた冒険者にいきなり手合わせと称して斬りかかったり。皇都のギルドで同様のことをしたら、ただでは済まないぞ?」
「大丈夫、私は皇都のギルマスとも仲がいいから、穏便に済ませてくれるはすだ。なあ、ラン殿!」
「ははは……」
とりあえず、ガリウスとの一戦は避けられないようである。マイロとユーリ殿が寝込まないといいけど。