03 プロローグ3
廊下を歩くと、両隣に並ぶ執事とメイドが次々と跪く。どこまでも続くその様子に、少し居心地の悪さを覚えつつも、ゆっくりと進んでいく。
「おお、陛下だ……本当に、歩いておられる……」
「ああ……このお姿を、生きている間に目にする日が来ようとは……」
居心地の悪さは、跪かれていることだけが理由ではないだろう。決して不快ではないのだが、周囲からの視線と、聞こえてくる声。父上や兄上たちが畏怖をもって崇められていた時とは全く異なる、なんとも言えない、この感じ。例えるならば……お母様が生きておられた頃の、私を見つめる温かい眼差し。それに似ている。
そんなことを感じながら到着した、ひときわ大きい扉。皇城に設けられている、謁見の間。帝国において最も重要な、その部屋の入口に立つ。
「ウェンディ・フランシス・オヴ・ガーディナー陛下、御出座ー!!」
私の名前が呼ばれ、門が開かれる。
帝国皇帝の、謁見の間。私は、この部屋が嫌いだった。豪華絢爛な佇まいに権威付けの調度品、そして……どうしても拭えない、血の匂い。国や民を憂いた幾人もの忠臣を、皇族自らの手で処刑した場。それは、帝国が誕生した時からの伝統だったという。回復魔法を下世話な力として、その発動を代々の皇帝が許さなかったことも、血塗られた場であり続けた理由だった。
しかし、たった今開かれた扉から見え、感じる部屋は、そのような不快感を覚えるものではなかった。むしろ、目覚めた時の庭園からも感じた、あの……。
「……優しい陽の光に、穏やかな空気……」
「全て、陛下を想いながら変革いたしました。さあ」
現在の宰相を務めるガリウスが、私の後ろでそうささやき、入室を促す。
謁見の間を埋め尽くす、数多くの貴族と騎士、そして、文官も兼ねているという、魔術師たち。以前は、皇族の力を汚すものとして不遇な扱いを受けてきた、平民の魔力持ちが中心となっているそうだ。そんな人々が両脇に整然と並ぶ、玉座に続く絨毯の道を、廊下と同じくゆっくりと進む。
玉座に到着し、その少し上を眺めた後、かつて父上が座っていた椅子に座る。
「これより、『新生ガーディナー帝国』皇帝陛下の戴冠宣言を挙行する。一同、平伏!」
帝国の全ての諸邦、帝国には属さない大陸の全ての国家、それらの王侯貴族を含むその場の者たち全員が、私に跪いた。
◇
目覚めた日から数日間、私は、体の筋力回復を中心とした療養を行いながら、この5年間の出来事をガリウスより聞いていた。
「私は、邪神竜と何週間も戦い続けていたの……!?」
「さようです。結界の中は光も入り込めない、孤独な空間。時間経過を感じる暇もないほどの、過酷な戦いだったのでしょう」
私は、魔力が続く限り、睡眠も食事も必要としないまま動き続けることができる。しかし、いくら魔力が膨大でも、いつかは尽きる。それが、邪神竜を相手にしていた戦いならば、消耗も激しかったはずだ。
それでも、長い間戦い続けることができた理由はわからない。ひとつ考えられる仮説は、私も邪神竜と同じく、結界の中では『異なる次元の力』を得られる可能性だった。
「『封印の聖者』であるルティオ兄上に結界を張っていただければ確認できるかもしれないけど……」
「かも、しれませんな」
「それで、兄上たちや父上は? 私がこうして目覚めたからには、何か言ってくるのではないかしら?」
「……」
「魔力枯渇で5年も眠り続けていられただけでも、奇跡だわ。父上たちから『役立たず』と切り捨てられても不思議ではなかったのに」
「……」
「ガリウス? そういえば、あなた、私のことを『陛下』と呼んだけど……」
テーブルの上に置かれた紅茶のカップを手に取りながら、私はガリウスに問いかける。それにしても、こうしてゆっくりお茶を飲むのもひさしぶりである。お母様が亡くなられてから、本来は物置用の屋根裏部屋に私は住まわされた。城で働く人々は私に優しかったが、父上たちの報復を恐れて、あまり目立つことはできなかった。だから、こっそり持ち込んでくれたお茶を、やはりこっそり飲むしかなかったのだ。
「ガリウス?」
「……最初の、1週間です。皇帝ザステルと3人の皇子は、ウェンディ様が戦う様を見ながら、笑い転げておりました。まさしく余興を楽しむように、酒を片手に、食事を摂りながら」
「そう……」
お母様は、一瞬にして亡くなった。余興にすらならぬと憤る父上たちに、民の怒りは激しいものとなった。それと比べれば、私の戦いは、一応は余興となったのだろう。
「我々は、ウェンディ様が戦い続けるお姿を見て、決心いたしました。排除すべきは、邪神竜の脅威ではない。その脅威を利用して人々の命をもてあそぶ皇族であると」
「私も、皇族のひとりだよ?」
「お戯れを。命を賭して戦い続けたウェンディ様を、同属と見なすものは誰もおりません」
それは、父上や兄上たちも、ある意味同様だった。まさしく、皮肉としか言いようがない。
「だから……あなた達が殺したの? 父上と、兄上たちを」
「……回復魔法の使えない者たちを毒牙にかけるのはたやすいこと。しびれ薬で十分でした。動けなくなった彼らを皇城の前に晒し出し、民衆の前で……首をはねました」
「止める者は、誰もいなかったの?」
「『封印の聖者』を亡き者にすれば、邪神竜が復活した際には誰も防げない。……首をはねる前に、私はそう叫びました。しかし、聞こえてきた声はただひとつ。『ウェンディ様と命運を共にする』。それだけでした。未だウェンディ様が邪神竜と戦い続けている、結界の下で」
そこまで話したガリウスは、手もとに控えていた剣を差し出し、私に訴えた。
「人々を扇動したのは、この私です。主君を殺害した罪は、私が全て負います。ウェンディ様は、その罰を執行する権限があります」
そういうガリウスは、私の心中を知ってか知らずか、全くの無防備となった。
「ガリウス、確かに私がその場にいれば、父上たちの断罪を止めていたかもしれない。しびれ薬も、私が無効にしていたかもしれない。肉親の情なのか、邪神竜の脅威なのか、理由はともかく」
私は、ガリウスの剣を受け取ると、その刃を、自身の首に当てる。
「ウェンディ様!?」
「そんな私だから、お母様を見殺しにした。人々が蹂躙されるのを見過ごした。私は、私が負うべき責任をあなた達に、人々に負わせた。断罪されるべきは、私の方よ」
「おやめ下さい! 冗談でも、そのようなことを……!」
ガリウスがそう叫ぶと、私は剣を下ろし、その手に返した。
「わかっている。今、私が自害などしたら、世の中は余計に混乱するでしょう。でも、やはり責任は取りたいわ」
「それでしたら、ウェンディ様は既に責務を全うされております。こうして生きておられる、それだけで」
◇
それが、新しく生まれ変わった帝国の終身皇帝、という役割だった。
私が戦いを終えて眠りについた時、ガリウスを始めとする国の重鎮たちは、私を帝国の正統な後継者と認め、本格的な改革を始めた。これまでの悪政は全て邪神竜の脅威に基づくものだったから、変革は容易だったそうだ。いつか目覚めるだろう私が皇位の立場を引き継ぐことを見越して、有力貴族の合議制で物事が決められていった。邪神竜を単独で倒した私、という新たな脅威が影響したのも否定はできないが。特に、大陸の近隣諸国に。
「さあ、ウェンディ陛下。民に元気な姿をお見せ下さい。人々も安心しますぞ」
王侯貴族たちへの戴冠宣言の後、私は皇城のバルコニーに出て、手を振った。宣言に伴うお披露目であるが、皇城の周囲は無数の人々で埋め尽くされ、響き渡る歓声に皇都が揺れた。
「これで、我が国のみならず、大陸全土の平和は安泰ですな」
「そうとも言えないわ。邪神竜の脅威がなくなったことによる不安要素は、他にもきっとある。国レベルでなくとも、地域レベルや他の大陸などでね」
「それも、ウェンディ様が君臨されている限り、問題ないのでは? 事実、我々はそのお姿だけで改革を成し遂げたのですから」
私が目覚めた時のメイドたちの様子が奇妙だったが、あれもその影響らしい。眠り続ける私をお世話するのも、一種のステータスとなっていたらしい。なんとも呑気な話だが、平和な世の中となったのだし、それくらいは許容しても良いのだろうか。
「それに、ウェンディ様は、その膨大な魔力のおかげで、いつまでもお若く、美しい。とても私と同じ」
「ガリウス、それ以上は言わないで。あと……玉座の上の私の肖像画、いいかげん外してくれないかしら?」
「陛下が不在の際には、とても人気があったのてすが……」
平和な世の中になっても、苦労は絶えないようである。
プロローグはここまでとなります。