10 婚約破棄の果てに
「……というわけでして、陛下に裁定して頂きたいというのが、今回の案件です」
「ねえ、マイロ。あなたはこの件、どう思うかしら?」
「ど、どう、と申されましても、私が陛下の御判断を推し量ることはとても……」
「マイロ個人の考えや感想でいいのよ。私は、参考にするだけだから」
「はっ。その……私は、このような事柄については経験が不足しており、何も思い浮かばない……というのが、正直なところです」
「わかったわ。ハロルドは?」
「えっ!? へ、陛下は、私がそのような問題に縁がないことをよく御存知でしょう? 伯父上……騎士団長経由で、といいますか」
「まあね。かくいう私も、全く思い浮かばないわ。経験がないから」
「「えっ」」
「……なにかしら、その反応」
「「いえ、なにも」」
何か、とんでもなく失礼な反応をふたりにされた気がするが、まあ、しかたがないだろう。今の私の外見は、ハロルドやマイロと概ね同世代に見える。しかし、ふたりは知っている。同世代というなら、自分たちの親世代か、むしろ……。とにかく、私はその膨大な魔力の保有によって、身体年齢が成長限界の少し手前で停止したままだ。余力をもたせた不老状態とでも言えばいいのだろうか、私はもう何十年もの間、10代に見える外見である。
この状態は、私自身には制御しようがないものであるのだが、父上や兄上たちには大いに嫉妬された。実のところ、父上たちにしても、老化を抑えたり若返るための魔法を繰り返し適用していた。しかし、生まれた時から自然とその状態だった私と違い、持続性や効果の観点では大変厳しかった。食生活も荒れに荒れていたから、短時間で戻った上に、実年齢以上の老いを感じさせることもあった。お母様は年齢相応の人生を送られたが、それもあって父上たちに……いや、今は考えたくない。
話を戻そう。私の年齢やら経験やらが取り沙汰されるこの案件。そして、ハロルドやマイロが困惑するような事柄。ひとつしかないだろう。
「では、陛下からの裁定はなし、といたしましょうか?」
「そうはいかないわ。父上たちの負の遺産でもあるから。とりあえず、当事者たちから話を聞きましょう。この……」
何年も前に父上が決めたという、伯爵家同士の子息・令嬢の婚約について。
◇
さしあたり話を聞くだけ、という前提で、両家の関係者を夕食に招いた。通常の謁見ではおそらく時間が足りなくなるだろう、そう思ったからだ。
一方は、大陸東方の穀倉地帯を治める、トルスタ伯爵家とその次男カール。もう一方は、帝国北東に位置する港湾都市に居を構える、メセキド伯爵家とその長女ルナリア。ルナリアがトルスタ伯爵家に嫁ぐというのが婚約内容であるが、ふたりは共に現時点においても未成年、15歳である。誕生した際に旧皇族が婚約を采配し、16歳の成人の儀を控えたこの時期になって持ち上がった案件、というわけである。父上の治世が続いていれば、そのまま婚姻ということになったのだろうが……。
「ですから当家としては、旧皇族の権威がなくなった今、婚約を破棄して頂きたいのです」
「何を言う! だからこそ、婚姻によって東部諸邦の結束を固めるのが筋ではないのか!?」
「トルスタ家は、我がメセキド家の海運を欲しておられるだけでしょう? 都市間の街道整備が始まり、家同士の結束など意味がないのでは?」
「物流が見込めるならば、なおのこと密な関係を結ぶべきであろう!」
父上は当然ながら、帝国の東部諸邦の結束を固めさせるために婚約を采配したのではない。単に、面倒な指示系統をひとつにまとめようとしただけである。トリスタ伯爵家は、そんな父上の気まぐれに乗じて東部連合を目論んだようだが、少なくとも父上たちにはそのような諸邦連合は全くの脅威にならなかった。それだけ、邪神竜の脅威と聖者の魔法は絶大だった。
一方、メセキド伯爵家は自主自律の機運があり、交易都市レナルドと同様の都市国家の様相を呈している。ただしそれはもちろん、伯爵領のみで閉じた社会を形成するということではなく、むしろ、あらゆる方向に開かれていることが前提だ。その方向には、帝国に属していない海運国家群も含まれている。
「陛下! 陛下は我らの関係をどのようにお考えか!」
「私は、結束を固めることも、都市の独立性を高めることも、どちらでも良いと考えるわ。それが、民を守る礎となるのであれば」
「「……」」
「それが建前としても、いずれか一方の家に利となるという見通しさえ感じられないのも不思議ね。まさかとは思うけど、見栄のためだけなのかしら? 父上や兄上たちのように」
極端な話、見栄のためであったっていい。だが、両家にそれを正当化できるだけの力があるだろうか? たとえ私がどちらかの主張を採用したところで、このままでは民の失望は免れない。なにしろ、各領地から私の裁定を求めるために登城していることを、領民には既に広く知られているのだ。揉めに揉めた上での結論は、どちらに転がっても悪印象しかもたらさない。商人などに至っては、他の地域との交易にも影響があるだろう。
「互いに振り上げた拳を下ろせないのなら、そうしなさい。でも、もはや家同士の婚姻が成立していないと理解するべきね。……というわけで、本来の当事者であるあなた達は、どうなのかしら」
そう言って、それまで両家当主のやりとりを見ていただけの本来の当事者、カールとルナリアに尋ねる。
「私は次男ですから、家の決定に従うだけです。……願わくは、ルナリア殿との婚約は解消して頂きたいところですが」
「私は、婚約破棄など認めません! カール殿と無縁になるなどあり得ない!」
こちらも、こじれていた。
◇
整理をしよう。トルスタ家当主はしかけた張本人として婚約維持を主張、メセキド家当主はもともと乗り気ではなかったため婚約解消を望んでいる。だが、メセキド伯爵令嬢ルナリアは婚約維持を主張、トルスタ伯爵子息カールは婚約解消に傾いている。
「ルナリア嬢、婚約解消反対の理由を伺っても?」
「私は生まれてからずっと、トルスタ家に嫁ぐことを言い聞かされておりました。父上は消極的だったかもしれませんが、皇都出身の母上からは、常にトルスタ伯爵領の嫁であれと育てられてきました」
「つまり?」
「いまさら、田舎の港町で一生を終えろなど、あんまりです!」
「はあ」
メセキド領の港湾都市は、発展度合いから言えば、決して田舎ではない。むしろ、海運の要所として栄えていると言っていい。だが、しかし。
「ルナリア嬢……私は、そんなあなたの思惑が、妻として失格と考えているのですが。婚約者としてたびたび当領地に来ては、皇都に向かう足がかりとする。我が家に嫁いでも、皇都邸に永住されるおつもりではないですか?」
「そ、それは、皇都での社交が、両家の発展につながると考えておりますわ!」
「高価な衣類の買い漁りに、連日連夜のパーティ開催。我が領地の税を費やしての贅沢三昧が、発展につながると!?」
「それは、御当主様が……」
「父上も父上です! ルナリア嬢の言いなりになって金銭を湯水のように!」
「わ、私は、トルスタ領主として、なんとしてでも婚約を維持しようと……」
要するに、この婚約案件、大義名分も実利もなければ、恋愛感情もないのである。見栄と欲望にまみれた父上たちの治世下ならではの問題と言えるかもしれない。
そういう意味では、最もまともなのはカール殿だろうか? 次男かつ未成年ゆえに、関係者の中では最も発言力が低いとも言えるが。言いたくはないが、絶妙なバランスで最悪の状況を生み出している。
「皆の言い分はわかったわ。話を聞くだけ、と伝えてはいたけど、ここで私が裁定しましょう」
そうして私は、裁定を下した。
◇
皇城の執務室で、ハロルドとマイロに結果を報告する。
「婚約は破棄、しかし、都市間の街道整備の責任者に、トルスタ伯爵家カール殿をあてる、と……」
「トルスタ伯爵は港湾都市とのつながりに貢献、メセキド伯爵は自主自律を維持。カール殿は未成年ながら役割を得て地位向上。お見事な采配ではないでしょうか?」
「その代わり、ルナリア嬢には、皇城のメイドとして頑張ってもらわないと」
「彼女も皇都住まいとなって、喜んでいるのでは?」
「そこがわからないのよね……」
やはり私には経験が足りない。特に、見た目同じと言われる年代の気持ちを知るためのそれは。私には、政略結婚さえ厳しいかもしれない……。




