第一章:合格したい
サビオ・E・アジサイは、毎度のことながら困っていた。
彼女はサッポロ市警唯一の、特級治癒魔法能力者。
怪我をした人間の応急手当てに秀で、一般〜上級治癒魔法能力者には扱えない「自分の自然治癒力を相手に分ける」ことができる、かなり特殊な能力を持っている。
所属は交通機動隊、階級は一等巡査魔装士。
交通違反者の取り締まりはもちろん、事故現場にいち早く駆けつけて怪我人を治癒魔法で救うのが仕事でありーー
魔装警備部入隊試験でズタボロにされたボーイズ&ガールズの看病は雇用契約に入っていない。
「もっと骨太はいねェのか…」
パイプ椅子にどっかり座り、煙草をふかしながら男は言った。
エン・O・オオスミ。
魔法犯罪に対処するサッポロ市警魔装警備部の中でも、対凶悪魔法能力者特殊部隊として扱われるチーム、「即応魔装機動隊」…通称 Q-MAP(Quick-Magical Assault Policeの略)の隊長。階級は四等警部魔装士。
炎を操る上級攻撃魔法能力者で、サッポロ市警の中では最強の魔法攻撃力を誇る実力者。
故に実力主義、攻撃あるのみ、Q-MAPに入りたきゃ俺を倒してみんしゃい!という肉体派な考え方の持ち主である。
「今年も絶望的かもねー、みんな弱すぎ。隊長も暇なんじゃない?」
「あぁ、暇すぎる」
オオスミの隣で道着を着ている女が、あたしも暇だという言葉を口にする前に大きなあくびをした。
ヒムロ・C・サクラ。オオスミと同じ上級攻撃魔法能力者。三等警部魔装士、Q-MAP副隊長。
氷系魔法を得意とし、銃火器や徒手格闘にも精通。魔法力はオオスミに一歩及ばないものの、総合戦闘力ではサッポロ市警最強。
つまり、サッポロ市警の最強マンと最強ウーマンである。
場所はサッポロ市警本部庁舎の道場。
街のため、皇国のため、己の信じる正義のためにQ-MAPに入隊したいと願う魔法能力者達がずらりと並び、ひとりひとり入隊試験に臨んでいた。
そして、ひとりひとりサクラに蹴散らされ、凍傷を負って床に転がされていたのだ。
それをひとりひとり治癒していくのが、今日のアジサイの仕事である。
治癒魔法とは、人間が本来持つ自然治癒力を魔法で増幅させ、怪我や病気の治りを早くする手助けをする魔法だ。
その特性上、瀕死の人間や自然治癒力の低い人間には効果が薄く、下手をすれば逆に命を奪いかねない、絶妙なバランスの上に成り立つ高次元の魔法。
アジサイのような特級治癒魔法能力者は、治す力も速さも他の治癒魔法能力者をはるかに上回る…が。
「チクショウ…こ、こと、今年もダメだった…」
両足をしもやけで真っ赤にした筋骨隆々の男がうめく。この日のためにトレーニングを積んできたであろう彼もまた、他の挑戦者と同じようにサクラに秒殺されたのだ。
「来年こそ、しっかり力をつけて再挑戦してください」
「もぅ無理ぃ…」
アジサイにもハートブレイクは治癒できない。
この道場にいるのは、書類選考と筆記試験をパスした中級以上の魔法能力者で、特に凶悪犯罪に立ち向かえるだけの、攻撃魔法の腕に覚えのある奴らばかり。
皆それなりに強いと自負しながらサクラに向かっていき、あっけなく敗れ去っていく。
なお、この試験はサクラとオオスミの両名に実力を認められた者が合格するので、サクラの氷魔法に圧倒されてオオスミに辿り着けない段階で論外なのである。
「サクラ三等警部…強すぎ…」
「そうだねー、あなたが弱いんじゃなくてサクラさんが強いんだよねー、だからあなたも強くなってね。はい、ドンマイドンマイ。さぁ帰ってー」
弱音を吐く挑戦者たちに声をかけ続けて数時間。
アジサイの表情は完全に死んでいた。序盤こそ優しい言葉を掛けていたが、挑戦者たちは揃いも揃って大して強くなく(彼らの名誉のために付け加えると、ガチでサクラが強すぎるのだ)、負傷者ばかりが増え続けていた。
アジサイは、とても、疲れていた。
「はーい次の犠牲者の方ー、サクラさんの前へどうぞー。やられたら自力で私のとこにきてくださーい」
そう声をかければ、ひとりの細身の男が前に出てきた。
細身、といってもただ痩せている訳ではない。最低限の筋力と腕力は保証された、引き締まった身体つき。
その風貌は、筋肉と魔法でゴリ押してなんとか両名に勝ってやろうという、他の犠牲者とは一線を画していた。
…が、無様に蹴散らされていく数々の筋肉ダルマボーイ&マッスルガール達を、雑魚キャラを見るような目で見てきたサクラ 、アジサイ、そしてオオスミには、ひ弱な青年が間違って入ってきちゃったのかな?という風にしか映らなかった。
「…お名前をどうぞ?」
サクラが言う。
「フドウ・M・ハヤブサです」
「得意魔法は?」
「防御系です」
「防御か…」
サクラはため息混じりに言った。防御魔法能力者とか全ッ然求めてないんだよなァ〜〜〜というオーラ全開である。
「じゃあキミの自慢の防御魔法見せてね。行くよ!」
サクラの腕につけた魔法能力強化拡張腕装着型デバイスが発光する。身体の中に秘められた魔力を、その名の通り強化し、拡張し、発現させる現代科学の結晶。
魔法発現方法は3種類。昔ながらの魔法陣を描き、デバイスをかざして発現させる描画方式。脳内で魔術式を練り上げ、デバイスに流し込んで発現させる最高難度の無詠唱方式。そして、
「フローズンフローズン、呼気は震え世界は止まる。フローズン!」
詠唱方式。
最も一般的な魔法の使い方で、呪文を唱え発現させる。デバイスは声紋認証でサクラの声を認識し、サクラの体内から必要な魔力…サクラが指定する範囲の空中の水分子を凍らせるのに必要な魔力を引き出し、具現化させる。
パリ、パリ…と、ハヤブサの周りの空気が凍り始め、ハヤブサの息が白くなる。そしてーー
ハヤブサの足元に、床から垂直に立ち上がるガラス板のようなものが現れた。
「おっ、無詠唱で低次元魔法障壁!」
サクラが少し驚いたような声を出した。
魔法障壁。いまハヤブサの足元に出現した、ガラス板のような物体だ。実体は魔法100%でできており、普段肉眼ではその障壁を見ることはできない。ハヤブサの足元にくっきりと見えているのは、その障壁が綺麗に凍りついているからだ。
ちょっとした攻撃魔法なら、このガラス板のような魔法障壁で受け止めて相殺できる。割と誰でも扱える、サクラの言った通り低次元の障壁だ。
ーー低次元とはいえ、無詠唱で出すにはかなりの特訓が必要な筈だが。
「じゃあ次、強めのを出すよ!フローズンフローズン、凍てつく刃は骨を断ち切る。アイスクラック!」
再度、サクラのデバイスが発光。
空気中に、氷でできた半月状のナイフが出現した。
サクラがそれを触ることはなく、氷のナイフは煌きながら猛スピードでハヤブサの首元目掛けて回転しながら飛翔。
今までの試験で、最初の氷魔法により足元やデバイスを凍らせられ、身動きが取れなくなったところに氷のナイフが到達し倒された挑戦者の数は、犠牲者の数と同じ。
つまり、氷のナイフを突破できればいきなりトップに立てる。
だがこのナイフ、速度が恐ろしく早い。詠唱が終わった1秒半後には挑戦者の顔面を直撃している。魔法障壁も間に合わず、炎系魔法や雷系魔法で迎撃することも、魔法で筋力を強化してその場を離脱することも、全てが間に合わない。
今までの挑戦者達には。
バキィッ…!!
氷のナイフが霧散した。
先ほどのガラス板状の低次元な障壁ではない。物理的に物体を通さない障壁と、魔法無効化魔法陣を組み合わせた、複合魔法障壁。
空中に出現した円形の盾のような物体がそれだ。青白く光るその盾の表面には、強力な攻撃魔法を完全に無力化する魔法陣が描かれている。
これを発現させるには、普通であれば円形の盾となる障壁を作り出す呪文詠唱と、盾表面への魔法陣の描画を同時に、しかも攻撃が到達する前にやり遂げる必要がある。
そのどちらも、無詠唱・ノーモーションでこなすことではない。
「え、待って」
サクラが手を挙げた。
「ごめん、ちょっと待って。あたし達ちゃんと履歴書読んでないんだけど…キミさ、上級の防御魔法能力者?」
サクラにそう問われ、ハヤブサは静かに答えた。
「いえ、特級防御魔法能力者です…履歴書の結構上の方に割と大きめな字で書いたんですけど…」
けど………けど……けど…
道場内に、ハヤブサの声が消え入っていく。
「読んでなかったんですか」
「ごめん」
「頑張って書いたのに」
「ごめんて」
「最後の一枚、心を込めて書いたのに」
「ごめんて!なんだキミ面倒臭いな!」
「面倒臭い…」
「あっ、嘘嘘!ごめんて!!!」
今までの空気が一変。氷魔法とは違う冷たい空気である。
「俺、防御魔法しか取り柄がないし、攻撃魔法っていうか一般魔法もあまりうまく使えないんですけど、でも防御魔法は割と自信あって、他の仕事は全然駄目で、警察だったらもしかしたらって思って履歴書送ったら意外と通って、よし今度こそイケるかなって思ってたんですけど、履歴書書いてる途中にボールペンのインクが切れて、あっコレ頸動脈に刺したら逝けるかな?とか思って、でも諦めないでまた百均でペン買って書いてここまで来たんですけどやっぱ面倒臭いですか俺」
「なんで一回死のうとしたかな?」
「韻を踏んで自信つけようとしました」
「陰のオーラで地雷踏もうとしました?」
「言ってないし惜しくもない」
ガッハッハ!と、サクラが豪快に笑い、くるりと後ろに座るオオスミに振り向いた。
「どうかな隊長。面白そうな子じゃないっ?」
「ーーそうだな」
ずっと椅子に座って足を組んでいたオオスミが、ゆっくり立ち上がる。ふうっと煙草の煙を吐き出し、ハヤブサを睨み付けた。
「火ィ、つけてやろうか」
刹那、ボンッという小さな破裂音と共に、ハヤブサの周りで火球が跳ねた。握り拳大の火球は、空中で激しく燃えたかと思うと急激に火勢を弱め、ぽとりと床に落ちて消えた。
「…常時魔法障壁張ってんのか?」
「いえ、無詠唱魔法が来るなと思って構えました」
淡々と言うハヤブサ。構えたと言う割に、ハヤブサはその場から1ミリも動いていない。無論、オオスミもパイプ椅子から立ち上がっただけの状態のまま、微動だにしていなかった。
無詠唱で任意の場所に火球を出現させ、対象を襲わせる炎系攻撃魔法。オオスミが使ったのはそれだ。普通の人間なら、それが上級魔法能力者であっても対応できなかったかもしれない、あまりにも自然で突飛な攻撃。
それを、ハヤブサもまた、自然かつ突飛に作った魔法障壁で防いだのだ。
「…成る程、センスがある。だが防御魔法だけでは、俺たちの仕事は出来ねェ。市民を守るのが一番の仕事だが、悪い奴はとっちめないといけない。俺の言っている意味がわかるか?」
「…わかります」
「オーライ小僧。さっきみたいに構えてみろ」
オオスミはそう言い放ち、煙草をくわえて深く息を吸い込んだ。そしてーー
「燃えろよ燃えろ、欲のままに欲せ。バック・ドラフト!」
魔法詠唱しながら、オオスミは大きく拳を振り上げ、ハヤブサにまるで野球ボールを投げつけるようにブンッと腕を振り下ろした。
その拳の先から、強烈な炎と爆風が発現。軽自動車サイズの1000℃の炎の塊が、まわりの空気を喰らい尽くしながら、猛スピードでハヤブサに迫る。
それを見据えながら、ハヤブサもまた、右の手のひらを大きく広げて頭上に掲げた。
「盾を、ここに。リフレクト」
防御魔法詠唱。しかし、普通の詠唱とは異なる魔法体系。
ハヤブサが手のひらを振り下ろした。飛んできたテニスボールをラケットで打ち返すようなモーション。
果たしてオオスミの放った爆炎は、ハヤブサの手のひら、正確には手のひらの表面に発現した楯状の魔法障壁に激しくぶつかり、ぐわりと形を変えた後ーー元来た道を戻るように、しかし勢いを衰えさせないまま、200球を投げ終えた高校球児のピッチャーのような体勢になっていたオオスミの元へと突進。
ノーガードだったオオスミが、一瞬で火達磨と化す。
「隊長!」
「オオスミ隊長!」
口々に叫ぶは、周りで見ていた挑戦者達と脱落者達。
激しく燃え盛ったオオスミはしかし、すっと姿勢を正した。同時に荒れ狂っていた炎も、跡形もなく消えた。
「……やるじゃん」
ニヤリ、とオオスミは笑い、その後ろでサクラもニヤリと笑う。
「合格だ、フドウ・M・ハヤブサ」
次回!未定!!