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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

聖女の励ましは今も生きている【短編】

作者: 黒りすこ

所々、容赦ない残酷表現が混じってます。

中編版の連載を始めました。

 


 空に天使の梯子(はしご)が見える。


 曇天の隙間からオレンジ色の光線が真っ直ぐ伸び、焼けた大地を照らしている。


 幾つもある光線の一つは焼け焦げ折れた木を憐れむように照らしていた。


 また別の光線は湖を照らし、漂う亡骸を照らしている。


 そして、また別の光線が一人の兵士を照らす。


 彼はその眩しさで目を開いた。

 肩は血で濡れ、動きを止めている。

 砲弾を近くで聞いたせいで、耳は音を拾えない。

 ただ、静寂が彼を包んでいた。


 彼が顔を上げると、天国のような光景が目の前に広がっていた。それを見て、彼は顔を歪めた。


 ――あぁ、彼女が唄っている……


 両手を広げて。

 背筋を伸ばして。

 立てない足で。

 彼女は天に向かって唄を歌っているだろう。



 大地の端まで ”励まし” が届くように。



「――もう、歌わ……ないで……」



 彼女とは真逆の願いを兵士は口にする。掠れた声は喉にひっかかって上手く音を発せない。



「やめっ……て……っ! 」



 オレンジ色の光線に手を伸ばす。止めたくて声を出すも、彼の願いも声も届かない。遠く離れた彼女には。


 伸ばした手が光線を掴もうと空を切った時、彼女の口から唄が消えた。




 ◇◇◇



 後に唄歌いの聖女と呼ばれるメロは、水源の豊富な領地の片隅に生まれた。田舎でのんびりとした雰囲気のある村だ。


 メロには不思議な力があった。彼女が唄うと聞いたものが”励まされる”のだ。それは、ほんの些細な魔法だった。


 傷を癒すわけでもない。

 絶望から救うわけでもない。

 人の心にほんの少しだけ寄り添って、励ますだけだ。


 誰にでもできるような小さな魔法。でも、見知らぬ誰かにはできない魔法をメロは屈託ない笑顔でやってのけた。


 怪我をして落ち込んだ時。

 友達と喧嘩をした時。

 恋人にフラれた時。

 嫌なことがあった時。

 わけもなく不安な時。



 メロは太陽のような笑顔で唄った。


「大丈夫よ。あなたの心は元気になりたがっている。私の唄を聞けば、また笑顔になれるから!」


 辛くて笑顔を失ってしまった村人にメロはそう言って唄を聞かせた。



 彼女が唄うと空に変化が現れる。

 どんな曇り空の時でも、幾つもの光が差し込む。天使の梯子と呼ばれる現象だ。

 一筋の希望のような空を見て、メロの唄を聞いた人はより励まされた。



 メロに唄を教えたのは彼女の唯一の家族である祖母だった。偏屈であまり笑わない祖母はメロが唄うときだけ、目尻を下げる。その顔が見たくてメロは明るい顔でいつも唄っていた。



 メロには幼馴染みのディーンという少年がいた。同じ年の二人は姉弟のように育ち、何でも知っている仲だった。ただ、ディーンはメロとは違って酷く音痴だった。


「メロの唄はいつ聞いてもいいな」


 鼻歌を歌いご機嫌で洗濯物を干しているメロの手伝いをしながら、ディーンは微笑んだ。


「ふふっ。私の唄は特別よ。人を元気にするから。ディーンがいつもニコニコしていられるのは、きっと私のおかげね」

「ははっ。そうだね。うん。きっと、そうだ」


 ディーンは活発なメロとは対照的に穏やかな少年だった。いつでも笑顔で怒ったところを見た者はいない。それを彼はメロの唄を一番、聞いているからだと本気で思っていた。


 メロはディーンに対してはお姉さん風を吹かせていた。一週間先に生まれたからと、大した理由でもない理由をつけては何かと彼の世話を焼いた。


「もう、ディーンったら洗濯物を干すときはシワを伸ばさないと。それに手首のところがひっくり返っているわ。乾きが悪くなるわよ」

「あ、本当だ。メロはよく気がつくな」


 素直に褒めるとメロは少し照れて、ツンと澄まし顔をする。


「ディーンが抜けているだけでしょ?」


 メロがキツイことを言うのは彼の前だけだった。それは甘えのあらわれだ。彼が何を言ってもニコニコしているから、つい素が出てしまう。照れを隠すようにくるりと回りながら、メロはツンとした態度を続けた。


 太陽のように笑う彼女の素顔は照れ屋な普通の女の子だった。



 片隅の小さな村はそんなありきたりで、でも、幸せな日々が続いていたのだ。



 変化が訪れたのは、第三王子が怪我をして、たまたま村に来たときだった。第三王子はこの土地の領主だ。17歳という若い年齢だったが、政治力に長けて、国一番の土地と言われる水の地を任されていた。

 ただ、彼は些か物言いが厳しく、他者に心を開かないところがあった。

 そんな彼が足を痛めるという怪我をした。大した怪我ではないが、メロたちの村が近くあったため、視察を兼ねて訪れたのだ。


「ひぇっ。グランドール殿下が来るぞ!」


 のほほんと過ごしていた村人は突然の訪問に慌てふためいた。従者に支えられてきたグランドールは眉根を潜めて眼光鋭く、村人たちを見た。


「……少しの間だけ、世話になる」


 一睨みで村人たちは(すく)み上がった。それにますます不機嫌そうにグランドールは顔をしかめた。


 村長の家に通されたグランドールの元にメロが行くことになったのは、村長に拝み倒されたからだ。


「大した怪我ではないのでしょ?」

「そんなこと言わずにメロちゃん、この通りだよ!」


 メロは鼻で息をして渋々、村長の家に行った。渋々だったのは、グランドールが怖かったわけではない。


 “あの人は元気になる必要がない”


 そう感じたからだ。


 グランドールを一目見てメロは思った。心の強い人だ。悲しいくらい。そういう人に自分の励ましが利くとは思わなかった。


 ひょこっと顔を出したメロに、グランドールは案の定、嫌そうな顔をした。


「お前か、励ましの唄を歌うやつは」

「そうです。殿下のために歌いにきました」

「無用なことだな。俺は見せかけの励ましなどいらん」


 厚く冷たい壁のある人だ……とメロは改めて思う。だが、一度引き受けてしまったからにはやり遂げなければと思った。

 メロはいつも調子で笑う。


「そんなことおっしゃらないで下さい。唄を聞くだけです。足が動けず退屈している殿下の暇潰しにはなりますよ」


 そう言うと、グランドールはふいっと顔を逸らし「勝手にしろ」と言った。

 そう言われたらこっちのものだ。メロは姿勢を正して、唄を口にする。



 澄んだ声が部屋に響いた。

 優しく、時に激しく。

 メロディーは思いを乗せ、心にも響く。


 ほんの少しの励ましを。

 ほんの少しの勇気を。


 また、立ち上がれるように。

 また、前に進めるように。


 音は祈りとなり、厚く冷たいグランドールの心の壁に反響した。



 歌い終わると、グランドールが驚いた顔でこちらを見ている。それにメロも驚いた。


「いい声だ。励まされたかは分からないが、お前の声は聞いていたくなる」


 武骨な手が伸びる。その手はメロの細い手首を捕らえ、手錠のように拘束した。メロはびくりと体を震わせ、冷たい眼差しを見た。グランドールの瞳の奥に熱が(くすぶ)っているのが分かり、背筋に悪寒が走る。


「お前が欲しい。俺の為に唄え」


 逃がさない、決して。

 握られた手の強さがメロにそう訴えていた。



 ◇◇◇



 メロが王宮に連れていかれる。それを聞いた時、ディーンの笑顔が歪んだ。いつもは意識せずとも作れる笑顔を上手く作れない。まさか……と、乾いた笑みをこぼし、彼はメロの元へ走った。


「メロ!」


 彼女は静かに空を仰いでいた。ディーンに気づくと一瞬だけ、切ない表情になる。それもすぐいつもの笑顔に隠された。


「メロ! 第三王子と行くって……そんなのっ」


 ディーンの言葉にメロは唄うように口を開いた。


「本当よ」


 涼やかな声が風にのり、ディーンの耳に届く。


「殿下の元でこれからは唄うわ」


 ふふっと笑いながら、メロはくるりと回る。ふわり。スカートが花開くように膨らんで、彼女が止まるとゆっくり(しぼ)む。メロは口元に微笑を作って、また唄う。


「王子様に見初められるなんて、まるで夢物語ね。だから、ディーン。さよならよ」


 澄んだ声は平然と残酷なことを言う。でも、ディーンの耳には声が哀しみを孕んでいるように聞こえた。


「メロ……僕はさよならなんてしないよ」


 彼女のことなら何でも知っている。強がる時にはこうやって平気よと体を回すのだ。だから、ディーンは笑って真逆のことを言う。


「メロが王宮に行くなら、僕は追いかける。メロ一人になんかさせないよ」


 ディーンは木漏れ日のように笑う。それにメロから笑みが消えた。


「冗談じゃないわ。殿下との一時を邪魔する気なの? いい加減、一人立ちしなさいよ」


 キツイ言い方もディーンにはどこ吹く風だ。肩を(すく)めて彼は穏やかに微笑む。


「そうだね。僕は頼りないから、メロが必要だ。それにメロの唄を聞いてないと上手く笑えない」


 ディーンがそっとメロの指を掴む。びくりとメロは体を震わせた。


「例え、殿下の近くに居たって、僕はメロの唄が聞きたい。ごめんね」


 掴まれた指の上に熱いものが落ちる。一つ。また一つ。メロは肩を震わせて、バカ……と呟いた。



 殿下と一緒に居たいなど嘘だ。メロはただ、契約しただけだ。大金と引き換えに自分の唄を売った。


「おばあちゃんが病気なの……治療が必要で……」


 メロは苦しい思いをこれ以上吐き出さないように口を手で覆う。それでも震える手では隙間ができ、彼女の痛みもそこからこぼれる。


「私の唄じゃ……病気は治せないのっ……」


 喉が枯れるほど唄っても、病には勝てない。唯一の家族をメロは失いたくなかった。


 そんな彼女の思いをディーンはわかっていた。何もできない歯がゆさを噛み締めながら。


「僕は追いかける。必ず、メロの元に行くから」


 涙で真っ赤になった彼女の頬に手を添え誓う。


「一人で唄わせない。僕も側に行くから」


 グランドールに触れられた時とは全く違う熱を感じながら、メロは何度も頷いた。




 その後、メロはグランドールに連れられて村を去った。


「バカな子だと思ってたが、本当にバカだったとは……!」


 メロの祖母は皺の入った目元に熱いものをためながら、怒りを(あらわ)にした。村はメロが去って灯が消えたように静かになった。


 ディーンだけが前を向いて、村人に言った。


「僕はメロの元に行く。一人になんてさせない。皆もそんなに悲しむとメロも哀しむ」


「メロの励ましが消えてしまう。僕らはそれだけは消してはいけない」


 力強くそう言ったディーンに村人は慰められ、彼にメロを託した。



 メロが出立した翌日、ディーンも旅立っていった。


 メロは王宮付きの唄歌いとなった。グランドールは彼女を豪華な檻に閉じ込め、外には出さなかった。殿下のために唄わされる彼女に田舎育ちで後ろ楯も特技もないディーンが近づくのは容易ではなかった。


 王宮で働ければメロの姿を見られる機会があるかもしれない。そう考えたディーンだが、彼は本当に何も持たない少年だった。彼が唯一、王宮に潜り込める近道は兵士になることだった。


 幸いと言ってはおかしいが、水の領地はその豊かさと国の端という地理から、隣国から度々狙われていた。


 隣国とは和平の交渉を続けているが、相手がのらりくらりとかわすのだ。狸めと……と王は苦虫を噛み締めたような顔をしていたが、隣国にはなまじ国力があるため強くは言い出せない。


 情けない話だが、防衛を第三王子のグランドールに任せるしかなかった。



 そのためこの地では兵士の需要が高かった。能力性で出生は問われない。強ければ上へ。弱ければ死ぬだけだ。ディーンはそんな世界へ身を置くことにした。


 ただ、メロに会うために。

 剣を一心不乱に振った。


 田舎者と罵られても。

 剣の筋がないと土に叩きつけられても。

 人に刃を向けても。

 肩を矢で射ぬかれても。


 誰かの命の灯火を消しても。

 背中を切られ、死の淵に立たされても。


 仲間の屍を踏みつけても。

 全身を血で染めても。


 笑顔を作れなくなっても。


 ただ、ディーンはメロに会いたかった。




 そして、血を流す小競り合いを幾度か繰り返し、ディーンは二十歳となっていた。兵士としては最前線を任されるまでになっていた。


 ディーンはグランドールに会うために自室で着替えをしていた。兵士の服を着て襟足を整える。鏡の中にいるディーンの顔に笑顔はない。瞳は鋭くどこか(くら)い。無邪気に微笑んでいた少年の姿は見る影もなかった。それでも、歩みは止められない。ただ一つの願いがある限り。服装を整えたディーンはその足で王宮へと向かった。


 メロと別れて、すでに四年の歳月が経っていた。



 ディーンはその活躍を称えられ王子より報奨を与えられる機会を得た。四年ぶりに見たグランドールの姿は村でみた時より眼光が鋭く、凄みを増していた。


「敵はお前のことを死神と言っているらしいぞ。見たら生きて帰れないとな」


 くつくつと喉を震わせ笑うグランドールにディーンは答えない。ただ、頭を垂れているだけだ。なんの感情も見せない彼をつまらなそうに見て、グランドールは短く「褒美は何を望む」と言った。


 ディーンは顔を上げて、唯一の願いを口にする。


「唄歌いの聖女に会いたいです」


 それは珍しい願いではなかった。傷つき戦えなくなったものを慰問していると聞いたことがあったからだ。ずっと前線にいたディーンは会うことは叶わなかったが、会った人に聞いたらもう一度聞いてみたいというほどに、彼女の唄は浸透していた。歌唄いの聖女という名と共に。


「あれの唄を聞きたいのか?」

「いえ、ただ会うだけでいいです」


 そう言うとグランドールはひくりと眉を動かし、なぜ?と短く問いかけた。


「彼女とは同じ村で育ちました。姿を見るのは村の悲願です」


 真っ直ぐな瞳でそう話すディーンに、グランドールは足を組み直し、問いかけた。


「お前の名はディーンと言ったな。そうか、お前がディーンか……」


 グランドールは口元が弧を描く。


「アレはベッドの上でお前の名を呼んでいたぞ」


 ディーンの目が変わる。ただ純粋にメロに会いたいと願う青年から、ただ屍を築き上げるだけの死神の目に。


「いい目だ」


 くつくつと笑うグランドールに彼は眉一つ動かさない。


「よかろう。会わせてやる。ただし、条件がある。あれに唄わせないこと。そして、欲しいなどと思わないことだ」


 グランドールは愉快そうに口元を歪めながら、警告する。



「あれは四年前から俺のものだ」




 グランドールの許しを得て、ディーンは王宮の廊下を歩いた。どこまででも続きそうな赤い廻廊に、心なしか足が早まる。心臓は痛いくらいに高鳴り、抑えることなど無理だ。渇望したものがようやく叶う。どうして抑えられようか。


 それと同時に心の一部は酷く冷えていた。グランドールの言葉が否応にもディーンを冷静にさせる。


 ――わかっている……メロに会うだけだ……


 グランドールの口ぶりからして、彼とメロは情を交わしているのだろう。それを責めるつもりはない。あれから四年も経っている。無垢な子供を変えるには充分な年月だ。ただひっかかるのは、彼女が平穏でいるかどうかだ。



 太陽のようなだった彼女に雲がかかってないか。雨が降り、その輝きを失ってないか。


 それだけが心配だった。



 ある部屋の前に立ち、ディーンは緊張を解そうと大きく息を吐き出した。だが、余計に心臓が早まった気がする。感極まって泣いてしまいそうだ。


 扉の先にメロがいる。

 彼は汗でぐっしょりと濡れた手を拭い、ドアノブに手をかけた。



「ディーン……?」


 メロは美しい曲線のある椅子にちょこんと座っていた。大きな瞳は見開き、揺れている。

 声をかけられても、ディーンは口からは言葉は出てこなかった。四年間の出来事が走馬灯のように、彼の脳裏を過った。


 何も感じなかったわけではない。

 辛いことが多かった。

 辛いと、感じる余裕もなかった。


 彼女を前にして、ディーンの心はようやく動き出す。止まっていた四年分の感情が彼を巡り、目頭が熱くなった。泣いたら格好が悪いので、どうにか笑みを口元に作る。



「メロ……会いにきたよ」


 そう言うと、彼女の揺れる瞳が潤み出し、くしゃっと顔を歪ませた。それを見せたくないのか片手で顔を隠す彼女にディーンが近づく。ゆっくり、ゆっくり。そして、ディーンは彼女の前に立つと、跪いた。あの時のように、膝にある指先を少しだけ持つ。


「ごめんね。遅くなった……」


 指先を見つめながら言うと、はっと熱い息を吐き出す音がした。涙でぐしゃぐしゃになりながら、メロは震える口から言葉をこぼす。



「……ほんと……遅すぎよ」



 変わらない態度にディーンは四年ぶりに自然に笑った。



 ◇◇◇


 メロの涙が落ち着いた頃、彼女から今の状況を聞いた。それはディーンが想像しているよりも悪い状況だった。


「足はもうほとんど動かないの……」


 領地争いで疲れた兵士を励ますため、メロはグランドールに連れてこられた。繰り返される争いは終わりが見えなく、兵士は疲弊していた。


 最初はメロも進んで唄い、彼らを励ましていた。


 しかし、終わりの見えない争いに兵士は絶望する者が多くなっていた。


 ただの励ましでは彼らが立ち直れない。そう感じたメロは”救いたい”と願ってしまった。唄に強い思いをのせる。


 元気になってほしいと、救いたいでは、意味合いが違う。強すぎる思いは兵士を癒したが、メロ自身を(むしば)んだ。


 最初は小さな違和感だった。足の動きが鈍くなる。それは無視できるものだった。そして、足がついに歩行を忘れ倒れた時に、グランドールはメロに唄うのを禁じた。



『馬鹿者が! なぜ、黙っていた!!』


 怒号を聞きながら、メロはグランドールを見据えた。


『私は唄うしかできない。私の唄をあなたは買ったのでしょう? だったら、この身が動かなくなるまで、使いなさい!』


 そう叫ぶと、グランドールはメロを抱きかかえ、天がいつきのベッドに放り投げた。スプリングがメロの動きづらくなった体に受け止め弾む。そこへ覆い被さるようにグランドールがのしかかってきた。


『なにを……』


 睨む彼を同じように睨み付けた。


『もう、二度と唄うな』


 熱い抱擁をされ、思いを吐露され、メロは戸惑った。それを無視して、グランドールは言葉を口にする。


『唄わなくていい。その代わり俺の妻になれ』


 隠されていた激情を晒され、メロの心が静まる。熱い体を受け止めながら、メロの脳裏には幼なじみの笑顔が過った。その瞬間、怒りが全身を駆け巡る。


 その衝動のままにグランドールの体を突き飛ばした。


『何が妻よ! ふざけるのもいい加減にして!』


 メロはキッとグランドールを睨み付け、ベッドにあった枕を投げつけた。簡単に受け止める彼に腹が立つ。


『私は唄歌いよ! その為に来たのよ! あなたの妻になんかならないわ!』


 メロは激昂していた。唄えない自分も。馬鹿なことを口にすることの男も。ディーンが来ないことも。すべてが腹立たしくて悔しくて堪らなかった。


『唄わせないなら、帰してよ! 私を村に帰して!』


 ディーンに会いたかった。

 笑顔が見たかった。


『ディーンのバカっ……なんで、来ないのよ……』


 メロは手を覆い泣きじゃくった。それに対してグランドールはどこまでも冷たかった。


『お前を村には帰さない』


 その言葉にメロは憎しみを込めてグランドールを見つめた。どこまでも冷たい昏い瞳で彼はメロを見つめている。


『ディーンという名に心当たりがある。今、兵士になっている者だ』


 兵士……? さっとメロの顔が青ざめる。


『顔つきが変わったな。心配か?』


 くつくつ笑う彼をメロは睨み付けた。グランドールは(きびす)を返す。


『せいぜい、王子様が来るまで待っていることだな、お姫様』


 皮肉な言葉に、メロはカッとなり、もう1つあった枕を投げつけた。バタリとドアが閉まって、枕はドアに阻まれる。悔しさを滲ませながら、メロはディーンの名を呼んだ。



 ◇◇◇



「あの馬鹿王子とは、それ以来、口も聞いてないわ」


 メロは思い出して怒りをあらわにする。手をわなわなと震わせた。ディーンは目を丸くさせてメロに尋ねた。


「口も聞いてないって……メロは殿下のものになったんじゃないの?」

「はぁ?」


 地を這うような声に、顔がひきつる。


「誰が馬鹿王子のものよ! 私は唄歌いとしてここに来たのよ! あの馬鹿な男に良いようにされるわけないじゃない!」


 メロは心外だとプイッとそっぽを向いた。その言葉を聞いて、ディーンは、ははっと笑いだす。それになによ?と今度はメロが目を丸くさせる。


「そっか……メロはメロのままなんだね」


 穏やかな声で安堵の息を吐く。


 何も変わってない。

 ディーンの言葉はメロの表情を曇らせた。


「村にいた時の私じゃない。私は唄えないもの……」


 メロにとって唄うということは、呼吸と同じようなものだ。禁じられると上手く息ができない。這いつくばってでも、唄いたかった。しかし、弱った体では誰か支えてもらわなければ辛い思いをする人のところまでいけない。


 そんな彼女を見て、ディーンは決意する。


「辛い人がいなくなるようにしよう。メロが唄えないのなら、代わりに僕が、メロの唄になる」

「ディーン……?」


 ディーンは穏やかに微笑むと、メロの手を離した。



 ディーンは回廊を進みながら、頭の中を整理していた。


 かねてより考えていた案がある。争いを終結させるものだ。だが、それは多くの命を犠牲にするもの。無傷で得られるものではない。


 ――本当に僕は音痴だな……


 メロのように上手く歌えれば、もしかしたらもっといい案を思い付いたかもしれない。


 でも、音痴な自分は痛みを与えながら誰かの安寧を手にするしかできない。音程の狂った音でも、彼女が唄わなくてすむのなら……幾度も骨の軋みを感じた手を見つめる。


 今までは単に運がよかった。

 だから、生きてこれた。

 でも、今度はどうだろうか……


 足をとめたディーンは手のひらを握りしめた。


 自分は決めた。

 メロの唄になると。


 唄は奏でられたら、消えるのみ。

 空気に溶けて、誰かの安らぎとなるのだ。



 ◇◇◇



「やつらをねじ伏せるのか」

「はい。好き勝手させたヤツらを野放しにしておいては兵士が疲弊するのみです。殿下もそろそろ潮時だと思ってらっしゃるのでは?」


 グランドールに進言すると、彼は肩で息をした。


「頭を叩くか。しかし、奴らの城は高い城壁で囲まれた要塞だ。しかも一夜のうちに直される。まさに鉄壁だ。どう崩す?」

「外と内から」


 ディーンは淡々と作戦を告げた。


「間者として私が潜り込みます。外からは大砲で城壁を崩しつつ、攻めいれば宜しいかと」

「しかし、間者として潜り込めたとしても、どう寝首をかく」

「腕の良い壁職人がいるという噂があります。それを叩けば鉄壁ではなくなります」

「その壁職人をあぶり出すための砲撃か。しかし、あの面の皮が厚い領主がそんな事で降伏などするか?」

「民意に訴えましょう。疲弊しているのは彼らとて同じ。争いばかり強いる主に嫌気がさしているころです」


 グランドールの口角が上がる。


「それは俺に対しての皮肉か」

「いえ。あくまでも彼らの状況を言ったまでです」


 グランドールは面白くなさそうに鼻を鳴らしたが、ディーンの表情は変わらない。


「よかろう。その作戦にのる。俺とてケリを付けたいと思っていたところだ」


 グランドールの瞳が鋭く光る。


「戦いばかり強いる無能な王にはそろそろご退場頂きたいところだったからな」


 それにディーンは答えなかった。何も聞いていませんと、頭を下げるのみだ。それをやはりつまらなさそうに見つめ、グランドールは最後に問いかけた。


「もし、お前が内で失敗したら……分かっているな。首を城壁に晒されるという失態を見せるなよ」

「御意」


 ディーンが失敗し、首を晒すなどになればこちらの戦意は(くじ)かれるだろう。死神を殺したと吹聴されれば、余計だ。失敗は許されない。死ぬことも。どんな状態になっていても、息をしていなければならない。


 唄は演奏の終わりまでが唄だ。

 伸びやかな声は余韻を残す。


 その余韻にまで生きていれば。

 後は消えても、人の心には残るだろう。



 大規模な作戦が開始された。

 投入された兵士の数は二万。

 砲弾の打ち合いで開始された戦いの最中、ディーンは煙に紛れるように一人、敵地に潜り込んだ。



 ◇◇◇


「戦いがまた……?」


 メロが侍女からそのことを聞いたのは戦いが始まって数日が経った後だった。あまり日を開けずに彼女を訪れていたグランドールの姿が見えず、侍女にせがんでやっと聞いたところだった。


「また戦が……」


 メロは何もできない自分が悔しくて堪らなかった。何のためにここに来たのか……その一つの目的が達成できずに歯がゆい。


「メロ様……」


 メロに同情的な侍女は苦痛に歪む彼女を見ていられず目を伏せる。


「お願い。私を外に連れ出して」


 侍女は首を振る。


「いけません。殿下からそれだけは何があってもするなと言われています」


 それでもメロはすがった。


「行かせて! お願いよ! ディーンが、戦ってる! 皆が戦っているの! だから、私にも戦わせて!」


 涙ながらに訴えるメロに侍女は頑なに首を振り続けた。



 一ヶ月が経ち、二ヶ月が経った後、グランドールは戻ってきた。勝利を手に。


 だが、そこにディーンの姿はなかった。



「嘘よ!」


 ディーンは死んだとグランドールの口から聞かされ、メロは否定した。体は震え、全身で信じないと訴えている。その姿にグランドールは変わらない口調で事実を告げる。


「戦が終わったのは、ヤツのおかげだ。亡骸は回収できないが、手厚く葬る」


 空っぽの棺桶を飾り付けてどうして祈れるのか。メロは怒りで体を震わせながら、椅子から転げ落ちた。動かない足を引きずり、窓のそばに近づこうとする。


「メロ! 何をしてる!」

「離して!!」


 メロは暴れ、もつれる足を引きずりながら、窓枠に手をかける。そのまま、死ぬ気なのかとグランドールは戦慄した。


「やめろ! メロ!」


 メロは窓をこじ開ける。反動で前のめりになった所をグランドールに支えられる。


「馬鹿が! 死ぬ気か!?」


 メロはキッとグランドールを睨みつけ、大きく息を吸い込む。


 口から唄が流れ出した。


「メロ! やめろ! 次歌ったら、どうなるか分かってるのか!」

「分かってるわ!」


 メロは叫ぶように言った。


「ディーンが死んだなんて嘘よ! だって、約束したもの! 私を一人で唄わせないって!」


 メロは涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、瞳だけは強く、グランドールを射ぬいた。


「ディーンはちょっと抜けている所があるから迷子になってるのよ! 私が唄えば、きっと戻ってくる!!」


 例え二度と歌えなくなってもかまわない。最後に唄うのがディーンのためなら喜んで唄う。声が届くように、彼の耳に聞こえるように。


 さっさと帰ってきなさいと、励ましを彼へ。


 泣きじゃくるメロにグランドールは何も言えなかった。ただ、無言でメロの体を支えた。


「気が済むまで唄え」


 その声にメロは顔を上げる。


「元々、お前たちを離したのは俺だ。……罪滅ぼしなどするつもりはないが、支えてはやる」


 皮肉めいた言葉にメロは少しだけ微笑む。


「ありがとう、グランドール……」


 それに彼ははっと喉で笑う。


「やっと、名前を呼んだな」


 その言葉にまた微笑み、メロは両手を伸ばした。久々に唄う。でも、大丈夫。唄は光になり、彼に届く。


 帰って来て、ディーン。

 約束したでしょ。


 思いをのせて、唄は祈りとなって、空に溶けていった。




 ◇◇◇



 ディーンは数日後、血まみれになりながら帰って来た。


「指一本も動かせないや」


 ははっと、乾いた笑いと共にそう言い、意識を失った。一週間、生死をさ迷ったが、彼は戻ってきた。


 ディーンが再び瞳を開いた時、最初に見たのはメロの泣き顔だった。それを見つめ、ディーンは目を赤くさせる。


「よかった……メロ……」


 動かしづらい口ではそれ以上の言葉を紡げない。でも、メロには伝わったようで、彼女はパクパクと口を動かした。


 “バカ。心配したのよ!”と。


「メロ……?」


 音を出さない彼女にディーンが軋む体を起こそうとする。寝てなさい!と、メロがその体を押して、ベッドに再び戻る。

 ディーンは眉根を潜め、彼女に問いかける。


「もしかして、声が……」


 メロはこくりと頷いた。それにディーンの顔が歪む。


「僕のせい? 僕がメロから声を――」


 “それ以上、言わないで”と、メロがディーン口を手で塞ぐ。そして涙に濡れた瞳のまま、微笑んだ。



 何も後悔してない。

 あなたがいることが全てなの。



 メロの顔はそうディーンに語りかけていた。




 その後、ディーンの体の回復を待って、二人は村に戻ることになった。


 メロの唄を聞いた兵士や町の人々は唄えなくなった彼女に悲痛な表情を見せたが、感謝の言葉を口にした。


 “ありがとう。あなたの唄でまた進める”と。


 それを聞いたメロは誇らしげに笑った。村で見せた太陽のような笑顔がメロにやっと戻ってきた瞬間だった。



 グランドールは最後に皮肉たっぷりに二人に告げた。


「俺をふるなど馬鹿な女だ。さっさと行け。俺は王になる。馬鹿な戦などさせやしないから、とっとと帰って祝言でもなんでも上げろ」


 メロは旅立つ前に ”おばあちゃんを救えたのはあなたのおかげ。ありがとう”と書いた言葉を彼に見せた。それを一瞥して、彼は背を向けた。


「幸せにな」


 そう言って去った彼は、後に隣国に屈しない王となる。そして、水の地に血を流さないよう尽力してくれるのだった。




 ディーンはメロが座った車イスを押しながら、ゆっくりと村に向かっていた。

 村に向かう途中、メロは不安を吐露(とろ)した。もう唄えない自分を村の人々は受け入れてくれるのか。勝手をした祖母に叱られると。


「そうだね……まぁ、おばあさんに叱られるのは覚悟した方がいいかもね」


 ははっと笑うディーンに、やっぱり……とメロは項垂れる。


「メロが唄えなくても、代わりに僕が唄うよ」


 あー、と音程の狂った声を出すと、メロが頬を膨らませる。そして、手元にあったメモに文字を書く。


 “ディーンは音痴だから、唄わないで!”


 強めの筆圧がメロの口調をそのまま現していた。それに、ディーンはまた笑う。


「確かに。僕は酷い音痴だ」


 ディーンは愉快そうに笑い続ける。それにメロは首を傾げた。ひとしきり笑い終えると、ディーンは愛しそうにメロを見つめた。


「大丈夫。メロの唄はずっと僕の中で生きている。だから、ほら。ちゃんと笑えてるよ?」


 その言葉にメロは頬を染めながらもツンと澄ました態度で、また文字を書いた。


 “当たり前でしょ。ディーンを笑顔にするのは私のおかげなんだから”


 強め筆圧に彼女の照れが入っていて、ディーンはまたははっと弾むように笑った。



 村に着いたら皆が二人を迎えてくれた。


「このバカ娘!!」


 元気な声で泣きながら叱り飛ばす祖母を見つめ、メロは涙を瞳に溜めながら笑った。


 全員が、二人が戻ってきて、笑っていた。



 唄えなくなったメロを”励ますように”



 小さな村では笑顔が絶えず続いていった。



 これは、歌唄いの聖女と呼ばれ人々を励まし続けた少女と、その少女を一途に思い続けた少年の話。



 そして、これから綴られるのは、照れ屋で旦那にそっけない態度をとってしまうメロと、そんな彼女をいつも笑顔で見つめているディーンの話。






最後までお読みくださり、ありがとうございます。

ただいま、中編版の連載を開始してます。

https://ncode.syosetu.com/n0371fl/


ディーン視点、メロ視点、グランドール視点とそれぞれの視点を書く予定です。もし、王子に対して、もやっとしたならば、コメントにもやっと感を伝えてくださればと思います。モヤモヤしたままだと、体に毒だと思いますので、彼の代わりに私が謝ります。受け止めますので、吐き出してください。


色々、はしおってしまったばかりに不完全燃焼な物語になってしまったことをお詫びします。


あと、丁寧な誤字報告をありがとうございます。

どなたかわかりませんが、ツールまで教えてくださり感謝いたします。

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