8話 金棒と銀棒〜結ばれた固い絆
銀棒は、自分が今まで本当に恐れていたこと、それを頑なに話すのを拒んできたこと、それ以前にそれについて尋ねられるのをあらゆる手段で防いできたこと、これら全てが一体何だったのかと思われるほど、自分の身の上の全てを金棒に話し尽くした。
…ある日突然家から母親に連れ出され、長距離列車に乗って遠くの街に連れて行かれ、仕事で忙しい母親には構ってもらえなくなり、とある児童養護施設に入れられそこで宝物の青いトラックのおもちゃを壊され学校では並外れた体の大きさと力の強さからクラスメートに避けられ先生からはまるで腫れ物にでも触るかのような扱いを受け、またある日突然別の街へ母親に連れ出され、連れ出された先の街の施設と学校でまた同じような目に遭って、どこに引っ越してもそんなことの繰り返しで、だからと言って体が大きく力が強い自分が実力行使をすれば相手が受けるダメージが尋常ではなくなることがわかっているので手を出すことも出来ず、さりとて言葉で応戦しても相手の親が出て来て周りの大人がみんな相手に味方してそれなのに母親はなぜか味方になってくれず自分が一方的に悪者になってしまう…高校に入るまではそうしたことが自分の人生の全てで、高校に入って野球に出会って初めて、本当に自分の人生を生きている感じがした…ということが、銀棒が金棒に話した身の上の内容である。
いざ話し終わると、とてもすっきりした気分になっていることに、銀棒は気づいた。
同時に彼は、自分が長年抱えていた恐怖を克服したことにも気づいた。
晴れやかな気分になった彼は、金棒の話も聞きたくなった。
金棒と違って彼は若かった。
あれほど金棒が、銀棒の話を聞くまでに逡巡したのにもかかわらず、彼は思い立ったらすぐに行動に移した。
「金棒さんのお話も良かったら聞かせてくださいよ。」
銀棒にそう言われた金棒は、若者特有の無遠慮ささえも心地よく思える自分に驚きつつ、自らの身の上話を、この若者に聞かせることにした。
「私はボーツのとある温泉宿で生まれたんだ。母はそこで住み込みの仲居として働いていた。私が生まれた時にはすでに父はいなかった。私はその温泉宿で育てられ、そこから学校にも通った。私の頭に生えているこの角は、生まれた時からあったものらしい。ところがいざ学校に行くと、そんな角を生やしている子供なんて他にいやしないから、悪目立ちするんだ。学校で悪目立ちするとどうなるかは、君もわかっているだろう。そう、イジメに遭うんだ。だが、運のいいことに、私は体が大きくて力が強かったこともあったが、君の場合とは違って、それ以上に周りに理不尽な大人たちがいなかったから、イジメっ子たちはすぐに、私へのイジメをやめたんだ。
だから、学校では何の問題もなく、勉強も野球もできたのだが、住んでいた宿ではそうはいかなかった。いや、私が誰かに何かをされていたわけではない。されていたのは母だった。母は、頭に角を生やした私を産んだせいで、周囲から奇異の目で見られ続けていた。仕事中にたまたま休憩室に入ったら、それまで中でヒソヒソ話していた仲居さんたちが急にみんな黙り込んでしまい、母が出て行くと、また中からヒソヒソ話し声が聞こえてくる、というようなことは日常茶飯事だったそうだし、中にはお客様の眼の前で、母に向かって、「鬼を産んだ恐ろしい女!」と罵声を浴びせる人までいたらしい。それを聞いた私は母に、別の温泉宿に移ることを強く勧めたが、母は、転校することになるから私が苦労するだろうと言って、その温泉宿での仲居の仕事を続けた。私が高校生だった頃、とうとう母は、長年の苦労と心労が祟って倒れてしまい、それから二度と目を覚ますことはなかった。そこでようやく気づいてくれたんだろう、宿のご主人が泣いて私に謝り、母をいじめていた仲居さんたちを全員追い出して、私を宿で働かせてくれた。そうして私は宿で温泉のお湯をまぜる仕事をしながら、野球を続けることができたんだ。そしたらある日、頭をアフロヘアにした人が、温泉のお湯をまぜていた私に近づいてきて、『君が金棒君かな?』と話しかけてきたんだ。その人はアフローズのスカウトの人で、ボーツにすごいスラッガーがいるのでスカウトに来たと言っていた。そしてそのスラッガーとは私のことだとその人は言うんだ。まさかとは思ったが、本当にプロ野球のスカウトからお声がかかったんだ。だがその時は、プロ野球のスカウトからお声がかかったんだとは、それから少し後、その人がまた宿に来て、身元保証人になってくれた宿のご主人と私との三人でアフローズの入団契約書にサインして、アフローズのユニフォームを手渡されるまで信じられなかったさ。まぁそんな経緯で私はプロ野球選手になれて、アフローズに入ったんだ。アフローズは今、君も知っての通り、お祭り騒ぎが大好きな連中ばかりのチームだが、私がアフローズに入った頃は、その傾向がもっと強かった。何しろチーム自体が出来て間もなかったから、若くて勢いのある選手ばかりで、入団基準も、防御率や打率といった、選手としての実績なんて二の次だったんだ。それに危機感を持ったスカウトの人が、私を見つけてくれたんだろう。同期には阿風呂棒がいて、何シーズンか後に、私が三棒をスカウトした。それからさらに何シーズンも後に水棒が入って来て、今シーズンには超高校級スラッガーと呼ばれた君が入って来てくれた。こうしてアフローズは、何とかボ・リーグで戦っていけるだけの力を持つチームになれたんだ。だが、ほんの数シーズン前までは、彼らがどれだけ試合で頑張っても、試合そのものより試合後のパーティの方に関心が向いている奴がほとんどのアフローズでは、他のチームにはとても太刀打ちできなかった…。」
金棒は、ここまで一気に話したが、ふと銀棒の方を見ると、銀棒の両頬には涙が滝のように流れ落ち、彼はそれを拭おうともせず、金棒の長い話に静かに耳を傾けていた。金棒は、そんな銀棒を見て、話を続けるべきか迷ったが、彼が静かにしていたので、ここから先の話も聞いてくれるだろうと判断して、話を続けることにした。
「これではいけない、と思った私は、チームのみんなに、プロ野球選手としての自覚と誇りを持ってもらいたくて、みんなの野球の道具の手入れをするようになったんだ。どうやら阿風呂棒と三棒も同じ思いを持っていたようで、阿風呂棒は頻繁にキャンプを行って、チームをまとめようとしたし、三棒は、地力とやる気があると認めた後輩に付きっきりで指導し続けた。その後輩が、今、三棒とバッテリーを組んでいる水棒だ。彼らのそうした努力の結果、阿風呂棒がアフローズの監督となり、君が入団してくれた今シーズンになって、やっと、ボ・リーグの優勝争いに何とか絡めるところまで来たんだ。」
ここにきて銀棒は、ようやく自らの頬をとめどなく流れ落ちる涙を拭い始めていたが、
「す、すみませんでした。金棒さんは、僕の身の上話を聞くのに僕の気持ちを考えて、聞かないようにしようとしてくださっていたのに、僕ときたら、何の考えも遠慮もなく、あなたに身の上話をさせてしまいました。それも、僕よりもずっと辛いご経験をされていたのに…。」と言って、さらに泣きだした。
金棒は、自分の身の上は、銀棒のそれより辛いものではないと思っていた。というのは、彼には、子供時代に辛い思いをした記憶がそれほどなかったからである。
しかし、銀棒にとっては、自分の両親に再び会える望みが全くないことが耐えがたいものであって、そのことが、自分の身の上以上に
金棒の身の上話が辛く聞こえた原因となるものだった。
そのことに気づいた金棒は、軽くため息をつき、銀棒を慰めるように言った。
「なぁ銀棒、君はまだ若いしそれほど多くの人とは出会えていない。確かに子供時代やまだ若いうちは、親との関わりは、人間関係の中で大きな割合を占める。まして君のように、本当に幼い時に父親と生き別れてしまったのなら、それがなおさら大切なものに思えるのもわかる。しかし、だ。学校に行って、卒業して社会に出て行くと、色々な人に出会う。そんな色々な人のうち、助けてくれる人や信頼できる人にも、どこかで必ず出会うものだ。もしかしたら君はまだ、そんな人に出会えていないのかもしれない。そういうこともあって、私の身の上話が辛く聞こえたのではないのかい?私には確かに両親はいない。だが私には、母を擁護し、母亡き後、私がプロ野球選手になるまで責任を持って面倒を見てくださり、私がアフローズに入る時も身元保証人になってくださった宿のご主人や、私をアフローズに入れてくださったスカウトの人や、アフローズで出会って思いを同じくした阿風呂棒、三棒、水棒、そして君がいる。そうなると、自分の両親に二度と会えないことを悲しむよりも、そうした信頼できる人たちに出会うために私を産み育ててくれた父や母に感謝する気持ちの方が、自然と強くなるんだ。君にもそういう出会いがこの先に必ずある。そしてそういう出会いがあった時、君は私が今言っていることの意味がわかるだろう。」
銀棒は、しゃくりあげて泣いていた。
いくら涙を拭っても追いつかないほど、堰を切ったように涙があふれ出ていた。
銀棒の心には、金棒の言葉が、しんしんと降り積もる雪のように、深く響いていた。
銀棒は、金棒と隣り合って座っていたベンチからおもむろに腰を上げ、金棒の方を向いて床にひざまづき、頭を下げて、金棒に語りかけた。
「ありがとうございます、金棒さん。金棒さんが今おっしゃった『そういう出会い』が、僕にとっての『そういう出会い』が、今ここに、あります。僕は今日、ここで初めて、人に自分の身の上を全て話しました。実は、こういう話を人にするのがずっと怖かったんです。怖くて怖くて、仕方がなかったんです。でも、今日、生まれて初めて話せる…金棒さんになら話せる…と思えたんです。しかも、いざ話しだすと、何だか幸せな気分で話せたんです。話す内容には幸せなことなんてこれっぽっちもなかったのに…!だから僕は思うんです。金棒さんこそが、僕にとって、『信頼できる人』なんだって。」
あまりにも真っ直ぐな目で見ながら訴えてくる銀棒を見た金棒が言葉を返せずにいると、銀棒はさらにたたみかけるように続け、頭を深々と下げた。
「なので金棒さん、僕をあなたの弟子にしてください。」
あまりにも意外な申し出に、金棒は面食らった。
なおも銀棒は金棒に訴える。
「僕も金棒さんと一緒に、皆さんの道具の手入れをします。僕は今日のこの時間だけで、金棒さんに、とても大切なことを教えていただきました。これから先も、金棒さんに、野球のことやそれ以外のことをたくさん教えていただきたいです。お願いですから、僕をあなたの弟子にしてください。」
金棒は、銀棒からの衝撃の申し出に、まだ落ち着きを取り戻せずにいたが、ここまで自分を慕ってくれる若い後輩の必死の申し出を無下に断る選択肢は、持っていなかった。
観念したように、金棒は答えた。
「…わかった。試合が終わってみんなが帰ったら、道具の手入れをするから明日からロッカールームに毎日来てほしい。これから一緒に、みんなの道具の手入れをしながら色々話そう。」
こうして、後に、『アフローズの名物師弟コンビ』と呼ばれる金棒と銀棒の、強い絆で結ばれた師弟関係が生まれたのである。