7話 金棒と銀棒〜金棒一人語り
遅くなってしまった。
今日のガンバローズとの試合は、9回までで決着がつかず、延長戦になったのだが、シーソーゲームな展開のまま、時間切れ引き分けとなってしまったので、試合終了がいつもより大幅に遅れたのだ。
しかし、たとえどれほど遅くなっても、私は、日課を忘れるわけにはいかない。
なぜなら、明日も明後日も試合があるからだ。
チームの一人一人がしないのなら、私が一人ででも、チームのために、全員分の道具の手
入れをしなければならないのだ。
すまない、自己紹介が遅れた。
私は金棒。
ボーニンゲン界のプロ野球チーム「ボーニンゲンアフローズ」の4番を長年任されている。
私がプロ野球選手としてアフローズに入団して、今季でもう30シーズン目となる。
私の選手生命はもう終わりに近いのだが、アフローズが常勝軍団と呼ばれるようになるまでは、まだ引退するわけにはいかない。
しかし、このチームには、チームが出来た当初の選手の採用方針が変わらないせいか、明るく勢いのある奴ばかりが入って来る。
それ自体は悪いことではないが、いかんせん実力が伴っていない奴や練習をしないで頭の中が試合後のパーティでいっぱいの奴がほとんどだ。そんな奴らは自分の道具の手入れすらまともにしないからな。
だから、毎試合後に、私がコッソリみんなの分の道具の手入れをしているのだ。
そんなわけで私は今、ボーニンゲンスタジアムのアフローズのロッカールームの中で、チーム全員分の道具の手入れをしようとしているところだ。
まず、ロッカールームのベンチに、手入れする道具を全て出すのだが、みんなのロッカーの中には、野球と関係のない物が多く入っている。大抵の奴は、試合後にパーティに繰り出すから、そのための衣装だったり自撮り棒だったりカツラだったりが入っていたりするが、そんな物には手を触れない。
アフローズでまともに練習する奴といえば、阿風呂棒と三棒と水棒と…、あと、新人の銀棒ぐらいだ。
阿風呂棒なんか、監督になっても、監督としての仕事をきちんとやった上に、いつ自分が打席に立ったり守備につくことになってもいいように、自分の練習もしっかりやってるもんな…同期として尊敬するよ。
今はまだ、アフローズは台所事情が苦しいのだから、他の奴らにももっと練習に身を入れてもらいたいものだ。
…おっと、グチになってしまった。
いけないいけない。
阿風呂棒のロッカーは…と、まぁ、アイツのロッカーにもそれなりにパーティグッズが入ってはいるが、アイツはチーム全体をまとめるためにパーティに参加してるからな。全く、一体いつ寝てるんだか…。じゃあ、野球道具だけを出して…と。
で、三棒のロッカーには…うん、いつものように、野球道具以外何も入ってないな。アイツは本当にストイックだから、付き合いが悪いなんて陰口を叩く奴もいるが、アイツの陰口を叩くのならアイツと同じぐらいストイックに練習してアイツと同じぐらいの結果を出してからにしろ、という話だ。
まぁ、みんながアイツと同じぐらいの結果を出せば、アフローズはもう常勝軍団だ…アイツはアフローズの不動のエースで、何しろ毎シーズン全試合を先発としてゲームメイクしてるんだからな。
私がボーツから連れて来た後輩だがよくやってるよ…。
それで、水棒のロッカーは…まぁパーティグッズも入ってはいるが、アイツは三棒の特訓を受けることを優先させているから良しとしようか。
それから銀棒のロッカー…コイツのロッカーにもパーティグッズは入ってないんだよな…だから、野球道具を出して…ん?
何だこれは…。
いつもなら、アイツのロッカーには野球に関係のないものは一切入っていないが、これはどう見ても関係のない物だろう。しかし、だからと言って、パーティグッズでもない…随分大事そうに置かれているし、古い物ではあるが、長年大事に扱われてきているものであることもわかる。恐らくこれは、アイツの宝物なんだろうが、なぜまたこんな所に入っているんだろう。
まぁ一応、一旦ベンチに置いて、空気を通しておくか…長時間ロッカーに入れたままではカビが生えるかもしれないからな…よいしょっと。
…ミシッ。
…ん?
何の音だ。入口の方から聞こえてきたぞ。
もしかして、誰かいるのか。
私が密かにしていることを見つけた奴がいるのか?
それは良くない。
奴らのことだ、きっとますます道具の手入れをしなくなるに違いない。
一体誰だ。口の軽い奴でなければまだいいが…。
とにかく入口まで行ってみよう。
そこに誰かがいるのは間違いない。
私はロッカールームの入口まで歩き、外の廊下を見回してみた。
すると、見るからに図体の大きな男が、これ以上小さくならないくらいにその体を丸めて、両脚を抱え込んで下を向いて、座り込んでがたがた震えていた。
私には、その男が誰なのかすぐにわかった。
「おや、銀棒じゃないか。一体どうしたんだい。ロッカールームに用事があるんじゃないのかい。」
と、うずくまる銀棒に声を掛けてみた。
だが、彼はどうも、私のことを『怖い先輩』と思っているようで、まだ顔を上げようとせずに震えている。
仕方がないので、私は一か八かの賭けに出た。
みんなの道具の手入れを一緒にやらないか、と申し出たのである。
もちろん、銀棒があとでみんなにしゃべってしまうかもしれないというリスクもあったが、私は、普段の彼の態度から、彼の口の固さに賭けたのである。
彼は恐る恐る顔を上げ、私について、ロッカールームの中に入ってきた。
そして、ベンチに置いてある「それ」に彼が目を留めた瞬間に、彼の瞳孔が開くのを見逃さなかった私は、彼がここに来た目的を悟った。
彼はどうやら忘れ物である「それ」を取りに来たようだった。だが、誰もいないはずのロッカールームに私がいて、しかも、その私がロッカールームの中の野球道具を全て取り出している光景を見て、異様に思って、入口でずっと私の様子を見ていたのだろう。
私はどうしても、銀棒がロッカーに置いていた、パーティグッズではないが野球には関係のない「それ」について、訊いてみたくなった。
「君のロッカーから、少し珍しい物を見つけたのだが、これは…というより、君はなぜ、試合に関係のない物をスタジアムに持ち込んでいるのかね。まあ、他のチームメンバーの中には、試合の後にパーティに行く奴が多いから、よく、派手な服や自撮り棒なんかを持ち込んではいるが、君の「それ」…その青いトラックのおもちゃは、そういうフザケた物とは明らかに違う。おそらく君は、これをとても大切にしているのだろうが、もしかして、いつも持ち歩いているのか?」
と、ここまで言葉にしてしまったところで私は、言ってはいけないことを言ってしまったような気になった。
人の宝物について、あれこれ詮索するような質問は、無闇矢鱈にするべきではない。
銀棒がロッカールームに忘れていた青いトラックのおもちゃは、どう見ても彼の宝物だ。
いくら気になるからといって、宝物について尋ねることは、その人が話したくないことや思い出したくないことまで思い出させて無理矢理話をさせてしまうことになりかねない。
いくら彼が新人だからといって、私にはそれを強制する権利はない。
だがこのままでは、私を『怖い先輩』と恐らく思っているであろう彼のことだ、話したくもないことを無理してでも話し出すかもしれない。
そう考えた私は銀棒に、青いトラックのおもちゃについて、話したくなければ何も話さなくていいと伝えたが、彼は、私にそう言われたことで、なおさら私には話そうと思ったようで、おもむろに私に話し始めた。
彼の青いトラックのおもちゃは、彼が物心つくかつかないかぐらいの時に、父親に買ってもらったらしい。
だが、ほどなくして彼は、父親に会えなくなってしまったらしい。
それ以来、彼はいまだに父親に会えないままでいるそうだが、会える希望はあるという…彼が父親に会える唯一の手がかりこそが、この青いトラックのおもちゃだというのだ。
なんでも、同じ物がもう一台あって、それを彼の父親が持っているという…。
…ん?待てよ、この青いトラックのおもちゃ、前にどこかで見たことがあるような気がする…いや、うん、確かに見た。
だが一体どこで見たんだろう。
そして、いつ見たんだろう。
それを私が思い出せないうちは、見たことを彼に話しても意味がないのではないだろうか。
しかし、それにしても、彼は想像以上に厳しい子供時代を過ごしてきていたのだな…基本的には明るいが、いつもどこか影のある奴だと思ってはいたが…。
自分の意思とは関わりなく色々な街に住んで色々な学校に行くところまでは、転勤族の家庭の子供ならほぼ誰しもが経験することだろうが、母親が一緒だったというのにもかかわらず、おそらく自分の意思に反することであったろう、色々な施設に入った…そして、どこにも自分の居場所がなかったというような経験は、誰しもがすることではないし、なるべくならするべきではない。まして子供ならなおさらだ。それなら彼には、なるべく早く父親に会ってもらいたい。青いトラックのおもちゃを見たことを話して、あとはそれを手がかりに彼自身が父親を見つければいい。
彼に話そう。
私は、以前見た青いトラックのおもちゃの話を銀棒にすることに決めた。
「銀棒、その青いトラックのおもちゃだが実は…」
そこまで話したところで私は、運のいいことに、その青いトラックのおもちゃを見た場所を思い出した。
しかし、それが誰の物であったのかまでは、私にもわからない。
一つ間違いなく言えるのは、その青いトラックのおもちゃを見たのは、私が銀棒と知り合う前…、つまり、銀棒がアフローズに入団する前なので、今銀棒が持っている青いトラックのおもちゃそのものとは別の物を見た、ということである。
だから、ここから先は、私が知っている範囲のことを彼に話すにとどめよう。
そう思った私は、その通りに銀棒に話した。
詳しいことを知らせることができず、申し訳ない気持ちだった。
しかし、それでも銀棒は嬉しかったらしく、アフローズに入団するまでの身の上を…決して思い出したくなかったであろうと容易に想像がつくほど辛かったことまで…すべて私に話してくれた。
ただ、銀棒が私に話してくれている間、彼が終始幸せそうな様子だったのが、私にとって救いだった。
本当はきっと、彼も、誰かに全てを話してすっきりさせたかったのだろう。
実際、彼は、ひとしきり話し終わった後、私の話を聞きたがった。
私が彼の宝物について話を聞くのには多少の逡巡があったが、私の身の上話を聞こうとする彼からは、何のためらいも感じられない。
普段なら、そうした若者特有の無遠慮さは、向けられた側にとってあまり気分の良いものではないので、年長者としてはたしなめるべきところであるが、今はその無遠慮ささえも心地よく思える。
私の身の上話は、きっと彼のそれよりも辛いものではない。
では話そうか。