2話 桃棒と先生
「かっとばせー!」
「次は打てよー!」
ここはボーニンゲンスタジアム。
今日はボーニンゲン国のプロ野球(ボーニンゲン・リーグ、縮めてボ・リーグ)の公式戦、ボーニンゲン・ガンバローズVSボーニンゲン・アフローズの3連戦最終日である。
「いや、ストライクできっちりおさえろー!」
色とりどりの服を着たボーニンゲンたちが声援をそれぞれのチームに送っている。
ボ・リーグにはとても熱狂的なファンが多い。ボ・リーグ自体はボーニンゲン国の国技ではないが、それでも人気が高い。収益も非常に高く、赤字球団は存在しない。しかしそんなボ・リーグに1つだけ問題点があるとすれば、それはチーム数であった。ボ・リーグには5チームしかなかったのである。これではなにかとリーグ戦がやりにくい。そこで謎の商人・黒棒が自らオーナーとなり創設したのが6番目のチーム、ボーニンゲン・ガンバローズなのである。
「あぁ!」
残念がる観客の声と喜ぶ観客の声が同時に聞こえた。
ボーニンゲン・アフローズの2人目の打者がボーニンゲン・ガンバローズのピッチャーに三振におさえられたのだ。
試合は9回裏、0対0で進み、ボーニンゲン・アフローズの攻撃中である。
ここまでノーヒットノーランを続けているのがボーニンゲン・ガンバローズのピッチャー、紫棒。
「あと1人だ、延長戦に持ち込もう!」
そう言うのは4番レフト・青棒。9回裏が終われば次は青棒の打順からスタートする。チームを鼓舞する声にも気合が入る。
ここに1人、信じられないことに試合中にボ~としているボーニンゲンがいた。
6番ライト、桃棒である。
いや、ボ~としているのは少し語弊があるかもしれない。このときの桃棒の気持ちはこうである。
(今日は球が飛んでこないから、なんか空想しようかなぁ~)
何と平和な。試合中に、それも守備中に。もしそんなことがバレたら解雇は当然である。
しかしこのボーニンゲン・ガンバローズ、少し変なのである。
(あっ、また桃棒の空想が始まったよ)
と桃棒を見て笑っているのはセンターの黄緑棒。
いつも横で守備をしている黄緑棒は、桃棒の顔を見ただけで空想中かどうかがわかるぐらいに達人の域(?)に達している。
そしてもう1人、桃棒の空想に気づいた人物がいる。
(あいつ、また空想を始めたな)
仕方ないな、というような顔でほほ笑んでいるのは白棒。彼はどこも守備をしていない、ベンチにいるのである。そう、彼はボーニンゲン・ガンバローズの監督なのだ。
監督にさえ(仕方がない)と思わせる桃棒、それは何故なのか。
守備がすごいのか?打撃がすごいのか?
いや、彼が試合中に空想を許されるのは、彼の生い立ちに理由があるからである。
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彼の出身地はボーニンゲン国の南東にある都市ナバチタ。その都市の中にあるコミュニティの出身だが、ここには専制君主のような町長が存在した。このコミュニティは町長によってすべてが管理されており、メディアも検閲されかねないコミュニティなのである。テレビ放送もあるが、もちろん町長に管理されており、見れる放送は1局だけである。つまり娯楽も管理されていたのだった。「娯楽のない世界」、それが桃棒の生まれ育った町である。。
そんなコミュニティにある団地で生まれ育った桃棒にとって、娯楽のない世界は当たり前だった。生まれたときから娯楽がなければ、自分で娯楽をつくればいい。そう思った桃棒の唯一の娯楽が空想なのである。
しかしある日、幼き桃棒はついに「娯楽のある世界」を見てしまったのである。
それはたまたま朝早く小学校に着いたときのこと。先生もクラスメイトもいない教室で、桃棒は備え付きのテレビの電源をつけた。別に娯楽、というものを知りたかったわけではない。自分の空想に役立つようなヒントがあれば、と思っただけである。もちろん勝手につければ先生には怒られる。でも桃棒は好奇心に負けたのだ。電源をつけた途端、誰かの足音が廊下のほうから聞こえた。これはいけない、とすぐテレビを消そうとしたときに目に映った画面…。
それはボールをバットで打ち、男たちが喜ぶ映像だった。
すぐに桃棒はテレビを消した。
だがさっきの映像が目に焼き付いて離れない。
「どうしたのですか、桃棒くん。」
桃棒の異変に気付いた先生は声をかけた。
「いや、何もありません。おはようございます、先生。」
テレビを見ていたことはバレなかった、と少し安心した桃棒は思いきって先生に聞いてみた。
「先生、ボールをバットで打つことって、とても嬉しいことなんですか?」
桃棒からすれば単純な先生への質問であった。しかし子供の桃棒にはそこまでしか考えが行きつかなかった。
先生はすぐに悟った。なぜ、娯楽のない世界であるこのコミュニティで「ボールをバットで打つ」という行為、つまり「野球」を知っているのか。それはテレビを見ていました、と桃棒自らが自白したのも同然のことであった。
このことはこのコミュニティでは重大な規則違反である。しかし先生は桃棒に対してこう言った。
「いいかい、桃棒君。まず、ボールをバットで打つ、ということをこのコミュニティではやってはいけないよ。もちろん、誰にも言っちゃいけない。いいね?」
「はい、先生。」
「それなら答えよう。それは野球というものだ。」
「野球?」
「そう、18人の男たちが、ボールを打つ側、それを守る側の2チームに分かれる。それが野球だよ。」
「それの何が面白いのですか?」
「そのボールにはね、ボーニンゲンたちの楽しみや苦しみ、喜びや悲しみが詰まっているんだ。それを打つことによって自分の成長につなげるんだ。楽しみや喜びは高く打つことでもっと大きいものにし、苦しみや悲しみは遠くへ打つことによって忘れるんだよ。」
「そうなんだ!」
「いいかい、桃棒君。だけど、このことを誰にも言っちゃいけないよ。もし野球をしたいなら、君の空想の中だけにしなさい。」
「はい!」
「君も、野球ができるといいんだがね…」
最後の言葉は桃棒には聞こえないほど小さい声だったが、先生の思いそのものだった。
その後、桃棒は脱出不可能と言われたこのコミュニティから無事に脱出し、ナバチタを離れ、ボーニンゲン国の首都であるゲンニーボンに住むことになる。そこで野球選手を募集していた黒棒の目に留まり、見事ボーニンゲン・ガンバローズのメンバーになるのである。
桃棒が人生最初のホームランを打ったとき、そのボールはファンが拾って桃棒に届けてくれた。
試合が終わり、ヒーローインタビューが始まった。
「桃棒選手、見事なホームランでした!」
「ありがとうございます!」
桃棒は汗を拭く間もなくインタビューに答えていた。桃棒の生い立ちのことを知っているチームメイトや白棒監督・コーチ陣はみんな泣いていた。もちろん悲しくてではない、嬉しくてである。
「初めてのホームラン、手ごたえはどうでしたか?」
「まさかフェンスを越えるとは思いませんでした!」
「いま、この喜びを誰に伝えたいですか?」
インタビューをしていたアナウンサーはもちろん、観戦していた全員が同じ予想をしていた。
「もちろん、いままで応援してくださったファンのみなさんです!」
観客の声援が一段と大きくなった。
だけどチームメイトたちは分かっていた。もう一人の名前を出すことを。
「そして、もう一人、小学校の先生にです!」
「えっ?」
予想もしていなかった言葉にアナウンサーは戸惑った。
そんなことにはお構いなく、桃棒はマイク越しに大きな声で言い放った。
「先生、見ていますか!あの日、野球のことをこっそり僕に教えてくれたから、いまの僕がいるんです、ありがとうございます、先生!」
ベンチからヒーローインタビューを見ていたチームメイトたちはみんな泣いていた。
「そうだよな、あの先生がいたから、いまの桃棒がいるんだよな。」
青棒は誰にいうこともなく言った。
「うん、そうだよ、本当にそうだよ。」
ピッチャーの紫棒は号泣であった。
「泣きすぎだよ、紫棒。」
そういう橙棒も目に涙をためていた。
「先生、僕はこれからも野球を続けます、そして野球の素晴らさをもっともっと広めていきます、見ていてください、先生!」
そう言うと桃棒はそのホームランボールを大きく高く、そして遠く、空へ投げ飛ばした。
それは喜びや楽しみをもっと大きくするため、そして苦しみや悲しみを遠くへ捨て去るかのように。
「桃棒選手でした、ファンの皆様、もういちど大きな拍手を!」
ラジオから聞こえてくる声を、その老人は一言も聞き漏らすまいとラジオに耳を近づけていた。
桃棒が育ったこのコミュニティでは、桃棒脱出後、町長の圧政が緩まり、すべてのテレビ放送とラジオ放送が許された。
桃棒がホームランボールを投げたとき、ラジオを聞いていたその老人はそばにいた妻に話しかけた。
「あの、空想好きだった彼が、こんなに立派になるなんて…そして私が言ったことも忘れていないなんて…」
その老人は(紫棒のように号泣まではしていないが)涙で鼻声になりながらもそう言った。
「あなた、良かったですね。」
妻はベッドで横になっている老人の腕を優しくさすっていた。
「あなたも桃棒君から勇気をもらったのなら、元気にならないと。」
老人は弱々しくであったが頷くと、まるでそばにあのときの少年がいるかのように語った。
「桃棒君、君のホームランボール、しっかりと届いたよ。この世には娯楽を知らない、幼き頃の君のような子供たちがいっぱいいる。その子供たちに、今度は君から伝えてくれたまえ、野球のすばらしさを…」
そう言うと老人は静かに目を閉じた。
老人の腕をさすっていた妻の手が、そのときとまった。
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カッキーン!
2アウト、3ボール2ストライク、そこまできたのに紫棒が打たれた。
飛ぶ打球。だがどう見てもフライである。しかし飛んでくる場所が悪かった。
空想中の桃棒のいるライトに飛んできたのだ。
「桃棒、フライだよ~!」
橙棒が叫んだが、時すでに遅し。
空想中の桃棒にその言葉は届かなかった。
ボールはライトに落ちた、しかしライトの桃棒は動かない。
ランニングホームラン。
試合終了。
ベンチに引き上げてくる選手たち。
普通、負け試合になれば、みんな暗くなって当たり前である。
しかしこのガンバローズ、負けてもなお明るい。
「よし、今度はあのバッティングフォームで…」
「そうだな、次は…」
みんな前向きなのがガンバローズなのである。
だが1人、暗いボーニンゲンがいた。桃棒である。どう考えても今日の試合は桃棒(の空想)が原因で負けたのである。なぜあのとき、桃棒はボールを取らなかったのか。もちろんみんなは知っている、空想のせいだと。
しかし桃棒からすれば、それで終わる問題ではない。特にチームのためにがんばった紫棒に申し訳ない。
ベンチに戻った桃棒に白棒監督が言った。
「桃棒、空想するのはいい。だが、守備中はしっかり周りをみながら空想するんだぞ。」
よくわからないアドバイスだが、これも白棒監督の思いやりである。
下を向き、しょんぼりする桃棒だったが、誰かが目の前に立つたのがわかった。顔を上げると紫棒であった。いくら空想好きだからといっても、紫棒のノーヒットノーランを阻止したのは相手チームではなく、桃棒なのだ。殴られても仕方ない。
桃棒がその想いを言いかけたとき、紫棒が先に話しかけた。
「桃棒、いい空想はできたかい?」
それは満面の笑みだった。
自分のノーヒットノーランより、相手の空想を大事にする男。それが紫棒なのである。
桃棒は元気いっぱいの笑顔で答えた。
「うん、いい空想ができたよ!」




