16話 灰棒と黒い影
棒華賞の最終レースの本命を、ローズバラバラにするかサクラフブキにするかで迷いに迷っていた灰棒は、自らの直感を信じてローズバラバラの一点買いをすることに決め、馬券を買いに行った。
彼が競馬場の自分の席に戻ったタイミングでゲートが開き、最終レースが始まった。
「各馬一斉にスタートしました。まずは先頭に飛び出したタケノコソウカですが、他の馬もしっかりついていて、ただ今団子状態です。」
スタートと同時に実況が始まって、それに伴って、観客の歓声が競馬場のあちこちからあがる。
「しかし、第2コーナーを曲がったところでサクラフブキとローズバラバラが抜け出しました。この2頭がだんだん他の馬を引き離していきます。どうやら今年の棒華賞は、この2頭の一騎打ちの様相を呈してきたようです。」
レースの展開が変わるたびに観客のボルテージも上がる。
「さぁ、第3コーナーを曲がって最後の直線に入った。サクラフブキか、それともローズバラバラか、抜きつ抜かれつの接戦となっております。いよいよゴールが見えてきました。」
よし、いいぞ!ローズバラバラ。
灰棒は、自分が一点買いしたローズバラバラが先頭に立ったところで一気にテンションを上げた。
しかし、先頭を走るローズバラバラに迫るマムポンポンに気づき、だんだん落ち着きを失っていった。
わわっ、マムポンポンが後ろから来ている・・・それも、すごく速い。
大丈夫だろうか・・・。
「サクラフブキかローズバラバラか、サクラフブキかローズバラバラか、あっ、大外からマムポンポンが迫ってきている、マムポンポン、マムポンポンが後ろの集団から抜け出して、サクラフブキとローズバラバラに迫ってきている。しかしもうすぐゴールだ。おっとここでなんと、マムポンポンが前を走っていた2頭に完全に並んだ、完全に並びました。そしてそのまま3頭並んでゴールしました。どの馬が勝ったのかは肉眼では判別できないので写真判定になるものと思われますが
・・・あぁやはりそうです。写真判定に入ります。」
どうか勝っていてくれ、ローズバラバラ・・・。
灰棒は、一点買いしたローズバラバラが勝っていることを必死に祈った。
黒い影にずっと観察されていることにも、その黒い影が背後から少しずつ近づいていることにも気づかずに・・・。
写真判定の結果が出た。
それは、灰棒にとって、非情なものであった。
勝ったのは、マムポンポンだった。
写真判定の結果が出た瞬間、観客の歓声がひときわ大きくなったのだが、灰棒の耳には全く届かなかった。
なけなしの残金全額を使って一点買いした彼の馬券は、ローズバラバラが負けた瞬間、ただの紙屑になったのだ。
彼はうなだれ、打ちひしがれた。
一獲千金がそんな簡単に叶うものではないことぐらい彼自身わかっていたし、一獲千金が叶わなかった場合にどうすべきかもすでに考えてはいた。
とはいえ、それでも一獲千金を期待していた彼は、持ち金を全額使い果たした今、今日明日のお金をどうすべきかについて、いくら考えても何の名案も浮かばないことに、絶望を覚え始めていた。
すみません、ちょっとお話させていただいてもよろしいですか?
背後から、そう声を掛けられていることに灰棒が気づいたのは、その声をかけた主である黒い影に、肩を軽く触れられてからのことだった。
彼が振り向くと、そこには黒い影・・・頭には白いターバンのようなものを巻き、透明度のないサングラスをかけ、一見して上等なものとわかるスーツを着た男がいた。
男はもう一度、灰棒に言った。
すみません、ちょっとお話させていただいてもよろしいですか?
驚くことにこの男は、ここがボーニンゲン国であるというのに、ボーニンゲン語ではなく、いきなり棒国語で話しかけてきていた。
灰棒は、二度目に声を掛けられて、ようやくそのことに気づいた。
この人は、なぜ私が棒国の人間だということがわかったのだろう?
私の顔は、棒国内でも知られていないはずなのに・・・。
もしや、棒国から私を追いかけて来た借金取りなのではないだろうか?
灰棒は、不安になりながらも、おずおずと答えた。
ええ、ちょっとなら・・・結構ですよ。
ではよろしかったら一緒に食事でもいかがですか?
男の表情を伺い知ることはできなかったが、男から漂う品の良さから、借金取りの類ではなさそうだと判断した灰棒は、この申し出を受けることにした。
はい、ありがとうございます。
ご一緒させていただきます。
そうして灰棒と男は、棒華賞の興奮さめやらぬボーニンゲン競馬場を後にすべく、彼らが話している言葉が理解できずにきょとんとしている女子大生たちの間をすり抜けて、出口に向かった。
出口を抜けると、男は灰棒に言った。
今のあなたのように、地味な服装で耳に赤鉛筆を挟んでいる人は、棒国の競馬場の雰囲気には馴染むでしょうが、この国の競馬場だけでなく、この国そのものの雰囲気には、決してふさわしくないですよ。
灰棒はあわてて耳から赤鉛筆を外し、カバンの中にしまい込んだ。
そして、なぜ自分が棒国人であることを知られてしまったのか、なぜこの国で赤鉛筆を入手することに困難を極めるのかを悟った。
彼は、急に恥ずかしくなった。
男はさらに続ける。
今のあなたのような地味な格好をした人は、棒国ではよく見かけますが、ここボーニンゲン国ではほとんど見かけません。
だから、この国でそういう格好をしていると逆に目立ちますし、そんな人は外国人だということがすぐにわかるのです。
さらに言えば、少しでも国際情勢を知っている者から見たら、外国人であるということだけでなく、その人がどこの国から来た人間であるか、ということまでわかってしまうのですよ。
そんな地味な格好を普段からしている人が多い国といえば、このご時世、棒国しかありません。
だから私は、あなたが棒国の方であることもわかりましたし、耳に赤鉛筆を挟んでおられたことから、棒競によく通っておられたということも、すぐにわかったのです。
そして、この国の競馬新聞を何の苦もなく読みこなし、実況を通訳なしで聞いておられた。
それだけでなく、馬券を買う際も、受付の人と流暢なボーニンゲン語でやり取りをされていたことから、あなたは棒国人でありながらボーニンゲン語も使いこなせる優秀な方・・・まさに私が求めていた方とお見受けしました。
そんなあなただからこそ、是非とも私にお力を貸していただきたいと思います。
えっ?
私がこの人に求められている?
私がこの人の力になれるって?
どういうこと?
一体この人は何者で、これから何をしようとしているんだろう・・・。
私がこの人に協力したら、その先には何が待っているんだろう・・・?
灰棒は、男の意外な申し出に戸惑ったが、その先に何があるのかに対する興味と期待が戸惑いに勝り、男の話をもっと詳しく聞いてみようと思った。
まぁ、この話の続きはこちらで。
男がそう言って立ち止まった所には、一軒の瀟洒な雰囲気のレストランがあった。
二人はそのレストランに入っていった。




