9話 紅棒と無人島
紅棒は、ガンバローズで不動の三塁手であり、ボーニンゲン国公認の五つ星シェフであり、チームでキャンプする際には料理担当としてチームの健康を支える男である。
普段から落ち着いていて、時間には正確だが、だからといって、そうでない者に対して厳しいわけでもなく、何があっても声を荒げることもなく、大抵いつもニコニコ機嫌良くしており、変人揃いのガンバローズの中では、常識人の部類に入るとされている男である。
ただ、ガンバローズの一員だけに(もっとも、ガンバローズの入団基準に「変な人であること」といったものは設けられていないのだが)、そんな彼でもやはり変なところはあって、趣味の釣りのことになった途端、料理人魂がうずうずしてついつい我を忘れてしまうことがあるのだ。
例えばこんなことがあった。
ある日紅棒は、近海に素晴らしい漁場があるという、とある無人島に一人きりで向かった。
ところが、目的の無人島に着く前に、乗っていた船が故障して動かなくなってしまった。
大抵のボーニンゲンなら、そのような状況に置かれたら、無線などで助けを求め、助けが来るまでどうすべきか必死に考えるところであろう。
しかし紅棒は、そのようなことは全くせず、とりあえず船を適当に(この「適当」には「適切」あるいは「妥当」の意味は一切ないものとご理解いただきたい。)漂流させ、適当に(こちらも上に同じ。)たどり着いた、どこかわからない無人島(つまり、当初の目的の無人島かどうか、彼自身もわからないのであるが、そんなことは彼にとってはどうでもいいことらしい。彼は釣りを楽しめて、美味しい魚を食べることができたらそれでいいようだ。)で、普通に釣りを楽しんでいたのである。
確かに天気が良かったし、その無人島にはヤシの実もあったし、周辺の海も荒れてはいなかった。
そういう意味では、無人島で釣りをするのにはちょうどいい状況だったかもしれない。
だが、彼は大切なことを忘れていた。
次の日に、ボ・リーグ優勝をかけた、アフローズとの大事な試合があるということを…!
彼がそうして名もなき無人島での釣りに没頭していた間、ボーニンゲン国の首都ゲンニーボンにあるボーニンゲンスタジアムでは、宿敵アフローズとのボ・リーグの優勝決定戦を明日に控えた白棒監督以下ガンバローズの面々が、真っ青になっていた。
「紅棒はどうした?」
白棒監督が薄紫棒に尋ねる。
「わかりません。今日は明日のための練習があるのを彼もわかっているはずですが、なぜ姿を見せないのか私もわからないので連絡してみます。」
と言うと同時に薄紫棒は、最新のBo-Phone(iPhoneではない)をスマートに操作して、紅棒を呼び出そうとした。
しかし、繋がらない。
何度電話しても、繋がらない。
そこで、Bo-Sen(LINEではない)というSNSを使ってメッセージを送ってみたが、いつまでたっても既読がつかない。
そこまでの事態になって、あることに思い当たった薄紫棒は、チームのみんなにこんな提案をした。
「船を借りて海に出て、紅棒を探そう。」
「そうだな、紅棒を見つけるなら、その方法が一番だよな。」
赤紫棒が同意した。
その場にいた一同も、特に異議を唱えなかった。
というのは、ガンバローズのメンバーは、紅棒の人間性をよく知っているからである。
しかし、白棒監督だけは違った。
「えっ?薄紫棒、君は何を言っているんだ。一体どこの世界に、都会の巨大な野球場に時間を大幅に過ぎても来なくて連絡も全くつかないチームメンバーを探すのに、わざわざ船を借りて海に出て探すなんていう話があるというのだ。しかも今日は、ボ・リーグの優勝決定戦を明日に控えた練習がある日だぞ。それなのに、スタメンがそんな大切な練習に来ないなんて、ありえないだろ。しかも、スタジアムでの練習開始時間はとっくに過ぎているし、終了時間も決まっている。そんなことをしていたら、明日のための練習ができない。薄紫棒よ、紅棒は何も遭難しているわけでもないのに、アイツを捜索するのにいきなりそんな大げさな方法をとるなんて、おかしくないか?」
それに対して薄紫棒は、自信たっぷりに答えた。
「監督、紅棒の習性をまだご存知ないんですね?アイツは、釣りのことになると料理人魂がうずうずして、他の大事なことを全部忘れちゃうんですよ。だからきっと、今日も天気がいいのをいいことに、無人島にでも釣りに行ってると思うんです。それできっと、今日の練習の予定はもちろんのこと、明日の大事な優勝決定戦の予定も、アイツの頭からは完全に抜けきっているんだと思います!」
紅棒の「習性」って、アイツは動物か・・・
ていうか、時間通りに練習に来ないだけで「紅棒が無人島で釣りをしている」ということがわかるって、一体どういうことなんだ・・・
明日は大事なボ・リーグの優勝決定戦があるにもかかわらずチームのスタメンが揃っていないという危機的状況にあるのに、なぜコイツはこんな楽しそうに話すんだ・・・
白棒監督は、薄紫棒に対してツッコミたいことが色々あったが、そうした思いをとりあえず飲み込んで、みんなに言った。
「よし、じゃあ、明日紅棒がいなかったら試合ができないし、これからスタジアムの練習予定の時間を変更してくるから、紅棒を探しに行く準備をしておくように。」
「はい!」
そうして、練習を返上して紅棒の捜索に行くことになったガンバローズの一行であった。
薄紫棒は、Bo−Phoneを華麗に操作してあっという間にみんなが乗る船の手配を終え、橙棒は、みんなの分の食料を用意し、緑棒は、万が一のために、救命道具や水中での捜索に役に立つダイビングの器材一式を数セット準備した。
他のメンバーも、各自捜索に必要な物を揃えて、いそいそとボーニンゲン国の首都ゲンニーボンの港に向かった。
正直なところ、彼らガンバローズのメンバー(白棒監督を除く)は、紅棒に感謝していた。
というのは、こういった機会でもなければ、年がら年中、プロ野球選手としての仕事にほぼ忙殺され、ゆっくりできるのは寒さ厳しい冬の間しかない彼らにとって、今のような暖かい季節に無人島に行って楽しむことなど夢のまた夢だからである。
・・・無人島に行って楽しむ?
そう、彼らは、紅棒の捜索にかこつけて、どさくさに紛れて無人島で遊ぶことを考えていたのである。
そうした彼らのもくろみも乗せて、船は港を離れていった。
船を操縦するのは白棒監督。
緑棒がそのサポートをしている。
彼らは、薄紫棒の推測を頼りに、航路をたどっている。
港を出てしばらく船を進めると、少し離れた海上に、一隻の船が、自らの意思を失い、紺碧の海を漂っていた。
それを見た赤紫棒が、
「あれー?俺あの船見たことあるぞー。・・・あっ思い出した!あれ、紅棒の釣り船だ。俺前に一回乗せてもらって、アイツが釣った魚をあの船の中でご馳走になったことがあるのを思い出したぜ!」
と言ったので、一同は色めき立った。
しかし、そこは、どこを見渡しても陸地が見えない場所だった。
白棒監督は、もしかしたらあの船に手がかりがあるかも・・・と思い、船を回収して曳航し、その合間に内部を調べることにした。
薄紫棒と青棒が紅棒の船の中を調べていると、青棒が、テーブルの上に航海図があるのを見つけた。
「薄紫棒、これ見て。」
薄紫棒は、青棒に手渡された紙を見て、目を大きく見開いて声を弾ませて言った。
「あっ、これ航海図じゃん。えーっと、ああ、紅棒の奴、この無人島に行ったな、きっと。青棒、グッジョブ!」
「えっ、そうなの?紅棒の行き先わかったの?すごいなあ薄紫棒。」
褒められた青棒もいい気分になった。
そして2人はみんなが乗っている船に戻り、紅棒の船の中にあった航海図をみんなに見せた。
その航海図によると、紅棒が向かっていた目的地の無人島は、自分たちが今いるところから、南東へおよそ15㎞のところにあった。
白棒監督は、船の舵を南東方向に切り、スピードを上げた。
しばらく船を走らせていると、前方に小さな陸地の影が見えた。
どうやらそこが、目的地の無人島らしかった。
「紅棒大丈夫かなあ、無人島でひとりぼっちになっちゃって、食べ物もなくて、お腹が空いて、心細い思いしてないかなあ。」
紫棒が紅棒の心配をしはじめた。
「無人島で釣れるおいしい魚とか、そこで取れるおいしい果物とかを、今頃紅棒はたらふく食べているのかなあ。」
緑棒は紅棒を羨ましがり始めた。
「紅棒が向かった無人島には、実は原住民的な人がいて、紅棒は今頃その人たちのために、何か料理でも振る舞っているんじゃないのかなあ。それで、僕らがその島についた時には料理がまだ残っていて、僕らも一緒にその料理をおいしく食べる・・・と。」
桃棒は紅棒の素敵な冒険を空想し始めた。
なぜか3人とも、「紅棒が何かを食べること」について、気にしていた。
そして、この時点で、紅棒が明日の大事な試合の予定を思い出して慌てているのではないか、という心配をしている者は、誰もいなかった。
なぜなら、釣りのことになると完全に我を忘れる紅棒に限ってそれはあり得ないことであるとみんな知っていたので、そんな心配をするだけ無駄だったからである。
そうこうしているうちに、船は目的の無人島に着いた。
その無人島は、100メートルほど離れただけでその全体像を一目で見ることができるほど小さな島だったので、彼らはすぐに、紅棒を見つけることができた。
はたして、紅棒は、紫棒と緑棒と桃棒を除く大方の予想通り、無人島での釣りを存分に満喫していた。
無人島に係留していたはずの、故障した自分の釣り船が、波にさらわれて遠くに流されてしまっていることにさえ気づかずに・・・。
「あれ?普通に釣りしてる・・・」
拍子抜けした様子の紫棒。
「あれ?おいしいものを食べてない・・・」
ちょっとがっかりした様子の緑棒。
「あれ?原住民がいない、そして料理もない・・・」
緑棒とは別の意味でちょっとがっかりした様子の桃棒。
ここぞとばかりに黄緑棒が、みんなの気持ちを代表するように、
「よし、紅棒も無事見つかったことだし、みんな無人島に降りて、紅棒が釣った魚で紅棒の手料理をいただこうよ!」
と言って、船から飛び降り、他のメンバーが次々にそれに続く。
みんなこの瞬間を待っていたのである。
ただ一人を除いては・・・。
「こら君たち、ここへは遊びに来たんじゃないぞ。紅棒を探しに来たんだろ?紅棒を見つけたら、すぐに帰って練習だ。明日が何の日なのか忘れたのかー?」
白棒監督が、船の操縦桿を握ったまま、無人島へ次々と上陸していくガンバローズの面々に対して叫んでいた。
しかし、時すでに遅し。
ガンバローズの面々は、すでに全員が無人島に上陸しており、釣りをしている紅棒のそばにある、釣った魚でいっぱいのバケツを覗き込んで歓声をあげていて、白棒監督の叫びが耳に入った者は、誰もいなかったのだ。
自分の注意がみんなの歓声にかき消されていることに気づいた白棒監督は、仕方なく、無人島に上陸することにした。
そこは常夏の楽園で、ボーニンゲン国最北端の村で年がら年中雪深いケッパロー出身の白棒監督にとって、足を踏み入れた無人島の景色や空気は、あまりにも刺激的だった。
「監督ー、これから紅棒に料理してもらって、この魚たちをいただきましょうよー。」
赤紫棒にそう言われた白棒監督は、誘われるように紅棒のバケツに近づいて、中を覗き込んだ。
すると、美味しいが色の鈍い魚しか食べたことのない、寒村出身の白棒監督が見たこともないような色鮮やかな巨大魚が、バケツの中を所狭しと泳いでいる光景が目に飛び込んできた。
白棒監督は、そのバケツの中から目を離せなくなっていた。
そうこうしているうちに、紅棒は、釣りの手を休めて、釣った魚をみんなのために料理することにした。
紅棒は、バケツを覗き込んだまま動かなくなっている白棒監督に向かって言った。
「監督、これから僕が、その色鮮やかな魚たちを料理して、鮮度が落ちている魚がお嫌いな監督にも美味しく召し上がっていただける魚料理をご覧に入れますよ。」
海沿いの寒村育ちの白棒監督は、ゲンニーボンのような都会のスーパーマーケットで売られている、鮮度が落ちている魚を食べない。
そして紅棒は、やはりみんな揃って無人島に来た理由をまるで理解していなかったのだが、美味しそうな魚がたくさん釣れて、それらを美味しく料理できたら、彼にとってはそれでいいのである。
はたして紅棒は、自らが釣った色鮮やかな魚たちを、鮮やかな手つきでたちまち料理し、みんなに振る舞った。
紅棒の美味しい魚料理に舌鼓を打った白棒監督以下、ガンバローズの面々は、めいめい無人島を楽しみ始めた。
緑棒と黄緑棒は、持ってきたダイビングセットを携えて海に繰り出し、桃棒は、食事の片付けをする紅棒を手伝いながら、無人島に実るココアの実を見つけて大はしゃぎしている。
紫棒と橙棒は、砂浜に土俵を描いて、相撲を始めた。青棒が行司をかってでる。
薄紫棒は無人島の風景を描き始める。
赤紫棒は、美しい花を求めて、無人島を探索し始める。
白棒監督は、今まで見たこともない色とりどりの美味しい魚の料理をたくさん食べすぎたので、砂浜で少し横になり、空の美しさと穏やかな波の音を楽しむことにした。
みんなそうして、無人島を満喫し始めた。
・・・明日の大事な試合を忘れて。
その後かなりの時間が経って、無人島を充分満喫してようやく、明日の大事な試合の予定を思い出した白棒監督以下ガンバローズの面々は、大慌てでボーニンゲン国に帰ったが、ボーニンゲンスタジアムに戻った頃にはすでにスタジアムは閉まっており、直前の練習をすることができなかった彼らは、次の日の優勝決定戦で、アフローズの打線に打ち込まれ、惨敗を喫してしまったのだ。
惨敗の事情を聞いたガンバローズの黒棒オーナーは激怒した。
「なぜ私も無人島に呼んでくれなかったのだ!!」
黒棒オーナーもまた、謎の商人として年がら年中世界中を飛び回っているので、無人島でゆっくりしている暇がない。
したがって、誰かが休暇を楽しんでいると、羨ましくて仕方がないのだ。
しかも、暖かい季節の無人島での滞在なんて、黒棒オーナーにとってもまた、夢のまた夢なのだ。
そんなチャンスを自分に与えてくれなかった白棒監督以下ガンバローズの面々に対し、彼は怒っているのだ。
彼が懲罰として、白棒監督以下ガンバローズのメンバー全員に、上記の理由で減俸の処分を下そうとしたのを、ガンバローズの通訳兼トレーナーの灰棒が、必死に止めた。
「黒棒オーナー、懲罰の理由が、いえ、怒る理由が違います!」




