美帆さんの場合。
四月某日。
猫カフェ癒やし庵。
オープンの運びとなる。
9時にお店に入り、10時にはお店の入り口のプレートをオープンに替える。今日、9時にお店に着いたら、文さんが自分の作ったベンチに多少斜めになって座っていた。
「やっぱり斜めだなぁ。」
「なぁによ。」
「文さん、少し斜めじゃありませんか?」
文さんが私の所までやって来て確認する。
「・・・貴女ね、手作りのものは多少バランスが悪い方が味があって良いのよ。あのベンチのバランスは写真映えするわよ。今はSNSの時代だからあっと言う間に拡散されて大盛況よ。それより何?貴女の作った看板。狂い無くきっかり真っ直ぐ。あれこそもう少しグイッと傾けた方がいいわよ。」
「傾ける?傾けるなんて縁起でも無いやめて下さい。」
本当に看板に手を掛けて斜めにずらそうとしている文さんを慌てて止めていると、節子さんがやって来た。
「おはようございます。相変わらず仲がいいのね。これ、今日の分の卵。」
朗らかに笑いながらバスケットを渡してくれる。
素敵な笑顔だ。私はシェリーの入ったキャリーバッグをベンチに下ろしてバスケットを受け取った。キャリーバッグが少し滑る。キャリーバッグを節子さんと文さんが押さえ
「斜めね。」
笑いながら言う。
シェリーも驚いたのかしきりにミャーミャー鳴いている。扉を開けると当たり前のように節子さんと文さんの間に割って入って甘えている。
「おはようシェリー。今朝も可愛いわね。」
陽射しはポカポカと温かく日なたぼっこにぴったりで私はシェリーとふたりをベンチに残し店内に入る。卵をしまったら珈琲を淹れてあげよう。
やかんに水を入れカチャリと火に掛ける。
挽き立ての豆にコポコポとお湯を注ぎゆっくりとドリップする。ミルクと砂糖を添えて表に運ぶ。シェリーにはミルクを少し。
「まだ時間があるので珈琲をどうぞ。」
「あらぁ。気が利くじゃない。ありがとう」
「ありがとう。」
「ミャー。」
ゆったりした時間だ。
私も陽射しを浴びて珈琲を飲み干すと店内を軽く掃除してオープンの準備を整えた。
きっかり10時に壁時計が鳴って、文さんがシェリーを抱え店先のプレートをオープンに替えて入ってくる。
節子さんは空のカップを運んでくれて
また明日と帰って行った。
文さんはカウンターで新聞を読み、シェリーはそばで丸くなる。私は外が気になってそわそわしてしまう。
カララーン。
扉の開く音。
お客さまがやって来た。
「いらっしゃいませ。」
「ミャー。」
シェリーが愛想を振りまき、文さんが注文を取り私が作る。
「何になさいますか?」
「トーストと珈琲を。」
「かしこまりました。」
3人で連携して動く。
何人かのお客さまをさばき、お昼を少し回った頃3人の若い女の子たちがやって来た。
揃ってオムライスを頼みテーブルでワイワイと写真を撮っている。
「わぁ、美味しそう。すっごいとろふわ。」
「ニャンコも可愛い。」
華やいだ声とカシャリカシャリとシャッターを切る音が響く。それを見た文さんが私に口パクで
「ほらね。」
と伝えてくる。
私も口パクで
「これから忙しくなりますね。」
と言った。
女の子たちのテーブルは終始賑やかで話が盛り上がっている。どうやら恋の話らしい。
「もう直ぐゴールデンウィークじゃん。彼と旅行とか決めた?」
「私、決めたよ。ディズニー2Day。」
「うっわ、いいなぁ。理穂ラブラブじゃん。」
「えへへ。そういう真希はどうなのよ?」
「ウチらは、同じ千葉でもローカル列車旅だよ。」
「渋~い。アハハッ。」
「美帆は?」
ふたりの子が興味津々で話を振る。
「私は、ゴールデンウィークはデートしないよ。だって行けないじゃん?」
「そっかぁ。」
「まぁ、あっちは家族サービスに行くんでしょうけど。」
「美帆切ない~。もうやめなよ。いい人居るって。」
「そうだよ。私もあの彼は反対。幸せにしてくれないと思う。」
「でも、私は彼がいいの。彼も本当は私と居たいって。でも我慢するって。だから私も我慢するの。」
「あらっ、恋のお話?」
文さんが割って入る。
今日もパープルのベストとパンツ姿にばっちりメイクの文さんに女の子たちは引き気味だ。
「大丈夫よ。取って食べたりしないから。アタシね、オカマなの。オカマの文さん。心は乙女だからあなたたちの気持ち分かるわぁ。ね、シェリー。」
ミャー。
女というのは不思議なものでオカマを信頼してしまうらしい。3人の女の子は一気に文さんに心を摑まれた様だ。
「オカマの文さん?何か素敵。猫と居るとますます雰囲気あるね~。」
「あらそう?ありがとう。この子はシェリーよ。ところでさっきのゴールデンウィークに出掛けられない彼って?」
「聞いてくれますか?」
「もちろん。」
「2人は反対するけど私、既婚者の彼が居るんです。出会ったときには彼は結婚していて包み隠さず話してくれました。奥さんとは腐れ縁で何となく結婚してしまったって。私に出会ったとき、運命の人だと思ったって。今はまだ時期じゃないけど一緒になりたいって。私は彼のその気持ちを信じたいんです。」
「あら素敵。道ならぬ恋ね。」
文さんはニコリと笑う。
「私も昔あったわ。似たようなことが。」
「本当ですか?」
女の子はキラキラと目を輝かせる。
「情熱的なのよね。愛の言葉をいくらでも注いでくれるの。甘美な気持ちになるような。」
女の子はうんうんと頷いている。
「そしていかに妻を愛していないか囁くの。君が1番。君が1番。だけど家庭を子供を楯にして今は待ってくれと言うのよ。そしてね、気付いたら貴女はただのおばさん。」
女の子の顔が曇る。
他の2人は心配そうにその子を見守っている。
「恋ってね、誰もが経験するものよ。愛して、苦しんで傷付いて。そしてわかり合って育んでいくの。はっきり言うわ。今の貴女は都合良く利用されているだけよ。会いたいときに会えて、支えて欲しい時に支えあう。それが恋だと思うわ。貴女は我慢して耐えるのが愛だと思ってる様だけど違うわ。自分に酔っているだけよ。可哀想な頭の悪い女ね。」
とうとう女の子は泣き出した。
「違う、違う。彼はそんなんじゃない。」
「じゃぁ、どうしてそんなに愛しているのに愛のない妻と居て貴女の元に来ないの?楽しいはずの休日もなぜ家族優先なの?」
「子供がいるから。。。」
「そんなのは浮気男の常套句よ。」
黙っていた友人が話し出す。
「私達もずっと言ってるけど、反対だよ。言いづらくて言えなかったけど、文さんの言うとおり都合のいい女になってると思う。新しい恋探そうよ。私達も協力するし。」
「貴女、男には恵まれなかったけど、お友達は素敵ね。こんなに親身になってくれる同性はなかなか現れないわよ。女の敵は女なんだから。」
グスグスと泣いていた女の子は鞄からスマートフォンを取り出した。メール画面で何か打ち込んでいる。
「本当はね、気付いてたの。このまま居ても結ばれないって。でも別れるの怖かった。会えなくなるの怖かった。」
「美保。。。」
「でも、決めた。もう連絡しない。アドレスも番号も消す。いま、別れてくれないなら奥さんにバラすってメールした。」
ブルブルとスマートフォンが揺れて着信を知らせる。その画面を確認して女の子は静かに泣いた。
「分かった。だって。私達の2年半は分かったで終わっちゃったよ。」
2人の子が泣いている女の子をだきしめる。
「もう消そう。忘れよう。」
「・・・うん。」
女の子はまたスマートフォンを握りデータを消した。
「良くやったわぁ。これから貴女、恋愛し放題よ!!見た目もなかなか可愛いし、すぐ恋人出来るわよ。今度は我慢しない恋愛をしなさい。」
「そうだよ。恋愛し放題!!合コンしよう。ってか彼の友達紹介するよ。ダブルデート企画しよう。」
あちらのテーブルはひと山超えて結束が強まったようだ。私は酸っぱいレモネードを4つ作りテーブルに運ぶ。
「サービスです。」
「ありがとうございます。」
「うわっ、酸っぱい!!でも美味しい。」
「失恋の味です。」
女の子達が泣きながら笑う。
この子達なら大丈夫だろう。
しっかりした友情で結ばれている。
沈むだけ沈んだら幸せを探しに出掛けるはずだ。
「貴女も粋なことするのね。」
耳元でささやきながら文さんがカウンターに帰って行った。シェリーは女の子達のテーブルで寛いでいる。女の子達はみんな笑顔だ。