文さん(ふみ)さん事、徳文さんの場合。
皆に背中を押されカフェを始める事になった。
受け取った鍵をお店の扉にに差し込み、開ける瞬間、緊張で身震いがした。
こじんまりとした店内はスッキリと整えられていて実際よりも幾分広く見える。今日からここが私とミーコのお店。ミーコはこの場所に慣れてくれるだろうか?
抱えてきた重いキャリーを床に乗せる。
そろりと扉を空けると、ミーコは用心深く回りを探りながら出てきた。家に来たばかりの時のように店内を優雅に歩いて回る。ひとしきり歩き回った後でカウンターにひらりと跳び上がり端っこで丸くなって尻尾をパタパタ振っている。
「そこが気に入ったの?」
「ニャー。」
「いろいろ連れ回してごめんね。」
謝りながら頭を撫でていたら、《大丈夫》と心に伝わってきた気がした。気のせいだろうけれどそれでだいぶ心が和んだ。ミーコもゴロゴロと喉を鳴らしてご機嫌な様子だ。
カウンター奥の調理場に入ると様々なグラスやコップが綺麗に並べられている。有難いことに、このまま使って良いからと前のオーナーがそのまま置いていってくれたのだ。
さぁてと。
今日はミーコの馴らしと店内の軽い掃除かな。
汚れている様子もないし綺麗だけれど、何となくこれからお世話になる店内を自分の手で綺麗にしておきたい。開けられる窓を全て開け上からハタキをかけていく。床にモップをかけ、テーブルをクロスで拭きながらこれから宜しくお願いしますと心の中で語り掛けた。店内を見渡しカウンターのスツールに腰を下ろした瞬間
カララーン。
扉の開く音がして振り返ると、長身なパープルのベストとパンツスタイルの初老の男性が入ってきた。
「こんにちは。」
「こんにちは。あのっ、すみません。お店、まだオープンしてないんです。1週間以内にはオープンできると思うんですけど。」
驚くことにその顔にはやはりパープルのアイシャドウとマスカラ唇には紅い口紅が塗られていた。
「知ってるわよ。アタシはね、前のオーナーに頼まれて様子を見に来たの。」
「えっ?」
「アタシは前の店からの常連よ。」
つかつかと歩いてきてモップやハタキがあるのを確認すると
「掃除から入るのはいいことね。まぁ、可愛らしい猫ちゃん。」
さらりとミーコを撫で上げ
「シェリー。」と言った。
シェリーと呼ばれたミーコはまんざらでもなくミャーと答えている。
「あっ、ミーコです。」
慌てて訂正する。
「ミーコなんて駄目よ。この子はシェリー。ねっ、シェリー、イイコね。」
「ミャー。」
まるで会話しているように鳴き交わしている。
「ほらね、ミーコよりもシェリーの方が気に入ったって言ってるわ。ところで貴女、お店の名前とかメニューとか決めたのかしら?」
「・・・。」
突然の事態が飲み込めず言葉を失う。
「そう言えば自己紹介まだだったわね。アタシは文72歳。本名は中島徳文。男に産まれたんだけど、心の中は女でね、ずっと我慢してきたけど、大人になってからアタシは、アタシの女性の部分を解放しようって決めたのよ。それから本名をもじって文って名乗っているの。散々苦労してきたわ。今の子は良いわよね。トランスジェンダー?そんなおしゃれな名称をもらって受け入れられて。」
「文さん?」
「そう、文さん。宜しくね。貴女の事はだいたい聞いているわ。」
「それとこれとお店とどういう関係があるのでしょう?」
「貴女は押しが弱そうだから支えてやって欲しいって頼まれたのよ。オーナーに。貴女、買われたわね。頑張りなさいよ。で、お店の名前は?早く決めて看板下げないといけないでしょう?」
「猫カフェにしようかと。」
「個性がない!!何でもかんでも猫カフェ、猫カフェ。そんなんじゃ潰れるわ。」
ミャー。
ミーコ。いや、シェリーが体をすり寄せながら割って入って来る。癒やされる。。。
「猫カフェ。癒やし庵とか。どうですか?」
「癒やし庵。まぁまぁね。シェリーはそういう力
を持っているから。後はメニュー。これは貴女の力量次第ね。オープンは今日から1週間以内に。分かったわね。今日は帰るわ。さようなら。」
「さようなら。」
「あっ、それからね、シェリーは猫缶よりカリカリが好きよ。大切なことだから言っておくわ。」
「カリカリ?」
「そうよ。カリカリ。じゃぁ、また明日。」
明日も来るのか。
どっと疲れを感じた。
お店を閉めてスーパーに寄り試しにカリカリを買って、家で出したら猫缶よりも良く食べた。
シェリー、いやミーコ。
これからは名前を使い分けるしかないようだ。
ミーコの方はどちらにも順応できるらしく飄々としている。私の方が混乱してしまう。
明日から大丈夫だろうか。
まぁ、とりあえず楽しもう。
なるようにしかならない。
文さんも悪い人ではなさそうだ。
異質ではあるけれど。。。