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聡子の場合。

18歳から7年勤めた職場を退職した。

介護職だった。

とてもやり甲斐があって大好きな仕事だった。

でも、女性が多い職場特有の人間関係に疲れてしまった。毎日聞かされる悪口。それは順番でその場に居ない人がターゲットになることが多い。


そのくせ、悪口を言っていたにも係わらず何事もなかったように接していた。女性同士のコミュニケーションと言えばそうなのかも知れない。でも私にはそれが受け入れられずある日、心がぽっきり折れた。


分かり易いほど元気が無くなって心が塞いだ。

何も無いのに突然涙が流れたりした。

そんな私は職場で腫れ物になっていた。


気付いてくれたのは母だった。

ふんふんと話を聞いてくれ、明るい調子で言ってくれた。


「そんな職場辞めちゃいなさいよ。良く7年も頑張った。偉かったわね。これからはゆっくり過ごしてちょっとのんびりしましょう。大丈夫。人生は長いから。」


心が軽くなった。

翌日、辞表を持って職場に行った。

引き留められ、リフレッシュ休暇を提案されたが辞退して退職の話を進め、有給消化でもう職場には行かなくて良くなった。


時間に縛られることも無くなり、私は自由に生活した。好きな事をして気ままに過ごす。

父も母もそんな私を温かく見守ってくれていた。

趣味の料理や珈琲。母の家事の手伝いに親子3人で気兼ねなく旅行など。両親は本当はやきもきした気持ちを抱えていたかもしれないけれど、私には微塵も感じさせなかった。そのお陰で少し気持ちも落ち着いてきた。散歩がてらハローワークで仕事を検索してみたり、ゆっくり前に進み出した気がする。その途中で出会ってしまったのがミーコだ。気晴らしに出掛けた譲渡会で一目惚れし、家族に相談して翌日には家に連れ帰って来てしまった。ミーコは片眼のハンデを感じさせないくらい可愛くて、皆の癒やしになっている。でも、私は居候がもう1匹増えた事に少しだけ後ろめたさを感じていた。


何かしなきゃな。


そう思っていた矢先、父が空きテナントの話を持ってきた。小さなカフェの経営者が海外転居の為店を貸したいと言うのだ。父は内装の仕事で何度か訪れていて経営者ととても親しくなっていて娘の聡子が仕事を休職中であること、珈琲焙煎や料理が趣味であることを話したら、ここでカフェをやれば良いと勧めてくれたらしい。


「聡子、父さんは悪い話じゃないと思うんだがどうだ?もちろん無理にとは言わない」


「あらっ、素敵。カフェ、お洒落じゃない?聡子は珈琲も料理も得意だしいいんじゃない?」


「でも・・・。」


「明日な、オーナーが聡子も連れていちど見に来ないかと言うんだ。行ってみないか?」


「お母さん、行きたいわ。聡子も行きましょうよ。ねっ、見るだけ見てみるでもいいじゃない。楽しそうだし。」


「うん。そうだね、行ってみようかな?」


「決まりね。お母さん、楽しみだわぁ。」


母のはしゃぎようを見ていると、見るだけなら良いかなという気がしてくる。いくらなんでもカフェ経営は荷が重い。見るだけ見せて貰ってお断りしよう。でもその日、寝る前に自分がカフェを経営する姿を想像して少しだけワクワクした。


翌日、父と母と私の3人でカフェを訪ねた。

こじんまりとした小さなカフェで初老の男性が経営していた。

「こんにちは。」


「こんにちは。いらっしゃい。良く来たね。君が聡子ちゃんかい。下村クンから良く聞いてるよ。料理が得意なんだってね。珈琲も煎れるんだって?」


「はい。趣味程度ですけど。」


「聞いていると思うけど、僕はこれから海外に行くんですよ。でね、今まで大切にしてきた店を手放そうと思うんだけど、出来れば知っている人に貸したいと思ってね。で、下村君の娘さんの君が浮かんだんだよ。どうかね?」


「正直、興味はありますがうまく行くか自信がありません。」


「君は若い。若さは色々な可能性を秘めていると僕は思っているんだ。当たって砕けろでいいじゃないか。もし上手くいかなくても誰も責めはしないよ。気楽にやれば良い。もう古い建物なのでね、好きに使って貰って構わないよ。」


黙って話を聞いていた母が突然話し出した。


「あの、猫をお店に入れても良いでしょうか?」


「猫ですか?」


「はい。猫です。猫カフェ。この子、少し引っ込み思案でひとりじゃ不安だろうから。家の猫を一緒に。片眼が潰れてて見た目はちょっとあれだけど、凄く人懐こいんです。フードメニューはこの子で愛嬌担当は猫で。」


「あははっ。面白い。良いですよ。」

初老の男性は顔をくしゃくしゃにして笑う。

優しい笑顔だ。


「ひとつだけ。テストさせて下さい。」


「えっ?」


「珈琲を煎れてみてくれませんか?」


「はい。」


私は心を決めた。

ここを借りよう。


「キッチン、お借りします。」


丁寧に、丁寧に、心を込めて珈琲を煎れた。

ことりとテーブルに載せる。


「どうぞ。」


「いただきます。」


初老の男性はカップを手に取りゆっくりと珈琲を味わった。しばらく考え込むような表情をしていたが、


「合格です。ここをぜひ使って下さい。改装も自由でもちろん猫もOKです。あまり肩肘張らず楽しんでやって下さい。」


「ありがとうございます。」


「良かったわね。」


母は自分のことのように喜んで、父は静かに頷いている。こうして私はカフェを始める事になった。

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