出会い。
下村聡子 25歳。
会社を辞めて悠々自適な実家暮らしを満喫している。
父も母も甘々で働かないことを咎めもしない。
きっと共に娘に気を使っているのだろう。
毎日ゴロゴロ過ごしているとだんだん物足りなくなってくる。
仕事を辞めてから引き籠もりになっていたけれど、最近は少し外の世界にも興味がある。ある日の日曜日、チラシで見つけた猫の譲渡会に行った。仔猫から老猫まで広く扱われている。
私はひとつのケージの前で釘付けになった。
毛艶の良い丸々としたデブ猫。
ケージの前に立つとフンフンと鼻を寄せてくる。
こんな所にいる割に随分と人懐こい。
顔をよく見ると片眼が潰れていた。
ずっと見ているとスタッフがやって来た。
「この子、すごく人懐こくてイイコなんですよ。ただ育ちすぎていることと、目の傷がネックになってなかなか飼い主が見つからないんです。」
「触らせてもらえますか?」
「いいですよ。」
ケージから出して抱かせてもらう。
見た目通りずっしり重くフカフカとしていた。
ゴロゴロと喉をならして気持ちよさそうにしている。
背中に鼻を埋めたらお日さまの匂いがした。
「いかがですか?」
「とても可愛いですね。」
「この子もあなたが気に入ったみたい。」
「出来れば飼いたいですが、直ぐには決められません。」
「そうですよね。大丈夫ですよ。今日はここを借りてますが、いつもはこの通りの奥にあるプレハブで猫たちのお世話をしています。もし家族にお迎えする気になったらいつでも訪ねて来て下さいね。」
「はい。ありがとうございます。」
その場を離れ他の猫を見て回る。
やっぱりあの子が気になって元のケージに戻ってしまう。
「やっぱり気になりますか?」
さっきのスタッフが寄ってきた。
「この子、とても大切に飼われていたんですよ。目の傷があるから虐待されていたと思われるかもしれないけど、そうじゃなくて前の飼い主さんが高齢のひとり暮らしの方で体調を崩されて飼いきれなくなってウチでお預かりしたんです。とても愛された証拠に人懐こくてね。もちろん以前の飼い主さんに飼われる前の事は分からないけど。」
「そうなんですか。早くお家が決まるといいですね。」
飼いますとは言えず、その場を後にした。
帰り道もあの猫のことが忘れられず、ずっと考えていた。
家に帰り、母に珈琲を入れる。
「どーぞ。」
「ありがとう。聡子の珈琲はいつ飲んでも美味しいのよね。」
「お母さん、話があるの。」
「なぁに?」
「今日、猫の譲渡会に行ったんだ。そこでね、1匹の猫を見つけたの。もう、大きな猫で片眼が潰れててなかなか飼い主が見つからないみたいなの。でも、すごく人懐こくて抱かせて貰ったら頭から離れ無くなっちゃって。」
普段から涙もろい母はもう目に涙を溜めている。
「まぁ、可哀想に。その子、連れて来なさいよ。ウチで飼いましょう。お父さんにも話すわ。」
ちょうど良く父も帰ってきた。
私は自分の為に煎れた分の珈琲を父に渡した。
「お父さん、ちょうど良かったわ。聡子がね、猫が飼いたいんですって。猫の譲渡会?そこにね、片眼が潰れちゃってる大きな猫を見付けてね。すごく人懐こくて可愛いのになかなか飼い主が見つからないみたいで可哀想なのよ。」
まるで自分が見てきたかのように話す母。
「聡子と母さんが連れて来たいなら連れて来たら良いさ。猫一匹増えたくらい何ともないから大丈夫さ。家も賑やかになっていいだろう。」
反対されることなく猫を飼う運びとなった。
その日の夕方、気の早い父が猫キャリーと餌と首輪を買ってきて母と笑った。
「あら、お父さんもう餌まで買ってきたの?」
「そうだよ。こういう事は早めにやっとかないとな。猫の移動にもこれは絶対に必要だろう。」
父は誇らしげに猫キャリーを叩く。
翌朝早く母と私で車に猫キャリーを積み猫を迎えに行った。
教えられたプレハブに着くと何人かのスタッフに混じって昨日のスタッフが居た。
「こんにちは。猫を引き取りたくて来ました。」
「こんにちは。昨日来てくれた方ですね。どうぞ中にお入り下さい。」
プレハブに通されると沢山の猫がケージの中で餌を食べている最中だった。昨日の猫もガツガツと餌を食べている。
健康そうだ。
「お母さん、この子。」
母をケージの前に連れて行く。
「まぁ、本当に丸々してるのね。良く食べてるし。片眼で可哀想だわね~。ね~、ミーコ。これからウチで幸せにしてあげるからね。」
「ミーコって?!」
「いやねぇ、聡子、この猫ちゃんの名前じゃない。」
「もう決めてたの?」
「そうよ。昨日、お父さんと話していて決めたのよ。猫だからミーコだなって。みんなでこれから可愛がろうなって。」
そばで聞いていたスタッフ達が笑う。
「早いですね。でも、素敵なご家族が見つかって良かったです。本当に。」
目を潤ませて猫の貰い手が決まったことに喜んでくれている。この人達は本当に猫の幸せを考えている人達なんだ。
感動を覚えた。気付いたら母まで貰い泣きしている。
手続きを済ませ、猫をキャリーに入れ家に連れ帰る。
沢山のスタッフが見送ってくれた。
帰宅して車からそおっとキャリーを運び出し、部屋の中で扉を開ける。フンフンと匂いを嗅ぎながら猫が出てきた。警戒しているのか尻尾を2、3度振り上げ部屋の中を1周する。片眼が見えていないことを感じさせないくらい優雅に歩いて回り、最終的に1番座り心地の良いソファーの上に陣取った。お腹を見せゴロゴロと喉を鳴らしている。
「あらミーコ、すっかり馴染んでるわね~。」
母は隣りに座り込みミーコを撫で回す。
「可愛いわねぇ。このふくふくのお腹には幸せが詰まってるのかしら?イイコ、イイコ。」
私も前に回り込み寝ているミーコを撫でてみる。
確かにふっくらふわふわのお腹を触るととても幸せな気持ちになる。幸せにしようと連れて来たはずがすっかり幸せを振りまかれているようだ。この出会いが私の運命を変えるなんてこの時は思いもしなかった。