6 理想の世界で選択肢頼み
お茶会まではあっという間だった。あまりにも準備することが多かったのだ。
私にとって初めての縁談。両親は部屋で会った時とは打って変わり、私に恥をかかせまいとものすごく張り切っていた。それもそうだ、この縁談が上手くいったなら我が家の権威は更に高まる。分かってはいても改めてそう思うと、なんだか肩が重く感じてくる……
張り切っていたのは両親だけではない。普段遠征ばかりでなかなか会えないお兄様もわざわざやって来たのだ。そして、延々と私に男の理想の女性とはかくあるべきとお茶会当日の振る舞い方についてレクチャーしてきた。それはお兄様の理想では? と思うけれども…… お兄様本人にその疑問をぶつけても、男の理想なんてこんなものだよ、と得意だったので適当に聞き流すことにした。そんなんだから、見た目・家柄ともに文句の付けようがないのに婚約者が決まらないんだろうな……
そして、ついにやって来てしまったお茶会当日。出発の時間が近づくにつれて、私の気持ちも下がってゆく。調子が悪いのは気分だけではない。いつも以上にキッチリと結い上げた髪のせいで頭痛は起きているし、同じくいつも以上に締め上げられすぎたコルセットのせいで胸がむかむかする。
シレネ様怒らせないようにしないと…… でもこれまでお茶会に行った令嬢のほとんどは会った瞬間に逃げてるらしいし…… これは最早気をつけるどうこうの問題じゃない気がする。
まあ、そんだけ人嫌いなのに、次期後継者だからぽんぽんお見合いをしないといけないシレネ様にも少しは同情するけれども……
考えれば考えるほどため息が出てしまう。絶対にこの世界に来てからの方がため息の数が多い。ため息の数だけ幸せが逃げるというのなら、私の幸せの残量はもうマイナスになっているかもしれない…… 気を抜くとしかめっ面になってしまいそう。けれども見守る家族や使用人達を心配させたくはない。なんとか微笑みを浮かべながら迎えの馬車に乗り、約束の場所へと向かった。
今日のお茶会の場所は王家の離宮の一つ。初めて来たこの場所は多くの自然に囲まれていた。夏の力強い日差しを浴びて、赤や黄色の花が庭園に咲き誇っている。その花々がよく見えるガラス張りのサロンでシレネ様を待つことになった。失礼の無いように時間通りに来たはずなのに、私が到着して一息つく間もなく執事がやって来た。
「シレネ殿下がいらっしゃいました」
は、早い! 心の準備が…… もうちょっと汗が引くのとかを待ってほしい……
いや、準備なんてできる気がしないからさっさと来てもらって正解かもしれない。すぐに扉の方へと体を向ける。扉のノブが回るのを見るや否や、自分にできる最大限の優雅さでお辞儀をしてシレネ様が入って来るのを待った。
待つ。
待つ……
ん? 長くない?
待てども待てども、開かれた扉からシレネ様が入って来る気配が感じられない。なんだかこの状況デジャブである。学院の廊下でもこんな風にひたらすお辞儀をしていた…… でも、でもね。
今回はそっちに呼ばれて来たんだから、さっさと声をかけて顔を上げさせてくれないかな…… この姿勢結構きついのよ。
前回と同じような事態に思わず緊張が和らぎ、続々と不満が出てくる。声に出したら無礼者! と処刑されそうなことでも、心の中でなら何を言っても自由だ。なので勝手に思ったままを心の中でつらつらと述べさせてもらおう。
だいだいね、こっちは呼ばれてガッチガチに緊張してるのだから一声最初にあるべきじゃないの? こちとら初のお見合いなのよ。いくら逃げ出されているとはいえ、シレネ様の方がお見合い慣れしてるんだから、王子らしくスマートにエスコートをちゃっちゃとして欲しい。そういう気遣いって大切だと思う。やっぱり王家も貴族も驕ってはいけない。そう、相手への気遣いはどの身分であれ大事なのだ。特にこういう時は!
そんなことを考えていると、ふっとシレネ様が声を出した。声というよりは、思わず漏れてしまった吐息という感じだったけれど…… その声色はなんだか面白そうに聞こえる。一体どうしたのかと疑問に思うより前に、シレネ様が近づいて来た。コツコツとブーツのたてる足音が私に近づき、正面で止まる。
「突然の連絡、無作法を許してくださいね。どうぞ顔を上げてください」
やっとかと思い丁寧に顔を上げる。その瞬間息が止まるかと思った。体中の血が沸騰する、という表現はこの時のためにあるのだろう。初めてちゃんと見るシレネ様から目が離せない。見ている内に、顔がどんどん熱くなってきた。
そんな私の混乱を余所に、シレネ様は優雅な微笑みを浮かべ私の手を取った。そのまま私の手の甲の上に触れない程度に唇を近づけ、少ししてから顔を上げた。外から見たら今の私はきっと冷静にシレネ様の挨拶を受けているように見えると思う。けれど、内心は変な声が漏れそうになるのを抑えるのに必死だった。前世からの癖が抜けず、恥ずかしさが限界突破すると悲鳴のような声が出てしまうのだ。
挨拶を終えたシレネ様は再び私に微笑みかけてきた。さらりと耳に軽く掛かる程度の薄い金色の髪、モスグリーンの優しそうな瞳。おまけに雪のように白い肌に赤い唇、薔薇色の頬とどこの白雪姫かと思うような見た目だ。幼い頃はさぞや今以上に天使な見た目だったのだろう。絶対姫と間違われたと思う。けれど、さすがにシレネ様ももう15歳。目の前にいる彼は私よりも高い身長と、凛とした雰囲気でやっぱり王子様だなあと感じさせられる。
それにしてもすごい。この目の前から醸し出される高貴ですよオーラが。
「今日は来ていただきありがとうございます」
微笑んだままかけられる優しそうな声が耳に心地よい。
見た目、声、立ち振る舞い。全てがここまで私のドストライクな人に会えるなんて。
異世界恐ろしい……
嬉しそうに微笑むシレネ様を見て、私は今まで散々馬鹿にしていたものに対しての考え方を改めた。
一目惚れは存在するのだ、と。
※※※
顔を上げた先にいる理想の王子様の姿に、この世界に来る前の私が蘇ってくる。
環境が人をつくる。本当にその通りだと思う。
この世界に来た頃は自分の身分や容姿を活かしまくろうと思って言った。それこそ最初に望んでいたように色々な人ときゃっきゃうふふと過ごすつもりだったのだ。でも、いざ来てみたら令嬢として生きることや精霊問題に追われ私のミーハー心は封印されていた。よそ見する時間なんてこれっぽちも無かった。
けれどシレネ様を前にして、一瞬令嬢のあるべき姿がなんだ、精霊がいないのがなんだと我を忘れかけた。心の中でキャーイケメンよ! と盛り上がってしまいかけた。けれど、すぐさま冷静さを取り戻し、その後はきちんと令嬢としてつつがなくお茶会を過ごすように努めた。おそらく……
ちゃんと選択肢を見て進めたから大丈夫だと信じたい……
最初の変な間は何だったのかと思うくらい、その後のシレネ様のエスコートは完璧だった。2人でお茶を飲み、その後は花咲く庭園を散策しと正に理想のデートコースだった。それに何よりも以外だったのは、シレネ様が話上手だったこと。私がまだ知らないこの国の歴史や過去の精霊の逸話など、色々なことを教えてくれる彼の話は聞いていてとても楽しかった。いつもなら聞きたくないと思う精霊の話さえもっと聞きたいと思うほどに……
「今日はお会いできて本当に嬉しかったです。また色々とお話ししましょう」
そう最後に言われた時には、今まで聞いていたシレネ様の悪評など頭からきれいさっぱり消えさっていた。そんな噂、過去に選考からふるい落とされた人々が流した嘘だったに違いない。そのくらい彼と話す時間は楽しかったのだ。
家を出る時は青白い顔をしていた私がホクホクした顔で戻ると、両親は私がお茶会を無事に終えたことを察したのだろう。少し驚いた顔をした後すぐによくやったと褒めてくれた。その日の夜は、次がある! そう思うと嬉しくて嬉しくて、なかなか眠れなかった。
更に翌日、王家からの連絡でシレネ様の婚約者に決まったと言われた時には喜びと緊張で熱が出てしまった。ちなみに、その時に見舞いの品としてシレネ様から贈られた花束は速攻で全て押し花にしてもらった。
※※※
それから夏の休暇の間は、シレネ様から招待を受け何度も離宮を訪れた。シレネ様と話す楽しい時間はあっという間に過ぎ、徐々に休暇の終わりが近づいてくる。
学院が始まったらこうやって頻繁には会えないな……
忍び寄るシレネ様との別れと精霊学の気配に憂鬱になる。もちろん家でも日々練習はしているけれど、成長している気が全くしないのだ。初めて会った時に精霊学が苦手だと言っていたので、シレネ様も気を遣ってくれているのだろう。心までイケメンだ。
「この離宮は私のお気に入りの場所なんです。場所が良いのか多くの精霊が訪れる。精霊達にとってこの世界でもっとも安らげる場所の1つだそうですよ」
何度目かの来訪時にそう教えてくれた。普通はここに長時間いれば、その分精霊と触れ合う時間が増えるそうだ。その結果、彼らとの距離も縮められるらしい。
残念ながら一切見えないけれど……
悲しいことにシレネ様の気遣いも残念な結果に終わりそう。けれど、そんな気持ちは決して表には出さないようにして、今日も庭園を散策しながら色々なことを話す。話しながら思うことはたくさんあるのに、それを口からは選択肢無しに素直には出せない。初めて会った時からそうだった。
もちろん選択肢を頼るのを止めようと何度も思った。なのに、一緒に歩くこの時間を大切だと思えば思うほどそれができなくなっていった。他の人と話す時以上に選択肢を頻繁に出して、確認してしまうようになっていった。
もし、変なことをしたり、話して嫌われてしまったら……
私が完璧な令嬢として評価されているのはこの力ありきだと思う。素の私はまだまだ前の世界の一般市民気質が抜けないままだ。そんなありのままの私で彼と話をしても呆れられてしまうのではないか、そう思うと臆病になってしまう。
「ロベリア、知らせたいことがあるのです」
ウダウダと他のことを考えていた私はシレネ様の声で現実に引き戻された。いけない、せっかくの時間にぼんやりとしてしまうなんて…… 反省しつつ、急いで微笑んでシレネ様に返事をする。
「はい、なんでしょうか?」
「実はね、次の学年から私も学院に通うことにしたんだ」
「え……」
心の声と現実の声が珍しく重なる。学院にシレネ様が通う……
それはつまり、私の精霊学でのへっぽこぶりがバレてしまうことに繋がる。それはとってもよろしくない。婚約者に私を選ぶにあたって、シレネ様は私のことを調べただろうから噂としては知っているだろう。でも実際に精霊学落ちこぼれの私の姿を見てしまったら…… 幻滅されるかもしれない。
「シレネ様と学院でもご一緒できなんて光栄です」〇
「突然のことに驚きましたわ」△
「お身体は大丈夫なんでしょうか?」×
すぐに画面を確認し、
「シレネ様と学院でもご一緒できなんて光栄です」
と微笑みながら伝える。しかし内心は複雑極まりない。
シレネ様が優秀すぎるのは噂の通りだ。けれど、それが理由で学院に通わなかった訳ではないと以前教えてもらった。生まれつき身体があまり強くなく、大事をとっていたのだと。寮生活を義務付けられている学院に通えるようになったということは、健康状態に太鼓判を押されたのだろう。そのことは嬉しい……
一緒に過ごすようになってから感じるのは、シレネ様の話の端々から見える優秀と言われている彼がいかに努力し続けているかということ。将来国を背負う者として、常に学問を修めるだけではなく身体にも気をかけていた。今回やっとその努力が報われたのだろう。それはもちろん嬉しい。素直におめでとう! とも思う。けれど、学院に通うといいうことは私と彼の今の関係を壊しかねないのだ……
そのまま彼の言葉を待っていると、優しく手に触れられる。
「本当に? なら良かった。身体も大分落ち着いたから、ロベリアと一緒に通えることを私も楽しみにしているよ」
手に触れられて嬉しくてたまらないのに、優しい言葉に罪悪感が湧きあがる。精霊も呼べず、力に頼って自分の気持ちも言えない私。そんな私が国のために自分の力で努力し続けている彼に本当に相応しいのだろうか。
でも、結局掴んだこの幸せを手放すこともできず、私は彼に微笑むことしかできない。触れてくるその優しい手を触れ返すこともできないままだった。