5 理想の世界の婚約者候補
長く辛い試験が終わり明日から休暇が始まる。次の年度が始まるまで、学生達は寮から離れそれぞれの家に帰ることになる。
先日発表された気になる試験の結果は……
いつものごとくギリギリの精霊学と、それを必死にカバーする他の科目たちという面々だ。試験直前のシレネ様との遭遇で精神を消耗しすぎたせいか、精霊学の実技はいつも以上に危なかった。けれど、なんとか合格できて本当に、本当に良かった…… 結果が出るまで生きた心地が一切しなかった。もう今回ばかりはだめかと思った。なんとか首の皮一枚繋がったな、とという感じだ。けれど、全然安心できない。学年が上がるにつれて難しくなっていく精霊学様に、来年はいよいよだめかもしれないと不安ゲージがグイグイ上昇してゆく。
でもやっと来た長期休み……
思いっきり休もう! 久しぶりの我が家で。そして、ほんの少しでもいいから精霊関係の話題から離れた日々を送るのだ。こんな精霊への不毛な片思いイベントなど一時停止してやる。
マイホームへの思いを募らせながら廊下を速足で歩く。廊下で立ち話をしている、休暇中に入ってもお茶会などですぐに会うであろう同級生たちに軽く挨拶をしつつ足は止めない。立ち止まったら長話確定である。そうなったらまた試験の話を振られるに決まってる。
やんわりと彼女達の話を躱して寮の自室に戻る。そして、さっさと荷物をまとめ、転移の魔方陣へと向かった。時間がまだ早いおかげで、中庭の先にある転移の魔方陣の周囲はまだ空いている。学生たちはこの魔方陣を通って、自分の家に1番近い魔方陣まで行く。これのおかげで、学生達は聖サフラン学院から遠い領地に住んでいても簡単に学院と家を行き来できるのだ。魔法さまさまである。
たぶん迎えの馬車はもう来ているはずなので、早速呪文を唱えてえいやと魔方陣の乗る。荷物は後から届けてもらえるので身軽な帰省だ。乗った途端に、私の身体は魔方陣から出る青い光に包まれた。次の瞬間には王都にある魔方陣の上にいた。少し顔を周囲へと向ければ、すぐ近くに私の家の紋章が付いた馬車が見えた。馬車の前には昔から家に仕えている御者の姿もある。昔から恰幅のいい彼に案内されるがまま、馬車に乗り込んだ。
※※※
馬車に揺られている内に、眠りに落ちてしまった。気がついた時には馬車は実家の門を潜るところだった。急いで少し乱れた髪を、服を整える。馬車に備え付けられた手鏡を手に取り覗けば、いつの間にか少し鋭くなってしまったグレーの瞳がこちらを見ている。幼い時はもっとお母様と同じふわっとした感じの顔つきだったと思うのだけれど…… 選択肢の画面を即座に読み取ることに心血を注いだ結果こうなってきてしまった。普通の人以上に目を酷使したせいだ。まだ視力が落ちたような感じはないけれども…… ある日突然がっくんと下がったらどうしよう…… あ、でも学院で眼鏡かけている先輩を見かけたことあるから大丈夫か。眼鏡がある世界で良かった。
馬車が止まる。御者の開けた扉を出ると、正面玄関の前では見慣れた顔のメイドが待っていた。幼い時、勝手に屋敷をうろつこうとする私を彼女は何度も止めてくれたものだ…… あの説は大変お世話になりました。彼女がいなかったら私は何度も大怪我をしていたに違いない。
久しぶりの再会に嬉しくなり彼女に声をかけようとした。けれどなんだか様子がおかしい。いつも落ち着いている彼女なのに今はひどく焦ったような顔をしている。彼女の後ろに控えている他のメイド達もどこか不安そうな顔で頭を下げている。
あれ? 私もしや歓迎されていない? いつもはにこやかに出迎えてくれるのに……
メイドたちの雰囲気に呑まれてなんだか不安になってくる。すると、彼女はすっと一歩前に進みお辞儀をすると、私にお父様からの伝言を伝えてきた。
「ロベリアお嬢様お帰りなさいませ。本来ならお部屋にご案内したいのですが、旦那様がすぐに挨拶に来るようにとのことです」
何かやらかしてしまったのか……
彼女の伝えた言付けに顔が青くなるのを感じる。思い当ることなんて全く…… あ、成績のことか? お叱りの言葉を聞く覚悟を決め、急いでお父様の部屋へ向かう。
扉の前に控えていた執事が私の姿を見るや否や、部屋の中に私が来たことを伝え扉を開いた。書斎の中にはお父様だけではなくお母様も一緒にいた。しかも、2人とも立っている。これはお説教長時間コースを覚悟せねばなるまい。引きつりそうな表情を誤魔化そうと、形式通りの挨拶を口にしようとした。けれども、それを押しとどめ重々しい表情でお父様は私に言った。
「ロベリア、先日城から招待状がお前に届いた。王家のお茶会に招かれたのだ」
招待状…… 王家…… お茶会…… ん? 王家の、お茶会に、ご招待?
お父様の言葉を頭の中で反復し意味を確認する。この言葉の意味することは、第1王子シレネ様の婚約者候補に私が選ばれたということだ。この年齢で精霊と契約できていない私が候補になるなんてありえないはずなのに一体どういうことだ。信じられない……
前なら王子様イベント来たー! と喜んでいたかもしれない。けれど、これまでシレネ様の元に向かった令嬢たちの死屍累々な有様を知っている今となっては…… 死亡フラグにしか思えない。行って泣くぐらいで済むならいいけれど、気絶するぐらいの怖ろしい目になんて好んで会いに行く人がいるのだろうか、いやいない。なので、この世界に来る前にほんの少し夢に描いていた王子様とのどきどき生活は将来の叶えたいリストからとっくに除外していた。それにこんな話寝耳に水だ。
それにしても、今までこれでもかというくらいに私の縁談話はスルーされていたのに……
「何故私が……?」
貴族の娘として家の決定に逆らいたくはない。ないけれど、突然の招待に疑問が噴き出てしょうがない。私の問いかけに、お母様は困ったように横にいるお父様を見た。お母様の方をちらりと見ると、お父様は私の方へと向き直ってゆっくりと言った。
「先日、学院で殿下にお会いしたか?」
「はい」
もちろん覚えておりますとも。顔はまともに合わせていないけれど。というかちゃんと見たのは足元ぐらいだ。あの時のことを思い出そうとしていると、お父様がとんでもないことを口にした。
「……一目惚れだそうだ……」
ん?
ちょっと意味が分からなくて、以前の世界での有名なお米が頭に浮かんできた。いや、いつも厳格な真面目一辺倒な雰囲気のお父様からそんな可愛い言葉を聞く日がくるなんて…… それに、王家の人間ともあろう方そんな言葉が出るなんて…… そもそもシレネ様、私の顔まとも見てないでしょ。ずっと下を向いていたのだから……
伝えられた衝撃の言葉に、取り繕うことを一瞬忘れてしまう。貴族らしさく振る舞うことも忘れ、両親をの方を口を開けて見てしまっていた。
見れば、あまり感情を出すことの無いお父様ですら困ったような顔をしている。黒髪にグレーの瞳で常に冷静沈着なクールダンディな見た目が今日は崩れまくりである。その横にいるお母様は結い上げた濃い金色の髪に菫色の瞳。その麗しいお顔にいつもは優しい微笑みを浮かべているのに、この部屋ではずっと困ったような微笑みを浮かべている。突然の王家からの申し出に、困惑しているのは両親も同じらしい……
書斎の中をなんともいえない空気が漂う。その空気を切り裂いたのは、いつもの威厳を取り戻したお父様の言葉だった。
「そういうことだ。心構えをしておくように」
「初めての殿方とのお茶会ですから、急いで準備しないとね」
両親から矢継ぎ早に言われる。私の反論を封じるためだろう。納得なんてできなくて、こっそり選択肢の画面を呼び出す。いつもは〇△×の3つの選択肢が出る。それなのに今回は……
お茶会の招待を受ける ◎
……………よし
不自然に思われない程度に片手で目元を抑え、もう一度画面を見た。
王家のお茶会の招待を受ける ◎
視線をずらしてもう一度見る。
王家のお茶会の招待を受けます ◎
……なんだこれ? 二重丸とか初めての見たんですけれども……
もはや選択肢ではない。1つしか出ていないじゃないか、バグか。
何度画面を見てもお茶会に行く以外の選択肢は出てこない。これがテレビとかパソコンの画面なら叩いているところだ。でも、あの宙に浮かぶ画面にそんなことはできない。両親の前でそんなことしたら、頭の心配をされてしまう。
「ロベリア?」
声を聞き、ハッとしてお父様の方を見れば心配そうに私を見つめる両親の顔があった。返事もせず、ずっと視線をウロウロさせていたせいだ。
「申し訳ありません、突然のことに混乱してしまって……」
「そうね、ロベリアが驚くのも無理はないわ」
「そうだな。ああ、1つ確認しておきたいのだが…… ロベリア?」
「はい」
鋭い声での呼びかけに、背筋をしゃんと伸ばしはっきりと返事をする。そんな私を見て、お父様とお母さまは真剣な表情で顔を見合わせた。そしてお父様はまるでそこに何かが留まっているかのように左手を曲げ、聞いてきた。
「ロベリア、私の左腕の上に何か見えるか?」
「腕の…… 上?」
「そうだ」
その言葉に眉間に皺を寄せ、更に思いっきり目を細めて、お父様の左腕を凝視する。うん、何も見えない。家族以外には見せられないような形相でお父様の腕を見続ける私に、お母様が声をかけてきた。
「なら、ロベリア? 私の右肩の周囲はどう?」
そう言われて、視線をお母様の方にずらす。うむ、一切見えない。選択肢の画面はあっさりと見えるのに、おそらくそこにいるであろうお父様とお母さまの契約精霊の姿は見えない。私の様子から察したのだろう。お父様は腕を下げると口を開いた。
「よい、分かった。最後に…… 見えずとも、何かの気配を感じたか?」
少しでも精霊の気配を感じようと目を閉じてみる。
…………?
目をゆっくりと開き、申し訳なさで一杯になりながらもありのままを伝えた。
「……何も……」
私の返事を聞き、何故か両親は少しホッとしたような顔をした。お父様もお母さまも高位の貴族にしては家族への情が厚い。私やお兄様を貴族としてどこに出しても恥ずかしくないように愛情深く育ててくれた。精霊が呼べなくて周囲から厳しい目に晒されても、私がこれまでに努力し続けられたのはそんな両親のおかげだ。あまりにも2人が人間的に素晴らしすぎて、お兄様はちょっと女性観に関してはこじらせてしまったところはあるけれども…… マザコン的な意味で。
シレネ様の人嫌いは貴族なら誰もが知っている。けれど貴族として、仕える王家の申し出を断ることはできない。優しい両親は私のあまりの精霊学の才能の無さに、すぐに門前払いされると安心したのかもしれない。それこそシレネ様本人にお会いする前に帰ることになるかもしれない、と。
もう下がっていいと言われたので、最後にお茶会へ行く旨をきちんと自分の口からも伝えて部屋に戻った。いつもの彼女に手伝ってもらい、重いドレスを脱ぐ部屋着に着替える。今日は早く休むと人払いをした後、改めて今回のお茶会について考えてみた。
一目惚れというロマンチックなもので私が選ばれるわけがない。仲の睦まじい両親を見ているとあまり感じないけれど、貴族にとって結婚は家を守るための大切な手段だ。そのため、シレネ様も私も王家、侯爵家の人間としては婚約者をとっとと決めなければいけない。それなのに彼にも私にも決まった人はいない
まぁ…… 私は貴族なのに精霊を召喚すらできないという明らかな原因があるけれど……
シレネ様の場合はお茶会に行った令嬢がことごとく逃げるからだろう。
この国では王だけではなく、その妃ももちろん精霊と契約しているというが暗黙の了解だ。現在の国王の妃であるシレネ様のお母さまも芸術を司る精霊と契約しているという。特別な式典の時にだけ見ることができる妃と精霊による作品は、王家への忠誠を高めるのに一役かっているともっぱらの評判だ。
おそらく、残った令嬢の中で彼に相応しい家柄の娘がもうほとんど国内にいないのだろう。他国と最低限の交流しかしていないこの国が他の国から呼び寄せるなんてしないだろうし。もしかしたらそのうち精霊とも契約できるのではないだろうか?
そんな将来への期待値がプラスされた結果、ここで私に白羽の矢が立ったのだと思う。一目惚れというは口実に違いない。そこら辺はドライに考えていかないと、そう処世術の先生に学んだもの。
まったく、家に帰ったら精霊問題から離れようと思ったのに…… なんだか幸先の悪い休暇だな。
ストレッチをしながら思った。