4 理想の世界で試験地獄
ついに試験の日がやって来てしまった。
試験当時にも関わらず、学生達の多くは試験ではなく他のことを気にしている。ちらちらと外を見て噂の人物が来ないか確認したり、その人に関する噂話にいそしんだりと騒々しい。なんというか、試験の日特有の緊張感が驚くぐらいない。でもそれもしょうがないかもしれない…… 入学以降、試験の日にしか姿を表さないこの国の第1王子シレネ様が学院に来るからだ。
この国の建国の歴史が示すように、王家と精霊は切っても切れない関係をずっと保っている。そのおかげか、王家の方々と契約している精霊は特別な力を持っていることが多い。次の国王であるシレネ様なんか生まれながらに伝説レベルの精霊と契約しているらしい。羨ましいことこの上なしだ。
そして更に羨ましいことに、精霊学だけではなくその他の分野でもとても優秀だという。持っている人は生まれながらに違うなあと、しみじみと感じる。精霊学の部分の才能をほんの切れ端でいいので分けて欲しい。
普通はどんなに優秀な人でも、それがたとえ王家の者であっても…… この聖サフラン学院入学した学生は寮で生活をする。そこで学問を修めつつ、人脈を築き上げてゆくのだ。なのに、シレネ様は特例として寮生活を免れている。しかも授業すら受けに来ていない。普段は城で家庭教師に教わり、試験の日だけは学院に訪れるという学院生活を送っているのだ。果たしてそれは学院生活と言えるのかは甚だ疑問であるけれども。王家には王家の事情があるんだろうなあと思う。
年に数回しか姿を見せない謎の王子。もちろん気にはなるけれど、そこに変に頭を突っ込んではいけないと私の貴族センサーが言っている。なんだかんだ私もこの14年間で少しは貴族らしくなっているのかもしれない。
そんなこと思い、久しぶりに以前の自分を思い出した。今の私は夢見た世界にいるというのに、なんだか以前の方が気楽に過ごしていたような気がする。こっちに来てから精霊見えないのか、とか呼べないのか、とか挫折感があまりにも多すぎるのだ。願ったのは自分だけれども! けれど、精霊様のせいでせっかくの家柄も見た目もパーだ。
あ、なんか考えてたら悲しくなってきた……
今日の試験には精神統一が欠かせないのにこれは非常によろしくない。
て、ん? 王家の馬車がやって来たのかな?
食堂の騒々しさが更に増したのを感じる。何だかんだこの学院に通う学生は優秀だ。じゃなくてはそもそも入学できていない。私だって精霊学さえなければ優秀な部類に入るはずなのだ、多分。精霊学の実技の成績がギリギリな私にとって、試験前のこの時間がいかに貴重かなんて皆様には分からないに違いない……
羨ましいと心底思う。でもそんな風に思っていても何も始まらない。人は人、私は私。リンバード家の名にかけて、落第なんて許されないのだから最後まで気を抜かずにがんばるしかない。
心の中でよし、と気合を入れさっさと朝食を済ませた。こういう時1人は気楽である。決して孤高の存在とか、高嶺の花キャラを目指した訳ではない。出来の悪い精霊学の分をカバーしようと、他の勉強をわき目も振らず必死にやっていた結果…… 気がつけばグループの輪から見事にはみ出て立派な一匹狼となってしまっていたのだ。それでも家柄の高さからかお茶会には招かれるし、同級生たちと休憩時間に軽い話をする程度の付き合いはあるからマシだと思う。
そう自分を慰めつつ、この時間唯一静かな場所であろう練習室に移動することにした。
※※※
学生が1人でも詠唱の練習ができるように作られた練習室。そこで最後の練習を始める。
最初に正確に魔方陣を描き、定めれらた呪文を唱えた。私が呪文を紡ぐと、魔方陣からいくつもの光の糸が徐々に現れる。その後は、精霊の囁きに耳を澄まし、言われるがままに手を動かし全ての光の糸を1つにまとめ上げる。そして最後に心から精霊を呼びかける。これが教わった精霊の召喚の方法だ。
光の糸をまとめ上げることは習った後すぐにできた。光を上手くまとめ上げるために重要なのは、糸を掴む順番なんだそうだ。その順番は精霊が教えてくれるという。多くの学生はその声を聞き逃し、順番を間違えてしまうと教授は言っていた。でも私には簡単なことだった。次にどの糸を掴むべきか知るために、選択肢の力を活用したのだ。
選択肢画面を出し、次々と表示される順番通りに右! 左! 右斜め奥! と光をもぎ取ってゆく。追いつくにはかなりの動体視力が求められたけれど、何度も何度も繰り返すうちに目が慣れてきた。気合と根性でできるもんだな、とできた時は感動したものだ。この調子でいけば召喚もできる! と希望に燃えていたあの頃が懐かしい……
ちなみに、本来は精霊の声に従って自然と手が動くらしい。他の生徒の様子を見ていると、皆様とても優雅に手を動かしていた。ゆったりとした手の動きに合わせて、その周囲を光がふわふわと動く様子はまさにファンタジーだった。それに比べて私の動きは非常に激しく、授業の後は1人だけせき込んでいた。そういえば、そんな私を見て精霊学の教授はよく言っていた。
「ロベリアさんはできてはいるんですけれど…… まるで何かと闘っているようですね」
教授の苦虫を噛み潰したような顔を思い出す。その表情を見る度、できているんだから良いということにしてほしいと心から思ったものだ。
あ、また考えが横道に逸れてる。だからいけないのかな……
集中、集中。やればできる…… やればできる……
苦い記憶をハンマー投げをするかの如く遠くに吹き飛ばし、再び意識を目の目の魔方陣に集中させる。今回の練習でもいつものように現れた光をどんどん掴み取ってまとめてゆく。全て集めたことを確認し、いざ!! と精霊を呼んだ。心の底から呼ぶ。
しかしその瞬間、先ほどまで輝いていた光は消え去ってしまった。後に残るのは、力を失いただの訳のわからない模様になり下がった魔方陣だけだ。
何故……
何度そう思ったか分からない。でもここで嘆いている時間はない。もう1回! と思って顔を上げると、時計の示す時間は試験開始まであとわずかの時だった。
最初の試験は精霊学の筆記。試験の成績は筆記と実技の合計点だから筆記の方も気を抜けない。実技はこの有様なので今回も筆記でカバーできる分で何とかするしかない。実技も途中まではできているから…… うん、大丈夫。きっと合格すれすれぐらいは取れるはずだ。でもなあ……
大きなため息と共に練習室を出て、筆記試験の行われる教室へ向かう。さすがに試験当日の朝、それもこんなギリギリの時間まで詠唱の練習する人間はいないみたいだ。静かな廊下に響くのは私の足音だけ。けれど、途中から何人分かの足音がそこに加わった。どうやらその音は前からやって来るようだ。
こんな時間にここにいるなんて…… まさかのお仲間?
そんな淡い期待を胸に誰が来たのか確認してみる。前方からこちらに向かって来るのは遠めでも分かるぐらいきらびやかな集団だった。その集団を確認した瞬間、私から血の気がひいてゆく。
非常にまずい。やばすぎる……
焦りのせいか口調が以前のものに戻ってしまう。あのきらきら集団の先頭、その人物が身にまとっている服の色は王族のみに許されたものだ。今学院に在籍している王族は1人しかいない。朝から噂の的の皇太子様ただ1人だ。
試験の日、シレネ様は他の生徒に会わないように別の通路で来る。それは噂話で知っていた。けれど……
まさか、その道がここだったなんて……
噂によると、シレネ様は大の人嫌いだという。その性格ゆえ他の王族とは違い滅多に人前には姿を見せない。シレネ様と話す機会があるとするならば、一部のご友人達を除いたら…… それは王家の主催するお茶会ぐらいだ。王家のお茶会はただのお茶会ではない。そこは年頃の王族の婚約者探しの場、お見合い会場である。戦場と同じだ。
シレネ様から、実際にはその後ろの方々からのお茶会の誘いはすでに年頃の娘のいる有力貴族の元に届いている。私は家柄だけ見たら余裕でクリアしているのだろうけれど…… 私が未だに精霊と契約できていないことは誰もが知っている。だからきっと精霊項目で振り落とされているようで、お呼びがかかったことはない。けれども、それで良かったかもしれない。なぜなら……
これまでに招かれた何人ものご令嬢がお茶会の招待状を手に喜び勇み、我こそ婚約者に! と城に挑んでいった。けれども誰1人としてシレネ様のお眼鏡にかなわなかったらしい。全てのご令嬢が泣いて帰って来たからだ。中には理由までは知らないけれどその場で倒れた人もいるという。
そんな気性の荒い方にこんな時に出合うなんて運が悪い、悪すぎる。王子であろうが、かっこよかろうが、ここまで悪評の高い人物に恋の予感なんて覚えようがない。湧き上がるのがいかにこの場を切り抜けるか、という思いだけだ。
選択肢できちんと帰り道を確認しておけばよかった。
でもあの力使うと頭が疲れるんだよなあ…… 目の使い過ぎで。そもそも通い慣れた道をどう帰るかなんて気にしないわ!
後悔は尽きないけれども時すでに遅しだ。ともかく無礼な真似はすまい、とすぐに道の端に行きお辞儀をした。視線は床に一点集中! 今の私は完璧な立ち振る舞いをしたはず。お辞儀の優雅さは誰もが認めてくれているし。その姿勢のままシレネ様御一考が通り過ぎるのを待つ。
待つ。
待つ……
ん? 何故そこで立ち止まった。
目の前で人の立ち止まる気配。足元だけでもわかる高価な洋服。
本来、人のいないはずのこの道に人がいるというだけで不快になってしまわれたのか。それとも、貴族マナーとして王子様の道を少しでもふさいだだけでアウトだったのか。かなり素早くどいたつもりなんだけれど…… 王族の考えることなんて分からん。
やらかしてしまったのかと考えれば考える程冷や汗が出そうになる。けれどそこは気合いで封じ込める。話しかけられてもいないのにこちらから言葉を発するなんて失礼はできない。今の私にできるのはひたすら床を見ることだけだ。大理石に浮かぶ模様を必死に見つめすぎてたせいかだんだん渦を巻いているように感じてきた。その時、頭上から優しそうな声がかけられた。
「ここで何をしていたんですか?」
「あ…… 今日行われる精霊学の実技を練習しておりました」
シレネ様から発せられたまさかの問いかけに渦巻きから意識を離しなんとか答える。噂を聞いて想像していたより優しそうな声だけれど油断はできない。礼儀正しく顔は下に固定しておく。本音としてはさっさと行ってほしい。けれどそんなこと言える訳がない。そんな私の気も知らずに、シレネ様は次の質問を私に投げかけてきた。
「こんな朝に?」
「はい。恥ずかしながら私、実技科目が少々不得意ですので」
「そう」
視線というのは見えなくても感じるものなのだろうか。シレネ様が興味深そうにこちらを不躾なまでに見ているのが何故か分かる。それにしても、本当は不得意なんてレベルではないがつい話を盛ってしまった。全然ダメだなんて恥ずかしくて言えない。
それにしても本当に今日の試験どうしよう……
最終手段として、筆記では選択肢の力を使ってしまおうか。絶対にばれないカンニング方法だけれど、この方法で試験を乗り切っても全然自分の身にならない。去年それを悟って以来、きちんと勉強するようにしている。が、実技が半分までしかできない身。誇りなんて今は捨て去るしかないかもしれない。そしてこの状況はどうすれば良いのだろうか…… いくら礼儀作法を叩きこまれていても長時間のこの姿勢は辛い。
シレネ様との遭遇、できない実技、よくわからないこの状況、そして試験、試験、試験……
もう私の頭の処理能力は限界だ。私はまだまだ修行が足りない。この集団を見た瞬間に、動揺せずに選択肢を開くべきだった。さっさと選択肢に頼っておけばもっとうまくこの状況を切り抜けられたと思う…… いや、今からでも遅くはない!
よし、助けて選択肢様。
「試験、お互いにがんばりましょう」
救いの神を開く前に、上からシレネ様の声が降って来る。そして、そのまま「では」と言って足音が遠ざかって行った。
その音に小さくホッと息をはく。しばらくしてから、もうそろそろいいだろうと思いゆっくりと顔を上げた。すると、右の奥から扉の閉じる音が聞こえた。そういえばそっちに普段使っていない教室があった。シレネ様はそこで試験を受けるのだろう。
誰もいなくなった廊下に再び静けさが戻る。あの一行を見てしまってから今までの時間。実際には短かったのだろうが、とても長く感じる時間だった…… ただでさえ試験で緊張しているのに、更に緊張したせいで胃が痛い。
冷静に色々考えられるようになると一気に試験のあれやこれやが頭の中を巡り始めた。ともかく、色々心配は尽きないけれど試験に遅れては元も子もない。今は何よりも先ず時間に遅刻しないようにしないと。痛む胃を抑えながら、私は足早に試験会場へと向かった。