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扉 理想の世界への片道切符

 初めて聞いたおとぎ話はものすごいインパクトを幼い私に与えていった。

 昔はそんな物語と同じように、私にもいつかすごいことが起きると思っていた。今思うとびっくりするぐらい純粋だ。扉開けたら異世界とか、人間以外の友達とか。

 けれど、残念なことに現実はあくまで現実のまま。大人に近づくにつれて離れてゆく、私の中にある幻想の世界。本当にその世界に行けたらいいのに…… 

 物語の世界への憧れは薄れはするけれど、なかなか諦めることができないままだ。


※※※


 注文していた新作の乙女ゲームがやっと届いた。販売日はとっくに過ぎていたけど、試験終わるまでと必死に我慢していたらこんなに経ってしまった。早速やってみよう。今日は土曜日…… とことんやってやる。

 決意を胸にソフトをセットし、スタートボタンを押す。流れるオープニングのメロディーに乗って、私の意識は目の前の画面の中へストンと落ちていった。


 気がついた時には、窓の向こうに夕焼け空が広がっていた。


 結構進められたかな。次で最後っと。


 他の人が書いてくれた攻略情報を見ながら注意深くシナリオを進める。だってミスなんてしたくない。ゲームの中ではいつも最高の選択をしたいもの。そんなことを思っていると次の選択肢が表示された。いよいよ最後の選択肢だ。念のためもう一度攻略を確認し、丸が付けられた一番好感度が上がる選択肢を選ぶ。


 よし、これでエンディング。金髪碧眼の王子様とヒロインが結婚して終了。やはり王道は王道ゆえの魅力がある。素晴らしい。目の前に流れる美麗な絵と爽やかな音楽を聞きながら満足感に包まれる。けれども、頭の片隅ではすでに次は誰にするかを考え始めていた。クール系にするか、いや、やんちゃ系も捨てがたい……


 パッケージを見ながらそんなことを考える。かなり真剣に悩みながら、つい癖でネックレスを触っている自分がいた。小さな赤い石がついたこのネックレスは露店で一目ぼれして買って以来、最近ではいつも付けている。 


 それにしても次は誰にするか悩む。ここまで一気に進めちゃったし、決めるのはちょっと休憩してからにしよう。家族がそれぞれの用事で出払っていないこの土日、時間は十分にあるのだ。


 そうだ、昨日買ったジュースでも取りに行こう。


 ふと、昨日飲みそびれたジュースのことを思い出した。画面の見すぎで疲れた目の周りを右手でぐいっと押しながら、冷蔵庫を目指す。階段を降り、欠伸をしながらリビングキッチンの扉を開けた。

 すると、そこには大きな桜がたつ広い丘が広がっていた。普通の桜よりも灰色がかった花びらが満月を背に舞い踊っている。


「は?」


 思わず普段出さないような低い声が出てしまった。全くもって意味が分からない。ゲームのしすぎでついに白昼夢を見るようになってしまったのだろうか……


 桜が禿げないのか心配になるぐらいの桜吹雪。その花びらに誘われるかのように、思わずよろよろと一歩足を進めてしまう。その瞬間、後ろでぱたりと扉の閉まる音が聞こえた。あ、っと思った時には遅かった。すぐに後ろを見たけれど、今開けたばかりの扉は消え、そこにはただの茂みがあるだけだ。


 これは…… ついにずっと願い続けてきた非日常が私にも訪れたのでは? 


 そんな好奇心が驚きや恐怖をサクッと吹き飛ばし、見知らぬ場所にいるにも関わらずワクワクしてきてしまう。たぶん寝不足でアドレナリンが出まくっているせいだ。それに、目の前に広がる光景があまりにも幻想的で、現実感が全く湧かない。


 この後どうしよう…… ずっとここに突っ立っているのは……


 その答えはすぐに判明した。桜のすぐ横に大きな木の扉が見えたのだ。満月の光を受け、淡く光るように見える桜の木。その横に扉だけがぽつんと立っている。先程から、そこに行けと言わんばかりに花びらが私の背中を押して来る。一枚一枚は軽い花びらも、集団となるとなかなかの力だ。

 周囲を見渡しても道は見えないし、扉がどうぞと言わんばかりにあるのだからあそこに行くしかない。そう判断し桜に押されるがままに扉の前まで歩く。そして、そのまま扉に手をかけ思いっきり開いた。


※※※


「こんにちは」


 扉の中は予想より大きな部屋だった。正面の暖炉が埋め込まれている部分を除いて、全ての壁が本に覆われている。床には踏み出した足を包み込みそうなぐらいふかふかの、金色で模様の描かれた緋色の絨毯が引き詰められている。

 部屋の中央には小さな木の丸いテーブル。丸テーブルを挟むように一人掛けのソファーが二台置かれている。そのソファーの一つ、こちらを向いた方には一人の少年が座っていた。彼の少し後ろには同じ形の空のソファーが左右に一台ずつ置かれている。どうやら、今挨拶をしてくれたのは正面に座っている彼のようだ。


 私よりちょっと年上ぐらい?


 ソファーに座った青年は細めた目にいたずらっ子のような笑みを浮かべている。左の目元に泣きぼくろがあるのが特徴的だ。光の加減では金色にも見える飴色の髪を後ろで軽く結び、髪と同じ色の瞳でこちらを見ている。

 こんな不思議な場所にいるというのに、服装は黄色のパーカにジーンズというなんとも現代的な格好だ。しかしその顔は今までお目にかかったことのない美形なため、ついまじまじと見つめてしまう。固まったままの私に青年は人懐っこくにかっと笑い、右手で自分の正面にあるソファーを指した。


「そんなとこ立ってないで、はよ座りや」

「あ、はい……」


 その手の指し示すまま、彼の目の前のソファーに座る。さっきまでは気が付かなかったけれど、顔の上半分を狐のお面で隠している紺色の髪の男性が部屋の奥にいた。どうやらこの部屋の本の整理をしているようだけど……


 身長が高いとあんな上まで手が届いちゃうんだなー。


 自分では到底届かない高さに手を延ばしている姿を見て思う。再び目の前の青年を見ようとすると、今度はどこから来たのだろう。ソファーに腰掛けた私の後ろから白い手袋をした黒髪の少年がすっと手を延ばし、目の前の丸テーブルの上に飲み物を置き始めた。


「どうも」

「いえ」


 お礼を言おうとすると目が合った。一瞬睨まれてるのかと思ったけれど、どうやら元々目付きが悪いようだ。少し歪んだ口元から察するに多分本人は微笑んでるつもりなんだと思う。飲み物を置き終えると、黒髪の少年は部屋の右の隅にある背もたれのある椅子に座った。


 空いているソファーが二台もあるんだから、そこに座ればいいのに…… 隅っこが好きなのだろうか。そちらをなんとなく見ていると、正面の青年に声をかけられた。


「今日は君の願い事を叶えようと思ってここに呼んだんや」

「願い事?」

「そや、君のその……」


 そこで言葉を切ると、飴色の髪の青年はにやっと笑ってソファーから腰を浮かした。そのまま前かがみになってこちらにぐいっと近づいた。そして、私の付けているネックレスの近くの首筋をさらりと撫でるように触れる。首に人の手が当たる感触に心臓がものすごい音をたてる。ゲームならまだしも、現実世界での私の異性耐性は無に等しいのだからしょうがない。

 そんな私の気も知らずに、彼はにっこり笑い続けた。


「この赤い石のネックレスと交換にな、君の望む世界へ連れていってあげるよ」

「は?」


 その言葉に頭が疑問で埋め尽くされ、心臓も通常営業に戻る。願い事云々の時点でそう思ったけれど、彼の話はとても胡散臭い。私が警戒したのがすぐに分かったのだろう。青年はにっと笑い、私の首元から手を離した。


「怪しいと思うんも分かるけどな、こっちにも事情があるんよ。そのネックレスがどうしても欲しいねん。でも、世の中只より高い物はないって言うやろ? せやから交換条件ってわけや」

「このネックレス一つで願いが叶うなんて…… 私の方がお得すぎないですか?」

「別にそんなことないで。今ここにおらんけど、この館の主人にとってそのネックレスはそれに値するぐらい大切ってことやから」

「これがそんなに……?」


 露店で投げ売りされてましたけど…… と思ったけれど、さすがにその言葉は飲み込んでおく。


「まあ、ラッキーやなって思って願い事ささっと言ってくれたええんよ。時間は余るほどあるから、せっかくの紅茶でも飲みながら何願うか考えてや」

「本当に何でも?」

「んー…… 何でもやな」


 目の前の彼が、一瞬考える素振りを見せたのが非常に気になる。にこにこと笑ったままこちらを見ている青年をじとっと見つめるけれど、彼はそれ以上のことは言うつもりはないらしい。

 非現実的な空間の非現実的な提案。どうせならそれに乗ってみようと決意すると、目の前に置かれたカップに手を延ばした。


※※※


 紅茶を飲み終え、カップを元の場所に戻し大きく息を吐く。そして、私は心の片隅にひっそりと抱き続けていた子供じみた夢をぼそりと呟いた。


「私の理想の世界に行ってみたいの」


 言ってみてはいいもの、口に出した瞬間一気に恥ずかしくなる。いや、理想の世界って…… 分かっている、もうすぐ法律上は大人の年齢、何言っちゃってるんだと自分でも思う。現実に生きなくてはと分かっているお年頃である。

 なのにこの部屋にいると、自然と胸の奥に押さえつけていた思いが溢れそうになる。幼い頃おとぎ話を聞いた時から抱いていた夢が。

 私が表には出さないよう、羞恥心に悶えている一方で、目の前の青年はにこにことした表情を変えずに後ろへと呼びかけた。


「翠」


 その呼びかけに、奥で座っていた黒髪の少年が立ち上がりこちらにやって来た。


「契約成立やな」

「え、こんな願いでいいの?」


 大分ほわっとしたことしか言ってないけれど…… 

 そんな私の不安を見透かすように、青年はにやっと笑った。


「願い事をきちんと頭の中で思い描いたやろ。この館ではそれで充分や。ほな早速、翠…… そこにいる目つきの悪いやつな。そいつにネックレス渡したってや」


 その言葉に、黒髪の少年が。うん、確かに目つきが悪い。その一般の人より険しめの目つきを更に険しくし、青年をぎろりと見た。そのまま眉間に皺を寄せたまま、私の方へ身体を向けると両手を広げた。白い手袋の上には同じく白いハンカチが乗せられている。その上へ、首から外したネックレスをゆっくりと置く。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 少年はネックレスを丁寧に持っていたハンカチに包むと、そのまま後ろの扉の方へ向かった。私がさっき開いた扉だ。あの桜だけどどんとたっている場所に持って行くのかな?

 どこに行くのかが気になって、その背中を目で追いかけた。黒髪の少年が木の扉を開く。すると、その先には洋館の広い廊下が続いていた。


 本当になんでもありだな……


 ここまで不思議な出来事が立て続けに起きると、もはや感動ではなく呆れに似た感情が湧いてくる。こちらを振り向くことなくスタスタと廊下を進む少年の姿は、ゆっくりと閉まる扉によって見えなくなってしまった。

 今私があの扉を開いたら、桜の丘とどこかの館の廊下のどちらに続いているのだろう。ものすごく気になる。そんなことを考えていると、後ろから小さな咳払いが聞こえた。慌てて前に向き直る。


「これでやることは終わりや。あとは……」


 飴色の髪の青年がチラッと後ろを見た。すると、今度は狐のお面の男性が部屋にある膨大な本の中から一冊の本を取り出し、こちらへと持って来た。


「ありがとさん」


 狐面の男性から本を受け取ると、青年はその本を丸テーブルの上に置いた。えんじ色のその本の表紙にもどこにも何も書かれていない。


「この本の上に掌を乗せてな、その表紙を願い事を心にしっかり浮かべつつ開く。それだけや。」

「それだけで私の願い事が叶うの?」

「そやで」


 なんてお手軽な…… 

 こういうのって普通寿命を何年分、とか血をくれとかなるもんかと…… 

 あの露店で手に入れた赤い石のネックレスはとんでもないぐらいラッキーアイテムだったようだ。


 本に伸ばす手が緊張で手が震える。その震えをごまかすように大きく深呼吸をした。そして言われた通りにその本の上に掌を乗せる。今まで何度願っても叶わなかったその願いを心の中で呟き、静かに表紙をめくった。

 次の瞬間、本から溢れる光で何も見えなくなる。反射的に目を瞑るけれど、瞼の裏にまで光が突き刺さる。もはや光というより痛い。そのままぼんやりと遠ざかる意識の中、最後に聞いたことのない少女の声が聞こえた。


「行ってらっしゃい」

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