上手くいっている時ほど注意が必要!
そして、放課後、俺は一人運動部の部室棟に来ていた。
昼休みの打ち合わせ通り、俺は他の4人とは別行動をとっている。目黒達は通常通り演説等選挙運動を行い、俺が今回の選挙のキーマンとされるサッカー部部長の高崎真司との交渉に来ているというわけだ。(断じて仲間外れにされたからではない!)
普段は訪れない運動部部室棟の中でも特に大きな部屋の扉の前に立ち、軽い気持ちでノックした。
コンコン
「―はい、どうぞ―。」
中から返事が聞こえたため、そのまま入ってみることにする。
「邪魔するぞー。」
中に入ると、部長の高崎が俺が来るのを待ち構えていたかのように、二つ広げているパイプいすの片方に腰掛けていた。
「忙しいところすまんな。」
「次期生徒会候補の戸越君に会いたいと言われて断る生徒なんかいないよ。」
高崎は笑顔で応対するが、その物言いが少し嫌みっぽく聞こえたのは俺の気のせいだろうか……
「先日は希望に添えずすまなかったな。」
「いや、僕の力が劣っていたのが原因だし、気にしないでくれ。」
―これが一番困る。どうせなら、怒鳴り散らしてくれた方がいくらか気が楽なのだが……。
「希望に添えなかった上に申し訳ないんだが……今日はお前に頼みがあってきた。」
生徒会候補から落選させた上での頼みだ。この天才をもってしても、今回の交渉は間違いなく難航し、下手すれば追い返されて話すら聞いてもらえないとすら思っていた。
―しかし……
「分かってるよ。選挙のことだろ?」
予想に反して高崎の表情は明るい。
「……協力してくれるのか?」
まさかの展開に逆に少し動揺してしまう。
「当たり前じゃないか!僕はもともと君たちの考えに賛同して、生徒会役員候補に立候補したんだし。落選してしまった今でもその気持ちは変わらないよ。」
高崎は笑顔で答えた。
完全に拍子抜けである。なぜなら、この男は俺が様々なシチュエーションを想定し、満を持して切り出した要求に対して、驚くほどあっさりと、そして笑顔の二つ返事でOKをして見せたのだから!
―これはさすがに予想外の状況だ。おそらく考えられるとすれば、こいつが戦力外通告されても尚愚直に俺達を支持しようとする程の信者か、もしくは―
「その代わり、ひとつ相談があるんだけど……」
やはり、交換条件を提示してきたか。こいつは、もちろん信者等ではない。選考試験の落選から完全に切り替え、交渉に集中しているだけなのだ。 今は交渉で得られる利益のことしか考えていないのだろう。
「相談とは?」
「サッカー部の予算を増やしてほしいんだ。」
これは予想通りだ。交渉になれば間違いなく、サッカー部の予算の話になると思っていな。
「具体的にはどれくらい増やしたいんだ?」
俺が訊ねると高崎はあごに手をやり、少し考えた後
「うーん……金額までは分からないけど、遠征や合宿の予算を増やしたいんだ。現状だと合宿を兼ねた遠征が年1回だけ。できれば遠征を年4回、合宿を年2回程度にしたいんだけど……」
なるほど。かなり吹っ掛けてきたな。まぁ、全校生徒600人で120票近く集め得るポテンシャルがあるからな。これくらいは当然だろう。ここは―
「俺も生徒会の予算を知らないし、そもそも会長候補ですらないから確約はできんが……お前が選挙でサッカー部や周りの生徒に俺達を推してくれるなら、出来る限り希望に添えるように配慮する準備はある。」
―これが最も無難な解答だろう。
具体的な約束はせず、遠まわしに選挙への協力を念押す。こうすることによって、当選後、フラットな状態で再度交渉をすることが可能になるのだ。 さすが、天才。瞬時にこんな完璧な切り返しをしてしまうとは―。俺にここまでの才能を与えるなんて……神様はつくづく不平等だな。
高崎はまた少し考えた後、軽く頷くとすぐに笑顔を見せた。
「―分かった。それでOKだ。少なくともサッカー部の大半の票は得られると思うよ。」
そう言って、高崎は右手を差し出し握手を求めてきた。
「あぁ、ありがとう。」
俺も笑顔を作り、高崎の握手に応じた。
これで、当初の目的は達成した。高崎の協力を得られたことで少なくとも100票。そして、荏原・鈴森のそれぞれのファンの票で100票、そして密かに出てきた目黒のファン、俺のファン(どこかにいるに違いない!未だ見たことはないがな……)、『普通層』による芝浦票で100票近くあるはずだ。合計で約300票だ。そこに、浮遊票が多少加われば俺達の勝利は確定だ。
磯子達がどんな策を用意しているのか知らないが、普通に考えれば俺達の負けはほぼないだろう。
これで何も心配する必要はない。だが―
だが……今回の選挙で最も重要度の高いイベントであるはずの交渉が、あまりにもあっさりとまとまってしまった。あっさりし過ぎていて逆に『何か悪いことのまえぶれか?』と思わずにはいられない。
考え過ぎだろうか……いや、しかし―
そんな漠然とした不安を抱いた。
「―どうしたんだい?戸越君。」
不意に高崎の声が聞こえ、ハッと我に帰った。どうやら、握手したまましばらくフリーズしていたらしい。
「!あ、あぁ、すまん。少しボーっとしていた。」
慌てて手を離し、思わず苦笑してごまかす。
「おいおい、しっかりしてくれよ。選挙は君にかかっていると言っても過言じゃないんだから。‐それにサッカー部のこともお願いしないといけないしね。」
高崎は笑いながら、再度念を押す。
「分かってる。そっちも投票の件、頼んだぞ。」
俺はそう言って、踵を返すと扉の方に歩きだした。
―形の見えない不安をいつまでも考えていても仕方がない。でもだからといって楽観視はできない。
―ここは万一に備えて、もう一つなにか新たな手を打っておくか!
俺は、新たな手を考えながら、一人運動部部室棟を後にした。




