表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

言葉の密室

作者: たっくん

「この言葉の何処かに鍵がある」

 そうおどけてみせるルドル教授は、果たしてこの緊迫した状況をきちんと理解しているのでしょうか、私にはよく判りませんし、きっと教授にだってそれは知りえないのでしょう。

「つまり〈この言葉〉のなかに鍵があるということでしょうか」

 仕方なくそう尋ねる私に、教授は首を横に振りました。

「〈この言葉の何処か〉までが指定された範囲なのかも知れないよ」

「そんなことを云ったら、〈この言葉の何処かに鍵がある〉までが鍵だということもありえると思うんですけど……」

「確かに君の云う通りなのかもしれない。けれどどうして君の言葉が鍵の対象でないと云い切れるのだろう?」

「それじゃあ、地の文にヒントが隠されていることだって、じゅうぶんにありえるのでは?」

 あり得るねとルドル教授は肯いて、それから沈黙がやってきます。この言葉の密室に閉じ込められた原因が教授にあるというわけではありません。けれど少なくとも、脱出の手段をややこしくしている理由は教授にあるのだと私は思うわけですが、そんなことを嘆いていても仕方がありません。私たちはどうにかしてここ、言葉の密室から脱出する必要があるのです。

「けれどそうだね。少なくとも僕は、僕たちの会話のなかに鍵のありかが示されているんだと思うんだ」

「それはどうしてでしょうか」

「そりゃあ、決まってるじゃないか」そう云ってルドル教授は含んだ笑みを浮かべます。「カギ括弧なんて、いかにもな名前をしているだろう? それこそが大きな一つのヒントなんだ」

「はあ」

 私は深いため息をついて、ルドル教授の顔をみつめます。教授の表情は核心をついているというよりかは、心の何処かで何もかもを諦めていて、それが壊れた水道管のように、笑みとして外部に漏れ出しているといった風です。頼りがいというものは何処にもなく、ひたすらな諦めだけが躰のなかにゆっくりと注がれているようでもあります。

 そうしてルドル教授を観察しているうちにあることに気づいた私は、ひっそりとした声音で尋ねます。

「もしも。もしも教授の云うように私たちの会話に鍵が隠されているのなら、私たちがこうして会話を繰り返しているぶんだけ、求める解答が段々と会話の底に埋まってしまう、そういうこともありえるのではないでしょうか」

 それは違うよと、私の意に反してルドル教授は即答します。

「僕たちの求める会話の鍵は、もしかしたらまだこの先、未来の会話にあるのかも知れない。僕たちが未だその鍵を見つけられていないということは、つまりそういうことなんじゃないかと、たったいまそう思ったんだ」

「はあ」私は今日で二度目の深いため息をつきます。「つまり私たちはこのまま会話を続けるしかないと」

「そういうことになるね」

 それはつまり何も判らないということです。確かに教授の云った話は一理あります。けれどそれはあくまで仮説であって、私たちが既に出された解答を見つけられていないという可能性だって、同じくらいじゅうぶんに考えられるのです。私たちはこのまま歩き続ける。けれどその先に鍵なんてものはなくて、振り向いたそこにこそそれはある。距離が遠ざかっていくだけならば構わない。しかしそれはいつか私たちの頭のなかから抜け落ちて、そのとき、ここは完全な言葉の密室となる。そうなってしまえばもはや手立てはありません。

「考えがあります」私は既に考えを放棄している風に虚空を仰ぐ教授に尋ねます。「私たちの会話を、思考を、そのすべてを文字に起こしましょう。そうすれば私たちは、いつでも好きなときに過去の私たちを振り返ることができる。貴重なヒントを見逃すといったこともなくなるはずです」

 それはいい考えだねとルドル教授は肯いて、それから私たちは私たちの物語を白紙に書き起こしている次第であります。私は私の思考を、教授は教授の思考を、それぞれ文字として記録している。そうやって記録しているという事実でさえ、同じように書き連ねる。そうするとこれは不思議なことに、私たちは記録しているという事実を記録しているという事実を記録している……といったように、終わりのない記述をひたすらに続けてゆく必要性が出てきます。果たしてそんなことに意味はあるのでしょうか? もしも百万回後の記述の記述に言葉の鍵が隠されていたとして、私たちはそれを頼りにこうして記述を続けてゆくしかないのでしょうか?

「降参です」

 そう私が呟いたのはいつのことか、気がつくとルドル教授は仰向けに倒れ込み、ぼうっと虚空を眺めています。未だ鍵は見つからない。あるかも判らない鍵の姿を追う私たちの精神は、既に限界に達しようとしていました。いや、教授に限ればそれは既に限界であったのでしょう。薄い笑みを浮かべた教授は虚空にお絵かきをするようにペン先をくるくると回し、それから狂ったように笑い出しました。

「本当は、鍵なんて、存在しなかったんだ。そんなものは都合の良い幻想で、ここから抜け出すことなんて、他の誰にも叶いやしない、そうだろう? そうに決まってる。そう決定されているんだ。言葉の鍵? そんな目に見えないものを、どうやって探せというのかね? それを目の前にぽんと差し出されたところで、どうしてそれをこの手で掴み取ることができるのかね? そんなもの、鍵穴に差し込むことすら叶わないじゃないか!」

 その通りでした。他の誰かがそれを差し出したところで、言葉であるそれは手に取って確かめることもできません。言葉の鍵の扱いかたというものを、私たちは義務教育として学習することをしなかった。それは致命的で、そして絶望的なミスでした。

「判りました。けれど少なくとも、私たちはこうしてひとつずつの物語を創ってしまった。私たちにはその責任を果たす必要があると、私は思うのです」

 責任、ともはや蝉の抜け殻のように生命という生命を失った風のルドル教授は、壊れた人形のようにそう反芻します。

「ええ。この物語に、タイトルをつけるのです。それが私たちの果たす、最後の使命なのです」

 そうして二人で話し合い(教授は無気力に肯いているばかりでしたが)つけたタイトルが『言葉の密室』であるわけですが、なんということでしょう、いまこうしてタイトルをつけ終わった瞬間、かち、と何処かで小さな、けれど確かな音がします。

 扉は開かれました。私たちはようやくこの長い密室から脱出し、ひとつの物語として終わりを迎えることができるのでした。めでたしめでたし。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ