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7 鳴る下駄

 からん ころん


 朝も早いというのに、小屋の前を下駄がかける音が響く。


 からん ころん


「勘弁してくれよ」


 俯せに耳を塞いで寝ていたヤタカも、とうとう根負けして起き上った。

 少し離れた床には一晩中鳴り響いていた、からんころんを子守歌に口を開けて眠り呆けているイリスが、まだ寒い季節だというのに万歳をしたかっこうで転がっている。


「よく寝ていられるな。まったく、夜中から下駄の行進かよ」


 正確には下駄が駆けていく音が小屋の前を通り過ぎ、やっと静寂にうとうとしたかと思うと、またからんころんと駆けていく……そんな感じだった。


「このまま起きるか。もうすぐ夜が明ける」


 闇夜に出歩く者は少ないが文を運ぶ者達などは、たとえ夜中でも街道を駆け回る。植物が嫌う松明の炎を掲げて走る彼らは一人で夜道を走り、場合によっては獣さえ相手にする連中だけに気性が荒い。急ぐ者が下駄など履いて仕事などするわけもなかった。


「松明の明かりは見えなかったよな」

 

 からん ころん


 小屋の前を駆けていく音に、素早く立ち上がったヤタカは勢いよく小屋の戸を開け放った。


 ころん


 戸口に手をかけた時には確かに鳴っていた下駄の音が止まる。たとえ下駄を履いたアリでも見逃すものかと左右に目を走らせたが、うっすらと明るくなった街道には人っ子ひとり見当たらない。


「百鬼夜行じゃあるまいし……だとしても足音がすくないっての」


 つっこんでくれる相方が爆睡中なのを思い出し、ヤタカは一人頭を掻いた。旅人の多い街道には幽霊から物の怪まであらゆる逸話が多く残っている。あからさまに嘘っぽいものから、多くの者が目にしたと噂される話までいろいろだ。


「たしかに下駄の走る音だったのになぁ」


「ヤタカ、寝ぼけたの? 寝ぼけて戸を開けたの? 寒い」


 慌てて戸を閉め振り返ると、ぼんやりと上半身を揺らすイリスが眠そうに目を擦っていた。


「ちげぇよ! このクソ寒いのに大の字で寝ていた奴に言われたくないっての」


「日が昇るまえに顔を洗ってくる」


 目の前をイリスが歩いて行く気配を感じながら、ヤタカはじっと目を閉じる。


 ゴン!

 

 小気味よく鳴った音にゆっくりとヤタカは片目を開けた。


「痛い……さっきまで開いていたのに」


 閉じた戸に激突しておでこを押さえるイリスを、ふんと鼻で笑う。


「さっき閉めただろう? それに水源がないから顔は洗えないよ」


 水源が乏しい地域をまだ抜けていないことを思いだしたのだろう。寝ぼけたままの顔でイリスはうへぇ、といってちろりと舌す。

 イリスが恐がるかと思い、実害もなかったからと夜中に耳にした下駄の音のことは黙っておくことにした。 


「ヤタカが行きたい村までは遠いの?」


 身支度を調えながらイリスがいう。


「日暮れまでには着くと思うよ。妙だと思わないか? 最近になって異種がやたらはびこっているという噂がたっているのに、街道を行く人々も近隣の村の人々もまるで普通だろう? 緊張感がないっていうか、焦りが感じられないというか。普通はさ、飛び火を恐れて対策を練るだろう? とにかく蜂の巣を突いたような騒ぎになっていてもおかしくないと思うんだ」


 同意するように頷いたイリスは、傾げた首をそのままに視線を天上へ向けて考え込む素振りを見せる。


「大騒ぎになっていないのは、異種が人にまだ宿っていないから。宿る可能性が低いからとか?」


「異種がはびこって、そには村の人が居る。その状況で人に宿らないって、有り得ないだろ?」


 そっか、といってイリスは杖を手にすたすたと小屋の外へとでていった。


「興味を無くすの早いな、まったく」


 イリスのあとを追って戸を潜り街道へ出たヤタカは、二人の間で何度も繰り返した他愛のない会話を思い返す。



――イリス、食べ物以外で興味のあるものはないの? 何はともあれ食い物なんだから。


――食べるのは好きだけれど、一番じゃない。


――へぇ、何に興味があるのかいってみろよ。


――教えない。


――どうしてさ?


――謎に包まれた女性を目指しているの、ふふん。


――天地がひっくり返っても無理っぽいな。


 イリスは好奇心旺盛に見えて、何に対してもこだわりを見せない。

 その時々にくっと見入るような集中はみせても、すっとその対象から興味をそらす。そのこだわりの無さがイリス自身の命さえ軽んじているように思えて、ヤタカは時々不安になる。


「とっとと歩いて、さくっと済ませて、さっさと慈庭の眠るお寺跡にいく」


「はいはい」


 背中に吐きかけられたヤタカの溜息など、気にする様子もなく先を行くイリスに、空げんこつを振るってヤタカもそのあとを追いかけた。


 からん ころん


 若葉の香りを乗せてそよぐ風に乗って、遠くの方で下駄の音が何度か聞こえた気がした。


 夕暮れまでまだ時間がある内に、閑散とした村に辿り着いた。

 街道に並ぶ店の戸は固く閉じられ、裏に立ち並ぶ家もしんと静まりかえっている。数人の男達が村の中を歩き回っているから人は居るのだが、ヤケに風通りが良く感じるのは、この時間なら騒がしく道を行き交うかみさん連中や、棒を持って走り回る子供らの姿が一つも見受けられないせいだろう。


「まだ寒いとはいっても、あの男連中は着込みすぎだろう? 足元もまるで真冬の装備だ。昼間なら素足に履き物で十分だろうに」


 ヤタカの疑問は村の中を歩く三人の男達が見せる、きょろきょろと怯える様な態度にも向けられた。


「まるで当番だから仕方なく見回っているって風だ」


「この村だよ。目がちりちりする」


 異種を宿すイリスの目も感覚も、近くに存在する異種に対して敏感だ。

 それはヤタカも同じこと。ヤタカの目に宿る水の器は、他の異種が近寄ればそれを知らせるかのようにヤタカの目を血を疼かせる。


「どうやら異種だけじゃ無さそうだな」


「ただの村なのに? 異種がいっぱいなら考えられなくもないけれど、異物? それじゃなくても滅多に見つけられる物じゃないのに」


 イリスの疑問はもっともだった。異物は自然界の中においては、ただひたすらそこに存在するに過ぎないが、人里に気まぐれに姿を見せることなどめったにない。

 大抵の場合、そこには持ち運んだ人の手が絡んでいる。


「何とも言えないが、取りあえず喉が渇いたよ。この村の奥に沢があるみたいだから、先に水を飲んでもいい?」


 頷くイリスの手に腰の布を掴ませて、ヤタカは村へと足を踏み入れた。

 ゆったりと歩くヤタカ達の姿を見ると、二人の男はあからさまに避けた態度で家の向こうへと姿を隠した。


「嫌われたみたいだな」


 水の匂いを頼りに村の奥へ進むと、角を曲がった途端一人の男と出くわした。

 ぎぇっ、と声を上げて驚いた男は、動揺を隠せないまま逃げるタイミングを失ったのだろう。辺りの地面をきょろきょろと見回しては、その合間にヤタカの顔を覗った。


「旅の者だが、妙な噂を聞いてね。女性と子供は家の中かな? 外を歩いていた男性にも、声をかける前に逃げられてしまったよ」


 ヤタカが問いかけると、男は困ったように喉を呻らせた。


「そんな噂がもう出回っているのか? こんな状態になってまだ半月も経っていないのに」

 

 若い男だった。


「もしかして、妙な植物が急に芽をだしたとか? 異種と呼ばれる植物の芽だよ」


 ぎょっと目を見開いた男は、答えていいのか迷ったのだろう。幾度も唇を前歯で挟み込んで眉を顰めたあと、それでもこくりと頷いた。


「あんたら、野草師か?」


「いや、野草師でもゴテ師でもない。まあ、その商売で生きている者が身近にいるけれどね」


 ヤタカはゴテ師と同じく幼なじみの野草師の顔を思い浮かべる。そういえば二ヶ月ほど会っていない。


「異種を呼び寄せ、狩る者ではないよな?」


 震える声にヤタカがゆっくりと首を振って否定すると、若い男の表情に安堵の色が浮かんぶ。きょろきょろと辺りを気にする男に、ヤタカは沢には人気もないだろうからそこで話を聞かせてくれないかと申し込む。直ぐには頷かなかった男だが、ヤタカの背後からひょっこり顔を覗かせたイリスがにこりと口元に笑みを浮かべると、少し安心したのか自ら沢への道案内をかってでた。


「ここの水は美味いな」


 腹一杯に水を飲んだヤタカが顔を上げると、男は呆れ顔で体を仰け反らせる。


「よく布でこす前の水なんか飲めるな」


 異種の種を水と共に飲み込むことを恐れて、村人は水を布で濾してから飲んでいるのだろう。まさか異物憑きだから異種が宿る心配はないとも言えず、ヤタカは曖昧な笑みで誤魔化した。


「事の始まりは何だったんだい? 解っていることだけでいい。詳しく教えてもらえたら対処法もあるさ。必要なら、知り合いの野草師とゴテ師をここへ呼ぶよ」


「半月ほど前、日が落ちたばかりの時間に遠出から戻った村の者が、そこら中に見たこともない植物が芽をだしているって、大慌てで村中の戸を叩いてまわったんだ。年寄り連中が、ありゃ異種だといってみんなを家に閉じ込めた。外を歩いている男連中は、交代で外の様子を見回っているんだ」


「それであの厚着か。異種に宿られないように」


 妙だった。一晩にして複数の異種が芽吹くなど、しかも人が住む村の中だ。地面に生えていたということは、おそらく一番種だろう。


「みんなでそれを刈り取ったのかい?」


 いいや、と男は首を振る。


「最初の一晩はみんな恐がって表にでなかったさ。男達は異種だといった爺さんの家に寄り合って、策を練っていたしな。ところが……」


 信じちゃ貰えないよ、と男はヤタカの顔を上目遣いにちらりと見る。


「翌朝になって少しだけ窓を開けて表を覗いたら、異種が綺麗さっぱり消えていたのさ。これで終わりかと胸を撫で下ろしたが、やっぱりそう簡単に終わってくれるわけもない。二日と待たずに、また異種は芽を出した。まるでこの村に集まれって呼びかけがあったみたいに、みごとにこの村だけに異種が芽をだすんだ。日も暮れた頃に芽吹くから、街道を行く人がいても目には留まらない」


「そして一晩明けると、消えている?」


 そうだ、と男は頷いた。


「最初の夜、何か変わったことはなかったかい? 地面が揺れるとか家を揺らすほどの風が吹くとか、何でもいい。些細なことで構わない」


「夜中を過ぎた頃にさ、からんころんって音が鳴るんだ」


「からんころん? 下駄みたいだね」


 茶々をいれたイリスの頭を押さえ込み、ヤタカは昨夜の出来事を思い出して鼻に皺を寄せた。


「あれは下駄だよ。夜明けまで村中を歩き回っていたらしい。爺さんの家に寄り集まっていた男達はもちろんだが、家に残っていた女子供も耳にしている。まるで下駄の音が異種を一晩で刈り取ったみたいだった」


「下駄なら誰かが履いて歩いていたんじゃないのかい? こっそり覗いた者はいなかったの? 大きな手がかりだろうに」


 ヤタカの問いに男はぶるぶると首を振る。


「異種が活発になるのは夜だってことくらい、ガキだって知っている。それに、爺様が開けるなっていったんだ。おびき出す為に、下駄の音を鳴らす異種があっても不思議じゃないっていってさ」


 年寄りの知恵と知識は正しいことが多い。下駄の音はどうか知らないが、水が流れる音を葉で真似て、旅人を引き寄せる異種なら確かにある。


「それじゃあ下駄を履いて歩く者の姿どころか、下駄さえ誰も確かめてはいないってことか。この村の人間は、まだ異種に宿られてはいないよね?」


「たぶんな。でも宿って何年も経たないと発芽しない異種なら、宿られたってわからないだろ?」


「でも異種宿りは、今までとは違う五感を持つことが多いらしいよ? まぁ、異種宿りだなんて知られたくないだろうから、言うわけないか」


 口を出したイリスの答えに、男は不安そう眉尻を下げた。

 薄暗くなったと思い空を見ると、雨を運ぶ黒い雲が傾いた日を覆い始めていた。この分だと村が闇夜に包まれるのはいつもより早い。男を村へ帰した方がいいとヤタカは思った。


「そろそろ村の方へ戻ろう。ところで、俺達意外に最近この村を訪れた者は?」


 男は村の表を走る街道を指差した。


「異種が蔓延った次の朝、街道脇の大木に背を凭れている男を見つけた。こんな事態だか、さっさとここを立ち去った方がいいって忠告はしたよ。でも男は足が悪いし、ここで待ち人があるから居るというんだ。村に迷惑をかけないように、野宿するから構わなくていいとね」


「その男、まだ街道にいるのかな? ここへ来る途中では見かけなかったが」


「昼間はふっと姿を消すときもある。生きてる以上、水や食べ物だって必要だろ? それにしたって野草師やゴテ師でもないのに野宿だなんて、自殺行為だ」


 若い男に礼をいい、ヤタカはイリスを連れて街道向こうの林の中に身を潜めた。


「ヤタカ、足が悪い男の人を待つつもり?」


「あぁ、待ってみる。今夜その男に動きが無ければ、ゴテ達に連絡を取るさ。俺の手には負えないよ」


「野宿?」


「うん、ごめんな」


 珍しくこくりと素直に頷いた、イリスに目を丸くしたヤタカだったが、野宿にはまだ早い季節だ。夜に動かなくてはならないことを考えても、少しでも暖かい今のうちに睡眠を取っておく方が得策だ。


「イリスも少し昼寝しておきな。雨が降るかもしれないから」


 もし本当に男が現れたなら、雨が降ろうとヤタカは後を追うつもりでいた。さっき人通りのない村の道ばたで失敬してきたゴザを被れば、雨に触れなくても済むだろう。


 日が暮れ始めるにつれて、街道を行く人の数も減ってきた。

 夜になれば獣も異種も動き出す。ヤタカはイリスと旅に出てから、獣を警戒したことはない。どういうわけか、イリスの側に獣は寄ってこようとしない。異種に意思を持った行動なんてものがあるとも思えないが、まるで目に宿る異種に守られているようだった。

 木に背中を預けてうつらうつらと眠るイリスの肩が傾ぐたび、ぐいと手で押し返して街道を眺めていると、村の向こう側の森から初老の男が一人歩いて来るのが見えた。


「あの男か」


 杖に体重を預けながらゆっくりと歩いてきた男は、街道脇の大きな木に凭れて腰を下ろすと、背負っていた荷物を横に置いた。

 日が沈むまでは動かないつもりだろうか。

 男は目を閉じると胸元をぐっと握り顔を顰めた。あの体では異種を恐れるどころか、獣に出くわしても戦うどころか逃げることさえままならないだろう。


「てっきり下駄を履いていると思ったが地下足袋とは。それにしても苦しそうだな。肺でも病んでいるのか」


 胸と肩が小刻みに上下して、男の呼吸が浅いことを示していた。


「あのおじさん、長くは保たないよ」


 うっすらと目を開けたイリスがいう。


「イリスがそう感じるってことは、異種宿りなのか? そんな気配はしないけれど」


 異種に関しては、イリスの方が遙かにするどい。異種宿りの全てを感じ取れる訳ではないが、何らかの情報がイリスへと流れ込むことはままあった。


「異種宿りだよ。ヤタカが感じづらいなら、側に異物があるのかもね」


 目を擦りながら話すイリスは、半分寝ぼけた様な調子だったから、どこまで本当の話だか怪しいものだと思ったが話の筋は通っている。

 山間の村では暮れはじめた日が沈むのが早い。すっかり視界の悪くなった薄闇の中、男が提灯に火を灯した。


 からん ころん


 街道の砂埃がそわそわしたように、通りすがった風に舞い上がる。


 からん ころん


 ヤタカ達が身を潜める木立から、三歩と離れていない場所で、葉を伸ばし始めたばかりの草むらが揺れる。


「下駄?」


 阿呆みたいなひと言しかでてこなかった。

 揺れた草むらを割って街道に悠然と姿を見せたのは、下駄。


 からん ころん


 男が灯した明かりに惹かれたかのように、下駄が街道を行く。

 下駄の音に気づいた男が、ゆっくりと視線を向けた。


「へぇ、驚く様子も見せないとはね。履く者の居ない下駄が、闊歩してるっていうのに」


 おそらくは、異種の木から切り出された板を使って造られた下駄だろう。

 残りの板がどう扱われたのか気になるところだが……今は置いておこう。


 男の傍らで下駄がぱたりと歩みを止める。

 勝手知ったる様子の男は膝を抱えて足を引き寄せると、指先に下駄の鼻緒を引っかけ地下足袋を履いたままの足に被せた。

 街道の人通りは完全に途絶え、村人も家に籠もって息を潜めている。


 初老の男がすっと立ち上がった。

 足元には来るときに体重を預けていた杖が、枯れ枝のように放られたまま。


 からん ころん


 村へ入っていく男の下駄の音だけが、山間の闇に響き渡る。


「イリス、あの男が村を出るまで話しかけるなよ」


 こくりと頷いたイリスと共に、少し離れて男の後を追う。幸いなことにまだ雨は落ちてこない。


「さっきまで足を引きずっていたのに」


 からん ころん


 下駄を履いて歩く男の足取りは軽い。提灯で照らした先に合わせて、右に左にと足を進めていく。

 男の提灯に照らし出される土の道を見て、ヤタカは目を丸くした。昼間には異種どころか春先ということもあって背の低い雑草くらいしか見当たらなかったというのに、村の道は今まさに芽を出したばかりの異種が所狭しと顔を出していた。


 からん ころん


 下駄の音が、ヤタカの耳の奥で木霊する。


「あの下駄は間違いなく異物だ……まさか、下駄で異種を踏み潰しているのか?」


 まるで影踏みをして遊ぶ子供のような足取りで、男の下駄は芽を出し、目の前で伸びていく異種を踏み潰す。踏まれた後には茶色く草臥れた茎と葉が横たわり、異種が枯れたことを示していた。


「異種がいっぱい」


 イリスが呟く。


「恐ろしいほどの量だよ。一カ所に、しかも村の道にあんなに様々な異種が芽をだすなんて」

 

 くいっと袖を引くイリスを見ると、暗闇で見えないと思ったのかヤタカの腕に額を擦りつけて首を横に振った。


「違うよ、あれを見て。どんどん異種が集まってきている」


 自分に害はないとわかっていても、辺りを見回したヤタカは口元を手で覆った。

 淡い光りを放ちながら、小さな綿毛が村の奥へと飛んでいく。小虫が耳元を通る嫌な音が幾度も響く。おそらくは異種の一番種を宿された虫達だろう。

 まるで男の行く先を知っているかのように、様々な種が村へと入っていった。

 男が行く先を選んでぽとりと落ちた虫を、下駄が踏み潰して行く様が目に浮かぶ。


「どうしてだ? 異種と異物は互いに干渉を避けるのが普通なのに」


「泥の川だって異種を受け入れていたよ?」


 確かにそうだが、一般的には有り得ない。その前提があるからこそ、異物憑きと異種宿りは他の者に宿られずに済むのだから。


「きっとね、あの下駄が呼び寄せているんだよ? だってわたしでさえ、あの下駄に惹かれるもの」


 はっとして、ヤタカはイリスの手をぐっと握った。


「大丈夫だよ。確かに惹かれるけれど、お団子とどっちって聞かれたら迷わずお団子」


「例えがめちゃくちゃだな」


 この分なら大丈夫だろう。少し力を緩めるとイリスの手がするりと抜けた。

 男は村に走る道を隈無く歩くつもりらしい。足の悪い男の歩き方ではなかった。強いて言うなら、下駄が男を歩かせているとしか言いようがない。

 男が通り過ぎた後には枯れた異種が寝転び、風で飛びそうなほどかさかさに乾いている。

 昼間の様子からして、乾ききった葉と茎は粉々に砕けて風にでも飛ばされるのだろう。

 

「あの道で最後だ。先に街道に戻っていよう。あの男は荷物を置いた場所に戻ってくるさ」


 家の窓から漏れる薄明かりを頼りに街道まで戻った。背後からは、今だにからんころん、と下駄の音が響く。


   

 一時間ほど経っただろうか。もしかして戻って来ないのかとヤタカが腰を上げかけた時、村の奥にこちらへ向かってくる提灯の灯りが揺れるのが見えた。


 からん ころん


 男は最初に腰を下ろしていた木の根元に座ると、両足を前に投げ出しぼんやりと暗い空を仰いだ。

 ヤタカは街道を挟んだ木々から出て、ゆっくりと男に近づいていく。


「あんた、村の者か?」


 男がぼんやりとした視線を寄越してそういった。


「いや、村の者は異種を恐れて夜は出てこないよ。あなたの下駄、異物と呼ばれるものだと思うのだが、覚えはあるかい?」


 すとんと足先の下駄に視線を落とした男は、力なく首を横に振る。


「オレは異種の種と交換に、この下駄を履いて村を歩くことを引き受けただけだ。この下駄が何かなんて、オレにはどうでもいい」


「誰に持ちかけられた話なの?」


 不思議そうに眉を顰めてイリスが聞く。


「知らない奴だ。履いていたこの下駄を脱いで寄越したと思ったら、どこに行ったんだか顔を上げた時には姿を消していたよ」


「なら何の為に、この下駄で異種を踏み潰していたかも知らない?」


「言われた通りにしただけだ。村人に害はないといっていた。頼まれた仕事も今日で最後だ。その後は、気にしなくていいといっていたよ」


 男は目を瞑ると、外套の胸元を手でぐいと引いて胸をはだけた。


「異種が根付いている」


 イリスの言葉通り、男の胸に這う黒いミミズ腫れの中心に、こんもりとどす黒い盛り上がりがあった。


「どうして自分から異種を求めたりした? 死ぬんだぞ?」


「いいんだよ。どうせ放っておいてもあと一月も持たない体だから。死期は早まると聞いたが、一月ぐらいどうってことないさ」


「いったいどんな異種を宿したんだい?」


「死期の迫った者に宿れば、ほどなく花を咲かせるらしい。種を宿した時点で、オレの体からは身内だけがかぎ取れる臭いが発されるんだとさ」


 男が咳き込むと、胸を這う黒いミミズ腫れがぼこりと動く。


「オレの女癖のせいで、嫁は三歳の娘を連れて家をでてね。あれから二十年近く経って、古い知り合いから聞いたんだ。娘がこの村を挟んだ村から村へ嫁にいくってね」


 男の呼吸が速くなる。ミミズ腫れは肋を覆うほどに広がっていた。


「何となく離れがたくて、ここから遠くない村に身を置いていた。もう顔さえ覚えていないが……会いたいじゃないか。死ぬ前に娘にさ」


「異種の放つ香りに惹かれて、アンタに興味を示す女性がいたら娘さんてことか」


 あぁ 胸を押さえながら男が頷く。


「この辺りの娘は、異種になど取り付かれる者ではないと、縁起を担ぐために野草師を雇って夜中に輿入れするのさ。だから、オレはここで街道を眺めている」


 胸を押さえていた、男の手がだらりと下がる。


「うそつき……」


 ヤタカの肩越しに、イリスが呟く。

 大きく咳き込んだ男の視線が、街道の右へと続く闇へ向けられた。


「ほら、輿入れの提灯の明かりだ。間に合ったかな」


 目元を緩めて眺める視線の先には、道さえ見えない闇が広がっている。ヤタカは眉を顰め、イリスの肩を押して男との距離を取る。

 街道の奥からずっと、見えない何かを追っていた男の視線が目の前で止まった。


「輿入れかい? 綺麗なお嫁さんだ」


 男の目尻には柔らかな笑みが浮かび、それを嘲笑うかのように口の端から細く血の糸が垂れる。


「幸せになるさ、こんなに綺麗な嫁さんだもの。いやいや、旅の途中で輿入れを見られるなんて、幸せを分けて貰ったよ」


 答えるかのように、街道の土埃を巻き上げ風が通った。

 何も無い闇に、男は満足げに頷いた。


「気をつけてな……きれいだぁ……」


 満面の笑みで目を閉じた、男の胸が跳ね上がる。

 男の首がくたりと落ちた。

 胸を這うミミズ腫れの中心から、ユリを思わせる白い花が開いていく。

 嫁入り衣装のように柔らかそうな白い花が大きく咲いた。

 白い花は男の血を吸い上げ、花びらが根元から深紅に染まっていく。

 ぽつりぽつりと降り出した雨に打たれて、紅い花びらが揺れる。

 役目を終えたように、男の両足から下駄がぽとりと落ちた。 


「近くの小屋へ移動しよう」


 子供が天気を占って放り投げたように、ばらばらに転がる下駄を拾い上げると、ヤタカの手の中で鼻緒が震えた気がした。

 男の胸に咲いた血の花が、茶色く色を変え枯れていく。

 ぽとりと落ちた黒い種を摘み上げると、ヤタカはその種を下駄に押しつけた。

 ぶるりとひとつ震えた下駄に、押しつけた種が呑み込まれていく。


「この下駄は嘘を吐いた。でもその表情、アンタにとっては幸せな最後で、それは現実だったのだろうな」


 満足げな男の笑みが苔むしていく。

 ヤタカは油を染みこませた布を巻いた棒に火を移し、男の提灯の明かりを吹き消した。

 この程度の雨なら、この棒の明かりで少しは歩けるだろう。

 

「近くの小屋へ行こう。雨は嫌いだ」


 この村も妙な下駄の音が聞こえなくなれば、数日のうちに村から異種が消えたことに気づくだろう。村人にとって真相は闇の中だが、世の中には知らなくていいことは多い。

 知る者として、知らせてはならない事柄もある。


「さてこの下駄をどうしたものかねぇ」


「その下駄、嘘つき。望む幻を、見せる力しか無いくせに」


「イリス、怒るなよ。方法は間違っていても、死期の迫ったあの男にとっては、けっして嘘じゃなかったと思うよ。それより、こいつの本来の目的が問題さ」


 異物が意思を持ってここまで動くなど聞いたこともない。有り得ない量の異種の種を取り込んでいるであろう、この下駄を持っていると流石に落ち着かない。からといって道ばたに捨てるわけにもいかなかった。

 溜息を吐いて、荷物の中に下駄を放り込み背負い直す。


「考えるのは明日だ。ゴテに渡してもいいが、受け取ったところであいつらも荷が重いだろうしな。とりあえず、この村で起きたことを文で伝えて後始末を頼むとするか」


 背負った荷物の中で、かたりかたりと音が鳴る。

 鳴る下駄を無視して小雨の中、ヤタカとイリスは小屋へと急いだ。


覗きにきてくださったみなさん、ありがとうございます。

ちょっと長くなりすぎました……反省

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