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6 野に放たれた者と草クビリの影

 蹴り外された壁板の隙間から転がり出て、すぐさま立ち上がったヤタカはイリスの手を強引に引いて走った。街道の反対側に立つ木にぶつかって、肩に強い衝撃を受け縺れる足を止めた。。

 口から大きく息を吸い込み吐き出すと、鼻の奥に纏わり付く甘い香りが消えていく。

 不思議なことに、甘ったるかったのだという思いはあっても、どのような香りだったかと問われれば答えられる記憶は一切残っていなかった。


 膝を付いてイリスに覆い被さるように腕の中に収め、澄ます耳に小屋の戸が割れんばかりの勢いで開けられる音が響く。

 男達の悲鳴に、暗い闇の森から鳥達がばさりと飛び立った。


「目ぇ開けろ。さっきの握り飯を渡してくれや」


 二つの握り飯を渡すと、小男は自分の分と合わせて三の握り飯を紙にのせて道の真ん中に置くと、中腰のまま足音もさせずに戻ってくる。

 開いた目でヤタカが見たのは、這々の体で小屋からでてきた二人の男達が、さっきまでの大騒ぎとはうって変わった様子でゆらりくらりとこちらに向かってくる姿だった。

 後退ろうとしたヤタカを、小男の手が止める。


「ここまで来れやしねぇよ」


 ふんと鼻で笑い、小男は懐から小刀を取りだした。

 まさか刺し殺す気かとびくりとしたが、小男は片膝を立て手の中で小刀を弄ぶだけで、

物騒な動きを見せる気配はない。


「あの人だ。やっとぴたっときた」


「あの人?」


 じっと二人を眺めるイリスは、頷いただけで黙り込む。


「おい、あの握り飯、食ったら拙いんじゃないのか?」


 糸が切れた人形のように膝を落とした二人の男は、何かをぶつぶつと呟きながら握り飯を手にしていた。


「拙いさ。だからあそこに置いたんだ」


 真上から差す月明かりに、影絵の様にしか見えなかった光景が一気に色を持つ。

 雑紙を捻ったものに油でも染み込ませてあるのだろう。小男が火をつけて放った明かりが見せたのは、とても現実を見ているとは思えない男達の虚ろな瞳と、少しずつ口へと近づけられる握り飯。


「腹が減った……昨日から何も食っていないからな……飯……めし」


 それは今までひと言もしゃべらなかった若い男の声だった。

 このままだと、あの男達は間違いなく握り飯を口にする。ヤタカが堪え切れずに立ち上がろうとする肩を、小男が信じられないほどの力で押さえつける。


「止めておけ、もうおせぇよ」


 噛むことなど忘れて、まるで呑み込むような食べ方だった。

 膝をつき両手をだらりとさせた男達の動きが止まる。


 ぐえっふ


 でかい蛙に似たゲップを吐き出したかと思うと、男達の上体がばたりと地面に伏した。

 これに似た光景を、ヤタカは幾度も目にしたことがある。


「だとしても、早すぎる」


 ヤタカが抱く疑問を嘲笑うかのように、肌の見える手足が(まだ)らに苔むしていく。ふらりと立ち上がるヤタカに小男は「近づきすぎるな、まぁ、解っちゃいるだろうが」とぼそりという。

 服の下はすでに苔むし、全身が覆われる頃には、肉体と呼べるものすら残っていない。 異種の苗床となった者特有の変化だった。

 ぐるぐると巻いた防寒の布がふわりと男の顔を覆い、隙間から覗くまだ人肌を残す耳には、大きな黒子が一つあった。


「飴を売ろうとしたゴザ売りの男か。どうしてここまで追ってきた?」


 死人が語るわけもない。昼間に会った時も、小屋で二度目に会った時にも、この男に異種の気配は感じられなかった。小屋の中でもそうだ。だとしたら、僅かな隙に取り込まれた異種はどうして発芽したのかという疑問が残る。発芽の早いモノも確かに在るが、それにしても尋常ではない速さだった。


「さて、ここからは俺の仕事だ。下がっていろ」


 いつの間にか横に立っていた小男が、小刀の背でヤタカの胸を押し返す。

 イリスの元まで後退りながら、ヤタカは全てを見逃すまいと薄明かりに視線を凝らす。 最早助けられないのなら先へ続くこの世の為に、ありのままを記憶することがせめてもの供養だろうと、ヤタカは目に力を込めて眉根を寄せる。

 柔らかな飄々とした青年の表情はなりを潜め、師ともいえる慈庭にも似た、空気さえをも切り裂きそうな鋭い眼光だけが黒く月明かりに浮いていた。


 完全に苔むした人型の、小山のほぼ中央から細い新芽が鎌首をもたげる。男達が身に纏っていた衣服は苔に触れて、腐ったようにぼろぼろと脆くなっていた。

 限界まで持ち上げられた茎はバネの要領で、苗床からまだ開ききらない葉を持ち上げる。

 異種の成長は早い。獣に荒らされたり、人目につき刈られる前に種をつけようとする、独自の進化だろうか。人の子が何ヶ月もかけるというのに、獣の子は産まれて直ぐ足で立つ。

 その程度の違いなのかもしれないが。

  

 ヤタカの腕にしがみつきながらも、イリスはひと言も話すことなく、ただじっと目の前の光景に見入っていた。


「どういうことだ?」


 イリスが腕にしがみついていなければ、ヤタカは駆け出していただろう。

 徐々に茎を太くして伸びていく異種は葉を付け、大きく膨らんだ蕾はほころび始めていたというのに。


「咲く前に……枯れた? あれは何だ?」


 小男は動じることなく小山の傍らで片膝をつき、小刀を構えていた。

 水気を吸い取られたように枯れた蕾へと続く、枝分かれした茎の根元から明らかに違う葉が伸び、あっという間に蕾をつけた。

 巻き付けたやわらかな布が風にほどけるに似た開花は一瞬で、紫の大輪が花咲く。   柔らかな花びらが種をつけようと萎みかけた瞬間だった。

 微動だにしなかった小男の小刀が宙を切る。

 僅かに萎みかけた紫色の花が二つ、ぽとりと地面に転がった。


「おかげさんで、いい物を採らせてもらった。こいつのは種より、花の方が貴重でな。採るには手間と根気がいるから、めったに出回らん。忘却草は、この世界にいると身を守るためには刃より強い武器になる」


 そういうと小男は、拾い上げた花を布に包んで袋の底に収めた。


「小屋で感じた甘い香りの正体は?」


「あれなら吸っても問題はないさ。目の粘膜につくと、ちと厄介だがな。猛烈な痛みの後、ちょっとした幻覚を見る。本人の意識の表層にある願望の幻を見るといわれている。だからたぶん、あいつらが最後に見えていたのは、握り飯なんかじゃないんだろうよ。腹を空かせていたのは知っていたから、仕掛けるのに誘導する必要さえなかった」


 飲み込むように握り飯を食っていた、男達の姿が蘇る。 


「説明してくれないか。なぜ異種から別の異種が芽吹いた? この二人は異種宿りではなかったはずだ。誰が種を仕込んだ? まだある。苗床になるのが早すぎる。あんたが持ち帰る、その異種のせいか?」


 アメ藤 と屋号の入った提灯に火を入れ、小男はヤタカを流し見るとふっと笑いを落とす。


「質問が多いな、その眼……。流石は慈庭様に仕込まれただけのことはあるな。昼間会った時とはまるで別人だ。なぁ、どっちが本物のあんただい?」


 小男を一瞬睨み付けたヤタカは、視線を反らして奥歯を噛む。


「慈庭との関係を知っているとは意外だな。それを知る寺の関係者はみんな死んだはず」


 けけけっ、と小男が笑う。


「オレが寺を壊滅させた事態を手引きしたと思ってんなら、そりゃお門違いだ」


「手引き?」


「まさか、その線を考えたこともないのか? あるだろう? 有り得ると思っていなけりゃ、そんな眼で俺を見やしない」


 腕を握るイリスの手に力が入ったのに気付いて、ヤタカはふっと表情を緩め大きく息を吸った。


「へへ、器用なやつだぜ。寺を抜けるのが最後になったあんたなら、一部始終を見ていただろうに」


 小男の言葉にヤタカは唇を噛む。


「覚えていない。岩牢の中からイリスを大声で呼んだのが最後だ。そこからどうやってイリスが岩牢へ入ったのか、どの道を通って森へ抜けたのか記憶がない。イリスにしても同じだ。俺に呼ばれた後の記憶が消えている」


 男の目に驚きの色が浮かび、視線を斜めに下げて考え込むように目を細めた。


「危なく余計なことまでしゃべっちまうところだったな。記憶がないなら、これ以上話すことはない」


「どうしてだよ」


「そりゃあ、てめぇの命が惜しいからに決まってらな」


 小男はひょいと荷の袋を背負い、ヤタカとイリスを払うように手を振った。


「この苗床はオレが片づける。流石に往来のど真ん中じゃ邪魔だからな。最初の質問だが、異種を植え付けたのはオレだ。それも二度。ゴザ売りで客の相手をしていたあいつらの背後から、一つ目の異種を仕込んだ」


 そういうと、小男は小さな吹き矢のようなものをちらりと見せた。


「一つ目の異種が眠る体内に、神経をちょいとやっちまう毒と一緒に、二つ目の異種を仕込んだ。まぁ、毒を握り飯に仕込んだのはあいつらだが。毒によって個体が死ぬことで目覚めるのが、二つ目の異種。しかもこいつは珍しい奴でな、自力じゃ発芽できないから別の異種に宿り、そいつを枯らして自分が花をつける。二つ目の異種が個体の死に慌てて、のんびり眠ってる一つ目の異種を無理矢理発芽させたってとこだ」


「そんな異種は、寺の記録にはなかった」


「無いだろうよ、調べに放たれた者達が知らせなかったんだからな」


「そんな筈はない。あそこに出入りしていた人間が、素堂を欺くだなんて」


「素堂様を欺こうとしたわけじゃないさ。守ろうとしたんだろうよ。たとえば……寺に話を持ち込めば、本来知られちゃならない者の耳に入っていたとしたら?」


 ヤタカの背中から、イリスがそっと顔をだす。


「寺に関わる誰かが、悪い人だったの?」


「あぁ、寺の末期には、情報がだだ漏れだったのさ」


 外部にも寺に通じる者がいたのか? 自分が知る以上にかなり多くの人間があの寺に関わっていたというなら、なぜ慈庭はそれを告げてくれなかったのかとヤタカは記憶を手繰り寄せる。どんなに引き寄せても記憶の糸は、最後の場面でぷつりと切れた。


「これで借りは返したからな。お前達をあのときの寺の子だと知らなければ、寺に出入りしていた者でも命を狙うぞ。寺に情報をもたらしていた、草クビリとの面識は無いはずだよな? 慈庭が会わせなかったはずだ。寺が崩壊した今、食い扶持を稼ぐには異種と異物を手に入れるのが手っ取り早い」


「草クビリ? 他にも命を狙う奴がいるっていうのか?」


「いるさ。こいつらは寺とは関係ない、草クビリの真似事とさえいえない素人さ。大した知識もないのに、無駄に異種の匂いを嗅ぎつけてその娘を狙ったんだろうよ。草クビリも色々いる。まともな奴と出会えたら、ゴテ師や野草師より余程多くの情報を持っているだろうな。へたすりゃ、寺の記録よりもだ。」


「寺に出入りしていた者だけではないんだろう? 見分ける方法は? 寺に関わっていた者を見分ける方法はないのか?」


 小男は口をひん曲げて首を振る。


「無いな。ちょろっと異種や異物を感じる力のある奴らでも、草クビリの真似事をする馬鹿は多い。本物は、寺に出入りしていた者とその身内がほとんどだ。よほどのことが無い限り、寺付きの草クビリだなんて名乗りゃしないさ。そろそろ行けよ。夜中とはいえ、道の真ん中で人が集まってりゃ目立つ。夜中に移動しても、あの娘がいる限り獣なんざ気にならんだろう?」


 この男、いったいどこまで知っているのか。聞きたいことは山ほどあったが、ヤタカは目を閉じて肩で息を吸い、同時にいつもの柔らかな表情を取り戻す。


「イリス、行こう。眠いだろうけど、少し先の小屋まで我慢しろよな」


「うん」


 背を向けて歩き出すと、イリスが男の方へ振り返った。


「おじちゃん、ありがとう」


 小さく手を振るイリスに、小男がチッと舌打ちした。

 それから胸の息を大きく吐き出し、呻くような迷うような唸り声を上げる。


「これは独り言だ。寺が崩壊したのは、おまえら二人を寺の保護から引き剥がし、野に放つためだ。おまえらを狩るために、寺という檻は壊されたんだ」


 はっとしてヤタカは振り向いたが、小男を照らし出していた提灯の灯りは吹き消され、月が流れる雲に隠れた闇の中、小男の姿は無くなっていた。


「行こうか、イリス。大丈夫か? あんなの見た後で」


「大丈夫でもない……けど大丈夫。初めてじゃないもの。わたしたち、狩られるの?」」


「あれは言葉のアヤさ。気にしてもどうにもならないよ」


 風に雲が流されて、再び月明かりが道を照らす。

 振り返ることなくヤタカとイリスは歩き続けた。これ以上あの男の口からは何も語られないだろう。


「イリス、次の村に立ち寄った後、寺の在ったあの場所へ戻ってみないか? みんなを弔いたい。おそらくは遺骨さえ残っていないだろうし、墓とはいっても石を積むくらいしかできないけれど、戻ってみたいんだ」


「わたしも戻りたい。慈庭が寂しがっているかも。でも、お供えするお花がないね」


「そうだな、花が咲くにはもう少しかかりそうだ」


 イリスがとんとん、とヤタカの肩を叩く。


「ヤタカはいつだって、変わらずヤタカだよ」


 なぁ、どっちが本物のあんただい?


――あぁ、あの男が口にした言葉を気にしているのか。  


 月明かりの中、ヤタカは目尻を下げてにこりと笑って見せた。


「そうだよ、俺は昔も今も、このまんま」


 嬉しそうにイリスが肩を竦める。

 全てを胸に押し込んだヤタカの目元には、いつも柔らかな笑みが戻っていた。


 疲れたイリスに無理をさせるとは思ったが、用心して三つ先の小屋に宿を求めた。

 本当にこの辺りは小屋が多い。

 無人の小屋に入り、備え付けの蝋燭に火を点けた。

 ここまで夜が更けた以上、新たに旅人が入って来る心配もないだろう。ヤタカは壁に凭れて下ろした荷物の中から、厚手の布に包まれた丸い石を取りだした。


「また磨くの? 飽きないね」


 流石に疲れたのだろう。イリスは欠伸をすると、ヤタカの隣で横になると小さく丸まった。


「飽きるわけないだろう? 何しろこの丸っこい石の中には水が入っているんだからな」


 水どころかまだ灰色の地肌をぶつぶつと晒す丸い石を、手の平にのせてヤスリで丁寧に磨き始める。


「寺に出入りしていた干物屋のおっちゃんから買ったんでしょう? ちょびっとのお小遣いぜーんぶ使っちゃって。紛い物、またの名を偽物」


「本物かもしれないだろう? 男のロマンなんだよ!」


 くすくすとイリスが肩を揺らして寝返りを打つ。

 見上げた黒い瞳が、蝋燭の明かりを映してきらきらと揺れる。


「本物なら値がつけられないほど価値があるのよ? ヤタカのお小遣い六回分で買えるなんて、ありえないでしょう?」


「うっせーよ! 六回じゃねぇよ! おやつ十回分だっつうの!」


 ヤスリで削れた石の粉をふっと吹き飛ばすと、わざとらしくイリスが顔を顰めた。


「お腹空かせてまで買った男のロマン……ふふ……ガキ」


 今に見ていろと思いながら石を磨く、ジャリジャリという音がイリスの子守歌代わりに小屋の中に響き続けた。

 イリスの寝息と共に、ヤタカの横顔には小男の前で垣間見せた険しい表情が影を落としていった。



読みに来てくれたみなさん、ありがとうございます!

では!

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