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52 記憶

「イリス、いったいどうやって……おい、おまえも黙っていくなよ!」


 用は済んだと言わんばかりにすっと闇に溶けたゴザ売りの姿に、ヤタカは慌てて声をかけた。ヤタカの声に、というより姿を消した辺りの闇を口を尖らせて睨んだイリスの視線に思い止まったのだろう。

 地面に視線を落としたままのゴザ売りが、草を踏む音さえ立てずにすっと姿を浮かばせる。


「おじちゃん、一緒にいこう!」


 驚いて目を丸くしたゴザ売りの腕を取ったイリスが、ずんずんと草を掻き分けヤタカの前にやってきた。


「イリス、無事で良かった。すまない、助けに行けなくて」


 眉間に皺を寄せて謝るヤタカの額を、イリスの指がぱちりと音を立てて弾いた。


「痛い!」


「それは、ヤタカが今謝った分」


 言い訳する間もなく次ぎに飛んできたのは、首がかくりと真横に傾ぐほど強烈なゲンコツだった。


「これはわたしに嘘をついた分」


「嘘ってなに? 痛い!」


 怒ったようにイリスがどしどしと足を踏みならす。


「ゴテと野グソが姿を消した理由よ! 言い訳できる?」


「それは……痛いって」


 最後に左の脛に全力で打ち込まれた蹴りに、ヤタカは呻き声さえ喉につかえたままうずくまる。

 横に転がって脛を抱えて丸まるヤタカの尻に、内臓が迫り上がったと勘違いするほどの打撃が刺さった。


「逃げろ……ゴテ……野グ……」


 細いヤタカの声にぴくりと身を縮ませた二人だったが、イリスに睨まれて逃げられる筈もない。

 すたすたと詰め寄ったイリスに襟首を掴まれ、がくがくと頭を揺さぶられながらコンコンと説教をされ、その合間にゲンコツを喰らい蹴りを入れられ、長ひょろいこんにゃくのように揺れている。


「だいたいね、友達を思ってのこととはいえ、嘘ばっかり吐くから話しがややこしくなるんだよ? ゴザ売りのおじちゃんが教えてくれなかったら、いったいいつ教えてくれたの?」


 ごつん げしり


「ゲン太がいないのも、あんた達のせいじゃないでしょうね?」


 ばこん どしり


「イリス、もういいだろ、な? そろそろ気絶するって」


 痛む体を引き摺って駆け寄ったヤタカに止められ、イリスはふくれっつらのまま振り上げていた手を降ろした。

 そして膨れた頬からぷうっと息を吐くと、少し眉尻を下げて辺りを見渡した。


「ほんとうに、ゲン太はどこに行っちゃったの?」


 ヤタカはゲン太と紅を逃がした経緯と共に、今しがた起きた事をイリスに聞かせた。

 目を閉じられた円大の遺体に、ゆっくりとイリスが近寄りすとんと腰を落とす。


「本当に、円大が?」


 イリスの問いに、ヤタカは黙って頷いた。

 そう……

 呟いたイリスは、半開きになった円大の口の端から流れた血を指先で拭った。

 変色し始めた円大の体が人型の土の塊に変わっていく。

 見慣れない新芽が月明かりを目指して一斉に芽吹いていく。

 ゆっくりと後退りながら、イリスは静かに目を閉じた。


「イリスねえちゃん?」


 顔を上げたイリスは、心配げなシュイを見て花のような笑顔をみせた。


「イリスねえちゃん、これ」


 恥ずかしそうにシュイが差し出したのは折りたたんだ白い布。


「ありがとう」


 受け取った布で指先の血を拭い、イリスはくしゃりとシュイの頭を撫でた。撫でながら視線は和平へと向けられた。


「わたる姉はね、たしを守ってくれたの。色んな者達の目を欺くために、わたしを攫ってくれた。攫った振りかな。まあ、わたる姉は認めないだろうけれどね」


 黙って頷く和平に、イリスはつかつかと近寄ると、腰を曲げてぐいっと顔を和平の顔に近づける。

 びくりとした和平が半歩下がると、イリスも足を踏みだし間合いを詰めた。


「和平、死にたくなっても死んじゃだめだよ? 君の身に何かあったら、悲しむ人間が多すぎるもの。それに、ゲン太もビービー泣くだろうし」


 そんな奴らの世話はごめんよ? と笑うイリスに、和平もにこやかに白い歯を見せ頷いた。


「取りあえず、ゲン太を呼び戻さなくっちゃ」


 いち早く耳を塞いだのはゴテと野グソ。シュイと和平に忠告しようとしたヤタカだったが、自分の身の安全を取って耳を塞いだ。

 つられて耳を塞いだシュイをきょとんと眺めていた和平が、イリスが大きく息を吸い込む音にはっとして両手を持ち上げたときには遅かった。


「ゲン太~! 早く戻らないと焚き火にくべちゃうぞ! 紅~ 早く来ないと焼き魚にしちゃうからね!!」


 重なり合った山々に、絶叫に近いイリスの叫びが木霊する。山の表面を舞っていた薄緑色の光が、ぶわりと跳ね上がって一斉に姿を消した。

 森の木々が、異種宿りの発した大声にびりびりと身を震わせ、その小さなかさかさという葉擦れの音が重なって山の空気を揺らした。

 満足げにふん、と息を漏らしたイリスの横で、和平が尻餅をつきながら笑みを漏らした。




 行き先など決まってはいなかった。

 イリスの見たがっていた泉を探そうにも方向さえわからない。

 ヤタカは迷っていた。

 おそらく時は満ちかけている。いや、既に満ちているのかも知れない。その瞬間を逃せば、水の器をイリスに渡す機を失うどころか、異種と異物を人の世から引き離す手段さえ失うことになりかねなかった。

 脳天気なイリスが取りあえず進もうというので、六人一緒に歩き出した。

 ゴザ売りの姿はいつの間にか消えていたが、この闇のどこかに身を潜ませているのだろう。

 和平はゲン太の安否を気遣っての同行であり、シュイはイリスねえちゃんを守るという大義名分のもとに、仮初めの自由を胸一杯に吸い込んでいた。


「ゲ~ン太、ゲン太、紅~」


 移動する自分達の場所を知らせるためなのか、イリスは調子っぱずれな節をつけて二匹の名を呼びながら歩いている。


「そういえば、ずっと聞きたかったんだ。ゴテさんは解るけど、どうして野グソって呼ばれているの?」


 悪気のないシュイの問いかけに、野グソの足がピタリと止まる。


「子供らしい良い質問だ。だが、俺の口からはいえないな……いえない」


 可笑しくてたまらないというように、口の端を笑いで振るわせてゴテがいう。


「イリスねちゃんは知ってる?」


 質問の矛先がイリスに向かったことに慌てた野グソが、あわわわとばたつきながら走り寄ってきた。


「イリス、まって!」


 イリスの手の平が、走り寄る野グソをぴしゃりと制す。


「嘘ついて心配させた罰よ!」


 額に手を当てあぁ、と息を漏らす野グソの肩を、ヤタカが諦めろ、といって軽く叩いた。

 にこやかな笑みを浮かべたイリスが、腰を屈めてシュイと目線をあわせすっと顔を近づけると、手持ちの薄い灯りに照らされたシュイの顔がぶわっと赤く染まった。


「野グソはね、小さい頃からお父さんに薬草を仕込まれていたでしょう? 普通は野山を廻って集めるらしいんだけれど、一般に使われる毒にならない野草は家の近くの小分けに仕切った小さな畑で育てていたらしいの」


「うんうん」


 顔を真っ赤に固まったシュイの代わりに、ゴテとヤタカが大きく頷く。

 野草の栽培と聞いて、和平も真剣な眼差しで耳を傾けた。


「まだ小さかった野グソに、ある日おじさんはこういったの。良い薬草を育てるには、水気、日当たりの案配、風当たり、そして土が大切だ。栽培する以上良い土を作るのは人の責任。だから土に堆肥を撒くのだよ。ウマの糞、牛の糞が土に栄養をもたらし、その土を好むミミズが土に空気を含ませ柔らかくする。だから、堆肥を撒く――――って」


「そうそう、野グソは悪くない。親爺さんの説明が小さい子供には難しすぎたんだ」


 ふだん野グソを擁護することなどないゴテが、わざと眉間に皺を刻んでしみじみといった。隠しきれない笑いが、顰めた眉を振るわせている。


「それで、野グソさんはどうしたの?」


 シュイが話しに引き込まれた丸い目をぱちくりさせて訊いた。


「野グソはね、ちゃんと毎日お手伝いしたの」


「えらいよなぁ~。律儀なガキだよなぁ~」


 感心しきりといった風に腕を組んでいったヤタカの頭を、野グソが堪らずパシリと打った。


「叩くんなら、俺じゃなくてイリスの方だろ? やれるもんならやってみろよ?」


 ヤタカの抗議に、野グソは向ける先を失った手を降ろしてぶすりと膨れた。  


「堆肥はね、後かけする場合もあるけれど、植物を植える前の土作りの段階で土に混ぜ込むものなの。おじさんの説明は、ちっちゃな野グソにはわからなかったのね」


 だから―――


「毎日、ウンチを自分が任された小さな畑にしにいったわけ。ぽろん、ぽろんって」


「イリス……かんべんしてくれ」


 耳を赤くした野グソが、肩に伸ばした手をイリスが笑顔でぴしゃりと払う。

 その後の顛末は、イリスに代わって意気揚々とゴテが話した。


 幼いとはいえ任せた畑だからと、親爺さんは一ヶ月近く様子さえ見に行かなかったらしい。ちゃぶ台をふたつ合わせたくらいの小さな畑に、ぽろんぽろんと畑では見慣れない物体が大量に落ちているのを見つけたのはゴテだった。

 犯人を捕まえようと木の陰からゴテが見張る中、野グソはぺろりと尻をめくって朝の用をたしはじめたのだという。

 大声で飛び出したゴテに驚いたところで、用を足している野グソが逃げられるわけもない。泣き喚く野グソを置いて駆けつけたゴテから一部始終を訊いた親爺さんは、驚いた顔をしたもののウンチだらけの小さな畑の横で大泣きする野グソを見て笑ったそうだ。

 

―――がんばったようだが、やり方が違うな


 そういって野グソの頭を撫でたという。

 

「それ以来、こいつの呼び名は野グソってわけ」


 真剣に聞いていた和平が腹を抱えて笑いだし、野グソの目の前にいるシュイはさすがに遠慮したのか、迫り上がる笑いの空気を頬に閉じ込め口を窄めたまま、ぴくぴくと小鼻を膨らませていた。


「ガキの頃だ。仕方ないだろう? 先に進むよ!」


 野グソが珍しく先頭をきって歩き出した。まだ夜が明けない森の谷間に、久しぶりの笑い声が木霊した。

 野グソに従ってみんなが歩き始めたそのとき、背後からかんかん、と聞き覚えのある音が鳴った。

 シュイが灯りを向けると、人が歩くように姿を現したのはゲン太だった。


――おもしろいはなしか


 木肌に浮かんだ文字の隙間を縫って、紅がゆったりと泳いでいる。


「ゲン太、シュイと和平が心配していたよ? どこにいっていたのさ」


 慌てて戻って来た野グソが話の腰を折る。


――はなし ききたい


「ゲン太、世の中にはね、知らない方がいいこともあるんだよ……ね?」


 野グソが落ちていた枯れ葉を拾い、シュイが持つ灯りの火種から火を移してしゃがみ込むと、ゲン太は慌てて飛び退った。


――げ、げたごろし


「これ以上話しが広がると、こっちの心が死んじゃうよ」


 こつりとゲン太を指で弾いて、野グソは枯れ葉の火を足元に落として踏み消した。


「逃げろっていったのに、その様子だと近くに身を潜めていたのか?」


 少し怒ったように睨むヤタカに、ゲン太はつんと鼻緒を持ち上げた。


――よわむし ちがう


「この馬鹿下駄め」


 踏み潰そうとしたヤタカの足より早く、イリスがさっとゲン太を抱き上げた。


「ゲン太、紅、会えて良かった。ごめんね、心配かけて」


――いりす げんきよかった


 へなりと鼻緒を下げたゲン太が、ぴたりとイリスに身を寄せる。紅の柔らかな尾がぴしゃりと木肌を打ってイリスとの再会を喜んだ。



 当てのないまま一行は山間を進んでいく。

 護衛のようにぴたりとイリスに寄り添い歩くシュイ、一番最後を歩く和平は最初こそ己の変化にゲン太がどう反応するかと不安げに口を噤んでいたが、木肌に浮かんでは消えるゲン太の挑発を受けて立ち、仲良く喧嘩を繰り返していた。


「このあとどうするつもりだ? いつまでも一緒に行くわけにはいかないだろう?」


 ヤタカの問いに、二人の幼なじみはあぁ、と頷いた。


「元の生活に戻るさ。信じてもどるよ。お前達がどんな方法を選びどんな決着を付ける気なのかは知りたくもないし見たくもないからな」


 ゴテは気がないようにふんと鼻を鳴らしたが、視線は斜め無効の地面へ落とされ、上手く笑えなかった唇が一文字に結ばれていく。

 幼い頃からヤタカを知っているゴテと野グソは、たとえ方法は教えられていなくとも、選んだ手段を聞かされていなくとも、ヤタカが自分の身を犠牲にするつもりでいることがわかっていた。

 口に出したことはない。

 慰めたことも、止めたこともない。

 自分達にできることはただひとつだとわかっていたから。


「まな板のことは心配するな。命に代えてもオレ達が守る」


 低く抑えたゴテの言葉に、ヤタカがゆっくりと首を横に振る。


「生きながら守ってやってくれ。あれはあれで、自分で選んだ道なんだから、お前達は人生を賭けちゃ駄目だよ。まずは自分のために普通の人生を守るんだ。まな板のことは、その中で見守ってやってくれ」


 遺言にも似た言葉と裏腹に、ヤタカは白い歯を見せにこりと笑った。


「なになに? 三人でこそこそ話? おもしろいことでも計画してるのなら……」


 振り向いたイリスの話しを遮ったタイミングと、三人の重なった言葉が悪かった。


「まな板に用はないの!!」


 無頼者相手なら拳も繰り出し、胆力の籠もる怒声を吐ける三人の男が、折り重なって乾いた地面に転がった。


「せめて、蹴りや拳を止める努力を……」


 ヤタカが胃を押さえて噎せ返る。


「ガキの頃を思い出すと、恐ろしくてそれもできないよ……オレはむり」


 そういうゴテに視線を向けられた野グソが、半分白目を剥いてかくかくと頷く。


「子供の頃、怒ったイリスの蹴りを止めたら痛いって涙目になって、当たらないように拳を避けたら、当たらないって三時間も泣かれただろ? イリスに三時間も泣かれるくらいなら、半殺しまでならがまんできる」


 野グソの言葉に記憶を探ったヤタカは口を閉じ、大の男三人は目配せし合って大きく溜息を漏らした。

 そんな三人に後ろ足を蹴り上げて砂をかけ、ゲン太が得意満面で追い越していった。

 和平が立ち止まり、呆れたように息を吐く。


「人は幼い頃の記憶に縛られる生き物だっていうけれど、本当だね。赤ん坊の時に猫に襲われた虎の子は、大きくなってもその猫を恐がるらしい。三人に会えてよかったよ。女性にどう接するべきなのか、学ばせてもらえるもの」


 すたすたと歩き出した和平の背を目で追いながら、誰からともなく笑い出した。

 

「置いていくよ~!」


 イリスが叫んでいる。


「は~い」


 答えて三人は立ち上がった。


「ねぇ、お腹すいた! おやつは?」


「は~い」


 声を合わせて立ち上がった三人は苦笑を浮かべながら、頷き合って山の中へと散っていった。

 山を知り尽くした三人が、春の山で食べ物を探すなど容易いことだった。

 何かあれば、闇に身を潜めたゴザ売りが必ず現れイリスを守るだろうという安心感からくる行動だった。


「イリス姉ちゃん、シカの燻製肉と黒砂糖飴があるんだ。食べる?」


 得意満面で布袋を差し出すシュイに、イリスが跳ね上がって喜んだ。

 そんなことなど知らない三人は、夜の森を駆けていた。

 イリスの言葉に逆らえず競い合った幼い日々を思い出しながら、最後にもう一度、くだらない少年の意地を掲げて幼なじみと走り回っている、今という瞬間に笑みを浮かべていた。



 ゴテの提案で途中から道ともいえない山の中を進んでいくと、街道にでた。

 今まで足を運んだことのない場所であったから、かなり遠くまできたのだろう。

 街道に出ることを躊躇った和平に、シュイが自分の外套を被せてやった。村ごとに違う服装、旅人ごとに個性的な身なりが行き交う街道で、外套を目深くかぶる子供に目を止める者はいない。

 街道沿いの小屋に泊まりながら、道なりに進んで幾つもの村を通り過ぎた。

 道の所々に異種の苗床となった人型の土が盛り上がり、びっしりと草に覆われていた。

 

「わたしね、みんなと離れている間に何度も夢を見たの。小さい頃を空から眺めているような夢」


 日を避けるために布を巻いたイリスがいう。


「その中で色んな事を思い出した。逆さ廻りでお母さんを亡くしたこと。泉で過ごした毎日。そして異種と異物のこと」


「異種と異物の何を思い出したの?」


 ヤタカの問いに、イリスは静かに微笑んだ。


「異種は結界が解けるたび、本来生きる場所を見失って人里におりていたでしょう? 人を苗床にして種を残し、種族として生き延びて。それが人々の恐れを生み、忌み嫌われた」


「あぁ。俺達はそれをいま収めようとしているんだろ?」


「うん。異種や異物を、居るべき場所に戻してあげないとね。でもね、人が異種を恨むのは少し筋違い」


 ゴテと野グソが首を傾げている。


「異種はね、山奥にいるときも人里に降りたときも何一つ変わっていないの。虫や動物と同じように、そこに人がいたから宿るだけ」


―――命を終えようとしている個体にね


 ヤタカはゲン太が現れたときに異種に宿られ、娘の嫁入りの幻想を見ながら死んでいた男のことを思い出した。


「異種はね、もう先が長くない者に宿り、発芽に必要な時期までその個体を生きさせる。最後に衰えたように見えても、異種が宿っていなければもっと酷い状態になっていたはずよ? 異種が宿ることによって、数日、あるいは持病で長く苦しむ日々を普通に近い状態で生きられる日々が増えているともいえるわね。そして場合によっては、心に潜む願いを叶える」


 前にも似たようなことをいったことがあったかな? とイリスは笑う。最近記憶が曖昧だと、疲れているのかな、とぺろりと舌をだす。その代わり、夢で見るように昔の事は思い出すのだという。


「きっと必要なときまで玉手箱みたいに記憶をしまっておいたのね~。わたしって天才!」

 

 笑いかけたヤタカだったが、玉手箱という言葉に笑みが萎む。


――イリス、玉手箱は開けたら止まっていた時が動き出すんだぜ


 思い浮かべた玉手箱から立ちのぼる煙に、死の匂いがした。

 一瞬の空想だというのに、煙の向こうでイリスが笑っていた。

 自分の命など空気に溶ける煙と変わらないというように、何にも縛られない笑顔が眩しかった。

 


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