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51 友は互いの手に命を握り



51 友は互いの手に命を握り



「こんなことでどうにか出来ると思ったか。毒で枯れようとこの蔦は再生する。くくっ……所詮は化け物の浅知恵」


「そうでもないさ。その蜘蛛はあんたの手首に宿る、いわば蔦の心臓部を突いたんだ。先を折られても再生するだろうが、心臓が止まれば生き返らないのは人と同じだろ?」


 はっとしたように手首に視線を落とした円大は、驚愕に見開いた目のままどくどくと血が溢れる手首を忙しなく擦った。

 ちょろちょろと顔をだすはずの蔦に変わって、流れ出た血が円大の足元にあっという間に血溜まりを作る。


「体内で精製される毒に対して耐性があったのは、宿した蔦のおかげだ。宿主が死んでは困るからね。だが蔦本体が死を迎えたなら、おまえの体は脆弱な人でしかない。毒を作りだす蔦の心臓部が死を迎えた今、毒を中和する者はいない。腐りかけた毒の精製所は、血液を通して毒を垂れ流すだろうね」


「貴様!」


 袖を千切って毒の周りを遅めようとした円大の手を、鋭い大蜘蛛の足が突き刺した。


「ぐえぇ」


 詰まった悲鳴を上げた円大が、怨嗟の目を和平に向ける。


「たとえ死んでも、俺の勝ちだ」


 円大の叫びに、白目を剥いたままの和平が首を傾げる。


「あの家系に生まれたというだけで、長男だというだけで数奇な運命を押しつけられた。

爺さんも親爺もこの手で葬った。一緒に蔦がこの世から失せればいいと願い、それが叶うなら身内の命が消えることさえ厭わなかった」


 毒が回りはじめたのか、ぜぇぜぇと息を荒げて円大の肩が大きく上下する。


「宿主を殺しても、俺に宿命が回ってくるのが早まっただけだった。呪ったよ。こんなモノを背負い込んだ先祖も、浅はかな自分の愚かさも。だが、そこで思い直した。こんな体では普通に生きられない。若い頃は感情が高ぶるだけで蔦が腕から顔をだした」


全てを諦めたさ―――円大は自嘲気味にけけっと笑った。


「周りを気遣えば暗いだの感情が薄いだのと仲間の輪から弾かれた。感情を表に出せば、うっかり蔦を目にした者が悲鳴をあげて逃げていく。目撃が与太話となるように、各地を転々とするしかなかった」


寺に辿り着くまでは……そういって円大は手首を押さえて膝を折った。


「寺に二人のガキが匿われた。訝しく思った俺は、素堂の目を盗み寺の蔵書を読みあさった。水の器、境界線なき者、サザナミトユウモヤ……その言葉を知ったのもあの時だった。俺の人生に光が見えた。呪われた運命を光に転じる機が訪れたと思った」


「円大……」


 かっと短い息を吐いて、円大は胸を押さえ蹲る。震える顔を上げたが、蜘蛛の頭に隠れて表情は見えなかった。


「散らばった異種が人を苗床とするのを、指を咥えて眺めているがいい。一人で死んでいくイリスの屍を、地を這って探すがいい! ヤタカ、おまえのように恵まれた者など、短命であっても呪われた家系とはいわない! 呪われた家系の子とは、手の届く所に人が居ない。視界が届く所に未来が見えない。伸ばした手に触れる温もりがない者のことだ!」


 震える首を擡げて怨嗟の視線を送る円大に、ヤタカはゆっくりと首を横に振る。


「それは違う。俺は伸ばした手で相手の手を握ろうとした。だからこそ、数は少なくとも握り返す友ができた。円大、おまえは伸ばした手に何を握っていた?」


 睨む円大の口から、たらりと赤い血が流れた。


「誰かが握り返すには、温もりが必要だ。おまえの手を握っても、感じるのは人肌ではなく、最初から握られた刃の冷たさと受ける傷の痛みだっただろうよ。刃を握った手など、誰が握り返してくれるものか」


 嫌いだよ、綺麗事をならべる奴は―――円大は吐血しながら笑っていた。

 もう顔を上げる力も残っていないのだろう。横にした顔を地べたに付けたまま、円大は小刻みな息を繰り返す。

 死期を悟ったのか、大蜘蛛がざばりと音を立てて地中に姿を消した。


まるで自分の足が思い通り動くかを確かめるように、和平が一歩、また一歩と円大へ近付いていく。進む和平に引き摺られる網ようにぶら下がっていた金糸の巣が、ぷつりと真ん中で分断し、一方は大地に浸みるように溶けて姿を消し、一方はするすると和平の手に吸い込まれた。

 時折ふらつく足を立て直しては円大の元へ辿り着いた和平は、大地に頬を押しつけたままの円大を無表情に見下ろした。


「考えようによっては君の方が、人としてまともな神経を持っていたのかも知れないよ。曰く付きの家系に好きで生まれる者などいない。受け入れるには時間がかかる。人と交わりたいのは人間の本能だからね。その本能に忠実に生きたかった君は、早くに心が折れてしまった」


 円大の背の上下が細かく小さくなっていく。もうほとんど息など吸えていないのだろう。


「オレや他のみんなは、おそらく早い段階で諦めたんだ。人と関わることも、普通に生きることも。心を保つ代わりに平穏を捨てた。普通であることを捨てた。捨てることで宿命を受け入れた。誰かが背負わなければならないもの」


 円大の息が、シュゥー……シュゥーと途切れ途切れとなる。

 毒に蝕まれた命が血となって流れ出て、円大を黄泉に送る穴と言わんばかりに、丸く赤黒い染みとなって広がっていた。


「だがやっぱり、君は間違っているよ。察するに、子供の頃のヤタカは君を兄のように慕い懐いていたはずだろ? なぜその時に気づけなかったのかな。 取るべき手がそこにあると、なぜ心の軌道を変えられなかった?」


 円大の頬が、僅かに大地を離れぱたりと戻る。

 ぴしゃり、と血の泉が跳ねた。


「君に差し伸べられた手は、幾つかあったんだよ? なのに君は、その手を片端から憎しみの刃で切り裂いてしまった。その手とは関わりのない、まったく別の場所で打たれた刃でね」

 

 恐怖で支配しようとした異種でさえ、離れてしまったね―――和平はなぜか辛そうに呟いた。

 ヤタカはよろよろと歩き出していた。今更、円大にかける慈悲など持ち合わせてはいない。

 ばらばらな足取りで足が動いていた。

 円大が奪った物言えぬ魂の代わりに、言葉を叩き付けたかった。 


「オレ達と君の行く道を分けたのは、ただひとつのことなんだ」


 和平は胸の前で静かに拳を握りしめ、微笑みを口元に寂しげに浮かべた。


「普通を捨てて宿命を受け入れる為に必要な者はここにいる」


 握りしめた指を開き、和平は己の胸をとんと叩いた。

 森を覆う薄緑の灯灯りが、和平の思いを受けたようにさざ波を立てる。


「自分が犠牲になることで大切に思う誰かが救われる。その誰かが笑顔で生きていくことを想像して笑顔になれるなら、その行為に犠牲という呼び名はつかない。自分が望んだことだもの」


君の胸の中には―――落とすような和平の声に、夜の闇が耳を澄ます。


「居なかったのだろうね。自分が消えても、笑顔でいて欲しいと思える人が。いや違うな。幸せでいて欲しいと気づいていながら、その思いに蓋をした」


 ひゅうー ひゅー と間隔をあけて円大が長い息を吐き出した。

 こめかみの小さな傷から溜まった血がとろりと流れ落ちた。


「円大、俺は……」


 円大の顔を覗き込むように血の泉に這いつくばったヤタカは、後に続く言葉を探して視線を泳がせた。

 和平がそっとヤタカの肩に手を置き、片膝をつく。


「おそらくはね、ヤタカが最後の砦だった、いやそうなり得たはずだよ? お爺様も実の父さえ手にかけ、引くに引けなくなった君がたとえ取り返しのつかない時点からであったとしても、身内を殺めた個人としての罪ですませられた時点。その時に現れたヤタカを、彼に兄のように接した自分を素直に受け入れていれば、その後の惨事は起こらなかった。素直に、好きな者を好きだと思う。ただそれだけのことだったのにね」


 もはや己の上体すら支えられない円大の指先が、震えながら土を掻く。


「おまえなど……ヤタカなど」


 げほりと吐き出された咳と共に、闇に染まった赤黒い血が唇を濡らす。


「円大、俺は……」


 ヤタカの言葉を遮って、土を掻いた円大の指が鉤爪のように折れ曲がる。

 息から命が漏れ出ていた。堪えようと力の込められた指の関節から、静かに力が抜けていく。


「ヤタカなど……大嫌いだったさ。殺したい……ほど……に……」


 憎かった―――


 半開きの瞳から生気が抜けていく。動かなくなった口の端から、言葉の代わりにとろりとろりと血が流れた。


「死に際の憎まれ口など、好いていたと」


 言ったようなものじゃないか―――


 和平が呟いてヤタカの肩から手を離した。


「目を、閉じてやっても構わないか?」


 ヤタカは周りに立つ者達に許可を求めた。円大のしたことを許せはしない。みんなの心情を思うと、瞼を閉じてやることさえ憚られた。だが、それでもヤタカは円大の笑顔を払いのけられずにいた。


「構わないよ。ゴテさんや野グソさんだって、それを止めるほど狭量じゃないさ」


 和平の言葉に幼なじみの二人を見遣る。

 険しい表情のまま頷いた二人に軽く頭を下げ、ヤタカは円大の瞼に手を乗せた。


「俺もあんたが嫌いだ」


 すっと指先を擦らせて、円大の瞼を閉じる。

 手を退けた後の円大は、苦しみも喜びもない能面のような死に顔だった。


「でもあんたより、自分の方が遙かに嫌いだ」


 寺で見せた円大の笑顔に嘘はなかったのだろう。生まれ持った優しい笑顔を殺さざるえないほど追い詰められていた円大に、自分という存在が拍車をかけた。


「円大、あんたを刃に変えて、この世を壊しかけたのは俺だったのかもしれないな」


 全てに出来事が走馬燈のように駆け抜けた。

 水の器がヤタカに宿った日、ヤタカが命を捨てていたなら運命は違っただろうか。

 ヤタカの代わりに、本来水の器を受け次ぐ者だった慈庭が宿していたなら、もっと上手く立ち回っていたのではないか。

 円大の追い詰められた心に気づいてやれただろうか、イリスを危険な目に合わせることもなかっただろうか。

 

「ヤタカ、死んだ者に弔いの思いを向けるのは今じゃないよ。ここで立ち止まったら、取り返しのつかないものを失うことになる。今のオレ達には時間がなさ過ぎる」


 再びに肩に乗せられた和平の手に釣り上げられたように、ヤタカは落ち込みかけた後悔の沼から浮上した。


「これで全てが終わった訳じゃないんだな」


 ヤタカの声に、和平は静かに頷いた。


「何も終わっていないよ。本来進むべき地図に不用意に現れた岩を退けただけだからね」


 和平の言葉に、いつの間にか側に来ていたシュイが続ける。


「荷物持ちが何を後悔していようが、過去はかわらねぇよ。そのアホ面で悔いることがあんなら、さっさと気持ちを切り替えろ! 本当に失いたくない人までなくしてから泣き喚いたって知らないぞ? それから和平!」


 見上げてぼんやりと耳を傾けていたヤタカの前で、シュイがビシッと和平を指差す。


「なに?」


 裏返って白目を剥いていた和平の目には、以前と変わらないくるりとした黒目があった。


「何? じゃねぇよ! どんだけ心配したと思ってんだよ。もうちょっとでこのアホな荷物持ちを放って助けにいくところだったろうが!」


 面食らったように目をぱちくりさせる和平の頭を、シュイがバシリと平手で打つ。


「痛い……って」


「ほら、痛いだろうが! 和平がいま痛いって感じられるのはオレ様のおかげだからな! 感謝しろっての」


 もう一度叩こうとしたシュイの手を、寂しそうな顔で和平が避けた。


「逃げんのか!?」


 ふるふると首を振って、和平はすっと一歩下がった。


「駄目だよ。シュイは自分の道を進まなくちゃ」


 かくりと抜けそうになる膝を引き摺って、和平がゆるゆると横に首を振る。


「この大事が終われば、シュイは普通に生きていける。人はね、周りにいる人を含めてその人を判断する生き物なんだ」


だから―――


「オレと関わっちゃ駄目だ」


 引き摺る足が限界に達したように、和平が肩を丸めて佇んだ。


「意味が解んないんだけど」


 俯いていた和平が思い定めたようにくいっと顔を上げ目を閉じる。

 きつく閉じられた瞼がかっと見開かれた。


「オレはもう、オレだけじゃないんだ」


 見開かれた瞼の底にあったのは白目。

 ただの白目と違ったのは、両目の上の方に二つずつ赤黒い光を放つ蜘蛛の複眼があったこと。そして中央より下に、複眼より一回り大きい赤く丸い蜘蛛の単眼があった。

 

「わかっただろ?」 


 表情無く口を噤んでいたシュイが、足を一歩引いたかと思うと、いきなり飛び上がって和平を蹴り倒した。


「あぁ解ったよ。理解した。おまえは蜘蛛と同化して、何とか主導権を握っている危うい状態だ。そんでもって、それにビビってる!」


 背中から倒れて立ち上がりかけた和平を、再度シュイの足が蹴り倒す。

 背中をしたたかに打ちつけた和平が、ごほりと咽せた。


「この騒ぎが終わっても、表の世界にでられるのかはわからない。もしかしたら、一生横穴暮らしかもしれない。じっちゃんの許可がないと、どうにもできない」


 少し悔しそうにシュイは唇を窄めて眉根を寄せた。


「けどな、それ以外は自由だ。心だけはおまえのものだって、じっちゃんがいってたからな。オレが誰を友達だと思おうが自由だ。おまえにだって文句はいわせない!」


 それともなにか? そういってシュイは半歩足を進めて身を乗り出した。


「友達になろうぜ、っていったおまえの言葉は口からでまかせだったわけ? 和平がそういったから……オレ様が友達になってやろうかっていってんだよ!」


 頬を膨らませたシュイが、恥ずかしそうにぷいっと顔を背ける。

 まるでガキ大将が初めて女の子に告白しているようだとふっと息を吐いたヤタカは、立ち上がって和平の元へ歩み寄った。


「和平」


 縮こまった肩に手を置き、膝を曲げて視線を合わせた。


「シュイの優しさは解りづらいから、オレが訳してあげるよ。シュイはね、この場に来てから本当に和平のこと気にかけていて、本気で助けたくて必死にがんばったんだ。横穴で暮らして同世代の友達もいなかったあいつにとって、和平がいった友達になろうは、見えない横穴の向こうの世界に光の玉が現れたようなものだったと思うよ。同情でも義務でもないさ。シュイはね、単純に和平が好きなんだよ。友達を失いたくないから、照れ隠しに怒鳴ってる」


 な? そういって肩を揺らすと、和平の目元に気恥ずかしそうな笑みが宿った。 


「シュイ、助けてくれてありがとう」


 和平の言葉は静かだった。夜風になびいて前髪がさらさらと揺れる。


「別に礼なんか……。じゃあ、友達ってことでいいんだな? いいんだよな!」


 言葉とは裏腹に睨み付けるシュイを見て、和平はふわりと笑みを浮かべた。


「友達でいたいさ。オレが、蜘蛛に体の自由を奪われたとき、殺してくれるなら」


 柔らかな笑顔でいった和平の言葉に、シュイが目を見開いた。

 

「蜘蛛が主位に立ったとき、どうなるのかはオレにもわからない。でも、自分じゃなくなるのは確かだと思う。そのときは、躊躇無く殺して欲しい。オレの尊厳を守る為に」


 異種の光に照らされたシュイの肩が震えているのが、離れたヤタカからでも見てとれた。


「そんなこと、できるわけないだろ? 殺すなんて」


「じゃあ友達は無理だ。最後を任せられるのが友だろ?」


 笑顔のまま、和平がいう。


「どうしたらいい……」


「え?」


 柔らかな笑みをそのままに、和平が小首を傾げる。


「和平が蜘蛛に主位を奪われないためには、どうしたらいいのさ」


 そんなことか、と和平は小さく頷いた。


「オレの意思が、蜘蛛を上回っていることが必須。要は力さ。意志の強さが勝った方が主位に立つ。今はぎりぎりってところかな。この蜘蛛を身に収めるのがオレの役割でもあり、器としての宿命でもあるから」


 今はまだ、この騒動を収めて姉さんを守り抜くという思いだけが一歩蜘蛛を勝っているのだという。この騒動が終焉を迎えたとき、自分の心持ちがどうあるかは想像さえつかないと和平はいった。  


「動機があればいいんだな?」


「え?」


 シュイの言葉に、和平が目を幾度かぱちくりとした。


「和平が生きなくちゃならないって強く思うだけの、理由がありゃいいんだろ!?」


 仁王立ちで和平に向き直ったシュイが、考え込むように寄せていた眉根をふっと緩め、思い定めて吹っ切れたように顎をあげると、腰に手を当て胸を仰け反らせた。


「蜘蛛に負けたら、和平を殺してあげるよ」


 淡々としたシュイの言葉に、ヤタカは驚いて立ち上がった。およそシュイの言葉とは思えない。生意気で口は達者だが、できもしない口約束をするような性格ではないことをヤタカは知っていた。


「おい、シュイ!」


 思わず割って入ったヤタカを、シュイは顎をしゃくって邪魔だと退けた。

 安堵したようにこくりと頷いた和平が、力の抜けた穏やかな顔を上げる。


「そして和平を殺したら、その手でオレも死ぬ」


「シュイ、何をいって……」


 和平の言葉は、先に続けられたシュイの怒鳴り声で遮られた。


「だから負けるなっつってんだよ! オレを死なせたくなかったら生きろ! 簡単にオレの命を終わらせんな!」


 まっすぐに見つめるシュイの目は偽りも張ったりの影さえない。


――シュイらしいな


 自分だけの命なら、木葉に息を吹きかけて飛ばすように終わらせて構わなかった和平だろうが、軽んじていた己の生き死にがシュイの命を左右するとなれば、これほどの精神的支柱はないだろう。


「駄目だよ、シュイは生きなくちゃ。シュイなら上手に普通に紛れて生きられる。未来があるんだ」


 和平の声は震えていた。


「だから、その明るい未来ってやつを一緒に生きようって……生きようと思って……」


 シュイが拗ねたように声を細らせる。

 黙り込んだ少年二人を眺めていたヤタカはふっと笑みを零し、それから大きく息を吸い込んだ。


「素直に、生きる努力をしてやりなよ和平。シュイが赤っ恥覚悟でここまでいったんだ。一緒に生きよう―――って、ははっ。和平を嫁にでも貰うのかと思ったぜ」


わざと戯けたヤタカだったが、そんな思いやりを解する二人ではないことを失念していた。

 真っ赤になったシュイの蹴りが腹に入った。腹を抱えて体を折ったヤタカの脳天を、和平の平手が打ち下ろす。


―――手加減なしかよ!


 火花の散った目を押さえてヤタカが舌を打つ。


「あぁ死なないよ! シュイになんかに死なれたら、死んでからも後味が悪い。ヤタカじゃないけどね、そういうセリフは好きな子にでもいえよ! オレは求婚の予行練習がわりの案山子じゃないんだぞ!」


 怒鳴りながら、和平の平手が容赦なくヤタカの背を数回叩いた。


「痛いって!」


「ばっかじゃないの? 求婚とか和平は爺かよ! プロポージュっていうんだよ。だいたいオレはもっと洒落たプロポージュするっての!」


―――それをいうならプロポーズ……


 心の中で吹きだしかけたヤタカは、再度蹴り上げられたシュイの足に胸を突かれグエッと潰れたカエルみたいな声をあげた。 


「そこまでだぁ!」


 ぜえぜえと息を切らせて立ち上がったヤタカが、二人の頭を分けて押さえ込む。

 その顔には、久しぶりに見せる心からの笑顔が浮かんでいた。


「喧嘩の続きはことが終わってからにしろ。和平、シュイは本気だよ? だから意地でも死ぬな」


 ヤタカに言われて、和平は恥ずかしそうな笑みを浮かべてこくりと頷いた。


「シュイ! おまえも簡単に死ぬな! 爺ちゃんが悲しむだろうが!」



「死なないさ。和平が負けるわけない」


 下唇を突きだしてむくれるシュイの頭をひとなでして、ヤタカはまっぐにい幼なじみの元へと足を向けた。

辺りの山々は薄緑色の光の粒に覆われ、辺り一面をうっすらと照らし出している。

所々で夜空に向けて噴水のように吹き上がる異種の光は、異常時でなければ幻想的な光景だった。


「ゴテ、野グソ……」


 聞きたいことは山ほどあった。殴りつけたいほどの文句も、すっかり騙された裏切りの皮を被った友情に気づけなかった事への謝罪も。

 二人の前で立ち止まり、最初のひと言を吐き出そうとしたヤタカの口が開いたまま固まった。幼なじみの間から見える背後の森に、信じられない姿を見た。


「ヤタカ、お待たせ!」


 にこりと微笑むイリスがいた。

 少し下がった場所に闇と同化して佇むのは、ゴザ売りの姿だった。

 イリスに道を案内してきたように、その足元に細く水の流れがあった。

 ちょろちょろと流れる水は、イリスの足元を過ぎると地に染みこみ、己の主の元へと帰っていった。








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