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26 真名を知る者

ヤタカを細腕で引いて連れ帰ろうと思ったシュイが、一枚板に大きな引き手を付けただけの荷台をカラカラと引いて駆けつけたとき、ヤタカはぼんやりと座り込んだままで、その前には得体の知れない何かがぼとりと落ちていたものだから、横穴にひぃっ、と尾を引く悲鳴が響き渡った。


「シュイ……か?」


「な、なんだよそれ! おまえ、う、動けるのか?」


「あぁ、大丈夫だ。こいつは死んでいるから心配ない。これのおかげで命拾いしたようなものさ」


 転がっていた竹筒を手に、ふらつく足でヤタカがシュイの元へ歩いて行くと、ひくひくと頬を引き攣らせるシュイの額には、玉のような汗が浮いて、顎からは汗がしたたり落ちていた。


「これを運んできたのか? 重かっただろうに」


 荷台には、たっぷりと水の入った木樽が細縄で括り付けられていた。

 車輪がついているとはいえ、小さな体には相当重い荷物であったろう。


「じっちゃんが、水だって。水を持っていって飲ませろっていうから。おまえ、本当に大丈夫なのか? あの変な物に乗り移られたとかじゃないよな?」


 真顔でいうシュイに、ヤタカは笑って首を振る。


「そんなお伽噺じゃ、今どきオムツした子供でもビビらないぞ? この水、飲んでもいいか?」


「おお、全部飲んでいいぞ」


 目をまん丸くして、上の空で答えるシュイに苦笑いしながら、ヤタカは樽に顔を突っ込み水を飲む。乾き切った異物憑きの体に、透明な水が染みていく。

 顔が水に届かなくなると、縄を解いて一抱えもある樽を持ち上げ、最後の一滴まで漏らさず飲みきった。

 沈黙を貫いていた水の器が、頭の奥でふるふると身じろぐ。

 今更かよ、とヤタカは心の中で苦く笑った。


「ありがとう、生き返ったよ。水が無いのは正直辛い」


「おうよ。それより、こっちこそ……」


「どうした?」

 

 言いづらそうに、言葉を口にしたくないかのように唇をぱくぱくさせていたシュイが、諦めたように大きく息を吐く。


「ありがとうな、あの薬。幻の薬だってじっちゃんがいってた。良かったのか? そんなん貰って」


 薬を使った途端、じっちゃんの痛みが薄らいだから、といってシュイは嬉しそうに微笑んだ。


「気にするな。どうせ貰い物だから。こんなチビのくせに、ご主人に万が一のことがあったら困るだろう?」

 

 頷きながらも口を尖らせ、チビは余計だとシュイが文句をいう。


「早く強くなれ。おまえなりの強さでいいんだ。今度何かあったときには、シュイが爺ちゃんを守るんだぞ」


「わかってら」


 小さくいって、シュイは下唇をぬっと突きだし鼻筋に皺を寄せる。


「よし、急いで帰るぞ。お姉ちゃんが心配だ」


 外套のフードをばさりと被り、くるりと向きを変えてシュイが急ぎ足で歩き出す。


「おーい、荷台は?」


 諦め口調で呼び止めたヤタカを半分だけ振り返り、シュイが無表情に舌をだす。


「人間の集合体ってのは、何においても役割分担じゃないのか? 元気になったんだから、帰りはあなたの仕事です。だろ?」


 すたすたと先を行くシュイの背に小石を蹴飛ばし、荷台の持ち手に体を滑り込ませて腰に引っかけたヤタカは、けっと口をひん曲げ歩き出す。

 荷台の下でガラガラと、車輪が回る音が横穴に響く。


「まったく、敬語の使い方が中途半端なんだよ」


「何かいったか?」


「何もいってねぇよ!」


 シュイに手渡された蝋燭を手に、ヤタカはさっきまでいた場所を一度だけ振り返った。

 蝋燭の弱い灯りが枯れ果てた身代わり草を照らし出すことはなかったが、ヤタカは口のなかで小さく礼をいい、ほの暗い横穴を歩き出した。




 

 宿屋あな籠もりまでは、思っていたより距離があった。

 汗だくだったシュイが、必死にこの道を走り荷台を引いたのかと思うと、先を歩く小さなの背中が少しだけ大きく見える。

 子供の成長は早い。あっというまに青年となり、宿屋あな籠もりと主人を守る強く聡明な大人になるだろうとヤタカは思う。


「ドラを鳴らすには時間が早い。前みたいに頭から突っ込むなよ」


 いつの間にか見覚えのある場所に着いていた。

 目を懲らしても岩にしか見えない壁へ、すっとシュイが体を滑り込ませる。水面に小石を落としたように、固いはずの岩肌が揺らぐ。荷台を置いて指先を壁に這わせると、さらさらと細い縄暖簾に似た手触りが心地よい。


「入るぞ」


 ヤタカはまるでそば屋の暖簾を潜るように、ゆっくりと宿屋あな籠もりへと入っていった。


「ご無事でなによりじゃ。いやいや、今回はすっかり世話になりましたな」


 変わらぬ笑顔で、宿屋あな籠もりの主人が出迎えてくれた。


「こちらこそ助かりました。あの水が無ければ、毒が抜けていたとはいえここまで息があったかどうか」


 お伽噺として伝えられる身代わり草に助けられたこと。幼なじみとの経緯や、受け取った紙を燃やされてしまったことを掻い摘んで話した。そして伊吹山で何があったのか。宿の主人はひと言も発することなく、幾度となくゆっくりと頷き、時折ヤタカの頭上を通り越して遠くを見るように視線を泳がせた。


「ご主人は、どこまで知っておられたのですか? 伊吹山で起こるであろうことや、燃やされた紙に書かれていた六つの名。話すことはできませんか? 話せることだけでいいんです。今は砂粒ほどの情報にも縋りたい」


 ヤタカの目を真っ直ぐに見つめ、主人はこくりと頷いた。

 外套を脱いだシュイは、聞き耳こそ立てているのだろうが、口を挟むことなく少し離れた部屋の隅で横になって身を丸めている。


「話せば恨まれるじゃろうな。全てを知っていたわけではないが、おまえさんを待ち受ける運命を、過去の記録と情報だけとはいえ、わしは知っておったからの」


 そうですか、とヤタカは口元に笑みを浮かべる。


「責めないのかの?」


「責める理由がありません。俺はあの場へいく必要があった。たとえ何者かの思惑通りだったとしても、俺は先へ進むしかなかったから。ご主人にはご主人の役目があるのでしょう? 俺にもきっと役目がある。だからいいんです」


 そうじゃの、宿の主人は真っ白な髭を握っては撫でる。


「ところで、娘さんは元気かの?」


「はい、多分。できることなら、今すぐにもイリスの元へ戻りたいです。俺を取り巻く状況は、知らない内に変わっていた。もう誰にも、イリスを任せられないくらい、変わってしまった。透明な檻の中、身動きが取れない気分です」


「娘さんは今、一人で待っているのかね?」


「いいえ、それが……」


 言いよどむヤタカの答えを急かすことなく、宿の主人は柔らかな視線を向ける。


「ある人物に預けてきたのですが、今ではそれが、導火線に火を放った火薬をイリスに巻き付けてきてしまったような気がして、信じたい思いを押し潰しかけています」


 どこまで話して良いのか、ヤタカは言葉を選ぶ。


「信用している人なのじゃろ?」


「今だけは、信用しても構わない人物だと思っていました。ところが、思わぬ所から、同じ人物を指し示すとしか思えない名がでてきたのです」


 ほう、宿の主人は皺だらけの目を細めた。


「俺から毒を抜いた、身代わり草の葉にぶら下がっていた紙を見ました。燃えて文字が見えなくなる前に、この頭に叩き込んだ名の先頭にあった名前が、火隠寺わたる。名字に聞き覚えはありません。ですが、イリスを預けてきた女性の名は、わたる。不安にならざる得ないのが現状です」


火隠寺(かいんじ)……」


 白髭に覆われた顎を撫でながら、宿の主人は遠い記憶を探るように目を閉じる。


「わしの得た情報が正しければ、その名を持つ者は、既にこの世には居ないはずじゃ。もし生きているとしたら……」


「どうなりますか?」


「この戦いの、勢力図が塗り変わるじゃろうな」


 ヤタカの肩が、がくりと下がる。


「関わってはならない相手だった、ということでしょうか」


「いや、おまえさんが生きている限り、顔を合わすことになったであろうよ」


 そうですか―――


「わからぬよ。本人は二度と、表舞台へ上がるつもりなどなかったのかもしれんしの。だからこそ、まことしやかに死が囁かれ、それが皆の知る真実となった」


「何者なのですか?」


「この戦いの一角を背負う勢力の、頭の家筋じゃ。しかも噂では、希に見る切れ者で変わり者じゃったとか。まぁ幼い日の話じゃから、時が経ってどうなったかのう」


 噂は真実だろうとヤタカは思う。正体の解らない切れ者ほど、達の悪い相手はいない。 だが、とヤタカは眉根を寄せる。

 進むべき道を迷っていたわたるの、枝分かれした道の先が朧気に見えた気がした。

 線の細いわたるの横顔。イリスへ笑いかける目元。怪我人を助けようとしたわたる。

 敵にまわったとして、どこから憎めばいいのかわからなかった。

 どう恨めば良いのか、解らなかった。


「その娘には兄弟がいたはずじゃが、その子も幼くして亡くなったとされている。跡目争いなど起こる前に親が死んでおるからの、何があったのか、今では想像さえ難しいのう」


「ご主人、残りの五つの名に覚えはないでしょうか。音叉院(おんさいん)羽風堂(はふうどう)翠煙(すいえん)狼火塚(ろうかづか)隠し釘(かくしくぎ)


 ヤタカは記憶を辿って、一文字も違えることなく五つの名前を宿の主人に伝えた。

 普通ならこう読むであろう、そんな当てずっぽうな読み方しかできないが。

 


「それは真名じゃと思う。火隠寺の名を知っておったのは、少しばかりその家の大事に関わったことがあったからで、他の名は解らんの。ただ、火隠寺の名と連なって全てで六つ。おそらくは、人知れず進むこの戦いに関わる家や組織、あるいは個人の名を指すものであろうな」


「真名とは?」


「六つの大きな動きが関わることは、この大事の深部に関わる者や特殊な任に着く者なら知っておる。全貌は知らずとも、一部は把握しておるはずじゃよ。だが、そこで語られるのは表向きの名であって、本来の物ではない。いわゆる通り名じゃよ。何の必要があってそうなったかは知らんがの、火隠寺の古き当主がいっておったから、そうなのであろうさ」


「そうですか。なら、正確な読み方さえ知るのは難しいのでしょうね」


 寺という小さな世界で得た知識は、寺という檻から解放された今、一度忘れるべきなのかもしれないとヤタカは思う。


「年寄りの想像じゃが、身代わり草がおまえさんから紙を奪い焼いたのは、いらぬ危険から守るためではないのかな。身代わりになると決めた人物が、火種になるものを手にしていたから、頭に刻めと言わんばかりに見せつけて、この世から抹消したのではないかのう」


 そこまで考えていなかった。もとより身代わり草に、そこまで己の意志があるのかさえわからないが、何らかの意思をもって、助けてくれたのは確かなのだろう。


「それほどに、記された名は歴史に隠れて息づいてきたものということ。知ろうとする者は多いが、不用意に知れれば、大火を招く火種となる。たかが名前、されど真名」


 ゴテと野グソが何を思ってあの紙を渡したのか、それすら知る術はない。

 信じるなといった二人が、最後に渡した真実なのだろうか。

 ヤタカは虫を払うように、頭をわしゃわしゃと掻きむしった。

 過去に嘘と真実を求めるより、これから先この目で見るであろうことに真実を求めるほうが、よほど自分を信じられる。そうしないと、前に進もうとする足が止まる。


「ねぇご主人。あなたは本当に、この小さな宿屋のご主人なのですか?」


 笑みを浮かべたヤタカの片目が、垂れ下がった前髪の下でにやりと細められる。


「そうじゃよ。この空洞に生きて、ここで朽ちるただの爺じゃ。ふぉ、ふぉ」


「あはは、そういうことにしておきましょう。一々詮索していられません。何しろ最近、俺の周りは嘘の洪水なものでね」


 ふぉふぉ、という楽しげな笑い声が、宿屋あな籠もりに響く。それにつられて、ヤタカも笑った。話が終わったことにほっとしたのか、素知らぬ顔で近付いてきたシュイも、口を窄めて目元に笑いを浮かべている。


「ところでおまえさん、わしに下さった薬をどこで手に入れたのじゃね?」


「あぁ、あれはバカ下駄が家出したとき、誰かから貰ってきた薬です。闇市でさえお目にかかることが滅多にない品で、あったとしても法外な値が付くというのに。薬をくれた人物に会ってみたいものです」


 訝しげに首を傾げた店の主人は、言葉を選んでゆっくりと口を開いた。


「とういうことは、未だにあの薬は出回っているのかね? 紛い物ではなく、本物が」


「おそらくは本物だと思います。時を見計らったように、忘れられた頃にぽつりと闇市に現れるのです。買ったことはありませんがね」


「尚更ややこしい話になったのう。耳に入っておるかもしれんがあの薬、火隠寺に受け継がれる秘薬でな。一子相伝であるがゆえに、人が途絶えれば薬もこの世から消える。薬が出回っているということは、引き継いだものが生きているという証じゃ。散り散りになっている者達の耳に入ったなら、火隠寺家は荒れるじゃろうよ」


 ヤタカはうむと眉根を寄せ、腕を組む。


「ですがそれでは話が通りません。薬を作ることで生存がばれるなら、それが災いを呼ぶなら、少量とはいえどうして闇市に薬を出したりするのです? 自分の首を絞める行為にしか思えない」


 主人は何も言わずにただ頷いた。


 わたるはこの薬を見て、兄弟の生存を知っただろうか。何もいわなかったが、知ったのだろうと思った。

 わたるにとって兄弟は、どんな存在なのだろうと思いを馳せる。

 直ぐに探そうとした様子はない。

 二人が手を結んだら。


――自分達の運命は、今以上に狂うだろうか


 頭を振って灰色の未来を振り落とす。

 

「ご主人、もっと話を聞きたいのですが、イリスの元へ帰ります。取り返しのつかない事態になっていないとも限らないので」


「いくが良いよ。また会える。今度は二人でゆっくりとおいで。シュイに、外の話でもきかせてやってくれんかの」


「はい」


 立ち上がって礼をしたヤタカが背を向けるのを、嗄れた声が後を追う。


「おまえさんに伝えようと思ったことがあったのじゃが、時期ではないようじゃ。何も知らずに、その目で見極めた道を進みなされ」


 振り返ると、柔らかな笑みを浮かべて宿の主人が立っていた。


「慌てて走ってきたシュイの話を聞いて、できるだけの毒を抜いてやろうと思うたが、身代わり草に助けられたなら心配ない。わしも見たかったのう、幻の花じゃ。お伽噺じゃよ。ただし、気を付けなされ。娘さんの無事を確認したら、なるべく早くゴテ師と野草師に体を見て貰った方がよいじゃろう。お伽噺が真なら、身代わり草は彼らがおまえさんの為に施した、薬草の効果も奪っているはずじゃからの」


「はい、わかりました」


 深々と頭を下げ、宿屋あな籠もりを後にする。

 宿の主人は多くのことを知っているだろう。だが伝えようとした内容さえ、教えるのを止めたというなら、これ以上聞き出せることはない。

 ヤタカの周りに溢れる嘘と真実を察したからこそ、宿の主人はその時ではないと判断したのかもしれない。たとえ真実でも、今のヤタカは全てを鵜呑みにできる状況ではないのだから。

 出口まで送りなさいといわれて渋々ついてきたシュイが、つま先で小石を蹴る音が横穴に響く。


「なぁ、シュイ。いつかこの横穴の世界から外へ出たいか? どうしたら、シュイは自由になれる?」


 シュイがぽつりと立ち止まる。


「出られるもんなら出たいさ。でもぼくが外へいったら、表にでちゃいけない異物や異種までついてきちゃうから。解放は今じゃないって、じっちゃんがいっていた。意味はわかんないけれどさ。体質なんだからしょうがないだろ?」


――解放……か


「異種や異物が人を害さない世界になったら、シュイも外へいけるよな?」


「たぶんな……でも、そんな夢みたいな話、あるわけないさ」


 最後は投げやりに、諦めたように言い放ったシュイに、それ以上かける言葉が見つからない。一所から動けない苦しみなら、嫌というほど知っている。

 見せかけの自由な世界へ放り出された苦しみも。

 再び小石を蹴りながらシュイが歩き出す。

 幼かった自分の小さな肩と、少し丸められたシュイの背中が重なった。


「着いたぞ」


 そういうとシュイは、木の薄皮で包まれた物をヤタカに押しつけた。


「生は傷むから燻製肉だ。お姉ちゃん、こういうの好きだろ? 俺が燻したんだから、おまえはちょっとしか食べるなよ。味見だけだからな」


 生意気な目で見あげるシュイの額を、ヤタカはぺしりと手の甲で叩く。


「ありがとうな」


「食い過ぎんなよ!」


 はいはい、と手をひらひらさせて、ヤタカは横穴の入口を潜ろうと身をかがめた。


「シュイ、乾し肉のお礼に一つ教えてやる」


「なんだよ」


「イリスは、最初からあきらめる奴を男だなんて認めないぜ。あいつは、無駄な努力と知っていても、目標に向かって突進していく奴がお好みだ。だから」


 あきらめるな。自分をあきらめるな―――


 それだけ言い残して、ヤタカは外へ身を滑らせた。

 冷たい外気が心地良い。

 イリスの居場所へ繋がる道は、歩きながら教えて貰った。

 膨大な地図の知識としてしか知らない道を、淡々と説明してくれるシュイの心を思うと胸が痛んだ。

 いつかここから連れ出せたらと、そう思わずにはいられない。


「シュイ、負けるなよ」


 横穴の入口へ、ヤタカは願いにも似た言葉を放つ。


「ひとつだけ、教えてやらぁ」


 横穴の奥から、くぐもったシュイの声。


「なんだよ、その急な親切心は?」


 どうせくだらないことを大声で喚いて帰っていくのだろう、と思ったヤタカが耳を澄ませても、シュイはなかなか口を開かなかった。


「おい、どうしたんだよ?」


「はかぜ、って読むんだよ」


 力なく、けれどはっきりとしたシュイの声。


「なんの話だ?」


「はふうどう、じゃない。あれは羽風堂(はかぜどう)って読むんだ!」


 紙に記された六つの名のひとつだと気付くのに間があった。

 まさかシュイの口から聞かされるとは思っていなかった為の間だった。


「シュイ! どういうことだ? どうしておまえがその名を!」


 横穴に戻りかけたヤタカの耳に、ばたばたと遠ざかる足音が届く。

 息を吐き出し、ヤタカは風のそよぐ外へと体を戻した。

 追ったところで、道に迷うのが落ちだろう。横穴はシュイの庭だ。かくれんぼで勝てるわけがない。逃げたということは、暗にじっちゃんには言ってくれるなということだろうか。 

 考えても仕方がない。今やるべきことはひとつ。


「よし、いくか」


 体の節々はまだ傷むが、ヤタカには十分に無視できる程度の物だ。

 ヤタカは夜が明けたばかりの森を駆け抜けた。

 自分を呼ぶように、遠くで微かに下駄を打ち合わせる音が鳴った。

 




読んで下さったみなさん、ありがとうございました。

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