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19 御山の欠片

 もう少しで伊吹山だと思ってからすでに三度も日が沈み、四度目の日が高く昇っていた。


「伊吹山はまだですかぁ? 迷子ちゃ~ん?」


 顔を背けてヤタカはチッと舌を鳴らす。いっこうに辿り着かない伊吹山への道程に飽きてきたのか、イリスは朝からしつこく迷子ちゃん、を繰り返していた。

 二日酔いどころか三日酔いに突入したゲン太は、それでも今朝から鼻緒を垂れつつ一人でよろよろ歩いている。


「すみません、すっかりさっぱり分かりません。こっちの方なんですがねぇ。たぶん……慈庭が適当なことをいったんでしょう……きっと」


 棒読みで答えたヤタカの後頭部に、イリスの小さなゲンコツが思い切り当てられた。


「いってぇ! 何で当たるんだよ! 布に穴でも開けたのか?」


 後頭部を擦りながらいうヤタカの後ろで、イリスがふん、と鼻を鳴らす。


「おつむがカラカラ鳴る音がしたもんね! 慈庭は嘘なんかいわない! 人を救う為意外に嘘なんか吐かないもん!」


 そんなのヤタカだって解っている。ごめんごめん、と軽く受け流し、ヤタカは旅の先へと足を進めた。

 イリスのいうとおり、滅多なことで慈庭は嘘など吐かない。

 

――ましてや


 あれだけ頭に叩き込めといって、耳にたこができるほどヤタカに言い聞かせた伊吹山だ。その存在を偽る必要があったとしても、場所を偽る理由がない。ヤタカが辿り着けなければ、嘘も真もないに等しい。


『ヤタカ、瞼を閉じる間だけでも、良い夢を……楽しい時をすごせよ』


 そう囁いて横を向いて眠るヤタカの頭をそっと撫でる慈庭の手は、大きくて硬くて温かかった。昼間には決して聞くことのない慈庭の優しい声色に、狸寝入りのヤタカが耳を澄ましていたと、慈庭は気付いていただろうか。

 気付きながらも、やさしく頭を撫でてくれていたのだろうか。


「誰か! 誰か助けてくれ!」


 街道の先から響いた男のだみ声に、自分の内へと沈みかけていたヤタカは一気に現実に引き戻された。

 宿さえ開いていないような小さな村の前に、小山の人だかりができていた。


――異種か?


 男の声を耳にして不安になったのか、イリスがヤタカの腕を掴み、顔を傾げて耳を澄している。

 とことこと寄ってきたゲン太が、酔いの覚めきらぬくねくねと曲がった文字で、木肌に文字を浮かばせた。


――いしゅ ちがう


「そうか、異種じゃないなら、役には立てそうもないな」


 あれだけ人が集まれば、力仕事も間に合うだろう。病人だとして、ただの病気ならヤタカにはどうにもできないモノの方が多い。ましてや手持ちの薬草が底をついている今、知識があっても、急な手当はしてやれそうになかった。

 イリスの手を引いて人だかりに近づいたが、見えるのは中を覗こうと上下する人々の後頭部だけで、何が起きているのかさっぱり見ることはできない。

 あまり近付いて人の波にイリスが巻き込まれることを警戒したヤタカが、その場を離れそうとしたときだった。


「どいて!」


 声に振り向くと強引に人垣を分けて中へ入っていく、黒く長い髪が靡いているのが見えた。

 通りがかりの野草師かゴテ師だろうか。そんなことを思いながら、ヤタカはイリスを促して歩き始めた。


「水と布を!」


 中から女の声が飛ぶ。


「おう!」


 ざわざわと人々が動き、細く道が出来上がる。若い男が駆けだして来た後、残された道から中の様子が伺えた。まだ若い男だった。


「なんかよ、伐採する木の枝を落としていたとき、てっぺんから落ちたんだとよ」


「くわばら、くわばら」


 荷を背負った旅人が肩を竦めて囁き合う。


――ありゃひどいな。枝の切り口にでも刺さったか


 俯せにされた男の太ももはざっくりと裂け、どくどくと血が溢れていた。

 

「いこうイリス。ここに居ても何もできない」


「ひどい怪我なの?」


「ああ。見ない方がいいよ。手持ちの薬草があったとしても、ありゃ無理だ。何らかの医術を持つ者にしか助けられない。心配するな、駆けつけた女性が指示をだしている。心得のある者だろうから」


 あの傷を縫ったとして、簡単に血が止まるとは思えない。まして砂埃の舞う路上では、生き残った所で感染症が命を奪う。

 桶に入れた水と布を抱えて戻ってきたのは若い女性だった。取りにいった男が慌てて後を追ってくる。


「けんちゃん!」


 叫んだ若い女性の腹部は、ゆるい衣服の受けからでも分かるほど膨らんでいた。


「身重か……」


 腕を掴むイリスの手に力が籠もる。離れようと踏み出していた、ヤタカの足も止まった。


「誰か、血止めに効く薬をもっていないの!」


 傷口を布で押さえる女の声が張り上げられる。


「あるが量が足りねえよ。切り傷三回分っだから、大豆くらいの量しかない」


 声は上がったが、旅をする者が余計な薬を持ち運び荷を増やすはずもない。それぞれに持っている量はごく僅か。薬効も手足の切り傷に効く程度だろう。


 ついて来ようとしたイリスの肩を押し留め、ヤタカは人垣を分けて倒れた男の脇に立った。男の脇に膝を着き見あげた女の手は、布を染めた血で赤く染まっていた。


「あんた、医術の心得があるのかい?」


「えぇ、少しは」


「なら説明はいらないな。これを使うといい。もらい物だから、気兼ねなく使ってくれ」

 

 袋から出した薬を一式渡すと鼻を近づけて臭いを嗅ぎ、驚いたように女は目を見開いた。 何か言いかけた女に、ヤタカは何もいうなと口を窄めてみせる。

 頷いた女が、素早く動き始めた。布に巻かれた縫合用の道具一式が広げられる。

 

――少し? それにしちゃずいぶんと手際がいいもんだ。


 野次馬の視線を受け流し、ヤタカはイリスの手を引いてその場を離れた。

 あの薬を他人に見せる気などなかった。知る者が見たなら、自分達の寝首を掻いてでも奪おうとするだろう。小袋の中にはゲン太が少年から貰ったという薬が、まだ半分残っている。


「ゲン太、勝手に使ったけれど、いいよな? 産まれてくる赤ん坊から、父親を奪いたくなかったんだ」


――いいよ


「ん? でもなんだ?」


――きを つける


 ゲン太も、薬が余計な者の目に触れたことを危惧しているのだろう。


「あぁ。この件は俺の責任だ。しばらくは用心するよ」


 赤の他人を助けるために、イリス達を危険な目に合わすわけにはいかない。だから目を瞑って通りすぎようとした。


――身籠もっている女性さえ目しなければ、余計なことは……


 慈庭ならどうしただろうと思う。寺の皆が危険に晒されるリスクを負ってまで、たった一人を助けるだろうか。それは人として正しいが、人を束ね率いる者としては無責任が過ぎる。慈庭なら……亡くなった者から答えは届かない。ヤタカはわしゃわしゃと頭を掻いた。


「慈庭なら、見捨てたと思うよ」


 まるで心の声が聞こえていたかのように、ぽつりとイリスがいう。


「みんなを守るために誰かを見捨てて、ずっと一人で苦しんだと思う。鬼みたいに厳しい顔はね、慈庭の優しすぎる内面を隠すためのものだから」


 すたすたとイリスが先をいく。道を擦る杖には、何の迷いも感じられなかった。


「そうか、そうだよな」


 でもね、立ち止まってイリスが振り向いた。


「ヤタカにはヤタカのやり方がある。ヤタカだけが危険な目に合うんじゃないなら、わたしはいつだって、ヤタカの意見に一票だよ?」


 おやつのこと以外はね! そう付け足してにっこり笑い踵を返したイリスの背に、ヤタカは苦笑するしかなかった。

 素知らぬ顔でイリスの横を行くゲン太も、わざとらしくからんころんと大股で歩いている。ゲン太なりに、気にするなといっているのだろう。


「はぁ、なるようになるさ。よし、今日は行けるところまで歩くぞ!」


「どこへ?」


「伊吹山のありそうな方だ!」


――いいかげん


 勝ち誇ったゲン太の木肌に浮かんだ文字を無視して、ヤタカはのしのしと歩いた。

 妙な気配は感じられない。このまま何事もなく過ぎればと、心から願った。




「イリス、この小屋に泊まろう」


 薬を渡した小屋から十分に離れたとは言い難いが、足で追ってくる者がいても見つけづらいだろう。何しろこの辺りは、大小の小屋がやたらと点在している。

 行き交う人々に、怪しい者は見受けられない。

 先客のいない大きな小屋に入り、一息吐いて荷物を下ろす。


「ごはんは?」


「あ……」


 周囲に気を配りすぎるあまり、すっかり夕飯のことを忘れていたヤタカは、手荷物を探りあちゃ、と舌を出す。


「イリス、お菓子の隠し財産とか……ない?」


「ない!」


 日が暮れれば灯りで屋台の場所が分かる。今日に限ってはイリス達だけを残して買い出しに行くわけにもいかず、運良く近くに夜通し客を待つ屋台でもでてやしないかと、ヤタカは小屋から出て街道の先を見渡した。


「屋台の灯りどころか、星もでていない」


 ヤタカ一人なら食わなくても一晩くらい我慢できる。問題は、腹の虫を盛大にならしていたイリスだ。


「まいったな」


 腰に手を当て、ヤタカが肩で息を吐くのと同時だった。


「居たいた。もう見つけられないかと思ったよ」


 背後から女の声がして、叩かれた肩にヤタカは飛び退いた。


「あたしだよ? 昼間会っただろう? 礼もいわせずにいなくなったから探したよ」


「あんた、あのときの」


 男を手当てしていた女が立っていた。声を張り上げていなければ、見た目の若さにそぐわず落ち着いた声色の女だった。


「男は助かったかい?」


「あぁ、命は繋いだ。若いからね、あの煎じ薬で体力も戻るだろうさ。感染症も、おそらくは心配ない」


「だからといって、あんたが礼をいうような筋合いの話でもないだろう?」


「まあね。でも、ありがとう。人前に晒したくなかっただろ? あの薬」


 やはり薬の価値を知っていたか。ヤタカは腹を据えて女を見た。


「薬のことは忘れてくれ。他言無用だ」


 頷くでもなく、女はうっすらと笑みを浮かべた。


「誰かいるの?」


 小屋からひょっこり顔を出したのはイリスだった。


「おや、この小屋に泊まるんだね。あたしもご一緒していいかい?」


 答えられずにヤタカが黙りを決めていると、静まりかえった街道にぐるる、とイリスの腹の虫の泣き声が響き渡った。

 口元に手を当てると、さっきとは別人のように柔らかく人好きのする笑顔をうかべ、女は腕に下げた大きな巾着をぶらぶらしてみせた。


「あたしもお腹が空いたわ。今日のお礼にご馳走するけれど、入ってもいいかしら?」


 あっ、と小さく声を上げたヤタカが止める間もなかった。


「うわっ、お姉さんいい人ね。美人だし、どうぞどうぞ!」


 額を押さえるヤタカを尻目に、くすくすと笑って女は小屋へと入っていた。


「来る途中に買い過ぎちゃったのよ。食べて貰えると助かるわ」


 握り飯に串焼きの川魚、饅頭に芋の串焼き。小屋で食べるには贅沢な品が並んでいく。


「さあ、どうぞ召し上がれ」


 おまえの意見など求めていないと言わんばかりに、ちらりとだけヤタカを見た女は、イリスと一緒に饅頭を口に入れ、美味しい、といって笑った。


「ヤタカも食べなよ、無くなっちゃうよ?」


「いや、俺はいい。腹の調子が悪いんだ」


 自分の当たり分が増えたとほくそ笑むイリスが、空の手にすかさず芋の串を握った。


「ふふ、毒なんか仕込んじゃいないよ? 明日の朝になれば分かるさ」


 心中を見透かした女の言葉に、苦虫を噛んだようにヤタカは顔を顰めた。

 医術を持つ者は薬草の知識を持つ。薬に詳しいということは、毒にも同じだけの知識を持つということ。混ぜ合わせる知識を持つ医術者なら、ある意味ヤタカの上をいく。


 寝静まった小屋の中、イリスの脈と呼吸を確認したヤタカは、例の薬が入った巾着を懐に入れ一人夜の街道へ出た。

 

「まただ」


 月のない闇夜に包まれた森に、色づいた小さな光りの玉が飛び交っている。

 気のせいか、最初に見た頃より光りの玉が数を増しているように思えた。


「おまえら、何なんだよ」


 見つめていると意識を手放しそうになる。表層意識から消えた過去から伸びた腕に、引き摺り込まれそうになる。

 見つめていた目を閉じて、ヤタカは大きく頭を振った。


「何がどうしたの?」


 いつの間にでてきたのだろう。ヤタカは自分の不覚に舌を打つ。

 灯りを入れた提灯を手に、女が横に立っていた。


「何がって? あんたがどうして俺達を追ってきたのか考えていたのさ。あの飯だって、多く買いすぎたわけじゃないだろう? 話のきっかけにしたかっただけだ」


「ふふ、鋭いのね。生きていると辛いでしょう? 周りが見えすぎるのって」


 言葉の指す意味が違うのは解っている。解っているのに、森の光りが見えているのかと、まじまじと女の顔を見てしまった。


「あの娘さん、昼間は布で目を覆っていただろう? てっきり目を病んでいるのかと思ったが、違うらしいね。訳は……言いたく無さそうだねぇ」


「あんたこそ何者だ? あれだけの手術道具を持ち歩きながら、薬草ひとつ持っちゃいない。行き倒れの医術者の荷物でも漁ったか?」


 あたしがそんな女に見えるのかい、といって女はくつくつと笑う。


「今の世の中、医術だけじゃ人は救えない。時代が変わったのさ。もう二度と人を看ることなんてないと思っていた」


 野草師やゴテ師に、とって替わられたとでも言いたいのか。


「なら、なぜあの男を助けた?」


「まだ生業が染みついているらしい。考えもなく、駆け寄ってしまった」

 女の横顔が灯りに揺れる。橙に染まった黒髪を、ヤタカは美しいと思った。


「あんたらを追ったのも衝動さ。あの薬、そう簡単に手に入るものじゃない。今じゃね、何処の誰が手がけているのかもわからない。幻の薬さ。まるで世から絶やさないようにしているみたいにさ、ぽつりぽつりと姿を見せる。誰が最初に持ち込んだのか、どんなに辿っても見えてこないんだ」


「医術者のこだわりか?」


「医術を捨てようとしたあたしに、こだわりなんてないよ。あの薬はただ一人、父がつくっていたんだ。あたしの父がね」


 ヤタカは目を見開いた。幻と呼ばれる薬をつくりだしたのが女の父親なら、相当な腕と人には知り得ない知識を持っていたはずだ。その娘だというなら、あるいは彼女も。


「あの薬、どこで手に入れたのか、教えちゃもらえないかねぇ」


 迷惑はかけないからさ、そういった女の声は静かなものだった。


「悪いがそれだけは俺一人で決められることじゃない。というより、俺に決定権はないんだ」


「あの娘さんかい?」


 いいや、とヤタカは首を振る。


「別の野郎だよ」


「そうかい。聞くだけ聞いてみてくれると、ありがたいんだがねぇ」


 女が月さえない夜空を見あげる。

 この世のほとんどを、諦めた女の横顔だとヤタカは思った。


「そろそろ、中に入ろうか」


 ふっと息を吐いたヤタカは、はっとして目をしばたいた。

 提灯の中で揺れる灯りを女が吹き消した後に産まれた闇と、女の影が混ざり合う。

 森からははぐれたように、雪の結晶みたいに小さな光りの粒が、ふわりふわりと女の周りを舞っていた。


「なぁ、あんた。本当に、ただの人なのかい?」


 思わず口を突いて出た。


「変わり者だが、どう見ても人の女だろうに?」


 くすくすと女の声が闇夜に響く。その声音に触れたかのように、光りがふらふらと飛び筋を変えていく。

 

「あんたの周りに光りが舞っている。見えないのか?」


 えっ? 小さな声の後に沈黙が続いた。


「おやおや、余計なことをいうから、目を懲らしちまったじゃないか。待ち人を迎えに来たんだろうさ。伊吹山から漏れ出た、御山の欠片さ」


「どうしてそんな事を知っている? もしかして、伊吹山の正確な場所も知っているのか?」


「これが見えるってことは、あんたも唯の兄さんじゃなさそうだ。御山が呼んでいるのは、兄さんのことかもしれないねぇ」


 ヤタカの中で心臓が跳ね上がる。この女の正体を疑う余裕は、すっかり夜の闇に呑まれてなりを潜めていた。


「ここ最近、森の中に無数に光りが浮かぶことがある。それを目にすると、意識が現実から解離しそうになる。正確には、過去へ引き摺られそうになる。記憶にない光りを、懐かしいと感じたんだ」


 へぇ、女が息を漏らす。


「覚えていなくても、御山にいったことがあるのだと思うよ。もしくは、御山と縁のある者の濃い血縁か……。伊吹山がどんな理由で存在しているか、知っているのだろう?」


「あぁ、教え込まれたことが事実なら」


 そうかい、ヤタカの言葉を女は一度も疑おうとしなかった。

 地図を頼りに歩いてきたが、いっこうに辿り着けないのだと、ヤタカは女に話して聞かせた。地図を渡した者は、意味もなく嘘を吐くような者ではないのだと。


「受け取った地図は嘘ではないだろうよ。ただ、その者にとっての真が、兄さんにとっても真であるとは限らない」


「どういうことだ?」


「あの御山はあの峰の向こうにもあり、ここにもある。求める者によって、ある場所も在り方も変えるのが伊吹山。だからね……あたしが道案内してやることはできないよ。あたしが辿り着ける伊吹山は、兄さんが求める姿ではないだろうから」


 黙り込むしかなかった。何を聞けばよいのかさえ思い浮かばない。


「うぅ、冷えてきたねぇ。小屋に戻ろうよ。あの娘、風邪を引きそうに腹をだしてねむっていたよ?」


 くすくすと笑って、女が小屋へ戻っていく。ヤタカが小屋へ入ると、細く小さな蝋燭にが灯されて、煤けた小屋の壁をちらちらと照らしていた。


「兄さんもどうだい? あたしはちっさな蝋燭の灯が消えるまで、ゆっくり寝酒でも飲ませて貰うよ」


 ヤタカがやんわり断ると、用心深いねぇ、そういって女は淡く微笑んだ。


「おや、これはまたかわいらしいこと」


 偵察するように女の周りを彷徨いてたゲン太が、びくりと鼻緒を跳ね上げた。


「あんた、ゲン太が見えるのか?」


 竹筒から酒を口に含み、女はゆっくりと首を横に振る。


「目を凝らさなけりゃ見えないよ。昼間は気づきもしなかった。酒の力も、あるかもしれないねぇ」


 目を閉じて女は静かに酒を呑む。


「俺はもう寝る。あんたを信じ切ったわけじゃないが、信じてみようとは思う」


 そうかい、目を閉じたまま女の口元に柔らかな笑みが浮かぶ。


「あたしが言うのもなんだが、道中人を簡単に信じていたら、命が幾つあっても足りやしないよ?」


 本当に、変わり者の女だと思った


「好きなだけそうしていて構わないが、ゲン太に酒をやらないでくれよ。その馬鹿下駄、やっと三日酔いから復活したばかりなんだ」


 むきっと鼻緒を立てたゲン太を、うっすらと開いた瞼の隙間から見て女がくすりと笑う。


「わかったよ、酒はやらない。襲いもしないし、盗みもしない。ゆっくり眠っておくれ」


 横になったまま、ヤタカは眠らずに息を潜めていた。

 蝋燭の灯りが早々に消えても、女が凭れた壁から動く気配はなかった。


 雲が晴れて、小窓から月明かりが差し込む。

 女が囁くように小さな声で、古くさい童謡を口ずさむ。

 

――あぁ、まただ


 聞き覚えのない歌が、ヤタカの内へと染みていく。静かに眠っている記憶の奥底を、女の声がゆっくりと掻き混ぜる感触に、ヤタカはぎちりと目を閉じた。




 読んで下さった皆さん、のぞいて下さった皆さんありがとうございます!

 雪かきの後のタイピングは、疲れで手が震えました(笑)

 次話もお付き合いいただけますように。

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