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14 さざめく森


「なあゴテ、治療前より体調が悪化した気がするんだが?」


 皮を剥いた後に塩を塗ったような首筋の痛みに、ヤタカは奥歯を噛みしめていた。


「それがおまえの受けた毒が与える本来の痛みだ。ゴテに塗った薬草が染みている訳じゃない。ゴテを当てることで皮膚から染み入った薬効が、しこりに滞っている毒を吸い出しているだけさ」


「もっと痛みのない方法はなかったのか? これじゃあ猛烈な頭痛に見舞われるより質が悪い」


「そういえばあるかも……な。気付くのが遅れた、すまん。我慢しろ、こっちの方が数段早く効果が出るんだからよ」


 ゴテを片付けていた手を止め、すっとぼけた表情でくるりと顔を向けたゴテは、べーっと舌を出して鼻筋に皺を寄せる。


「イリスにぎゅーっとされた、野グソへの腹いせを俺に向けんなよ」


 耳元で囁くと、ゴテが口の端をニヤリと上げた。


「敵の友はオレの敵だ。おかげで憂さが晴れたしな」


「訳がわかんねぇつうの」


 けけっと笑うゴテの脳天に拳固を張り、ヤタカは再び首筋の痛みに顔を顰めた。

ふと視線を上げた先に、腹を撫でながら未練がましく団子の串を咥えているイリスの姿を見て、はっと息を呑む。首の痛みを押し出すほどの緊張が、足の裏から脳天へ突き抜ける。


「イリス! 目隠しはどうした!」


 もっと早く気付くべきだった。気付いて当たり前のことなのに、日の光の下で目隠しを外したイリスの顔が、ただの風景のように意識の表層を流れていた。


「心配はいらないよ。ぼくがあげた薬の効能がもたらす一時的な副産物だからね」


 野グソの答えを聞いてなお、心臓は破裂しそうに波打っている。

 イリスは眼球に異種を宿している。どんな異種なのかは今だ不明だが、異種である以上日の光を浴びれば発芽する。それはイリスの死を意味していた。


「これで解っただろう? 自分では普段と変わらないつもりでも、毒の影響を受けている。普段のおまえなら、山の上からでもイリスの異変に気付くはずだ」


――自分では感じられない、神経や精神の麻痺なのか


「イリスには年に一回、点眼薬を点しているのは知っているだろ? イリスは黙っているけれど、あれはけっこう痛いんだ。眼球というより、目の奥が痛む。それを改善しようと造りだしたのが、今回の薬だ。従来のモノは外部からの僅かな刺激に反応して痛みをもたらした。だから外部の刺激を出来る限り遮断してみた」


「おまえに抱きついたっていうことは、イリスは見えているのか?」


 ヤタカの問いに、野グソはゆっくりと首を横に振る。


「風、光り、細かい塵。それらを遮断するため、眼球に膜を張っているような状態なんだ。だからイリスは日の下でも目隠しを外していられる。心配しなくても、ぼくの目で何度も試したから大丈夫だよ。今日の日暮れには薬の効果が切れる。今のイリスには、周りの景色は薄暗い影絵にしか見えていない。そこに物がある人がいる、という黒い影が判別できるだけ。羊羹のお礼に抱きついてくれたのは、声でどの影がぼくなのか解っていたからに過ぎない」


「そうか」


 ヤタカの声に落胆の色が浮かぶ。輝く太陽の下、たとえ短い時間でもイリスが光りを目に出来るなら、あれほど見たいと望んでいた泉の周りに咲く一面の花を見せてあげられるのにと。それが叶うなら、イリスの記憶に残る泉を今すぐ探しに旅立ってもいい。

 息さえしていれば明日が巡ってくる生き方ではないからこそ、ヤタカの落胆は大きい

ささやかなイリスの夢。

 自分に何かあったとしても、気の置けない幼なじみの二人にさえ安易に頼める事柄ではなかった。

 彼らは果たせないと知りつつ、ヤタカの想いを引き継ぎ見えない光に手を伸ばそうとするだろう。それは、二人にとって人生の枷となる。

 自分の人生など諦めた者だけが、付き合える夢。

 とうの昔にどうでも良くなった命を明日へ、もう一日だけ明日へと繋げてくれる細い糸。 イリスの願いはヤタカにとって、気を抜くと鼓動を止めたくなる体をこの世に繋ぎ止める糸だった。

 だからこそ思う。この糸にしがみつきすぎて、イリスを壊してしまうことがないようにと目を閉じ自分の内に引き籠もる。

 光りを浴びてイリスが駆け回れたなら、自分の役目は終わる。

 世界のことなどどうでも良くなるときがあった。イリスが自由になれたなら、自分にとっての全てが終わる。


――そしたらもう、気の遠くなりそうなゴテを当てる痛みに耐える必要もなくなるか。


 久しぶりに意識の表層に浮かび上がった想いを、ヤタカは口に溜まった唾液と一緒に飲み下し、いつものへらりとした表情で顔を上げた。 



 

 三人が見守る中、岩牢の前で蔦に火を放った。

 固く乾いていたはずのそれは、過去という名の燃え尽きた炭のように脆く砕け、灰色の土を覆う黒く微細な粉となった。

 影絵のようにしか見えていない筈のイリスが、親の敵の亡骸を蹴るようにさっと片足で土を蹴り上げる。

 ヤタカは思わず視線をそらした。

 それは、無意識にイリスが表情を変えたから。

 旅の途中、出かけたヤタカが不意に帰ったとき、イリスはひとり足を投げ出し、壁や木に背を預けているときがある。

 細い首をゆるりと傾げ、腰の横に着いた指先にさえ、いつものイリスは居ない。

 ヤタカは、そんなイリスを見るが嫌いだ。

 ヤタカの存在に気付けば、イリスはいつもの笑顔を見せてくれる。

 ほんの一瞬前まで、糸の切れた人形のようだったというのに。

 少しだけ伏せた睫の下から床の一点に視線を落とすイリスの顔はは、一晩中脳裏に焼き付くほど冷えている。

 何もかも諦めたような冷たく澄んだ目元が、ヤタカの胸を苦しくさせる。

顔を背けたヤタカの視界から消えたイリスは今、その時と同じ顔をしていた。



「ヤタカ、行くよ!」


 現実から逃避していた意識が引き戻されると、耳元で大声を上げたイリスが、いつものいたずらっぽい笑みを浮かべてヤタカの頬を小さな拳骨でぐいと押す。


「あぁ、昨夜の寝不足が祟った。立ちながら寝るのは俺の特技だな」


 ヤタカが笑って見せると、イリスはうっそだ~、といって先を行く二人を少し小走りで追っていく。

 

――うまく笑えていただろうか。


 頭を一つ振りぐっと瞑った目を開いたときには、ヤタカは飄々とした青年の顔に戻っていた。

 平地の色を変えようとしている夕日の中、茜にちらちらと花びらを染めて白い小花が揺れている。

 山間の夕暮れの空は刻一刻と色を変え、山の縁を茜色が細く染めるだけになった頃、おばばがゆらりと姿を現した。


「おしゃべりさん、またね」


 イリスが手を振ると、おばばは梅干しのように口元を窄めてくくくっと頷く。

 

「出来損ないの下駄ぼんずをよろしくの。紅はここに残るがな。あまり間が空けば寂しがる。うるさそうに尾で水面を叩いてはいたが……本当は離れたくないのじゃろうよ。ゲタぼうずとじゃれ合って、ヤタカに噛みつきイリスを眺める。楽しかったんじゃと思うで」


 憤慨したように、草陰の水面でぴしゃりと大きく音が鳴る。

 ゲン太は、少し寂しそうに鼻緒を垂れながらも、平気だというようにゲタの先を泉とは真逆に向けている。


「また来るよ。紅と、みんなの墓標を頼むな、おばば」


 ヤタカに頷いておばばは、しっしっと払うように皺だらけの手を振った。


「いっても無駄じゃろうが、男連中はイリスを甘やかし過ぎだで。たまには年寄りを甘やかすんも、目先が変わって良くないかの?」


 けけけっ、と喉を詰まらせて丸まった背を揺らしておばばが笑う。


「ないない!」


 真顔で首を振る男二人が、慰め合うように肩を抱き合い歩く後ろ姿を見たイリスが、不思議そうに首を傾げる。


「じゃあな、おばば」


 先を行く三人の後を追おうと踏み出した足元で、激しく小花が頭を揺らした。

 思わず立ち止まったヤタカの耳の中にで、姿なきおばばの囁きが木霊する。


――人にはどこか良いところがある……そう思っとるじゃろ? 違うで。どんな人間でも、胸の底には黒点がある


 おばばの声に、背筋がひりりと痺れた。


――腹の裏側に目を凝らさんと、早死にするでよ。人の持つ黒点はの、どろどろの底なし沼だで。うっかり見過ごして片足をつっこめば……囚われる


 それに……とおばばは続ける。


――イリスを大切に想うなら、己を大切にな。おまえが死ねば、イリスの命も尽きるでよ


 ぷつりとおばばの声が消えた。小花達も静かに頭を垂れている。

 もうすぐ夜の闇に輝き出すであろう泉を、ヤタカは振り返らない。


「心配すんなよ、おばば。俺は、見た目ほどお人好しじゃない」


 存在こそが黒点そのもの……その言葉は呑み込んだ。



 ゴテと野グソの後を付いて街道まで出る道は、思った通り地下を迷路のように通る通路だったが、来るときに通った道程とは違っていた。慣れた足取りでどんどん先を行く二人の背中を見ながら、幼い日もこうやって小さい足で駆けつけてくれていたのかと想いを馳せる。


「必要な薬も渡したから、しばらくは大丈夫だろう。ここで一端別れようか」


 笑みを浮かべる野グソの細い顎に、僅かに疲れの影が漂う。


「無理させて済まない。この先は今まで以上に世話になると思うが、呼び出したからといって自分の仕事を放り出すな。出来る範囲で構わないんだ」


 いった突端、腰の後ろからゴテの蹴りが入って、ヤタカは痛みに本気で呻いた。


「ばーか。てめぇの呼び出しなんざ、何年でも放っておくっつうの! まあ、イリスから声がかかれば話は別だがな」


 ゴテを睨み付けても腰を折ったままの涙目では、凄みもくそもあったものではない。


「野グソよりおまえがモテるのが俺にはわからん! 顔だってあっちの方がいいし、てめぇみたいにがさつでもないだろうによ!」


 ヤタカが見上げる先で、ゴテが涼しげに自分の腕を二本指で突いてみせる。


「女が見た目で落ちると思ったら大間違いだ。だからヤタカには女の影さえないんだっての。顔と性格だけが良い奴が突っ立ってたって、女は三日で飽きんだよ!」


 そんなものだろうか。


「失礼だな! わたしは女の子だよ!」


 腰に手を当て胸を反らしたイリスが、堂々と場違いな声を上げる。


「まな板に用はないの!」


 男三人の声が揃ったのが不味かった。

 手を振って別れるときには、イリス以外の男どもはそれぞれに、腕と太ももと尻を押さえながら、ふらふらとした足取りで去って行ったのだから。


「イリス、あいつらはある意味人外だからいいけれど、普通の人間を本気拳骨でなぐっちゃ駄目だからな」


 まだ怒っているイリスが、唇を尖らせたままくるりと振り向く。


「そんなことしないもの。じゃあ聞くけど、あの場にまともな紳士がいたなら教えて?」


 月明かりを映すイリスの視線が痛い。


「ごめんなさい……」


 満足げに大きく頷いたイリスが先を行くのを、苦笑して眺めながらヤタカも後に続く。

唯一の部外者として高見の見物を決め込んでいたゲン太だけが、これ見よがしに高くゲタの先を突き上げながら、悠々とイリスの横を歩いていた。


「ヤタカ、今日は歩くのが遅いね。疲れちゃったの? それとも……毒のせい?」


 立ち止まって上目遣いにきくイリスの、心配気に下がった眉尻が月明かりに浮かぶ。

 ヤタカはゆっくりと首を振り、大丈夫だといった。


「ゴテに吸い出された毒より、イリスのゲンコツの方が痛かった。尻が腫れて歩けないだけだ」


「ゲン太、いくよ。ヤタカなんて小屋に着いても構ってあげないからね。毛布からはみ出して寝ていたって、絶対かけ直してあげないんだから」


 ぷぅっと膨れたイリスが、家来よろしくゲン太を引き連れどかどかと先を行く。


「毎日かけ直してやってるのは俺なんだけど。いっぺんくらい感謝して欲しいもんだ」


 イリスに聞こえないように愚痴ったヤタカは、気持ち良さそうに毛布からはみ出て眠るイリスの姿を思い出して苦笑した。

 イリスとゲン太から少し離れて歩きながら、街道を囲む森に目を向ける。

 枝に月明かりを吸い込まれた森は闇に包まれ、風に葉が擦れる音さえない。


――この風景、見るは初めてじゃない気がする。


 月明かりさえ届かない闇に満たされた森の中、黄色と紫の淡い光りが点々と広がっている。和紙を通して小さな蝋燭の灯りを見るように、ぼんやりと広がる輪郭は幻想的で、それらは木々の枝先に、地に芽吹いたばかりの草が茂る辺りで光りを放っている。

 

――闇に光りを放つ異種はあるが、これは違う。範囲が広すぎるし、一つの森に異種がこれほどの数蔓延ることなど無いはずだ。


 昨夜忘れられた月明かりのように、森を埋め尽くしているのは淡く黄色い光り。

 黄色い光りの水面を漂う浮き草のように、点々とそしてぼんやりと薄紫の淡い光りが浮かぶ。

 害はないように思えた。こんな夜道で事を荒立てイリスを恐がらせる必要もない。


――いつ見た? どこで。


 懐かしい風景を描いた絵に魅入られた気分だった。

 自然と足が止まる。

 

――こいつら、生きているのか?


 静止していると思ったぼんやりとした光りは、視点をずらすと視界の隅でわらわらと動き出す。見定めようと目を懲らすと、それらは何事も無かったかのようにぴたりと動きを止めた。

 妙な光景を目にして持つべき警戒心は、ヤタカの何処にも湧いてこなかった。

 ひどく懐かしくて、心が凪ぐ。

 あの淡い輝きに触れたい……そう思った。

 立ち止まったまま、指先を森へと伸ばす。

 ヤタカの手が、ぴくりと跳ねた。


「なんだ……いま何て」


「ヤタカ~! お腹空いたよ~!」


 すっかり機嫌を直したイリスの叫び声に、現実ではない何処かを彷徨っていたヤタカの心が引き戻される。

 強い力でヤタカを引き寄せていた紐が、イリスの声に焼け切れたような衝撃をもって心は街道へ弾き戻された。


「今行くよ」


 痺れる指先を擦り、ヤタカは早足でイリスの元へと急いだ。

 さっきまで見えていた光の海は既に姿を消し、月に被った雲に灯りを遮られた森は、静かな黒に染まっている。

 

「最初に見つけた小屋に入ろう。食い物は、今日貰った土産が残っているだろう?」


 ぴくりと肩を跳ね上げ、イリスが視線をそらす。右手はしっかりと膨らんだ巾着を握っていた。


「ほら、冷えてきたから急ごう。ゲン太、今日は酒はないからな」


 不満そうにゲタの歯を鳴らすゲン太と、どうしてわかったのだ、というように何度も小首を傾げるイリスを置いてヤタカは歩き出す。


「よしゲン太、急ごうか。内緒だよ? お供えのお酒分を分けてあげるからね」


 内緒もなにも聞こえているぞと思ったが、ヤタカは聞こえないふりで先をいく。

 上手く笑顔をつくる気力が無かった。

 イリスにかけられた声に現実へと引き戻され、最後まで聞けなかった言葉が頭を渦潮のようにぐるぐる回る。

 男とも女とも言えない、中性的な声だった。

 いや、そもそも本当に声だったのかと疑問に思う。

 体内に残る毒と疲れが見せた、幻影と幻聴と思った方が心が楽だ。

 その声はこういった。


   寺が呼んで……


     慈庭が……動き出し……


 短い言葉が幾度も頭の中を過ぎる。

 意味の解らない半端な言葉に、後ろの方でゲタの歯が鳴る音とイリスの笑い声が被さり、意識の中で現実との境界線が曖昧になる。

 

  許せよ……ヤタカ


 慈庭の最後の声が頭の中で響いた気がして、ヤタカは拳を握りしめた。




読んで下さったみなさん、ありがとうございます!

三週間あいてしまった前話よりは、少し早く仕上げられました。

書いている自分的に、描きやすい話の流れまでやっと辿り着いた感じです。

次話もお付き合いくださいませ。

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