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13 変わらぬ友と 血色に染まらぬ葉脈と


 泉に辿り着くと、白く小さな花達が昨夜と変わらぬ姿でヤタカ達を迎えてくれた。

 

「おしゃべりさん、おはよう」


 イリスの声に応えて、風もないのに小花が一斉に頭を揺らす。


『ドクニ フレタカ』


 おばばの花言葉が、澄んだ朝の空気に伝う。


「良くわかるね。おそらく記憶を失ったのはこの毒のせいだと思う。岩牢の前に枯れた蔦が残っていて、うっかりその棘に触れてしまったんだ。おかげで忘れていた過去を垣間見ることができた。思い出したよ、慈庭が俺を助けようとして死んだことも」


 話の先を促すように花が揺れる。

 ヤタカは見たままを、些細なことまで零すことなくおばばに話して聞かせた。

 聞くのは二度目だというのに、イリスは同じ場所で唇をくっと引き締め目を閉じる。

 慈庭の――命の火が消えたところで。


「おばば、ここに来る前に出会った寺付きの草クビリが、俺達は寺の保護から引き離して、狩るために野に放たれたのだといっていけれど、意味がわかるようでぴんとこない」


『ソノオモワクハ セイコウシタ』


「最後に見た人影が、寺を襲わせたと思う?」


『ワカラヌヨ オマエヲ ニガシタモノハ シンダノダナ?』


「あぁ。肩口を太い蔦に貫かれて、毒の棘に全身を囲まれて転がっていった。生きていられる筈がない」


 全員が口を閉ざす中、泉でぴしゃりと魚の跳ねる水音が響く。


「ねぇ、おしゃべりさん。街道なら簡単だけれど、戻る前に早く繋ぎを付けたい人達がいるの。ゴテ師と野草師で、この寺にも出入りしていた。二人にここから繋ぎを取ることはできる?」


「そんなに急がなくていいよ。僅かな毒だろうし、二度目だ。俺なら心配ない」


「おしゃべりさん、どう?」


『カンタンナコト テラガアッタコロモ ココカラ ツナギヲトッタ』


 おばばの返事に、イリスがあからさまに胸を撫で下ろす。


「よかった、ヤタカには早く良くなってもらわなくっちゃ」


――真面目に心配しちゃって、やっぱり女の子だな。 


 下を向いたままヤタカがにやりとしていると、隣でゲン太の木肌に敵対心剥き出しの墨の渦が湧いた。


「だって元気に歩いて貰わないと、街道までヤタカの荷物を背負うのは重いじゃない?」


 そっちか! という突っ込みはぐっと呑み込んだ。

 これ見よがしに足元までとことこと寄ってきたゲン太の木肌に、ゆるゆると文字が浮かぶ。


――ぬかよろこび


 イリスに見つからないように、左足で草にめり込むほどゲン太を踏んづけた。

 妙な音を立てたゲン太にイリスが振り返った時には、ヤタカは何食わぬ顔で泉の中を泳ぐ紅に見とれた振りをしていた。


「ゲン太? どうかしたの?」


 顔を伏せたまま片目で睨むと、ゲン太の鼻緒がしゅんと萎む。


――なんでもない


 不満げに揺れる文字に首を傾げながらも、おばばの泉へ向き直ったイリスにヤタカはしてやったりとニヤリとした。


 バシャリ


 泉を覗き込むヤタカの顔の真下で、紅が盛大に尾を水面に打ち付けた。


「げっ!」


 びしゃびしゃに水を浴びた顔を拭いながら、反対岸へさっさと逃げた紅を睨み付ける。

 イリスも紅も何だって馬鹿下駄の味方をするんだと、納得いかないままヤタカはどかりと胡座をかいた。

 

「あれ? もう頭痛くないの? いまドシンって座ったでしょう?」


「あぁ、そういえば直っているかな」


 芯が揺らぐような思考のぼやけも、視界の揺らぎもなくなっていた。頭痛も綺麗さっぱり治まっている。

 

「礼はいわないぞ。どうせゲン太の代わりに、仕返ししたついでだろ?」


 口先だけで呟いて、ヤタカは泉に向けて舌をだす。


『コノ イタズラボウズドモガ』


 おばばの言葉にヤタカはこっそり首を竦めた。


『キイロイハヲ ツンデ コトヅテスルトイイ』


 おばばの言葉に泉の周りを見渡し、コスモスに似た薄い花びらを付けた花が、黄色い葉を付けているのを見つけると、イリスは躊躇することなく二枚の葉をぷちりともぎ取った。


「これをどうするの?」


『ミジカイコトバデ デンゴンヲ」


 少し首を捻ったイリスは、一人頷くと大きく息を吸い込んだ。


「ゴテ! 肉の燻製、大至急!」


 息がかかるほどに叫んで、イリスの指から放たれた一枚の葉は、ひらりと空中で二枚に別れた。

 まるで合わせた和紙をを剥がしたように、ひらひらと舞って葉が飛んで行く様は蝶その物。上空まで優雅に舞い上がった葉は、一瞬動きを止めると、一筋の残像を残して山の向こうへ姿を消した。


「野グソ! あんこ餅、急げ!」


 すでに慣れた手つきで放たれた葉が、行き先を心得たとばかりに天高く舞い上がる。


「イリス、伝言が間違ってるって」


「どこが?」


 こうなったら打つ手がない。ヤタカは肩を竦めて口を閉じた。あんな伝言でも、二人は風を切るように駆けつけるだろう。何しろガキの頃からの付き合いだ。

 肉だろうがあんこだろうが、イリスが繋ぎを付けるときには言葉と裏腹に、急ぎの用があることを彼らは心得ている。それこそ、身に染みて。


「ガキの頃もさ、転んで足を挫いて動けなかったっていうのに、寺にいる俺達に送ってきた伝言は何だった? 覚えているか?」


「ううん。覚えてないよ」


「たった一言……おやつ欲しい、ダメは絶交!……だっただろ?」


 首を傾げるイリスに苦笑いしながら、ヤタカは幼い日、絶交という言葉に大慌てでイリスの小屋まで駆けつけた日のことを思い出していた。

 おやつどころの騒ぎじゃない。小屋の前で転んで捻挫したイリスの足首は、驚くほどに腫れ上がっていたのだから。

 あれ以来バカな男三人は、イリスからの伝言には何を差し置いても駆けつける。

 真面目というか、アホウというか。要するに、阿呆な幼なじみ達は人がいい。惚れた腫れたの話じゃなく、単純に女に甘い。イリスに関しては恋愛感情など無いくせに、あんこに砂糖を振りかけても足りないくらいの甘さを見せる。

 まあ、愛すべきバカどもといったところだろう。

 自分の態度も蜂蜜を煮詰めたように甘いことを棚に上げ、ヤタカはこっそり首を竦めた。


「おしゃべりさん、ゴテ達はどれくらいで来ると思う?」


 首を傾げて問うイリスに、白い小花が可笑しそうに首を揺らす。


『ヒガタカク ノボリキルマデニハ ツクダロウヨ』


 彼らもやはり張り巡らされた横穴を通って、それぞれの場所から駆けつけるのだろうか。 それなら昼までには着くだろう。おばばの花言葉が可笑しそうにコロコロと聞こえるのは、息を切らせて駆けつける幼い日の二人の様子を覚えているからだろうか。


「あの頃、泉はイリスの小屋の横にあっただろう? おばば、あの日の出来事をみていたんじゃないのか?」


 ヤタカの問いに、白い小花達が思案するようにざわめき擦れる。


『オボエテイナイ テラガ チニノマレタノハ ダイチヲトオシテ ツタワッテキタ』


 だが、とおばばは続ける。


『キヅケバ イリスハ スガタヲケシテイタ  アトノコトハ ジョウホウニスギナイ』


 ヤタカの意識を奪ったのが毒だとして、泉そのものであったはずのおばばから意識をうばったのはいったい何であったのだろう。


「ヤタカ、みんなのお墓をつくろうよ」


「そうだな」


 当初の目的だ。骨一つ残っていないこの地に石を積んでも、僅かばかりに安らぐのは生きている者だけかも知れない。みんなを想いながら、生き残った自分達の気持ちに区切りを付ける為に石を積む。ただそれだけのことなのだろう。

 あの日に地の底から突き上げるように割られた大地は、深部に沈んでいた大小の石を地表へと浮き上がらせていたが、ヤタカ達は辺りに転がる石を使うことはしなかった。

 流れ落ちる水辺の周りに昔から転がっている石の中から、なるべく平たい物を選んで布に包み持ち帰った。

 地面に置いた布を開いて大きめの石から一つずつ積み上げるたび、隣で手を合わせるイリスが、かつての寺の仲間達の名を呟く。

 ヤタカの手が墓標を積み上げる中、イリスの声が石の一つ一つに魂を入れていく経のように思えて、ヤタカはそっと目を閉じて耳を澄ませた。


「できたよ。小さいけれどみんなの魂を少しでも、沈めてくれるものになるといいな」


 答えることなく、イリスは自分が抱えてきた布を開くと、大きな丸い石を一つと、楕円形の不揃いないくつかの石を取りだし墓標の前に並べ始めた。


「小さな子供が描く、下手くそな花の絵みたいだな」


 丸い石を中心に放射線状に置かれた石は、でこぼこに描かれた一輪の花。


「うん。これは来年の冬のための花。冬は花が咲かないから。あんな鬼瓦みたいな顔して、こっそりお花が大好きだったの……慈庭」


 そうか、慈庭の為に添えた石の花。

 静かに目を閉じて、二人手を合わせた。

 背後でおばばの白い小花が揺れて、ちりりと柔らかな音を奏でる。

 いつもより穏やかな音を立てて、泉でぴしゃりと水が跳ねる音がした。

 木魚の代わりを務めているつもりなのか、小さく下駄の歯が打ち鳴らされる。


「おばば、みんなのことを頼む」


『トモニ ココニイル』


「今日中にはここを立つが、必ずまた来る。どういう気か知らないが、ゲン太が種を食い過ぎて肥満になる前には戻って来るよ」


 おばばの嗄れた笑い声と、ころころと涼やかな小花の揺れる音が重なる。さっき踏みつけられたことへの警戒か、ゲン太は不満そうに身を揺らしながらもイリスの足に隠れて文句を言ってはこなかった。


「何か食えそうな物を集めてくるよ。この時期だから、煮ても焼いても上手そうな物は採れないと思うけれど、空腹よりはマシだろう?」


 泉の側にイリスとゲン太を残し、ヤタカは山へ入っていった。体中を腫らしてかけずり回ったこの山も、今なら難なく駆け回れる。

 爛れて変色した肌のヤタカを表情一つ変えることなく、指先ひとつで再び山へと送り込み続けた慈庭。毎日のように、ヤタカを怒鳴りつけた野太い声。そして、許せ……といった最後の慈庭の声が記憶の中で重なりあう。

 慈庭はいったい自分の何に対して許せ、といったのか。

 喉の奥に引っかかった骨のように、思考の隅に引っかかる声だった。


「やっぱりろくな物がないな」


 山で食料を探すには季節が早すぎる。だが旨いモノがないだけのこと。たとえ雪山であろうと生き抜けるように、慈庭に徹底的に仕込まれた。

 だが、と腕に抱えた葉を眺めてヤタカは溜息を吐く。食えるというだけであって、これを食べさせたら、顔をしわくちゃにしたイリスに睨まれるのは目に見えている。

 ぶつぶつと独り言を漏らしながら山を下りたヤタカは、視界が開けて見渡せるようになった寺跡を見て呆けたように顎を落とした。


「いくらなんでも早すぎだろう? 本物の馬鹿か?」


 溜息に首を振りながら泉に近づいたヤタカは、落ちていた顎をぐいっと食いしばり、握った拳を振るわせた。


「おまえら、人が山に食い物探しに行っていたっていうのに……」


「おかえり、ヤタカ!」


「よう、久しぶり」


「よう、この間ぶり」


 口いっぱいに食べ物を頬ばった三人組が、ヤタカの気持ちなどお構いなくにこやかな笑顔を向けてきた。


「ただいま、久しぶりにこの間ぶりだな、コノヤロウー」


 積み上げたばかりの墓石には、あんこ餅と竹筒に入った酒が供えられていた。肩で諦めの息を吐き、抱えていた葉の束を墓標の前にそっと置いてヤタカは手を合わせる。


「不味さも、懐かしい味だろ?」


 輪になって座る三人の前には、イリスが注文した以上の品が並べられていた。相手より品数が少なくならないようにと、馬鹿二人が意地を張り合った結果がこれなのだろう。


「俺にも食わせろ!」


 ゴテと野グソの間にどかりと座り、冷えた焼き魚にガブリと齧り付く。


「食ったら体を見せろよ。イリスに大体のところは聞いた。記憶が一部戻ったらしいな」


 ヤタカの顔を見ずにゴテがいう。


「もう平気だ。食って寝れば毒も抜けるさ」


「一度目は記憶を奪い、二度目は記憶を呼び覚ました毒だ。似たような物は知っているが、ヤタカが見覚えがないならおそらく、俺達も見たことがないものだと思うよ」


 淡く微笑みながらヤタカを見るのは、幼い頃に野グソという不名誉なあだ名を付けられた男。呼び名に反して、細身の体にすっきりと整った涼しいほどにできすぎた顔をのせている。ゴテが動なら、野グソは静。面白い奴だが、ゴテに比べれば物腰の柔らかな男と言えた。古くより続く野草師と呼ばれる生業を親爺さんから継いで、幼い日からヤタカとイリスに処方する薬草の全てを請け負っていただけに、野草を薬に昇華させる知識も腕も、知る限り右に出る物など居ない。

 いわゆる寺付きの野草師。


「これが採取した欠片だ。本体は岩牢の前にまだあるが、ここを出る前に焼き払うつもりだ」


 懐にしまっていた棘の生えた蔦を、包んでいた薄皮ごと渡すと、野グソは触れることなくじっと見入ってから、記憶を探るように細めた瞼の裏で視線を揺らした。


「まさかな……」


 漏れた言葉に視線が集まる。


「いや、気にしないでほしい。これを見るのは間違いなくはじめてだよ。でもね、ぼくが曾爺さんに聞かされたことのある異種に、特徴が似ていてね。乾ききっているから、なんともいえないけれど。それに曾爺さんはいい気分で酔っていたから、ぼくを楽しませるためのお伽噺だと思っていた。今のいままではね」


 言葉を選んで噛むように話していた野グソが、大きく肩を上下させた。

 ちらちらと野グソの方へ視線を送りながらも、イリスは澄まし顔で団子を口に運ぶ手を止めずに耳だけを澄ませている。


「いったいどんなお伽噺だった? 酔った爺様の与太話が、与太じゃなかったかも知れないなら知っておきたい」


 そういって食べる手を止めたゴテは、物もいわずにヤタカの作務衣を肩から引き下げて背中を剥き出しにすると、勝手にしゃべってくれ、とでもいうようにヤタカの体の触診を始めた。


「なにが大丈夫だ。何をどうしたかは知らんが、肩こりの頭痛に痛み止めを飲んだようなものだ。痛みは止まっても肩こりは治っちゃいないのさ。所々だが、背中に毒を受けた発疹が浮いているぞ」


 ゴテの言葉に肩を竦め、ヤタカは尖らせた口先で野グソに話の先を促した。


「豆坊主……曾爺さんは、幼いぼくのことをそう呼んでいた。あの日、顔を真っ赤にした曾爺さんは、こういった」


――わしのかわいい豆坊主は、植物は土から生えると思うとるんじゃろ?


――虫からも動物からも生えるってしっているよ! 人からもね!


「よちよち歩きの頃から親爺に仕込まれていたから、馬鹿にされたと思ってぼくは膨れた。それを見て、曾爺さんは楽しそうに笑っていた」


――それは二番種の話じゃな。そうじゃのうて、言葉通りに生えるんじゃ。しゅるしゅると、人の体からまるで生き物のようにな。


――うっそだい!


――嘘なものか、爺様はこの目玉で確かに見たんじゃよ。


「曾爺さんが、何処で見たのか本当に見たのかさえわからない。ただね、その日は酔って何度も同じことをいっていた。棘を持つしなやかな枝には、棘の先に他には見られない特徴があったってね。離れて見ても気づかないが、棘の先は僅かに紫に染まり、棘の先のほんの少し下に針で引っ掻いたように小さな括れがあったって」


 ヤタカとゴテは無言のまま視線を交わした。

 俺が考えていることを、おまえも考えてはいないかと、視線で探り合う。


「二人とも、もうぼくが言いたいことに察しはついただろう? あくまで推測だし、乾ききっていて尖端の色もわかりゃしないからね」


「だが、形状はそう変わっちゃいない」


 ゴテが言う。

 持ち帰った蔦の棘には、確かに僅かな括れがあった。


「野グソの爺様が、離れた所から見ていたなら、あれをしなやかな枝と思ってもおかしくない。あまりにもしなやかに動くから蔦と言うしかなかったが、たしかに動きを止めれば細い枝だ。異種を宿した人間を見たのか?」


 ヤタカの問いに、野グソはゆっくりと首を振る。


「異種なら人から生えて命を奪う。聞いた限り、その特殊な枝は人に寄生しているかのように、自由に姿を現すことも潜めることもできたようだからね。特殊な異種だとしても、それ以外の得体の知れない物だとしても、曾爺さんが見た人はとっくにこの世を去っているだろうね。何しろ見たのは若い頃だったそうだし、曾祖父が亡くなったのは九十六歳だったから」


「野グソの爺様は、どんな状況でその人物を見たのかな」


 ヤタカが呟く目の前で、食べ続けていたイリスがげほりと咳き込んだ。


「ここまで聞いても、わたしにはさっぱり何の察しもつかないよ? 今日の野グソの話は難しいよ」


 もぐもぐと頬を膨らませるイリスに、野グソはふっと口元を綻ばせる。


「いいんだよ、イリスは察しなんてつけなくて。さて、ぼくもヤタカの体を見て、必要な薬草を見極めないとね。イリスは思う存分食べて。ぼくの分の羊羹もあげるから」


 嬉しそうに目を見開いたイリスが、さっと野グソの首に抱きついて膝を立てた足をばたつかせると、野グソはちょっと困ったように目を細めて笑った。

 チッ、と舌打ちしたゴテは、すぐに真顔に戻ってヤタカの首筋をごつい指先で丹念に押していく。


「首筋の両側にそれぞれ三カ所、筋肉の深い部分に小さなしこりがある。この前には見られなかったから、今回受けた毒の所為だろうな。訳のわからん毒が記憶を呼び起こしたのかもしれないが、俺は解毒するべきだと思うぞ。もしかしたら、今夜にでも記憶を含んだ夢を見るかも知れないとしてもだ。記憶なら自分で思い出せ。記憶へ未練はあるだろうが、諦めろ」


 苦笑を浮かべ、ヤタカは黙って頷いた。

 記憶への未練はある。二度目の毒だということへの慢心も。野グソの話がなければ、自分を過信していただろう。だがこの毒を含む植物は、異種に囲まれて育ったヤタカ達にとっても不可解な点が多過ぎる。


「ゴテを当てる前に、少しだけ血を採らせて欲しい。今のところ、似た毒性を持つ植物への対処法を取るしかないからね。それでも何もしないよりはマシだよ」


 野グソは花の蕾のようにくるりと丸まる一枚の葉を、直に触らないよう布で摘んでヤタカの腕に押し当てた。

 枯れかけた黄色い紅葉に似た色の葉が触れた部分から、ちくりと数カ所に少しばかりの痛みを感じた。この葉は葉脈を通じて血が吸い上げ、黄色い葉の色が変わっていく。吸った血を見せるかのように広がり、やがて紅葉の様に赤く染まる。葉が吸い上げた血を使って野草師は見分けずらい毒を見極め、持てる知識の全てを注いで薬草を処方する。

 この葉を野グソが使うところを幾度も見てきたヤタカは、チクリとした腕の痛みを無視して、よそ見をしたまま葉の変化を気にすることもなく、満腹になったらしいイリスが腹を片手で擦っている姿を眺めていた。


 ヤタカを挟む形で野グソと向き合っている、ゴテの手が止まった。ゴテの指が首筋から離れたことでふと我に返ったヤタカが正面に視線を戻すと、葉に被せた布を手に握り込んだ野グソが、ヤタカを通り越して肩越しにゴテを見つめていた。


「どうした? 何か気になることでもあったか?」


 努めて軽い調子でヤタカがいう。

 野グソの黒い瞳が、真っ直ぐヤタカへと戻された。


「痺れさせる、生かす、殺す。種類によっては可能だが、殺す毒を持つ者が意思によって毒の強弱を調節することはできない。どんな異種でもだ。薬も極端にいうなら毒を薄めた物を使う。薬を飲み過ぎれば毒となる。同じ物でも濃度によっては痛みを和らげ、幻覚を起こし、過ぎれば呼吸器を麻痺させ死に至らせる」


「それで、結論は?」


「有り得ないが、おまえを刺した棘を持つ蔦は、意識的にその調節をしているんだよ。おそらくはね」


 いつも柔和な野グソの表情は固く、ヤタカは固唾を呑んで次の言葉を待った。

 

「ヤタカ、今すぐ何かが起こる訳じゃないさ。だが、何が起こるか予想がつかない。心配すんな、おまえ一人助けられないようじゃ、俺も野グソも廃業だ。おまえの幼なじみは、そんなヤワじゃないだろう?」


 とん、と叩かれた背中にヤタカが振り向いたときには、ゴテは背中を向けて無言でゴテを当てる準備にかかっていた。


「嫌な予感しかしないな」


 無理矢理笑おうとしても、口の方傍が攣ったようにひくつくだけだった。


「普通はね、吸い上げた血で赤く染まる。変化を見せるのはその数時間後だからね」


 野グソが、すっと手元に視線を落とす。


「だからぼくも、嫌な予感しかしないんだ」


 平静を保とうと決めていた、ヤタカの目が丸く見開く。

 背後では、ゴテが治療用の小刀を研ぐ音が響いている。


「軽く傷を付けてからゴテを当てる。けっこう、痛むぞ」


 小刀の先が皮膚と僅かな肉を裂いた痛みが走り、その上に押し当てられたゴテから、塗られた薬草が肌を焼く痛みと共にヤタカの体に入り込む。

 ぴくりと眉根を寄せただけで、ヤタカは微動だにしなかった。

 視線はただ、野グソが開いた手の中で布に乗った葉に注がれる。

 紫に変色した葉のなか、葉脈だけが毒々しい赤紫色を滲ませていた。


読んでくださった皆さん、ありがとうございます。


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