第9章 トゥルース(愚かな男の真実)
第九章 トゥルース(愚かな男の真実)
強さを求めているのは、龍一だけじゃない・・・
舞や一は、今までよりも厳しい空手の稽古を開始した。
秀一も小野寺から、今までより厳しい少林寺拳法の修行を開始した。
四郎は柔道部に入部し、再び柔道の稽古に励んだ。
トオルも、再びボクシングジムに通い始めた。
そして、ある日・・・
「喫茶LUNA・・・ここだな・・」
一人の男が、瑠奈の店にやって来た。
「いらっしゃいませ」
「あの・・ここに、龍一君がバイトしていると、聞いたんですけど・・」
「ごめんなさい・・リュウ、今いないんです」
「そ、そうですか・・(それにしても、なんて美しい人だ)」
男は、そのままカウンターに座った。
「失礼ですけど、貴女が、龍一君に武術を教えている・・・お師匠様ですか?」
「・・はい、そうですけど・・・」
「(うらやましい・・)」
瑠奈が水を出すと、男はアイスティーを頼んだ。
そんな時、舞、一、四郎の三人が店にやって来た。三人は席に座り、ジュースとハムサンドを頼んだ。
男は3人の声に、聞き覚えがあるみたいだ。男は後ろを振り向いた。
最初に気づいたのは、四郎だ。
「の、野村さん!?」
男は席を立ち、三人に近寄った。
「久しぶりだなぁ」
男は、あの愚かなクローン患者、野村 昇児だった。
昇児はアイスティーを持って、四郎の隣に座った。
「龍一君、いないみたいだね」
「龍ちゃん、山にこもって修行しているの・・・自分の夢に向かって・・・そのために学校も辞めちゃったのです」
「そうか・・・夢のために学校を・・・まるであの人みたいだ」
「あの人!?」
「俺の、憧れのヴォーカリスト・・・元ルナシーのヴォーカル・・河村 隆一さんだよ」
昇児が、タバコに火を点けた。
「俺も、隆一さんや龍一君みたいに、夢を持っていたなら、あんな学校を辞めていたかも・・・」
専門高校時代・・・それは、昇児が最も嫌う時期・・・
「そういえば、野村さんの病気って、変わった名前でしたよね!?」
「ああ・・クローン病だ」
その病名を聞いて、瑠奈が昇児の方を見た。
「(クローン病・・・野々村さんと同じ病気・・・)」
「来年で十周年だぜ!」
舞達と一緒に、馬鹿笑いしているが、彼は、ちょっと前まで、世の中がイヤになっていた。
「そうそう、皆にお勧めの本があるんだ」
昇児はカバンから、本を取り出そうとした。その時、一枚の紙が落ちた。四郎がその紙を拾った。
「修羅 生死のプロフィール!?1979年?2月22日生まれ!何ですか?これは?」
それは昇児が、二年前に遊びで作ったプロフィールだった。1979年の後の?は、別に意味はない。遊びで?と書いたのだ。彼は、一九七九年二月二十二日に名古屋で生まれた。
「あっ、それは見ないでー、俺が見せたかったのは、この本なの」
昇児は、一冊の本を取り出した。
「少しは、恩返しが出来たかな」という闘病記である。
昇児が少し前に、世の中がイヤになった時、この本を読んで、生きることの大切さを、思い出す事が出来た本である。
昔、昇児は、本気で自殺をしようとした人に、キレたことがある。
また、せっかく友達になったのに、病気で失った友たちがいる。昇児は彼らのために、祈りという曲を作ったこともある。
だが、昇児自身は、本当に弱い人間だ。この本を読む前や、初めて病気した時など、何度も、世の中がイヤになった事もある・・・おそらく、これからもあることだろう・・・
現在は、デパスという安定剤だけしか飲んでいないが、一時期は、かなりの安定剤を飲んでいた。
病気してからも、馬鹿な事をしていたのは、彼の心が弱かったからだろう・・・
「本で思い出しましたが、小説は書けたのですか?」
四郎が昇児に尋ねた。
「・・まだ、出来ていない・・一応、主人公は忍術家の少年!」
「忍術家!?龍ちゃんと同じだ」
「・・こ、この物語は、別に龍一君をモデルにした分けじゃないよ・・・最初は、拳法家にしようとしたんだ。俺、ブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れているし、おれ自身も少林寺拳法を学んでいたし・・・」
「それが、何で忍術家になったんですか?」
舞が昇児に尋ねた。
「俺が小さい頃、ショー・コスギさんのニンジャ映画が流行っていた。この時、俺は、忍術を学びたいと思った。しかし、本当に忍者がいるのか分からなかった。そんな時、ある特撮番組に、本物の忍者が出ていると知った・・・初見 良昭先生だ」
武術に、心得がある3人だが、初めて聞く名前だった。その時、瑠奈が、
「戸隠流三十四代目宗家・・・」
そう答えた。
「さ、さすが、龍一君の師匠・・・初見先生は、戸隠流忍法など、九つの古武道を極め、戸隠流三十四代宗家となっている・・・本部は千葉県にあるらしい」
まだ、小学生だった昇児には、名古屋から千葉は遠すぎる。
だが、大人になったら、忍術を学び行こうと思っていた。
「しかし、俺が学んだのは、少林寺拳法と実戦空手だ。しかも少林拳はガキの頃少し習っただけだし、空手も病気してからだから、本格的には出来なかった・・この物語の主人公には俺が出来なかった事をやってもらいたい・・・だから、忍術家なんだ」
「なぜ、少林寺拳法を辞めたのですか?」
今度は一が尋ねた。
「俺、泳げなかったんだ・・・だから、学校から少林寺を辞めて、スイミングスクールに通うように言われた・・まったく、教師は勝手だぜ!?しかも、学校ではいじめられていたし・・」
「そうなんですか!?」
「中一の時なんか、お金をたかられた・・だが、中二になって、親が離婚してから、自由に生きようと思った・・・俺には、三つ上の兄と、九つ下の弟がいる・・・二人には、反抗期が無かったみたいだが・・俺にはあった・・」
この時、昇児と兄は父親に、弟は母親に引き取られた。
兄は7年前に結婚し、家を出ている・・子供も一人いる。男の子で、昇児にとって、甥っ子だ。
兄は保育士で、弟も保育士になろうと、現在勉強中だ。
だが、たとえバラバラに暮らしていても、たまに家族がそろえば遊びに行ったりしている。
また、父親側の祖母は、二年前から、ずっと入院している。
祖父は、二〇〇二年一月一日・・・正月に永眠・・・
昇児は、その前の年に、一度だけ、祖父と同じ部屋で入院した事がある。それが、最初で最後だ。
昇児が、この時入院した期間は約半年・・その間に祖父が入院してきたのだ。
最初は師長も、昇児の祖父とは気づかなかったため、違う部屋になる予定だったが、気を利かせて、同室にしてくれたのだ。また、昇児が2回目のオペをしたのも、この年だ。
母親側の祖母は、母親が小さい時に亡くなっているから、昇児は知らない。
祖父も、昇児が小さい時に亡くなった。
「中二から、馬鹿な事ばかりしていたなぁ・・・授業中に大声で歌を歌って、先生が怒って、授業がつぶれたこともあった・・・けど、この頃は、アニメのキャラに恋をしたりして、かわいらしい一面もあったんだ」
「もしかして、この1992年の初恋って、アニメのキャラですか!?」
四郎がプロフィールを見て尋ねた。
「当時の俺にとっては、愛の女神・・・ヴィーナスなんだよ・・でも、そのアニメ、中坊の時しか観ていなくて、大人になってから続きを観たら、戦士が増えていた・・・俺は大人のような女性がタイプだから、今なら、ネプチューンかな・・」
3人は思った・・・この人は、オタクなのかと・・・
だがこの時、昇児は本気で、アニメのキャラに恋をしていたのだ。
それだけ、彼の心は、まだ無邪気だったのであろう・・・
「だけど、俺の心が荒んだのは、この後・・・」
昇児の顔から、笑顔が消えた・・・
さっきまで、馬鹿笑いしていた彼だが、今はまるで別人・・・
昇児は、中学を卒業し、料理の専門高校に入学した。
暴力が全ての学校・・・専門学校でもあり、高校でもあるため、三年間通うこととなる。
特に一、二年は修羅場だった・・・
生徒同士の喧嘩・・・教師の暴力・・・そのストレスを発散させるため、ついに昇児は、罪の無い生徒をイジメてしまう・・・
更に、教師が教師を止めるという事件・・・
そんな時に、昇児はルナシーと出会う。
一九九四年の夏の終わり頃・・・ツレとゲーセンに行った時、その時に流れていた曲が「ロージア」だ。
この曲は病気をしてからも、昇児の支えとなっている。
「野村さん、大丈夫ですか?」
舞の呼び声に、昇児が答える。
「ゴメン、ゴメン・・・ちょっと考え事をしていた・・・僕の心が荒んだのは、僕の心が弱かったんだ。それに、中学の時、ちゃんと勉強していれば、普通の高校に入れたと思うし・・・この闘病記の北原 和憲さんは、病気だけじゃなく、受験とも闘っているんだ。」
北原 和憲氏は、十九年と短い人生の中、卓球に励み、病気と闘いながら、受験勉強をし、早稲田、慶応、そして東大にまで合格している。
「俺には受験戦争なんかなかったから・・・それより、背中が痛い!」
「背中!?」
昇児は数年前から、背中の痛みを訴えている。医者にも原因が分からない。彼はお腹の調子がよくても、背中の痛みは消えない・・・
「消化器の病気だけど、足が腐った人とかと出会ったこともあるし、テレビで目の見えないクローン患者を観た事もある・・・命に係わる病気じゃないが、腸閉塞や血便がとまらなかったら、当然命に係わる・・・病人は、痛み、苦しみ、そして、恐怖との戦い・・・」
昇児は背中の痛みが強くなってきたため、痛み止めを飲んだ。
「大丈夫ですか?救急車を呼びましょうか?」
「・・・大丈夫・・痛み止めを飲んだから・・・救急車か・・何回乗ったことか・・・」
彼は、痛みや下痢で睡眠不足となったりして、何度も倒れた事がある。そのために何度も救急車に乗っている。
また、お腹が痛いため、侍のように壁にもたれて眠ることもあった。トイレの中でそのまま眠ったことも何度かあった。
これは彼だけでなく、多くのクローン患者が経験したことだろう・・・
彼の表情が、穏やかになった・・痛みが和らいだのであろう・・・
「・・・だいぶ良くなった・・・口では、なったものはしょうがないとか言っているけど、ホントは怖いよ」
この闘病記の中で、和憲氏は、両親には言わなかったけど、彼は友人に年賀メールを打っていた。和憲氏の母親は、彼が亡くなってから、そのメールを知ったみたいだ。
そして、メールの中に、恐怖との闘い・・・長い文章の中に、その言葉が書かれていた。
彼は恐怖の中、最後まで病気と闘った・・・彼が残した本で、命の大切さを感じてもらいたい・・・
昇児自身も、この本を読んで、命の大切さを感じたのだろう・・・
「野村さんは、いつ病気になったのですか?」
舞が尋ねた。
「一九九X年・・・くだらないギャグはやめよう・・・一九九七年・・卒業して、パン工場に就職した時だから、十八歳の時だ」
パン工場に就職した彼は、お腹の痛みを訴える。
地元の病院では、精神的なものと言われた。
だが、彼の痛みは強くなる。五十キロ以上あった体重が、四十キロ以下になった。
そこで、祖父が通っている名古屋大学付属病院、通称名大で検査をして、昇児と家族は初めて、クローン病という病名を聞く・・・難病で治らない・・・彼は心の中で、死にたいと思った・・・
ルナシーはその頃、ソロ活動をしていたが、昇児は「ロージア」を聴いて、病気と闘う決意をした。
「入院中は、暇だからね・・ビデオを観たり、CDを聴いたり、本を読むことくらいしか、楽しみはない」
長期入院で、しかも絶食・・・だから入院中には、CD、ビデオ、DVD、そして、本などが彼には、必要なアイテムとなる。
またこの時、メジャーデビューしたマリス・ミゼルと出会う。中世ヨーロッパの貴族のカッコウ・・・まるで、おとぎの国から飛び出してきたようなバンドであった。入院中に、テレビでマリスのクリップ映像を観たとき、彼は病院ではなく、マリス・ミゼルの不思議な世界にいたのであろう・・・
そして、彼は、腸閉塞を起こしたため、緊急手術となった。
この時の入院期間は約四ヶ月・・・初めての入院・・・初めてのオペ・・・
そんな彼を支えたのが、漫画と映画と音楽、そして、家族の愛情である。
またこの時、看護師に恋をしている。彼にとって本当の恋だったが、その人には、婚約者がいた。結局、彼の片思いで終わった・・・
退院後、彼は空手を習う・・・会に在籍していたのは、約五年だが、本格的に稽古をしていたのは、三年くらい、しかもその間に何度も入退院を繰り返している。後の二年は少年の部の指導・・・最後の方は、ただ見学しているだけであった。
また仕事は、アルバイトを転々としている・・・
病気して間もない頃は、仕事場にも、道場にも、遊びに行く時にも、通院する時にも、エレンタールを持って出かけた。
だが、それでも入退院を繰り返してしまう・・・
それは彼が、馬鹿な事ばかりしていたからかもしれない・・・
三年後になると、再び世の中がイヤになった。
医者からは、再手術が近いと言われていた。
小腸と大腸のつけねの部分が糸みたいに細くなっていたのだ。いつ、モノがつまってもおかしくない状態だった。
そんな時、ある特撮番組と出会う。
四郎がプロフィールを見て、
「2000年にタイムレンジャーのおかげで生きる意欲が出てくる!そして、遊び人になる!何ですか?これは?」
と、昇児に尋ねた。
「あっ、それ、永井 大さんが出演している、特撮番組・・二十世紀最後という事で、未来をテーマにしたスーパー戦隊シリーズ!」
この番組も、彼に勇気を与えてくれた。
「永井さんがセリフで、明日を変えろ・・というセリフがあるんだ。それを聞いて、明日を変えるためにも生きようと思った。そして、思い出した・・病気で失った友たちの事を・・・」
「そのあとの、遊び人とは何?」
「僕が、初めて付き合ったのは、この時なんだ・・でも、浮気されたから、一ヶ月で別れた・・」
だがこの時、昇児は怒る事もなければ、悲しむ事もなかった・・彼自身も本気じゃなかったのであろう・・・
「それから、ナンパみたいな事をしたり、スロットをやったり・・違う意味で明日が変わっちゃった・・でもこの頃、祈りという曲を作った」
祈り
荒んだ時代を生きていくために
僕は強く
生きていきたい明日にむかって
僕は生きる
君の・・・
分まで・・・
華のように散って逝った
君のために僕は祈る
苦しみの中で生きて散ってゆく
修羅のように
僕は・・・
生きる・・・
壊すものすらないから今は
空にいつも僕は祈る
華のように散って逝った
君のために僕は祈る
これが昇児の作った祈りの歌詞である。昇児が亡くなった友たちのために作った曲・・・
その亡くなった友の中には小さな子供もいる。昇児が初めて入院した時、手術後、調子が良くなり、たまたま喫煙所で、付き添いをしていたご両親と知り合って、入院中にお子さんと漫画の話をしたり、遊んだりしていた・・・年も病気も違うが共に病気と闘った友達・・・だが、ある日、ご両親が喫煙所に挨拶をしに見えた。その時にその子に何が起きたか、彼にはすぐに分かった。ご両親が、喫煙所にいた昇児や他の患者、付き添いの方に挨拶をしていかれた。
昇児にとって、その子は今でも大切な友・・・
更に二回目の入院の時、同室で仲良くなった友も・・・昇児が退院してから、その子の母親から電話がかかってきた時、亡くなったことを知った。
更にクローンではないが、似たような病気で亡くなった人もいる。
また、昇児が初めて入院して、落ち込んでいる時、励ましていただいた患者の人たち・・・
「少しは、恩返しができたかな」の和憲氏や、病院で知り合って亡くなった友たちのためにも、命の大切さを伝えたい・・・昇児は心からそう思った。
また、昇児は、二十代前半の頃、金髪に染め髪を逆立てていた。当時彼は、バンドをしていたが、音楽をしているから、金髪に染めたのではない。
彼は、病気に対する怒りを表すため、漫画のマネをして、金髪にしたのだ。
「病気になったのは、誰のせいでもない。だけど、その怒りを何かにぶつけたい・・・だから金髪に染め、自分がどれだけ怒っているかを、表したかったんだ。でも、その時の写真を見せると、チンピラと言われる・・・」
「その写真をみてみたいな」
「・・また今度・・逆立っていている写真は、プリクラしかないから・・・」
二〇〇一年・・・最初で最後となったが、祖父と同じ部屋で入院する。
そして、痛みに耐えきれず、彼はついに、二度目のオペを決意する。
二〇〇二年・・・この年に、名古屋IBDの会の役員となる。
この会は、クローン病と、潰瘍性大腸炎のための会・・・潰瘍性大腸炎もクローン病と同じで、厚生省の難病特定疾患に指定されている病気だ。この時に、修羅 生死という名前で祈りのCD―Rを作っている。後、失敗となったが、会の余興で一人ライブをしている。
会議の時、勉強ばかりでは、若い患者が来ない。そこで、当時の会長から、ライブをしてくれと頼まれたのだ。だが、即興でやったため、お笑いライブになってしまった・・・
二〇〇四年・・・その前の年から、何度も救急車で運ばれ、何度も入退院を繰り返している。そして、再び腸閉塞を起こし、三度目のオペとなった。
だがここ数年、背中の痛みもあるし、手術してもすぐに再発してしまう・・・
二〇〇五年には、大量の血便で再手術かと思ったが、何とか止まり、輸血をするだけですんだ。
だが、世の中がイヤになった。もう、生きたくない・・彼は本気でそう思った。
その時に出会ったのが、あの「少しは、恩返しができたかな」である。
この本は、彼に生きる勇気だけでなく、彼に夢を与えた。
彼の今の夢・・それは、彼が今書いている物語を、いろいろな人に読んでもらう事である。
そして、クローン病やイジメ、人の命の大切さを伝える事・・・
「出来たら読ませてください」
「俺も・・」
「僕にも読ませてください」
「OK!でも小説を書くという目標のおかげで、今を生きようと本気で思えた。前にも言ったけど、物語の中でなら格闘技をやる事が出来る。そのために、漫画を含めて、格闘関係の本を読んでいる・・・さて、そろそろ帰るか・・・お勘定はここに置いていきます」
その時、
「野村さん・・私の知り合いにも、クローン病患者がいます。その人も昔はクズでしたが、今は一生懸命生きています。あなたもがんばってください!」
瑠奈からの励ましの言葉だ!
「ありがとうございます!」
そう言って、店を出た。
彼が、クズのままで終わるか、夢に向かって、がんばれるかは、彼しだい・・・
自分の明日をどう変えるかは、彼しだい・・・