04 水色の雪
前に座るキラキラとした瞳を眺め、パルプルはどうしたものかと肩を竦めた。ふわふわとした白い毛玉を弄りながらもじもじする姿はとても可愛らしく、庇護欲を駆り立てられる。
だが、
「こんな広い所で再会するなんて私達気が合うのね、凄いと思わない?」
(紹介して紹介して紹介してっ)
「いい人見つかった?あなた可愛いし珍しい色だからいっぱい寄ってくるでしょ」
(この人誰!私に紹介してっ!)
パルプルに声をかけながらもちらちらと後方を気にしている少女は、心を読まずともわかりやすい。
今から10分ほど前、青い人の捜索中に別エリアの広場を通ったところで、中央にある噴水にちょこんと座る獣人と目があった。
「「あっ」」
お互いに反応し駆け寄ると、やはり会場にいたあの白い羊の少女だった。パルプルはすぐに探し人の事を尋ねたが、彼女は怖そうな人とは目を合わせないようにしてきたから分らないと答え、変なおばさんに追いかけられてここまで逃げてきたのだと疲れた様子で俯いた。
「顔を隠しているから全然わからないの・・・」
そう呟いた羊の少女はぼんやりとパルプルの後ろを眺めた瞬間、大きな目を更に大きく開き急に腕を掴んできた。
「ねぇ見てあの白い人っ、凄いキレイ!」
「え?」
振り返ると、ごった返した広場の入り口に佇む白コートの青年が、赤い液体を優雅に口に運んでいた。
周りの人間も同じようにグラスを持っているが、僅かな仕草に気品が漂い他の客の視線も集めている。
美形はお得ってことよね、同じ仕草でも良く見られるなんて羨ましい。
「素敵!とっても優しそうだし」
腕をグイグイ引っ張る少女に戸惑いながら、確かに一見優しそうよねと思っていると、青年がこちらを向き爽やかに笑む。
「キャ――今私に微笑んだわっ!見た?とろけそうな笑顔を私に向けたわよ!」
いや、おそらくあたしにだと思うが・・・。あまりの盛り上がりに否定はせず流し、どうアプローチしようか悩む彼女から離れる方法を密かに考える。
早く青い人を探しに行きたい。青年がはぐれた際の待ち合わせ場所を決めてあると言っていた為会える確率は高いが、このふれあいタイムがいつ終わるのかわからない状況にパルプルは焦っていた。
先程まではパルプルのすぐ後ろを歩いていた青年は、何故かこちらを眺め近づいて来ない。
ずっと「早く会えるといいよね!」と明るく話かけてくれる青年の、その表の顔と本心とのギャップにパルプルは戸惑いを隠せず、今少し離れている事に安心している。
表と裏がある人間なんて沢山いるし、むしろほとんどの者がそうだろう。しかしあまりにも差が激しすぎる彼の傍に居るのは危険ではないか?だが青い人は彼がいないと見つけられない・・・ どうしたものか。
「あなたどうして黒い人を探しているの?怖い人なんでしょ?」
「いや・・・」
「それは俺も知りたいな、あいつに会いたいだなんてとても不思議だ」
音も気配もなく背後に立った青年に、パルプルは鳥肌が一気に立つ。
「キャア」と嬉しそうに悲鳴を上げ顔を赤らめている羊の少女を見つめながら、真後ろの存在に背筋が凍るほどの違和感と恐怖を覚えた。
ありえるだろうか。
ヒトより優れた五感を持つ獣人に悟られずに背後をとることが・・・確かにパルプルはまだ13歳と若く実力も無いが、これでも奴隷商人に捕まる前は一人で生き抜いて獣の様に生活していたのだ。音に敏感な兎の自分が全く気が付かないはずがない。
「急がないと、会えなくなっちゃうよ?」
この青年、最有力危険人物に認定だ。
青年はどこまでも優しく、どこまでも明るく、どこまでもパルプルのために付き添ってくれたが、パルプルは一定の距離を保ちつつ愛想笑いでやり過ごしていた。細くうねった小道に三人の話声だけが木霊する。
爽やかに私に話しかけてくるのはいいが、横で懸命にアピールしている少女をさっきから無視してますよ。
横目で青年を見上げあからさますぎる態度に冷や汗をかくが、当の少女はあまりにテンパっているためか、そのことに気が付いていない。このまま気付かない方が幸せか、見込みがないとさっさと諦めて他に目を向けさせるべきか。
「毛とかも伸びると高値で売れますし、肌触りも最高だってよく言われるんですっ!」
「約束通りならこの先にはずだから、もうすぐだよ」
「家事も得意なんですよ、裁縫大好きですしなんでも編めちゃいますぅ」
「俺嘘とかつかないタイプだし、兎さんの役に立てたらなって・・・」
「あのっ、もしよろしければ貴方様のお名前を教えて頂けませんか!」
「あ、そこデコボコしてるから気を付けてね」
会話をしてください。
溜息を吐きながら返答を待っている少女のために「名前、なんておっしゃるんですか?」と聞くと、パッと目を輝かせ一歩近づいて来る。
「そういえばまだ名乗ってなかったね、僕はクレストン・ペナー。兎さんのお名前は?」
「素敵なお名前ですね!私はリントといいます、クレストン様」
「えっと、パルプルです」
「パルプルちゃんか・・・可愛いね。君にぴったりだ!僕の事はなんでも聞いてくれていいよ、パルプルちゃんになら全部教えよう」
「本当ですか!あの、お歳はいくつでしょうか?私は14歳なんですがこれからいい感じに成長するだろうって――」
その後も青年はパルプルにだけ話しかけ、リントと名乗った羊の少女も青年しか目に映っていないような会話が続いた。
なんとか会話を成立させようと間に入りリントの無視された質問を青年にしていくが、そのたびにパルプルは青年への不信感が募っていく。
この人・・・全てが嘘だ。
淀みなく答えた名前も歳も出身地も身分も、何もかもが嘘で塗り固められ頭が混乱していく。
どうして身長を2cm低く言ったのだろう?
息をする様に嘘を吐く青年の本当の名前も、歳も出身も身長も包み隠さずパルプルにはわかったが、何も言わずにそっと耳を塞ぎ能力をひとまず閉じた。
この人には関わってはいけない。
静かに暮らしたいなら、絶対に。
その直感に頷いたところで視界が開け、大きな時計塔がそびえたつのが見えた。巨大な針があと少しで9の文字を指そうとしている。上から照らすオレンジ色の光が広場と目玉商品の檻を淡く浮かび上がらせていた。
やっと着いたわ!ここに青い人が――
ハッとしたようにパルプルは青年を振り返り、微笑む瞳とかち合う。
当たり前の様に嘘をつく青年。
ここでの待ち合わせも嘘だったら?
嫌な想像に心臓に高鳴るが、「ここにいる」と言っていた時は嘘の言葉は聞こえなかった・・・大丈夫なはずだ。
うぅ~苦手だぁ、この人。
後ろの存在をなるべく気にしないようにスッと目を凝らし、全体を眺め歩を進める。
「いないわ」
「え、いないの?私全然見えないんだけど・・・あなた目がいいのね」
「人が多いし暗いよ?ここから見えないだけじゃ」
「ううん、広場にはいないわ。中に入りましょう!」
駆けだしたパルプルに二人は戸惑い、慌ててついて来る。
パーティの中心エリアの広場は他の会場よりも広くごった返しているため、多少の明りがあっても人の壁で探し人は普通見つけられない。だがパルプルの目はオーラのおかげで判断しやすく、ましてや青い人の輝きを見逃すはずがない。
お願い、どうか中にいてっ!
鉄でできた正方形の建物に飛び込み、鼻をつく獣臭に耐えながら奥に向かう。悲鳴に近い獣の鳴き声は奥に進むたび大きく酷くなっていき、恐らくおぞましい生物が売られているのだと考えられる。
怖いし見たくはないが、その生物と自分は立場が同じなのだ・・・早くこの現実から逃げ出したい。
階段を下り一階より暗いフロアに入った瞬間、思わず目を覆ってしまうほどの眩い光が飛び込んできた。
うっわ、まぶしー!
薄めで部屋の状態や人がほとんどいない事を確認し、はやる気持ちをなんとか抑えながら一つの小さな檻を目指す。あまりの眩しさに目を通常の状態に戻すと今度は暗すぎて進めない。
この真っ暗な部屋をここまで照らすオーラ・・・ 凄すぎる。
小さな檻を覗き込むように座っている男の横にちょこんと立ち、「こっこんにちわ」と声をかけた。はじめて話しかけた声は裏返ってしまう。
しっかりしろ、あたし!
黙ったままで仮面の姿だがパルプルの登場に驚いているのが伝わってきた。大きな体がゆっくりとこちらを向きパルプルは姿勢を正す。
もうアピールとか思いつかないし、自分の良い所なんてわからないわ。
真っ向から行くしかない!
「あたしパルプルっていいます!奴隷の獣人です。あの、あたしを買ってもらえませんかっ!」
直球すぎたかもと思ったが、これしかない。どうしても買ってほしいのだ。
獣の唸り声をかき消すように「よろしくお願いします!」と頭を下げる。少し間を置き待ってみるが男は一言も発さない。
やっぱり何にも聞こえないわ。
周りの『痛い』『出して』『お腹すいた』という声は読み取れるが、目の前の男の心だけが聞き取れず、もう一歩距離を詰めてみる。
「あなたじゃなきゃダメなの!あなたがいいの、あたしを助けてっ」
「・・・――っ」
膝に置いてある腕にしがみ付き、必死に懇願する。
これがラストチャンスかもしれない。触れ合いタイムがもし9時で終わるとしたら、今しかないのだ。
策は何もないが、なんとかしなくてはいけない・・・ 人生がかかってるんだ、根性見せろ自分!
もはや泣き落としに近い形で「お願いっ!」と叫び訴える。
ひかれたかな・・・これじゃウザすぎる。でも感情が高ぶって涙まで出てきちゃった、どうしよう。
後ろの階段をリントと青年が降りてくる『心の声』を聞きながら目を擦っていると、フワッと何かが頭に乗り驚いて顔を上げる。
「・・・泣くな」
呟かれた低音はか細く闇に吸い込まれていったが、兎の耳は逃さなかった。
頭上で動く大きな手は黒い手袋がスルスルしていて気持ちが良く、キラキラと輝く水色の粉が降り注ぐ。
雪の様に目の前を落ちる薄く色付いた透明な粒は、ちょんっ とパルプルの鼻先にとまりホワッと消えていった。
あぁ、なんて綺麗なの。
「傍にいさせてもらえませんか?あたしも、あなたと一緒に行きたい」
「・・・・・・」
男が見ていた檻には産まれたばかりの怪鳥の雛が『ママ―』と鳴いている。彼はずっと赤ちゃんを見ていたのだろうか、雛に母親だと刷り込まれているようだ。
そっか、基本的に言葉の通じない生き物相手でも、心の声はちゃんと聞き取れるんだ。じゃあ何故この人のは聞こえないのかしら。お願い、あなたの心を聞かせて!
そっと頭の手に小さな手を添え、強く仮面を見つめて声を出す。
「あなたの光を浴びていたいの・・・あたしは、幸せになりたいの!」
綺麗なブルースカイに包まれながら、パルプルは無口で輝く男に微笑みかけた。
「パルプルの、ご主人様になって下さい!」
太い蔦が絡まった石造りの巨大な門を見上げ、泥で汚れた足をゴシゴシと地面で擦る。
少しヒリヒリするだけで余計に煤がついてしまった。
これ・・・意味ないな。うーん靴が欲しい!でもあたしの足にあう靴が無いのよね、作れないかしら。
「ねえ、どっちについて来る?」
精算所に目を向けると、ベンチに腰掛け白コートの青年が笑いかけてくる。近くに停車した馬車が門をくぐり外に消えていくのをそわそわとした気持ちで眺め、「どっちって?」と首を傾げた。
「僕とあいつ」
え・・・どういうこと?
現在手続きの真っ最中で今か今かと待っていたパルプルは、青年の言葉に困惑し離れた受付にいる男に目を向ける。
「選んでいいよ。あいつと話し合えば契約は変更できるから、僕が買ったっていいんだ」
「・・・あたしが、あなたの奴隷になるってことですか」
「君が望むなら」
いや、望みませんよ。絶対それはない!
丁重にお断りさせていただこう。
「リントはあなたの奴隷になりたがっていましたよ」
「・・・パルプルちゃんは?」
「あたしは、あの人に付いて行きます。・・・そのために探していたんですから」
協力してくれたのは本当にありがたいが、極力青年からは離れたい。
「羊さんとは仲良いの?」
「え?あーまぁ」
奴隷の中では比較的言葉が通じるし、他と比べるとそうかな。人間だった頃の友人関係と比べると薄っぺらいが、あの子はまだ色々話せる相手だ。
「ふーん・・・」と少し考え込んだ青年の後ろにヌッと真っ黒な大男が立ち、パルプルは期待の眼差しを向け近寄っていくと僅かに頷き門へと歩き出す。
契約は無事終わったようだ。
隅に留めてある漆黒の馬車に黙って乗り込んでしまった男に続いて乗ろうとし、馬車の業者の部分が見えない造りになっていることに気付く。
変わった馬車ね・・・他のと全然違う。
高さも大きさも形も全てが独特な乗り物を眺めていると、いつのまにか横に並んでいた青年に「またね、不思議な兎さん」と笑顔で手を振られた。
自分のご主人様と仲良さげに話す姿から、『友達』というのは本当なのだろう。今後も会うことになると思うと少し気が重い。
まあ、まだなにもされてないんだけどね。むしろ助けてもらったんだし、そう考えるといい人なんだけどなぁ。
「後で連絡する」
低い声で告げると馬車を発車させ、男はどっしりと腕を組んで腰を下ろした。
これでもうあの暗く陰気くさい檻に戻らなくてすむ。新しい生活が始まるのね・・・
パルプルは窓の外を眺め、あまりにも広く壮大な景色に息を飲み込み、涙で歪む視界をクリアにしようと目を擦り続けた。
外だ。
まぎれもない、外の空気だ。
空気を切る様に走る馬車は、山を抜け森に入るとあっという間に三道を走り、遠くの海から覗く月に照らされる。
毎日見ていた月が驚くほど神々しく感じ、包むような明りは心を緩ませる力を持っているようだ。
やっぱり兎は月が好きよね。
どれくらい眺めていたのだろう、パルプルにとって夜でよく見えなくとも数年ぶりの光景は美しく映り、飽きることは無い。
「あの・・・ありがとうございました」
向かいの席にお礼を言うと静かに頷かれ、もう一度深々と頭を下げて感謝の意思を伝えた。決め手が何だったかは解らないが、パルプルを連れ出してくれた男は今も光り輝く青色を放ち、頭上からは疎らにあの雪の様に見える光がゆらゆらと降り注ぐ。
今日からこの人が、あたしのご主人様。
「よろしくお願いします!」
「・・・ああ」
「えっと、この馬車どこに向かっているんですか。家とか?」
そう聞くとゆっくりと首を振られ、一息つきたいのか目の前で太陽型の仮面を外していく。
現れたのは凛々しく整った男前な若者。
驚くほど白い肌に反して真っ黒で艶やかな黒髪は無造作に伸び、顔にかかっている。だが間から覗く切れ長の瞳とマネキンのような形のいい鼻が全体を引き締め、シュッとした輪郭に綺麗に収まっていた。
眉間に寄った皺で近寄りがたい雰囲気は健在だが、これほどの見た目なら女性たちは放って置かないだろう。
しかし一番目を引くあるものがそれを阻んでいる。
左のこめかみから首まで横断した、大きな『傷跡』だ。
かなり昔の傷の様に思うがとても痛々しく、手当をちゃんとすればここまで傷が残らなかったのに、と胸の前で手を握り合わせる。
自分で縫ったのか余程下手な者が担当したのか、歪なまま縫い合わされた一本の線は刃物傷だろう。
触れられたくない部分だと察し、大きな反応をしないよう心がけもう一度何処へ向かっているのかを尋ねた。
「・・・北」
形のいい唇は短い言葉しか発してくれず、パルプルは懸命に食らいつき質問していく。
怒った様な顔だけど、綺麗で穏やかなオーラが大丈夫と教えてくれるわ。『心の声』が聞こえない分ちゃんとコミュニケーションとらなきゃ!そうよ、人間は意思を疎通できる生き物だわ。
どんな世界であっても、それは変わらない。
あたしは、人間よ。
たとえ形が違くたって・・・人間だわ!
「お家が北の方なんですか?」
「ない」
「え?」
「家は無い」
・・・え?
「これから住処を探す」
―――ぇええええぇぇえ!?
馬車内に降る水色の雪は着実に積り、床をキラキラと彩っていく。
優しい光の中で・・・小さな叫びが霧散した。
お読みくださり、ありがとうございます。