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scene1: 容量オーバー

はじめまして。108と書いて「とわ」と申します。

こちらには初めての投稿でかなりおっかなびっくり投稿させていただきます。

一応ライトノベル風を意識して書いております。一応全12話完結を予定しております。更新は月一回ペースを目指しております。

まだまだつたない文章力ではありますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

物語やキャラクターの感想など、正直な感想をお寄せくださると嬉しいです。


※尚、本文の無断コピーや転載・無断投稿は禁止です。

※作品の誹謗・中傷はご遠慮ねがいます。

 ~カタチのないモノに一体どれほど意味があるのだろう。

 日が登り夜になり、また朝になる。繰り返しおくり続ける日々のなか、人は笑い、怒り、喜び、悲しみ、苦悩し、生きていく。

 例えば、そうしたどんな感情をもすべてエネルギーとして人々の生活に活用されるとしたらどうなるのか。……それが可能となれば、一切無駄のない社会が実現するのではないだろうか?~

 

 「一切無駄の無い社会か……。その媒体(ばいたいが何なのか知らないくせに……!」

 タバコと薬品の匂いが染み付いた白衣を着た男は新聞をぐしゃりと握りしめた。

 「……カオルちゃん、朝のエッグトーストとコーヒー、どう?」

 落ち着いた大人の女性の声が、気遣きづかわし気にささやいた。

 「ありがとう。いただくよ」

 三十すぎのいかにもくたびれたおっさんという風貌ふうぼうの「カオルちゃん」は、そっけなく答えた。

 おちついた茶色を基調としたバーのカウンターで、作り立ての半熟の目玉焼きのせトーストを砂糖入りのコーヒーで流しこむと、バーの奥にあるパーテーションの向こうへ消えた。


* * *


 最近、ドーナの様子がドーモおかしい。

 別に、言葉遊びがしたいわけじゃない。事実、ここ一年前くらいから、俺のドーナは頻繁に壊れるようになった。それは、生活に支障をきたすほどに……。

 

 ドーナ、それはもはや生活必需品以上のものになっていた。

 人間の感情程不確かで不安定なものはないと言われていた時代から50年経って、感情はコントロールされ、エネルギーとしてあらゆる生活のシーンで利用されるようになった。

 スターライトコンパスコーポレーション(Starlight Compass Corporation)通称SCC。人間の感情を感知し、エネルギーに変換する装置、ドーナリング、通称ドーナを開発した元製薬会社。ドーナ開発時のデータをすべて非公開としている。

 いったい、あのどでかいビルの中にはどんな機密を隠しているのか、知る由もない……。

 「はよっ、ダイキ!元気……じゃなさそうだな……」

 さすが運動部の主将だけあって、体格がよく身長も高い爽やか系の好青年がダイキの机に近づいてきた。

 「浩一コウイチはいつも元気だな……」

 だるそうに左手をふってみせる。

 いかにも新品といったツヤのある赤い輪っか状の製品が右手首で揺れた。

 「ダイキ!おまえ……またドーナ壊したのかよ!?」

 半分飽きれの入った驚嘆きょうたんをあげるコウイチを横目に、ため息をついた。

 「ってか、それ、昨日発売になったモデルじゃん!……いくらしたっけ?」

 「月額登録料抜きの本体価格四万円…正月から貯めてた貯金がチャラ」

 「ご愁傷さま……だな……。しかし、いくらなんでも、壊れ過ぎだよな?一月保ってないんじゃないか?保証は?」

 「原因不明の感情エネルギー増大による容量オーバーで保証規定外……」

 ドーナは過去のパソコンのハードと同じく、それぞれの容量別に販売されている。使用者はその容量規定の数値内で活用すること、そしてそれを守らない場合生じた製品の故障は保証規定外となっている。

 「お前またなんかやらかしたのか?」

 「俺がいったい何したんだよ……安定剤だってちゃんと服用してたし……何度も何度も、原因不明って何だよ……!」

 「おいおい、落ち付けってダイキ……」

 「バカにしやがって!」

 イライラにまかせて机を拳で打った。

 「そんなに興奮したら、エネルギー数値が……」

 コウイチになだめられて、我に返りドーナに表示されたパーセント表示が規定平均値の50を上回りはじめていたところだった。

 「……危なかっただろ、今」

 「……」

 また、だ。感情の起伏が起こりやすい性格だということは解っているけど、こんなに過剰に装置が感情波かんじょうはを感知するのは、装置自体に欠陥がある他考えられない……。

 「朝から騒がしいなぁ。二人ともケンカでもしたの?」

 柔らかいのんびりと落ち着いた声がした。

 「あ、ジュン!遅刻ギリギリだぞ!」

 剣道の全国大会でも引けをとらない実力の持ち主で、背も高くガタイもいいコウイチが机の前に回るとほぼ俺の視界は遮られる。

 でも、俺にはその向こう側の様子がありありと解った。

 コウイチとは対象的な、身長は同じくらいでもスラリとした細身のいかにも文化部系に所属していそうな体型のジュンが軽いパーマをかけたツヤのある髪をなびかせながら颯爽さっそうと教室の机の間を横切りこちらへ歩いてくる。その後ろで女子どもが色めき立って奴を眺める構図、そしてその様子に恨めしい視線を向けるクラスの男子諸君……。毎朝、そんな情景だ。このクラスはずっと……奴が存在し続ける限り間違いないと断言してもいい。

 無理もない。身長が高く美男でスポーツはそこそこでも勉強は出来て英検一級、弁護士の母と歯科医の父を親に持つエリート階級育ち、それでいてブランドものを多用しない嫌味のない並み外れて抜群のファッションセンスで雑誌にも良く取り上げられる有名人とくれば。そんな奴が教室中央の朝のランウェイを終えて、俺の机の前に立った。

 「あれ?ダイキのドーナが、気のせいかまた最新モデルになってる……」

 さすがにファッションリーダーだけあって、目ざとい奴だ……。

 「ダイキ、またドーナ壊したんだってよー」と早速コウイチが近況報告する。

 「えっ、また?保証は?」

 「前のときと同じ。原因不明」

 「感情エネルギー増大による……なんだっけ?」

 深刻さのかけらもない軽い口調でコウイチが言う。まったく他人事だと思って人の傷口えぐりやがって……コウイチの奴!

 「……容量オーバー……だよ!」

 「メディカルは何て?」とジュン。

 「俺の場合、感情の起伏が激しいタイプだから、神経が高ぶらないようにって安定剤服用するように言われた……」

 「メディカル」は、ドーナメディカルサポートセンターの通称。ドーナとドーナ使用者の間で不具合が生じた場合、主に使用者側の感情のケアなどをし、安定した精神状態にした上で、ドーナに感情波を効率良く送ることを助ける目的で設置されたらしい。カウンセリングを1時間受けるだけで済む場合もあれば、俺みたいに軽い精神安定剤みたいなものとかを処方されることもある。実際効果はあるのかっていうと気休め程度にしかならない気がするけど……。

 「でもさ、原因不明でしょっちゅうドーナ壊れますって人がダイキ以外にもたくさんいたら、ニュースとかになんじゃね?」とコウイチが言う。

 「たしかに、あんま周りの友達とかからはそんな話は聞かないよな?」

 俺が同意を求めると二人ともうなづいた。

 「ダイキだけに起きてる現象だったら、なんかすごい特殊能力あったりしてな」

 ジュンがにやりとして、ガキじみた事をぬかす。

 「ドーナ壊すとかそんな能力いらねーから、マジで。どうせなら、人の感情読める能力とかならいいのに……」とあからさまにため息をついた。

 「おっ!誰か好きな子いるんか?」とジュン。

 「うるせーな……いて悪いかよ?」

と言ってしまってから、しまったと思ったが、もう遅い。

 「えっ、誰?誰?」

 普段真面目なクセに、こういう話には妙に喰いつきがいいんだよな、コウイチの奴。

 「教えねー」と俺は言って窓の方を向いた。


 小暮由紀コグレユキ。一つ上の学年の演劇部所属の先輩。ソフトボール部も兼部。栗色のストレート、ショートヘア。顔が小さくて足が長くてモデル体型。男子からの人気もさることながら、女子の後輩にも受けが良い気さくな雰囲気を持っている。選択科目は理数系。

 

 俺のデータベースは以上だ。他は知らない。知りたくてもストーカーする趣味はないし、関わるきっかけがない。

 俺はやや目つきが悪く高校デビューで金髪にしてしまったせいで見た目が怖いせいか、クラスの女子にも男子にも怖がられている、らしい。(コウイチとジュンだけは幼なじみだから別だけど。)すくなくとも好き好んで近づいてくる奴はいない。

 でも、木暮先輩は違った。

 文化祭のとき、看板装飾兼広報班になった。クラス展示の班は普段話さない奴と一緒に作業しなきゃならなくて鬱陶しかったし、コウイチとジュンは部活の方の出し物の準備に忙しくてクラス展示には参加できないと言うから。

 看板装飾兼広報班は全学年の全クラスから五人ずつ参加することになっていて、その中に木暮先輩がいた。

 「看板装飾とか広報とかって、地味な作業だけど、実は文化祭に要だと思う。……君はなんでここ選んだの?」

 クラスで孤立してるからなんて言えなくて、俺はその質問には答えずに逆に質問することにした。

 「先輩こそ、なんでここを希望したんですか?部活とかも忙しそうなのに」

 「普段会えない他の学年の子とか他のクラスの子に会えるから。……あ、自己紹介まだだったよね。二年A組の小暮由紀です。よろしくおねがいします」

 「……俺1年E組の黄前大気です。先輩、去年の文化祭公演メイド役で出てましたよね。メイドなのに、闘う役とかで……かっこ良かったから、憶えてます」

 「観ててくれたんだ……!今回の文化祭公演私ロミオ役で出るから、今度も是非観に来て!」

 「もちろん、行きます!」

 「……なんか、やる気でてきた!……さっきの質問の答えの続きだけど、私、何かやるときにどっちかをあきらめるのって嫌いなんだ。ここも看板やりたいから選んだの」

 

 それが今まで先輩と交わした会話の全部。そのあと看板と広報に更に班分けされて先輩は看板担当、俺は広報の方に回されたので結局一緒に作業することは無かった。

 演劇部の公演も観に行ったけど、忙しそうで、帰り際に出演者達が出口で並んで挨拶している中で、挨拶した程度。それきり、学内で目にすることはあっても言葉を交わすことはなかった。

 (向こうは、俺のことただの演劇部の一ファンぐらいにしか思ってないんだろうな……)

 ぼーっとそんなことを考えてたら、昼休みを告げるチャイムが鳴った。

 

「しっかし、相変わらずすごい寝癖だなダイキ……もうちょっと髪型どうにかなんないのか?何だったら今度美容師紹介してやろうか?」

 ジュンが俺の髪を後ろからいじりながら言った。普通なら美容院を紹介というところを「美容師」を紹介というところがさすがはジュンだ。雑誌の仕事関係のスタイリストの知り合いがいっぱいいるのだろう。つまり、業界のプロフェッショナルを紹介してやると言っているのだ。

 「だが、断る!」と俺は拒否した。

 「え~、もったいないなぁ、せっかくスタイルも顔立ちも悪くないのに……!金髪と癖っ毛とその態度改めたら、けっこうモテると思うんだけど……」ジュンがブツブツ言った。

 「あっ!女子ソフトボール部が校庭走ってる……!小暮先輩、脚速いなぁー」

 まだ何か言いた気なジュンを押しのけて、コウイチがいる窓の方へ向かった。

 「ちょっと、押すなよ!ダイキ……ん?もしかしてダイキ……気になる女子って、小暮先輩か?」

 「……」

 「えっ、アタリ⁈」

 「……ちげーよ」

 「じゃあ、今の間は何だよ?」

 バレバレだ。幼馴染には誤魔化しは効かない。仕方ない。

 「……そうだよ!小暮先輩だよ。……でも気になるって程度で、好きって訳じゃ……」

 「それを世間一般には好きって言うんだよ」

 いつの間にか後ろに立っていたジュンが言った。

 「ジュンの言うとおりだと思うなぁ。ダイキのドーナ、さっきから数値やたらと上下してるから」

 「……っ!勝手に見てんじゃねーよ……!」

 急いで、ドーナのメーター表示をOFFモード切り替えた。この頃、ドーナの暴走とも言うべきエラーの予兆を見逃さないためにいつでも値をチェック出来るようにずっとONモードにしたままだ。

 「ところで、女子のランニング姿観るのもいいけど、ご飯食べない?昼休みあと15分しかないよ?」

 ジュンの言葉にコウイチも俺も慌ててドーナの時刻を確認した。


* * *


 ジリリリリリリリン……ジリリリリリン…ジリリリッ………

 けたたましく鳴り響くレトロな目覚まし時計を手さぐりで止める。


 9月13日、日曜日、午前10時30。

 

 ドーナの機能、異常なし。


 ゆっくり起き上がって窓のカーテンを開ける。秋晴れに筋雲が浮いていた。

 今日は休みだけど、出かける用事がある。コウイチと映画を観に行く約束をしていた。

 足元に置かれた筋トレグッズに躓かないようにクローゼットに向かう。

 クローゼットの中には、茶色の革のライダースジャケットや入学式の時と始業式の時に着ただけの制服のブレザー、厚手のフェルト地のスタジャン、アウトドア系のレインジャケット等、計7着ほど並んでいる。すべて丈はショートだった。

 その中から薄でのスタジャンを選んでハンガーから取った。そして、クローゼットの中にあるチェストから適当に半袖のTシャツに着替えると、スタジャンを羽織った。下はカーゴパンツを選んた。黒革の財布をスタジャンの右ポケットに突っ込み、コルクボードに貼っておいた映画のチケットは左ポケットに入れた。

 部屋の扉の内側に貼られたポスターを拝んで部屋を出て一階のリビングへ降りた。

 「おはよう……ってお兄、またドーナしたまま寝たでしょ!」

 妹の陽子が呆れて言った。陽子はすでに起きて朝食のシリアルを食べているところだった。

 「口の周り、シリアルついてんぞ。あと、ダイエットとかやめた方がいいぞ?似合わねーから」

 陽子は現在小学六年、お年頃というやつなのか、最近対して太ってもないくせに、ダイエットとかしだした。

 「筋トレバカにだけは言われたくないよ!また、髪爆発してるし!」

 「うっせえな!今からセットするんだよ!」

 洗面所に行って軽く髪爆発濡らしてドライアーをあてる。いったん寝癖が直ったかと錯覚するけど、ドライアーで乾かすとやっぱりはねた。それから40分ほど、癖っ毛と格闘し、ようやく外に出てもおかしくないくらいには収まった。

 今度はドーナを歯ブラシのコネクターに繋いで、3分にセットし歯を磨く。

 「やべっ……」

 ふとドーナの時計表示を見ると11時15分を回っていた。

 待ち合わせは隣町の映画館の前に正午だ。映画は12時40からだけど、その前に、ファーストベアーで昼メシを食べて行こうという予定をくんでいた。

 「ひょっと、へはへてくふっ……」

 まるで漫画のヒロインみたいにパンをくわえたまま家を飛び出した。

 履き慣れたバッシュは、ピッタリと足裏にフィットした状態で地面を蹴る度、軽く弾んでついてきた。

 住宅地を抜けて商店の並ぶ市街地へ出た。休日だけあって、歩道は人通りが多い。特にドーナのアンテナショップの前は一段と人だかりが出来ていた。


 「……今月発売のニューモデル、アウトドアカラーの2rタイプ、今ならSCC特製の快眠アラームアプリが無料でついて来ます!ぜひこの機会にご検討下さい!」

 ドーナショップの前を通ると、販売員の宣伝文句が聞こえた。どうやら、この前購入したばかりのモデルのドーナが早くも別のキャンペーンをやり始めたみたいだ。でも、今はそんなことに構っている場合じゃない。

 「コウイチの奴、遅刻するとうるさいんだよな……」

 こんなこともあろうかと昨日映画館の位置はドーナの地図アプリに登録しておいた。あとは、表示された目的地までの最短ルートの道順どおりに行けばいい。

 「ルート表示、シネマペガスス座!」

 ドーナのマイクに向かって言うと、ドーナが光って人工音声が応答する。

 「シネマペガスス座までのルートを表示、道順音声ガイドは付けますか?」

 「当然!」

 メイン通りを一本裏に入ったオフィス街の路地裏を蛇行するようにルートが表示された。ドーナのルート案内がなければ、まず通らないような車が入れない狭い路地だ…。多少不安だけど、急ぎたいしな……。

 「次のレコード通り旧電気専門ショップTOMOSIBIを右折して下さい」

 少し迷いつつも、音声ガイドの指示に従ってレコード通りの旧電気専門ショップTOMOSIBIの角を曲がり、路地裏に入った。


 路地に入ってみたら、人がすれ違うのはまず無理なくらいに道は細かった。その上……。

 「次の角を左折してください」

 「次のT字路を右です」

 「次の角を左折してください」

 「次の十字路を右折です」

 「次の角を右折してください」

 曲がり角にすぐにさしかかっては右折、左折の繰り返しだ。


 まあ昼間だし、誰もこんな道通らないだろと高をくくっていたから、ためらいもせず、順調にただひたすらドーナの音声ガイドと地図アプリの画面を頼りに進んでいた。あともう少しでこんな迷路ともおさらばだ。次の十字路を左折して、その次に角を右折してその次を左折すればシネマペガサス座がある大通りに出れる!多分12時五分前には映画館に到着する筈だ。そう思っていくらかホッとした時だった。


 「ブー……ブー……ブー」


 ドーナが緑に点滅し、着信を知らせた。画面に「コウイチ」と表示されるとほぼ同時に応答ボタンをスライドした。

 「コウイチ?……今そっち向かってるとこだけど、何?……え、な、ちょっとあんま聞こえないんだけど…」

 向こうの音声が少しザラついていて聞こえづらい。コウイチはイライラしてるようだ。

 「…んでて、整理けん……じめたみ…い……から、……らったんだ…けど……昼めし…ブツッ……ツー…ツー…」

 「え!?……コウイチ??」

 完全に通話が途切れた。ドーナに限って、旧式のケータイ機器みたいに電波障害とかはあり得ない。今までこんなこと無かったのに、一体どうしたんだ??混乱してるからかドーナの数値も急激に上昇し始めている。

 落ち着くためだ。走りながらも、さっきコウイチは言ってた内容を思い出そうとしてみた。


 えーと……混んでて、整理券……整理券……、(そうか!)整理券配り始めたみたいだから……もらったんだけど、昼めし……昼飯……昼飯??昼飯が一体どうしたんだ?昼飯……昼飯……昼めっ……!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 「えっ!」

 自分の声じゃない悲鳴が聞こえた。たぶん女子、しかもどっかで聞いたことのある声……。ふわっと広がった髪の毛……一瞬光った何か……j。あとはもうわからない。胸の当たりに重さを感じて間もなく、いきなりの加重で支えきれなくてそのまま倒れ込んだ。

 「カシャ……ン」

 何か落ちる音がした。

 「痛っ……」

 日頃筋トレで鍛えていたのに、誰かと急にぶつかったショックで不覚にもバランスを失って頭を強打した。そのせいで一瞬意識が飛んでいたみたいだ……。状況を整理すると多分そんな感じ。で、今の状況は……その誰かが俺の上に倒れている、と。

 「……う……ん……」

 胸の上でその誰かが動く気配がした。

 「……!大丈夫……ですか!?」

 思わず飛び起きると同時に相手の肩をつかんで引き離す。

 「……!ごめんなさい!貴方こそ怪我とか……」

 聞き覚えのあるよく透る声。見た事のあるサラサラのショートヘア……。顔を上げた相手は……。

 「……!こっ…木暮由紀先輩……!!??」

 思わずあこがれの先輩の名前をフルネームで叫んでしまった……。案の定、木暮先輩はえっ、何んでフルネームって一瞬きょとんとしてた。

 「……君、もしかしてあの学園祭のときの……えと、黄前タイキ……君だっけ?」

 木暮先輩は落ちていた黒縁眼鏡を拾いかけながら言った。あれ?先輩普段眼鏡なんかしてたっけ?あんまり印象ないけど……先輩だったらきっと眼鏡も似合うんだろうな。

 「ちょっと惜しいです。黄前、ダイキ……です」

 どっちでもいいのについ癖で機械的に読みを訂正してしまう。名前を読み間違えられるのは慣れている。大体紛らわしすぎる。大気と書いてダイキとか。

 「それよりっ、先輩こそ怪我とか大丈夫ですか!?」

 「大丈夫。ダイキ君が下敷きになってくれたお陰でなんともないよ。……それより……さ、ダイキ君、ここで私に会ったこと誰にも言わないでほしいんだ……。なんで、とかも聞かないでほしい。OK?」

 先輩は手に持った眼鏡を軽く振りながら真顔で言った。

 なんかいきなりミステリアスだな……。すげーなんでって聞きてぇけど……。

 「俺、誰にも言いません。……気になりますけど、事情は聞きません。友達と待ち合わせだからちょっと急いでて、ぶつかってすみませんでした……!じゃあ、急ぐので失礼しますっ!」

 俺は会釈して去る。

 わかってる。きっとこのまま、先輩とはこれっきりで、今までどおり遠くから眺めるだけで、そのまま高校3年間過ごして、大学は俺は文系だけど先輩は理系だから多分別々になって、もう会う事もないんだ……。コウイチみたいに誰にでも話しかけられるような社交性とかないし。ましてジュンみたいにだれからでも好かれる魅力なんてない。ただ、人よりちょっとでも頑張るのが好きで筋トレと古い映画が好きな意外はどこにでもいる普通の高校生だから。憧れはずっと憧れのままでいい。さみしくても、それがきっと現実ってやつだ。

 

 そう思いながら二三歩、歩きかけたけど、それ以上俺の平凡な日常への歩みを踏み出す事は阻止された。細くて長い指が右腕を掴んでいた。その手に似合わないくらいがっしりと強く。

 「いきなりでごめん!その友達には悪いけど、ちょっとついて来て!事情は着いてから説明するからっ!」

 俺は木暮先輩に片腕を掴まれて映画館とは真逆の路地を走り出した。

 コウイチにメールする間があったら、悪い、コウイチ……。急用が出来た。でも緊急事態なんだ。マジで不可抗力なんだよっ(笑)、ってメールして友達一人確実に減ってたな。実際はそんな暇なんてなかったけど。


* * *


 何処をどう走ったのかよくわからない。とにかくあの入り組んだ路地を抜けて、まだ90年代のレトロな雰囲気を残す旧市街に出た。

 学生が出入りするのがはばかれるような高級そうな外国の年代ものの食器や家具を扱ってる店や落ち着いた雰囲気の喫茶店やバーが数軒並んでいる。

 木暮先輩は俺の腕を掴んだまま、そんな店が数軒並ぶ通りにある一角のレンガとコンクリートの三階建ての階段を下り始めた。

 コンクリートの階段を降りてすぐの突き当たりに白と黒に塗り分けられた金属のドアがあった。ドアにかけられたプレートには営業休止中を告げるCLOSEDの文字……。

 昼間からこんなとこ、学生の分際で入れないし、しかも営業してないんですけど、って言ったけど、先輩は平気だからの一点張り。まぁ、ここまでついて来ちゃったし、木暮先輩がドーナしてる方の右腕掴んでるせいで、結局コウイチに連絡もできないし、仕方ない。

 重そうに見えた金属のドアを木暮先輩は軽々と押し開けて、店内に入った。ようやく、木暮先輩は手を離してくれた。

 営業休止のプレートが下がっていたのにも関わらず、店内の照明はついていた。といっても、さすがバーの趣ある照明だけあって、店内は薄暗い。入ってすぐに奥まで続くカウンターがあって、丸い白の座席と黒の座席が交互に六つ並んでいる。

 「あら、ユキちゃん、ずいぶん早かったわね。……お客様?」

 カウンターでグラスを拭いていた手を止めて親しげに木暮先輩のことをユキちゃんと呼称したのは、バーテンダーではなく、背の高い大人の女性だった。

 「マリナさん、薫ちゃん奥にいる?急用なんだけど」

 奥といっても、バーの奥には誰も居ない。別の部屋でもあるのだろうか?

 「今日も研究に没頭中よ」

 「マリナさん」はバーの奥にあるパーテーションの方にチラリと見ながら言った。どうやら、パーテーションの奥に誰か居るみたいだ……。

 「ダイキ君、ちょっと奥に会わせたい人がいるから」

 ユキ先輩は真面目な表情で囁いた。

 また腕を掴まれてはかなわないので、俺は戸惑いつつも、奥のパーテーションの方へ歩きだした。ただでさえさっきまで憧れの先輩に腕を掴まれていたせいで、心臓がバクバクしてるのに、これから怪しげなところに自ら足を踏み入れるのかと思うと心臓の音はさらに激しくなる。

 「ごゆっくり」

 「マリナさん」が軽く会釈すると、雫型のイヤリングが耳元で揺れた。




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