再会
「うねりが、近づいています」
玉依姫様は静かに告げた。もう秋もすっかり深まり、山は黄朽葉色や緋色に包まれていた。
*・*・*・*・
その日の玉依之宮には幾多の名のある神々が集っていた。大山祇神や月読命、風を統べる志那津比古神、雷を司る建御雷之男神、海を統べる大綿津見神。
そして、大綿津見神の傍らには、住吉が付き添っていた。
住吉は私に気づくと軽く頷いた。私も同様にして御津羽と共に座した。
*・*・*・*・
全ての神々が玉依姫様の言葉を待った。
姫様は暫く黙した後、静かに告げた。
「うねりが、近づいています」
姫様は更に続けた。
「大きなうねりはこの郷を飲み込み、人の子らをも巻き込むでしょう」
その言葉に座敷はざわめいた。大山祇神が厳かにその場を静める。
「して、そのうねりというのは如何様なものにございましょうか」
大山祇神の問いに他の神々も頷いた。
「・・・分かりません。私の眼を持ってしても、その姿を捉えることは叶いませんでした。しかし、この三月の間生じていた結界の異変の原因が、このうねりであるということは明白です。それから郷を、人を護りたいのです」
「姿の分からぬ相手から、どう護れば良いというのだ・・・!」
誰とも言えぬ声が、小さく漏れ出た。それはこの場に集う者たちの心のうちを代弁したようなものだろう。言い知れぬ不安、畏れ、憤り・・・。それらが座敷を満たしつつあった。
「人間になぞ構っておれぬ。郷の周囲に強力な結界を張れば済むことではあるまいか」
これも誰かが放った。その言葉に一部の神は頷くのであった。
座敷は先程までの静寂を保ててはいなかった。それぞれが憶測を口にし始め、無駄な策を練っては他の者に押し付けようと仄めかす。最早そこに名のある神々の姿はなく、人間と大差ない姿しか見当たらなかった。
唯一、大山祇神と大綿津見神だけがその威厳を保っていた。あまりの騒ぎに大山祇神が声を上げようと腰を持ち上げようとした。
「静まりなさい」
凛と澄み切った声が、場の空気を貫いた。
それは騒ぎを治めるには充分すぎるものだった。
全員が、声のした方に眼をやる。玉依姫様だ。あの京紫色の瞳に強い光を宿し、私たち一人一人をしっかりと見据えた。
「無理を申し上げていることは重々承知しております。ですが、考えてください。私たち神が護るべきものは、人の子らの信仰、祈り。それら無くして、神は存在しないことを。人の子を護ることこそ、神の業だと思いませんか・・・。私は、護りたい・・・」
静かに、染み入るように響く言の葉。皆がその言葉に黙した。
「この郷と、人の子を護るため、どうか力を・・・お貸しください」
深く頭を下げる姫様に、またも神々はざわめいた。
「玉依姫様!お止めくださいませ。貴女がそこまでする必要など・・・!」
慌てふためく神々を尻目に、大山祇神と大綿津見神は姫様の前に膝をつき頭を垂れた。
「この力、貴女様の為に・・・」
「貴女様の護りたいもののためにお使いください」
その後ろに私と御津羽も続く。それを見た神々も次々と頭を垂れた。
「「貴女に忠誠を・・・!」」
*・*・*・*・
「久しぶりだな」
玉依之宮を出た私に、住吉が声をかけてきた。肌はますます日に焼け、顔つきは精悍な男神のそれとなっていた。
「あぁ、息災でなによりだ」
「お前もな」
にかっと笑う顔は、以前より剛毅さが増した。微かに潮の香りが漂う。
「どうだ、向こうの暮らしは」
「難儀はしていない。餓鬼も元気に育っているしな」
「そうか・・・」
住吉は一年前に大綿津見神の娘、豊玉姫と契りを交わした。そして二人の間には男児が一人生まれたのだ。幼名は海法師といった。いずれは父・住吉の跡を継ぐのだろう。
「お前は相変わらずの一人身か?」
「相変わらずで悪かったな。私とて好きでそうしている訳ではあるまいよ」
住吉のからかいに軽く返答してみせたが、私の心にはあれの顔が浮かんだ。
茜・・・次はいつ来てくれるのか・・・。
「闇於、お前・・・・」
住吉が紡ごうとする言葉を指先で制した。
「・・・・何も言うな・・・」
遠くで山鳴りが低く響いた。
「・・・・この戦いに、勝たなきゃならねぇな。とよと餓鬼が泣いちまう・・・」
住吉は空を見上げ、吐き出すように呟いた。
私も同様に空を見上げる。
星が空に瞬く。
月の明かりに照らされ、私は己の行く先を憂えた。
茜よ・・・
私がお主に会えぬ身になれば・・・
お主は泣いてくれるのだろうか・・・。
私のために・・・
涙を流してくれるのだろうか・・・。