見つけてくれたから
昔から、人間を見ることが好きだった。
私たち神や妖とは似ているように見え、全く似ていない。
呆れるくらい脆弱で、そのくせやたらと意地を張る。強がってみせる。何とも不思議な生き物だ。
だが、彼等人間によって私たちは存在するのだから、これもまた面白い。
この妙な隣人関係に腹を抱えて笑ったこともある。
幼い頃は、住吉と共に人里に下りては人間の暮らしを眺め、それを真似することもあった。川の魚を人間の罠から逃がしたり、いきなり雨を降らせてみたりと、悪戯をしては郷の長老たちから叱られた。
その後には必ず、玉依姫様の話を聞くことが大好きであった。玉依姫様は人間の里のことをよく話して聞かせてくれた。
そして私たちの、業も。
人間からの信仰と供物を糧にしている私たちは、人間に豊作をもたらし、安住の地を与え、子を授けるのだという。その時は、己の運命に大した実感は湧いていなかった。
神成の儀を受ける、あの日までは。
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桜の木の上で目を開く。懐かしい夢を見た。枝に預けていた頭を持ち上げると、緩んだ包帯が風に靡いた。いっそのこと取ってしまおうかと包帯に手を伸ばす。布の端を摘んだまま静止。
「この包帯は取ってはなりませんよ」
玉依姫様の声が脳裏によぎる。危ない、ところだった。これは如何なる時も外してはいけないのだ。
何故なのか、理由は知らされてはいないが。
摘んだ端を頭の後ろで結びなおす。もう一度、山を見る。日を追うにつれ、山の緑は徐々に深く、藍く、穏やかになっていく。細くも力強い川の流れをその懐に抱き、ただ無言で私たちを見守る姿。その姿こそ、まさしく神と言えよう。
「くらおー」
不意に、私の名を呼ぶたどたどしい声が届く。か細くも透き通った、この声・・・。
「くらおー」
声のする峡谷まで飛び、見下ろせばいつぞやの娘。あの日と同じ緋色の着物。しかし今日は少し違う。何やら風呂敷包みを抱えている。
「くらおー」
「去れ、と言った筈だが・・・・?」
気づけば、娘の前に降り立っていた。私の姿を見るやいなや駆け寄り抱きつく。随分と探し回ったようだ。小さな下駄の片方の鼻緒が千切れ、足から血が滲んでいた。
「・・・何故、来た」
「あのね!婆様がお饅頭作ってくれたから、闇於にもあげたかったの!」
風呂敷のなかには経木で包まれた饅頭が並んでいた。それにしても・・・。
「これだけのために、何故・・・」
「だって、紐、見つけてくれたでしょ?あれは母様の大事なものだから、お礼したかったの」
茜は、笑った。
真夏の太陽のようなまぶしさと、春の陽だまりのような温もりが、伝わってくる。その笑顔はどこまでも真っ直ぐで、目が、焼けてしまいそうだ。
「闇於・・?怒ってる?」
「いや・・・それより、主の手当てをしてやる。此処に座れ」
横たわっていた丸太に茜を座らせ、下駄を脱がせる。風露草を引き抜き、少し揉んでから傷口に宛がった。
「・・・痛むか」
「ううん、平気っ!」
「そうか」
手ぬぐいを引き裂き包帯代わりにしてやる。ついでに鼻緒も直す。此処までしてやる義理などないだろうに・・・。全く、この娘には調子を狂わされてばかりだ。
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「闇於、おいしい?」
私が一口食す毎に、茜はしきりに尋ねてきた。その度に頷いてやると、彼女は嬉しそうに、例の笑みを浮かべるのだった。
人の子と、神が共に饅頭を食す。
これほど奇妙で不可思議な光景が、他にあるだろうか。私は、この奇妙だがどこか懐かしい時間を、自然と享受していることこそが不思議だと思った。
だが、悪い気は、しない・・・。こうしていると、自分が神であるという立場を、忘れてしまいそうになる。
「茜、主は一体どのようにして此処に来るのだ」
「えーとね、婆様が教えてくれたの。里の裏側にある洞窟は神様の御国に通じているって」
「洞窟・・・。そうか・・・」
「ほんとはね、入っちゃいけないんだけど。母様の大事な紐、お猿が持っていってしまったの。それで追いかけたら此処に来ていたの。」
「ならば・・・」
あぁ・・・私は何故、心にも思っていないことを言ってしまうのだろうか。
「もう、此処には来るな」
「私には・・・関わるな」