獅子姫 自宅にて
広い胸。
大きな背。
沸騰しそうなほどの熱にとろけた金の眼差しが体をなぞる。
強い羞恥心に逸らした顔を捕まえられ、焼ききれそうな視線になぶられた。
自分の体をこれほどまでに頼りないと感じたのは初めてだ。
獅子に例えられる自分が、今ばかりは喰われる側にまわる心細さ。
「アントニア…」
かすれた声が低くささやき、息苦しさにゆるんだ唇をむさぼった。
「ルキノ殿…?もう帰っていらしたのか?」
書斎に現れたひとに驚いて、アントニアは読みかけの本から顔を上げた。
戸口に立つ大柄な男は、なぜかちょっと無念そうにうなだれている。
…帰路で疲れたのか?それとも、私の顔を見てテンションが下がったのか?だったら、わざわざ朝夕毎回挨拶に来てくださらなくて結構と言っているのに…。
相変わらず、彼の思考はアントニアにとって未知だった。
ルキノが妻に「お帰りなさい、あなた」と言って欲しくて必死に帰宅したなど到底考えつかないアントニアである。
「あの…お疲れのようだが、よろしければ椅子に…」
「ありがとうございます!アー、ア、アントニア。その、何を読んでいらっっしゃるんですか?」
椅子を勧めた途端に元気になったルキノがちょっと怖い。若干距離をとりつつ『新訳・兵法』の表紙を見せると、金色の瞳がさらに輝いた。
「どこまで読まれました?俺的には、編隊についての解釈が絶妙だと思うんですが」
「ああ、ルキノ殿は実践に関わっていらっしゃるから…私には、もっと概念的なところが面白いんだ。兵とは、という所とか」
「そこ、俺も覚えていますよ。兵舎の外からの意見はやっぱり柔軟で驚きます。海軍についての考え方も面白かったで…す、ね」
なぜか真っ赤になったルキノと至近距離で目が合って、アントニアはつい夢中になって身を乗り出していた自分に気づく。
「あ…すまない」
こういう所で話が弾んでしまうのが、獅子姫と遠巻きにされる理由なのかも知れない、と思い至って落ち込んだ。
女が兵法を読むなんて、男からしたらやはり不快なのだろう。
父は馬も剣も喜んでアントニアに与えたが、それが普通でないことはアントニアも承知している。一般に言う『貴族のご令嬢』とかけ離れて育ってしまった自覚は十二分にあった。
「あの…ルキノ殿がお嫌なら、こういう書は読まないように…。女らしくとおっしゃるなら、嫌いな刺繍でも…刺繍は無理だが、音楽…ヴァージナルの練習くらいなら、頑張れると思う」
父の名で娶ってもらった身だ、小さく愛らしい姫にはとうてい及ばないが、足りない部分を補う努力はしたい。可能な範囲で。
刺繍は無理だ、あれは人間の業じゃない。
長椅子の隣に座る人を見上げると、ルキノは首まで真っ赤になっていた。
「ルキノ殿、大丈夫か?!その顔色はさすがに異常だ。待ってくれ、今医師を…」
「大丈夫です!これはその、俺のために姫が自分を変えてくださるのかって想像しちゃって、何かこう…おいしいなっていうか…いやっそうじゃなくて、その、」
「赤いを通りこしてどす黒くなってるぞ?本当に医者を呼ばなくても平気か?」
「大丈夫です!…っとにかく!俺は、ありのままの姫が好きです!でも、俺のために変わってくださるのも大歓迎です!」
首から上を赤黒く染めた男が、よく分からない宣言をする。
怖かった。
でも、嬉しかった。
ありのままでもいい、変わってもいい、と他でもないこの人に言ってもらえたことが、なぜだかとても嬉しく思える。
自分の中の不可解な感情に首を傾げるアントニアの横で、真っ赤な男がもじもじしていた。
蛇足ですみません。。完結後の二話を読んでくださった方、ありがとうございました。微妙すぎるので、また直すか、どこかでちゃんと続けて終わるかします。
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