(12)剣戟
「きゃああああイロンデル夫人!」
振り下ろされた剣先に、左腕を差し出した一瞬。
カトレッチェ王女の悲鳴に続いて、「ガキン」という鈍い音が耳をたたいた。剣と腕とではおよそ発し得ない音だ。
驚愕に目を開いたソレイユ辺境伯の剣をはじいて、アントニアは鮮やかに笑う。
「鉄製の腕当てを仕込んであるのですよ。ご存知ないかもしれないが、私は王女殿下の護衛です。万が一の時に王女をお護りできるよう、これでも身なりには気を使ってある」
「小娘が…っ!」
一撃、もう一撃と振るわれる重たい剣を、左腕で受け流す。
剣戟を受ける度、腕の骨がびりびりとしびれた。
「お逃げください、殿下!」
「む、無理よ!怖くて足が…」
「残念ですな、勇敢なお嬢さん。プリンセッサはあなたほど気概がないようだ」
背中にかばった王女の細い声に、ソレイユ辺境伯が可笑しげに笑う。
人をかばって思うようには動けない上、頼れるものが女の腕一本では、長くは持つまいと思ったのだろう、自身の有利を確信して目を細めた辺境伯の隙をついて、アントニアは右腕に仕込んだ短剣を投げた。
狙いは違わず、スナップを利かせて放たれた短剣はソレイユ辺境伯の剣を持った方の肩に食い込む。「ぎゃあああ」と、辺境伯は凄まじい音量の悲鳴を上げた。
すかさずアントニアは足で剣を跳ね上げ、もう一つ、胸に隠した細剣を抜いて突きつける。
「あなたの負けです、トレイユ卿」
激しい憎悪を宿した目が、アントニアをくっきり映した。しかし、負傷した肩を押さえ、ひざまづき、首元に剣を突きつけられた格好のソレイユ辺境伯に次の手はない。
痛いほど張り詰めた空気の中、ゆっくりと伏せられた瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「神々よ…」
「きゃああっ、ちょっと何なの?!」
突然、背後からけたたましい悲鳴が上がる。
貴族らしくめかし込んだ青年が、アントニアがはね飛ばした剣を握りしめ、王女の首に刃を当てていた。
「は、はははははっ!逃げた先に王女がいるなんて、僕はやはり完璧だ!僕は出来る僕は出来る僕は出来る…王女を殺して信仰を解放するんだ!僕は出来る!」
異常なテンションの乱入者に、ソレイユ辺境伯と二人そろって呆気にとられる。
次の瞬間、ソレイユ辺境伯がはじかれたように笑い出した。
「素晴らしいですよ、坊ちゃん!」
「〈サル〉?!なんでここに…」
「坊ちゃんが心配で宮廷に戻って参りました、とでも言っておきましょう。よろしいですか坊ちゃん、そのまま王女を捕まえていらっしゃい。まだ殺してはいけませんよ?…さあ、この剣を離していただこう、お嬢さん。王女殿下の首がとぶのはお嫌でしょう?」
「い、いや!イロンデル夫人、助けて!」
カトレッチェ王女の瞳が恐怖に染まる。
アントニアは二人の男を睨み―――ちょっと目を見開いてゆっくりと剣を床に落とした。
「形勢逆転、でございますな」
「そうでもありませんよ。あなた方の負けだ、〈サル〉殿」
声を発したのはルキノだった。ソレイユ辺境伯の背後から長剣を突きつけている。薄氷の下にマグマを隠しているような、冷ややかさで激情を押し殺した眼差しが辺境伯をしっかりと捕らえた。
乱入した青年の後ろにはロベナ中将がいる。
首元の刃に気づいた青年が、ヒッと短く息をのんだ。
「アホンドレ坊ちゃ~ん、王女から剣を離しましょうね~?いくら反抗期だからって刃物を人に向けちゃあ駄目よん?」
肌を破るぎりぎりの力加減で剣が喉に食い込み、青年が慌てて剣を落とす。
転がるように離れた王女を、そばかす面の軍人が抱き留めた。
「ご無事ですか、王女殿下?」
「あ、あなたは…?」
「アルジャノン家のジャン=バチェステと申します。殿下、お怪我はございませんか?」
「あ、の、あたくし、平気です…」
ふっくらした頬が夜目にも分かるほど赤く染まる。恐怖で熱を出されたかと不安になったアントニアは、王女に近づこうとした肩を強く引かれた。
「姫…」




