9,電話
巻子は雑誌を拾い上げてくると、カウンターに駆け込み、店の電話の受話器を握った。ページをめくり、広告を開き、番号を調べる。
ドアが開き、メガネ店員が入ってくると、ふっと白目を剥き、その場に崩れ落ちた。メガネ君の体が邪魔になってドアが開きっぱなしとなり、後ろから、女が悠々と入ってきた。
電話がつながった。
『お電話ありがとうございます。こちらは霊能力者紅倉美姫 心霊お悩み相談室です。相談事のある方は発信音の後に相談のメッセージをお残しください。当紅倉美姫が相談に乗るにふさわしいと判断したお客様にはこちらよりご連絡申し上げます。それでは発信音の後にまずお客様の氏名と電話番号、もしくはメールアドレスを……』
女の幽霊は迫ってきて、巻子は電話機をひっつかんで線の伸びる限り奥へ逃げ、だらだらおしゃべりするオペレーターに怒鳴った。
「うわあああっ!!!! こっちはそんな悠長な状態じゃないのよおおっ!!! 紅倉美姫! あんたが昔の噂通り本物の最強霊能力者なら、わたしのピンチを察してさっさと電話に出やがれっ!! うわあああっっ」
女が迫ってくるとゆらりゆらりと冷気が押し寄せてきて、巻子は腕にめいっぱい鳥肌を立たせてわめいた。女はものすごく恨みのこもった目つきで巻子を見つめている。
「うわあああっ、早く出ろおーー!、馬鹿あああーーーーっ!!!!」
『……………もしもし……』
不機嫌な小さな声が聞こえ、その瞬間、巻子に迫ってきた女がぴたりと動きを止めた。巻子は直感的に、『本物だ…』と感じた。
「もしもし! もしもし! 紅倉美姫先生!?」
『あー、うるさい。耳が痛い。ちゃんと聞こえるわよー』
「先生! 助けてください! 今、めめめめめ、目の前に女の幽霊があああああっ!」
『うーーーーーーーん……………。100万円』
「はあ?」
『相談料。100万円』
「そんなお金ありません」
『月賦でいいわよ?』
「そんなお金払いたくありません」
『あっそ。じゃ、他を当たって』
じっと動きを止めていた女幽霊がますます怒ってゆらりとうごめいた。
「先生ーーーーーーーーーーっ!!!!」
『わたし明日乗馬の予定なのよねー』
じ、乗馬だと!?セレブぶっこきやがって、この守銭奴が!
『100万円で、いい?』
「ううう〜〜む、な、なんでもいいから、た、助けてーーーーっ!!!!」
『はいはい。じゃ、その幽霊さん、電話に出して』
「は? はあ……」
巻子はおそるおそる受話器を女に差し出した。女は、受話器を受け取り、長い髪に隠れた耳に当てた。
「 モシ モシ 」
くわっと女の目が転がり出そうなほど見開かれ、巻子はひえええ〜〜っとのけぞった。
女の姿が形を無くし、白い煙となって受話器のマイクに吸い込まれていき、宙に浮いた受話器が、ゴトリ、と、床に転がった。
『もしもーし。おーい。電話に出なさーい』
巻子は逃げ腰になりながら、幽霊のつかんでいた受話器をえんがちょのように指でつまみ上げた。指先でつまんでぶら下げた受話器に
「もしもし?……」
と話しかけた。
『ハイ。分かりました。あのねえ、この人、あなたと同じマンションの住人ですって。12階の、佐伯さん?、昨日、なのかな?、恋人にDVを受けて殺されちゃったんですって。まだ死体がお風呂に入れられたままだそうだから、あなた、警察に連絡してあげてね? んじゃ、相談料100万円、よろしくね? お休みなさい』
「あのー、ちょっと???」
電話は既に切れていた。
・・・・・・・・・
100万円用意しろと言っておきながらこっちの名前も電話番号も聞いていない。
「…………バックレよう」
大呆けなやつめ。巻子は知らんぷりを決め込むことにした。つきまとう幽霊は消えた。電話は店の物で自分が掛けたという証拠はない。パジャマの裾で指紋をふきふきして証拠隠滅した。被害者と同じマンションとは言っても名乗りでなければ自分とは分かるまい。12階のお風呂で死んでいる佐伯さんには気の毒だけど…………、ま、そのうち同じ階の住人が気づくだろう。それまで待っているのは気持ち悪いけれど…………。
「いーじゃん、こっちだって、お化け関係で名前が出るような不名誉は嫌だもん。だいたいどう説明しろって言うのよ? 下手すりゃこっちが犯人に疑われちゃうじゃないの?」
巻子はそう決めて、すっきりした気分でマンションに帰ることにした。シャワーを浴びなおして、朝まで少しは眠れそうだ。
入り口で倒れているメガネ君にも申し訳ないけれど、またいで、そのまま立ち去ることにした。彼にはちょっと後ろめたい気持ちもあるが……、この気持ちが恋に発展して、なんていうことは間違ってもないだろう。しばらくこの店には近づかないことにした。