4,霊気
布団に入りまどろみかけた巻子だが、またしても『うん?』と目を開けた。肩の辺りがざわっとして、寒い……。巻子は布団をつかみ、肩を抱くように丸まった。顔を冷気が撫で…………
「……寒いじゃないの」
むっつり起きあがった。今度は本格的に眠くなったのを起こされてマジでいらついている。
「うっ、寒っ」
布団から起こした上半身が、腰から背中、肩までまんべんなく寒い。
こ、この冷気はいったいどこから……………
巻子は振り返った。
「・・・・・・・・・」
ゴオーーーー……、と、
エアコンが全力で冷気を吹き出している。
巻子は枕元のリモコンを手に取り、
「いったい何度に設定しちゃったの?」
と、ブツブツ、きっと寝るときに腕が当たるかしてスイッチを入れてしまったのだろうと確認した。
「12度。節電節電のご時世にまったくけしからんわたしだな。いくらナマモノでも美女を冷蔵してどうすんのよ」
しっかり28度に設定し直して、電源スイッチを押した。
「おやすみ」
リモコンを放り出し、布団をかぶったが。
エアコンは止まることなく冷気を吹き出し続けた。
まあ……
だいたいどういうことか見当はついているのだが……。
巻子はガバッと起きあがり、その勢いのまま振り返った。
「ええーいっ、このアンチエコ運動の商業至上主義者め!」
社会派らしくかっこよく見得を切った巻子の前に、
カーテンを背に、髪の長い白いワンピースの女が立っていた。
「ここで一句。
幽霊だけに 冷気と共に 現れり。
おそまつさまです」
白いワンピースの女は顔の側面に垂らした髪の間から、ギロリ、と、しゃれにならない恐ろしい目で巻子を見下ろしていた。
「うっぎゃあーーーっ!!!!」
巻子は大声で悲鳴を上げ、布団を蹴立て、ベッドから転げ落ちるようにして逃げ出した。
キッチンに出て、
「わたしのガガさま」
居間に新品スマートフォンを取りに行こうとしたが、向こうの引き戸からゆらりと女の横顔が現れた。
「うっぎゃあーーっ!!」
巻子は再びあられもない悲鳴を張り上げ、もう取る物取りあえずの余裕もなく玄関でご近所用のサンダルを突っかけると慌てて鍵を外し外へ飛び出した。バタアン!とかなり激しい音が響いたが、深夜のマンション内は静まり返り、誰かが起き出してくれるのを待つ間もなく、鉄のドアからシュー…とドライアイスが吹き出し、女の姿が現れた。
「うぎゃあっ!」
巻子は一目散に…、階段へ駆けた。
ダダダダダンッ、と激しく足音を響かせて駆け下り、この騒音にさっさと誰か起き出してくれないかしら?と思った。若い乙女が悲鳴を上げているというのに知らんぷりだなんて、まあ!まったくなんて事なかれ主義の冷たい世の中なのかしら?と思いつつ、誰かが出てくるのを待つ余裕もなく、さっきの顔はマジで怒っていたわ、と駆け下りながら思い出す。……まあ、さんざん嫌がらせをして笑い物にしたから、そりゃああっちもマジで怒るわね……。それに、夜中こんな大声を出して騒ぎになったら、わたしの敏腕編集者としてのキャリアはどうなるの?……まあ大新聞の編集じゃあなく、ほんわかアットホームなマイタウン情報誌だけどさ。幽霊なんか見える人にしか見えない物なんだし、寝ぼけて幽霊騒ぎを起こしたなんて仲間に知られたらいい笑い物だ。
1階まで駆け下りた巻子は、そのままエントランスの外へ駆けだした。閉まったガラス戸の向こうを見ると、女の幽霊は曲がり角を曲がってエレベーターの前をこちらに向かってふわふわ滑るように進んできた。ああ貞子さんみたいに「グリッ、グリッ、」という歩き方じゃないのね、あれは首とか肩胛骨とか痛めそうだものねえ、なんてくだらないことを考えている間に二重ドアの向こうのガラス戸をすり抜け、さらにこちらに迫ってきた。
巻子はもう悲鳴を上げるのも白けてしまってとにかく走った。
大通りに向かって。