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図書館の有能さと私の優しさ

作者: 清澄

短いです。それと主人公の言ってる持論はあくまで俺の持論ですので違う意見の方がいても怒らないで下さい。

 私は図書館が好きだ。

基本的に静かな雰囲気も、本の匂いも、図書館で働く人々や訪れる人も。みんな好きだ。

もちろん、それは私本来の小説好きも関係しているのだろうとは思う。

しかし私が例え小説をさほど好きでなかったとしても、図書館は私の城であったのではないかと思う。

何故人は図書館を使わずに本を買うのか、私はそれが昔から疑問であったのだ。

とある小説家と話す機会があった時、それは作者への礼だと言っていた。自分が小説を欠く身分になってから、図書館を利用出来なくなったと。

どれだけ図書館で本が読まれようとも作者に金は入ってこない。

だからこそ、いい時間を過ごさせてもらうお礼として本を買うのだと。

確かにそれも一理あろうとは思う。しかし皆が皆までそんな崇高なことを考えているわけでもあるまい。

初見の本を書店で買う。それはいわゆる浪費なのではないかと私は思うのだ。

好きな本を手元に置いておくのはかまわない。私だってそれくらいはするからだ。

しかし本屋で見かけた本をすぐに買うのはただの浪費ではないのだろうか。

私はこう思う。本を買うというのは一種のアイデンティティではないのかと。

自分は稼いだお金を小説に充てる、読書が趣味の崇高な人間なのだ、というアピール。

もしもそうなのだとしたら自己満足も甚だしいことである。

そんなことをするくらいならば、買うつもりであった本を図書館で借りて。

その分のお金を寄付でもすればよいのだ。どうせ本を買っても多数の本はいずれ持ち主の手元を離れるのだ。

リサイクル、節約のためといって本を古本屋に売り払う。そんなことを言うならば最初から図書館を利用したほうがよっぽど地球に優しいし財布にも優しいではないか。

だから図書館に通いつめる人間は財布にも優しく、地球にも優しい。きっとそんな人間は同じ人間に対しても優しいに決まっている。

よってこんなにも図書館に通いつめている私が女性に言い寄られないというのは世界が間違っているに違いないと、私は思うのである。



古めかしく、けれど読みやすい文体を目指してみました。目指したのは森見登美彦さんですね。

最後は気の抜けたオチを。と思った結果こうなりました。

こうしたほうが面白い、とかありましたらアドバイス等お願いします。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 文体が統一されていて、すごく読みやすかったです。「図書館が好き」から、「私が優しい」の結論まで、流れがしっかり通っていたので良かったです。 最後の真面目な言い方もいいと思いました。 [気…
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