7 魑魅魍魎の家と契約結婚
無事、竜胆家に亡骸を預け入れ、ひとまず胸を撫でおろして家に帰ってきたのだが……。志乃は玄関土間で立ち尽くすことになった。
「家の中の空気が……黒ずんでる……?」
日が落ちて暗くなっているというのもあるが、それとは別に、黒い煤が舞っているように見える。火事かと思って焦ったのだが、そういう風でもない。
(何かしら、この黒い空気……)
自分の目がおかしくなってしまったのだろうか。
目を擦りながら履物を脱ごうとしたところで、奥から出てきた弥次郎に声をかけられた。
「なんだ、もう帰ったのか。野宿でもして、山犬に食われちまうかと思ってたのに」
「ただいま帰りまし……え!? 弥次郎叔父さん! 後ろ……!」
弥次郎の皮肉をやり過ごそうとしたが、そんなことよりも大変な事が起きた。なんと、彼の背後に化け物が立っていたのだ。
化け物は弥次郎と同じくらいの背丈で、藁で作られた人形のように見える。けれど、頭の部分にある目と口は人間のそれであった。異様なほどに口角を上げて、歯を見せて笑っている。
充血した目玉と視線が合ってしまい、鳥肌が立った。
「叔父さん……! そ、それは何ですか……!? 後ろにいる、それは……!」
「あぁ? 何をふざけているんだ。何もいないだろう。ネズミでも走ってったか?」
(叔父さんには見えてない……? 嘘でしょう? からかってるの?)
志乃を怖がらせようとして作り物をこさえたのか、と疑ってしまったが、それにしては生々しいし、目も口もゆらゆらと動いている。
わけがわからなくて、志乃は弥次郎の背後を指差して問い詰めた。
「ふざけているのは叔父さんでしょう……! こんな不気味な藁人形をこさえて!」
「なっ……!? 藁、人形……だと!?」
指摘すると、どういうわけか弥次郎は一瞬、言葉を詰まらせた。が、すぐに眉を吊り上げて怒鳴りつけてきた。
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!! 藁人形なんて知ったことか!! なぜお前がそれを口にするっ!!」
「っ……!?」
弥次郎は突然激昂し、志乃を土間に突き飛ばした。転んだ勢いで玄関の戸にぶつかり、ガタンと大きな音を響かせて戸が外れた。
屋敷の奥から「何事か!?」と使用人たちが出てきて、シズとトキ子も目を丸くして顔を覗かせた。皆、藁人形の化け物は見えていないらしい。志乃と弥次郎だけを見て、動揺している。
「おい! 塩を持ってこい!」
弥次郎が顔を真っ赤にして命令すると、女中が大慌てで持ってきた。
彼は志乃に向かって塩をぶちまけながら、力任せに足蹴にして折檻し始めた。
「気味の悪いこと言いやがって! 鬼屋敷に行って、お前も鬼になっちまったんだろ! 穢れを家に上げてたまるか! 貴様なんぞ出ていけ! 出ていけーっ!!」
「っ、やめてください……! 叔父さん……っ」
土間から蹴り出されて、志乃は玄関先の土の上を転がった。
弥次郎のあまりの怒りように、シズとトキ子も怯んでいる。普段から怒りっぽい人ではあるが、ここまで荒れるのは初めてだ。
(殺されてしまう……っ)
命の危機を感じて、這いつくばって逃げようとするも、猛攻は止まらない。弥次郎の後ろの方では、相変わらず藁人形の化け物がニタニタと不気味な笑みを浮かべていた。
志乃は蹲って耐えるしかなかった。
――が、ふいに暴力がやんだ。
「何をしている。おやめなさい」
頭上から、淡々とした低い声が聞こえた。
乱れた髪の間から目を凝らすと、覚えのある着物の柄がすぐ近くに見えた。声の主を認識すると同時に、志乃の体が抱き起された。
(……紫紺、様……?)
眩暈でくらくらする視界でも、見間違えようがない容姿だ。
突然の訪問者は、先ほど世話になった竜胆家の当主だった。
「なっ、なんだお前は! 人の屋敷に勝手にずかずか入ってきて」
急に見知らぬ大男が割って入ってきて、さすがに弥次郎も勢いを削がれたらしく、少し声音が落ち着いた。
紫紺は志乃を腕の中に抱えた体勢のまま、弥次郎を見据えた。
「竜胆紫紺と申します。夜分の訪問、お許しを。急ぎの用事がありまして」
「こんな時間に不躾な奴め。用件は何だ。豊原家の長である、この弥次郎が聞いてやろう」
「豊原誠一郎様から縁談のお声掛けをいただいたので、参った次第です」
紫紺が抑揚のない声でさらりと答えると、その場にいた全員が目を丸くした。
一瞬の静寂を挟んでから、遠巻きに様子をうかがっていた使用人たちがざわつきだした。シズとトキ子も唖然としながら、ひそひそ話をしている。
「竜胆って、あの、鬼屋敷の……?」
「嘘でしょう? だって、鬼屋敷なんかに、あんな美丈夫がいるわけ……。っていうか、縁談って……」
面食らっていた弥次郎も我に返り、怒りをにじませた低い声で言葉を返した。
「何を言い出すかと思えば。竜胆紫紺とやら、縁談などお断りする。あいにく、志乃の相手は今、仲人と相談している最中でな」
「なぜあなたが断るのですか? あなたはまだ豊原家の家長ではないのでしょう? 権限もないのに、勝手を言われてはこちらも困ります」
「何ぃっ!?」
再び頭に血をのぼらせた弥次郎を見て、志乃は体を震わせた。が、紫紺は動じることなく、懐から封書を取り出した。これは竜胆家で渡した誠一郎の手紙だ。
封書を見せつけながら、紫紺は粛々と言葉を紡いでいく。
「誠一郎様とは旧知の仲でして。この度、遺言書を頂いたのですが、これによると、弥次郎様が家督相続をされるのは一ヶ月後から、とのことですが、違いますか?」
「ぐっ……」
「それまでの間は豊原家長子である志乃様が、家長の座に着くことになるかと」
「し、しかし、小娘が家長など……」
弥次郎はこめかみに青筋を立てながら口ごもった。
近隣の有力者たちに金品をばら撒いて、すっかり皆を味方につけたと思い込んでいたようだが、まさか竜胆家が介入してくるとは考えてもいなかったらしい。隙を突かれて、動揺している。
さらに彼を動揺させたのは、紫紺の持つ分厚い遺言書だ。弥次郎に渡された数枚の遺言書に比べて、紫紺が手にする遺言書は見るからに分厚い。
誠一郎が誰を軽んじ、誰を重要視したのかが、一目でわかってしまうほどの差である。
意図せず、紫紺が家中の者に見せびらかす形になってしまったので、弥次郎の恥ずかしさは計り知れない。握りしめた拳が戦慄いている。
紫紺は気にもせずに、抱えている志乃へと視線を移した。
「志乃様、いかがでしょう。縁組のお話し合いに応じていただけますか?」
「は……はい。どうぞ屋敷へお上がりください」
迷いながらも返事をして、紫紺を家に上げることにした。
詳しい状況は飲み込めていないが……少なくとも、紫紺は今のところは志乃の味方と判断していいようだ。
誠一郎の知人で、弥次郎を言い包められる力のある人――。貴重な存在だ。
弥次郎派だらけの屋敷内、且つ、気味の悪い化け物までいる中では、いてくれるだけでとても心強い……。
(それに、縁談って……どういうこと?)
父の手紙の内容も詳しく伺いたい。とりあえず、玄関先の地べたではなく、落ち着いた場所で話し合いを――……と思って立ち上がろうと身じろいだら、体中に痛みが走った。
顔を歪めていると、紫紺の腕に力が込められた。
「お辛いですか? では、失礼します」
「……え?」
紫紺は志乃を横抱きにして立ち上がり、すたすたと玄関の中へ歩いて行った。
(こんな抱かれ方……。小さい頃、お父さんにしかされたことがないのに)
頭が真っ白になって慌ててしまったが、変に動くと紫紺にも負担がかかりそうなので、しがみついてじっとしているしかなかった。
「と、とりあえず離れのわたしの部屋へ……廊下をこのまま真っ直ぐお進みください。……というか、あの……家の中に変なモノがいるように見えるのですが……気のせいでしょうか? 紫紺様にはお見えになっていますか……?」
廊下を見回して気が付いたが、よく見るとそこかしこに黒い影がうごめいている。帰ってきた時、家の中が黒ずんで見えたのは、これらのせいか。
うごめく影は、目玉に手足が生えた異形だったり、小鬼や小動物に似た姿のものもいる。
わけがわからなくて、紫紺に問いかけてみたのだが、彼は平然と答えた。
「これらは取るに足らない魑魅魍魎です。弥次郎様の後ろにいたアレは、少し厄介なものですが。面倒な怪には関わらないのが一番ですから、決して目を合わせないように」
「怪? 魑魅魍魎……? そんなもの、今までいなかったのに……」
「それは違います。今までは存在していても、志乃様の目には見えていなかっただけのこと」
「そんな……! なぜ急に見えるように……?」
そう問いかけた時、ちょうど離れの座敷前に着いた。紫紺はゆるやかな動作で志乃を降ろして、そっと頬に触れた。
志乃の右目を覗き込みながら、抑揚のない声で告げる。
「あなた、あの儀式で鬼神を見てしまったでしょう」
「あ……」
「世の中には見てはいけない神というものがあります。竜胆家がお力をお借りしているあの鬼神も、その類のもの。霊力の影響を受けて、「見える体質」へと変わってしまったのでしょうね」
志乃は儀式で見た恐ろしい鬼神の顔を思い返し、ゾクリと身を震わせた。
見てはいけない、とあれほど注意されていたのに、禁を破ってしまったのだから自業自得だ。
「……申し訳ございませんでした……」
「いえ」
短く一言を返した紫紺の感情は読み取れない。本当に、表情がピクリとも動かない人だ。
室内に入ると、そこにも魑魅魍魎がうごめいていた。が、紫紺が空を切るように指先を振り下ろすと、煙のように消えていった。
「こういう低級霊は普通の人間には見えないのですが、力の強い神霊は万人の目に見えるように、姿を現すことができます。たとえば、狐葉のように」
「お呼びですか?」
「えっ……!?」
名を呼ぶと、どこからともなく狐葉が現れて、座敷に座っていた。
「狐葉様も怪なのですか!?」
「ふふっ、わたくしは狐でございます」
人ではなかったことに驚いて、思わず口をあんぐりと開けてしまったが、その間に狐葉が座布団を並べてくれていた。
志乃は乱れた着物と髪を急いで直して、どうにか最低限の見た目だけ取り繕って、座布団に正座した。
正面には紫紺が座る。
(ええと……何から話し始めれば……)
目まぐるしく、色々なことが立て続けに起こっていて、頭の中は混迷を極めている。
まずは当たり障りのない世間話から――というのが来客対応の基本だが、もはや気にしている余裕などなかった。
志乃は単刀直入に、本題を口にした。
「……まずはお見苦しいお出迎えとなってしまって申し訳ございませんでした。揉め事の多い家でして……。……それで、縁談というのは?」
「頂いた誠一郎様の手紙の中に、志乃様との縁組の話があったのです」
「竜胆家との縁組を、父が……?」
寝耳に水だ。誠一郎が相手を見繕っていたなんて。
志乃が身の振り方に迷って途方にくれることがないように、備えておいてくれたのだろうか。
堅実な彼の考えることだから、きっと竜胆家を選んだ理由があるに違いない。
「竜胆家としても利益があると判断したので、婚姻の契約をいただきたく参りました」
紫紺の口調は相変わらず粛々としていて、鬼神を呼んだ時の祝詞の奏上と変わらない。表情も動かず、瞳も深淵を覗くような静けさだ。
縁談の相談事とは思えない厳かな雰囲気で、志乃も背筋を伸ばした。
彼は淡々と続ける。
「呪法家は特殊な家柄ですから、縁組が非常に難しいのです。事情により、早く跡取りをもうけないといけないので、この縁談はまたとない良い機会でして。どうか、お考えいただきたく存じます」
なるほど、竜胆家にも切迫した問題があり、この縁談には旨みがあるらしい。
(利益、ね……。それならば、わたしの方にも利益は多いわ)
そちらがそう切り出すのなら、と、志乃も考えをめぐらせた。
竜胆家に嫁入りすれば、ひとまず豊原家から離れられる。一ヶ月しか猶予のない中で、渡りに船だ。
それに、魑魅魍魎が見える体質になってしまったらしい自分には、その道に精通している人たちが側にいてくれた方が心強い。
(あとは、遺言としてこの縁談を書き残したのだから、お父さんの意向でもある? の、かしら?)
実際のところどうなのかはわからないが、恐らく、父は竜胆家の財力を評価したのではなかろうか。嫁入りすれば、とりあえず金には困らず暮らしていけるだろうと考えたのかもしれない。
竜胆家は資産家だと噂されているが、きっとこれは事実だろう。今日、実際に屋敷に赴いて確信した。都の高級品や輸入品を日常的に用いているところから、財力のほどが察せられる。
――どうしよう。承諾してしまってもいいだろうか――。
この返事で、今後の自分の人生が決まる。志乃は息を詰めて、ごくりと唾を飲み込んだ。
色々な面において、志乃にとってとても都合が良い話だ。快諾したいところではある。
しかし一つだけ、気がかりがあった。豊原の血筋は子ができにくいのだ。
(万が一、跡継ぎを産めなかったら……)
暗い未来を想像して返事を躊躇いそうになった。が、拳を握りしめて迷いを断ち切った。
(いや、不確定な未来を案じていても仕方ない。まずは今の窮状を切り抜けないと)
志乃は深呼吸して気持ちを落ち着けてから、紫紺を正面に見据えて返事をした。
「竜胆紫紺様。豊原志乃は、あなた様との縁組を謹んでお受けいたします」
畳に手をつき、深く頭を下げる。手負いの体が痛んだが、できる限り丁重にお辞儀をした。
「こんなボロボロのなりをしたふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、感謝申し上げます」
紫紺も礼を返し、ここに縁組が成立した。
仲人もおらず、入念な話し合いもない、即決の縁組だ。傍から見たら眉をひそめたくなるような、好ましくない婚約であろう。
けれど、世間体など、二人にとってはどうでもよかった。
「頃合いを見て、吉日に祝言を挙げましょう」
「はい」
見つめ合う二人の間に浮ついた空気は一切ない。
志乃は覚悟を決めた真剣な面持ちをしていて、紫紺は空虚な無表情を崩さない。
込み入った事情を抱えている両者の、互いの利益のための契約結婚なのだから、こうもなる。
話がまとまると、紫紺が立ち上がった。
「では、今日のところはお暇します。夜分に失礼しま――」
「お待ちください……! 泊っていかれては? もう外も真っ暗ですし」
咄嗟に紫紺の足元に縋りついて止めてしまった。
「あ、す、すみません……! あの、本音を言いますと、魑魅魍魎と叔父が恐ろしいので、今晩だけでもお側にいていただきたくて……。隣室に布団の用意もありますから、どうか」
話している間にも、障子の向こうに影が動いていたり、廊下から囁き声が聞こえたりしていた。こんな中で一人で夜を明かすのは恐ろしい。それに、弥次郎たちも何をしてくるかわからないので、紫紺をお守りとして置いておきたい。
紫紺の返事より先に、狐葉が明るい声を上げた。
「あら、よいではありませんか! もう婚約を交わした仲ですし、何もやましいことはありませんわ。紫紺様、お言葉に甘えることにしましょう。ね?」
狐葉は有無を言わさぬ圧のある笑顔で紫紺を見た。彼は少し間を空けてから、「では、そのように」とだけ返した。
二人がどういう関係なのかはわからないが、紫紺は狐葉に対して強く出られないみたいだ。意外な部分が垣間見えた。




