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6 手紙と竜胆家の事情

 人力車は薄暗い田畑の道を駆けていく。

 志乃はこういう乗り物に初めて乗ったから、これほど速いものなのかと驚いてしまった。


(いや、それにしても速すぎるような……)


 人が引いているとは思えない速さだ。道はでこぼこしているはずなのに揺れもなく、車夫は飛ぶように走っている。


 気が付いたら、もう豊原家の門前に着いていた。


「ご親切に送っていただき、ありがとうございました」

「いえいえ」

「ひざ掛けもとても暖かかったです。紫紺(しこん)様と狐葉(こよう)様にもお礼をお伝えください。それから、儀式のことは内密にしておきますので、ご安心を」

「えっ!?」

 

 車夫はなぜか裏返った声を上げた。

 あの儀式のことは言いふらさない方がいいだろうと思い、秘密を約束したのだけれど。何か変なことを言っただろうか?


「姉さん、儀式のことを覚えておいでで!?」

「え? えぇ、先ほどのことですし、忘れようもありませんよ」


 何の冗談だろうと、小首をかしげてしまった。車夫は見るからに焦っていて、早口でまくしたてる。


「えぇ!? 本当に記憶がおありで!? 姉さん、屋敷の香の匂いはちゃんと嗅ぎましたよね?」

「はい。甘くて良い香りでした」

「なんてこった……! 香を嗅いでる間の記憶は、すっかり忘れるように術を仕込んであるのに……どうして……? こりゃまずいなぁ……紫紺様に報告しとかないと」


 車夫は一人で頭を抱えながら悩み込んでいた。ぶつぶつと独り言を言っていたが、何やら志乃が良くない状態になっているみたいだ。


(覚えていたらまずかった……? の、かしら?)


 志乃の動揺をよそに、車夫は急いで踵を返した。


「まぁ、こうなったからには仕方ねぇか。それじゃあ、とりあえず俺は戻ります!」

「あ、はい……。お世話になりました。お気をつけて」


 車夫は目まぐるしく挨拶をして駆けていった。

 志乃も気持ちを切り替えて、豊原家の門へと向かう。


 最後にもう一度、何の気なしに車夫が駆けていった先を振り返ったのだが、彼の姿はもう見えなくなっていた。真っ直ぐ続く一本道のはずなのに、見渡しても誰もいない。ヤツデの葉が数枚、風に舞っているだけだった。






 訪問客が去った後。静けさを取り戻した竜胆(りんどう)家の広間で、紫紺は手紙を読み返しながら呟いた。


「豊原志乃、か。大きくなられたな」

「やっぱりお知り合いでしたか。いつも顔色一つ変えないあなたが、珍しく動揺していらしたものね」


 狐葉が揶揄(からか)い混じりの笑みを浮かべた。


「部外者を神降ろしの儀式に同席させるなんて初めてじゃないですか。ずいぶんと気にかけているように見えましたけど、どういうご関係で?」


 揶揄いを冷たい眼差しで一蹴して、紫紺は淡々と話し始める。


「狐葉はあの娘に会ったことがなかったか。昔、我が家がこの屋敷に移り住もうという時に、豊原家には世話になったのですよ」

「まぁ、そうだったのですね」

「私が七つの頃、まだ赤子だった彼女の頬をつついて泣かせたことがあり――……」


 紫紺は遠い目をして思い出を語りだした。





 竜胆家は神通力に秀でていて、代々、神霊(しんれい)を操る術を生業としてきた一族だ。

 人ならざる力を欲する者の陰に控え、仕えてきた。ここ数十年ほどは帝に近侍(きんじ)する官僚と契約している。

 

 その都合で、帝が西の都から東の都に居を移すのに伴って、竜胆家も拠点を移すことになった。の、だが、霊脈や氏神などとの兼ね合いで、据わりの良い場所を選ぶのには、ずいぶんと難儀した。


 ようやく、ここぞという場所が見つかり、それがこの農村部の大屋敷であった。


 けれど、縁もゆかりもない余所者の竜胆家は移住が難しい立場だった。身分や生業を明かせない怪しさもあり、村人たちからは厳しい目を向けられていた。


 大屋敷は既に空き家だったが、村の管理下にあり、共有財産として使われていた建物だったので、移り住むにあたっての交渉は必須であった。けれど、当時の竜胆家当主――紫紺の父は近隣の有力者たちから警戒され、話し合いもままならないという状況。


 そんな中、上層百姓の一人、豊原誠一郎が話し合いに加わってから、事が良い方向へと動き出したのだった。


 とある日のこと。

 その日も竜胆家当主は近隣の村々の名主や大百姓らを集めて交渉していた。「金を出すから屋敷を明け渡して欲しい」という内容だが、村人たちは固い表情を崩さない。


 そこへ誠一郎が加わり、ついでにその日は、赤子を抱いた夫人も連れてきた。


 竜胆家当主が難しい話し合いをしている中、まだ子供だった紫紺は輪に入れるはずもなく、座敷の端っこにいた。

 夫人と赤子も男衆の輪から外れたところにいたので、なんとなく隣同士で座っていたのだった。


 紫紺はこの時初めて、人の赤子を近くでまじまじと見た。

 竜胆家という特殊な家の中では、神霊の類と一緒にいる時間の方が長いので、人の赤子は本当に珍しいものだった。


(人の赤子の頬は温かいのだろうか。それとも、神霊たちのように冷たいのだろうか)


 暇を持て余していたのもあり、ふと気になって頬をつついてみた。すると、赤子は弾かれたように、大声を上げて泣き出してしまった。


 そうか、人の赤子は触れると泣くのか。と、見入っていたところ、背後から誠一郎の声が上がった。


「おう、坊ちゃんよ。女を泣かせたからには、責任を取るのが男だぜ」


 そんなことを言って誠一郎が茶化すと、話し合いをしていた男衆が一斉に吹き出した。


「はは、馬鹿なことを言って」

「ガキ相手に何言ってんだ」

「生まれたての赤子に、女も何もあったもんじゃないだろう」


 口々に笑われて、誠一郎はおどけて頭をかいてみせた。


 誠一郎はどちらかというと地味な男で、決して親分肌の人物ではない。けれど、彼はこうした冗談を織り交ぜながら、話し合いを和やかに進めるのが上手かった。


 結局、交渉は成立して、大屋敷は竜胆家の所有地となった。誠一郎のおかげで話がまとまったようなもので、竜胆家は彼に対して大きな恩ができた。


 けれど、竜胆家はあくまで、特殊な呪法家の家柄だ。

 部外者との密な交流は障りがあるとして、村人たちとはそれきり距離を置いてきた。


 疎遠を促す縁切りの術や、記憶をなくす香の術などを用いて、世間から隔絶される道を選んできた。代々、そうしてきたように。


 例にもれず、豊原家とも縁を切ったはずだったが……どういうわけか、まだ関係が続こうとしているらしい。





 昔語りを終わりにして、紫紺は手元の手紙に目を落とした。


「誠一郎様の手紙には遺言が書かれていた。志乃様の後見を頼む、と」


 誠一郎にも、縁切りの術や、忘れ香の術をかけているはずだ。なのに、どうして竜胆家を頼ってきたのだろう。まさか「志乃を泣かせた責任を取れ」というやり取りを、気合いで覚えていたとでもいうのか――? 


 不思議に思っていると、狐葉が手紙をひったくった。


「お待ちください紫紺様。これは後見のお願いというより、縁組の打診ですよ!」

 

 狐葉は手紙を読むや否や、興奮した面持ちで詰め寄ってきた。


 紫紺には、単なる後見の依頼に思えたのだが、狐葉はこの手紙を縁組の依頼だと読み取ったらしい。世間一般の縁談のやり取りを知らないので、恐らく狐葉の見立てが正しいのだろうと思う。


 なんせこの女は数百年の間、人間に化けて暮らしてきた妖狐(ようこ)だ。世俗を知り尽くしている。真の人間である紫紺よりも、ずっと人間らしい狐なのだ。

 そんな物知りな狐が言うのだから、この内容は縁談なのだろう。


「縁組か。どうしたものか」

「紫紺様ももう二十五、よい時期です! 滅多にない機会ですし、お受けしましょう」


 確かに、竜胆家の異質さを知った上で縁を結ぼうと打診が来たのなら、これほど貴重な機会はない。


 呪法家は同業同士で縁を結ぶことが多いが、家ごとに霊力の性質や慣習が大きく異なるので、縁組が難しい。後継の子が生まれたら離縁する、という前提での婚姻も普通である。紫紺を産んだ母も、とうの昔に生家へと戻っている。


 他にも同業特有の色々なしがらみがあり、縁談は面倒極まりないものなのだ。


 かと言って、呪法家以外の一般の家から嫁をもらうのも(はばか)られる。神霊、魑魅魍魎(ちみもうりょう)と隣り合わせの異質な生活に耐えられなくなり、心を壊す嫁が多いと聞く。


(その点、豊原志乃は怯えながらも儀式に立ち会い、不可思議な神隠しを前にしても取り乱さずに受け止めた。しまいには我らに礼までして帰っていった)


 今まで何度か、竜胆家に忍び込んだ不届き者共がいたが、彼らは怪異を前にして冷静さを失い、錯乱状態に陥っていた。けれど、志乃はそうならなかった。


 理性で感情を律することができる、芯の強さを持った人――という印象だ。

 縁談の相手として悪くないように思える。


「わたくしは志乃様を気に入りましたよ。彼女ならきっと、あなたのことも愛してくださるに違いありません」


 狐葉は志乃を愛情深い人だと評価したようだ。それもきっと正しいだろう。


 志乃が作ったという副葬品の花細工を拾い上げた時、込められている念が見えた。それは、切々とした愛情だった。


 父を想い、贈り物を縫い上げた彼女の手を思う。そして、荷車を一人で引いてきた、豆だらけの手を思う。

 彼女は情に厚い、ひたむきな人なのは確かだ。


 けれど――……。


「愛など……私にはよくわからぬ」


 彼女がどれだけ愛情深い人であっても、対する自分がこういう人間であっては、噛み合わないのでは、と思う。

 

 考え込んでいると、狐葉が語勢を強くした。 


「迷いなさるな。あなたが生き長らえるためには、人の愛が必要不可欠。お嫁をおとりください」


 狐葉は笑顔を浮かべているが、目つきは鋭く、まるで子を叱る母のようだ。実際、彼女は紫紺の二人目の育て親でもある。

 一人目の育て親によって破綻した紫紺の人間性を、ここまで再構築してくれたのがこの狐だ。


 育ての恩もあることだし、今回は彼女の言葉に従うことにするか――。


 そう決めた時、玄関の方から式神が走ってきた。人力車の車夫として使役している天狗だ。


「紫紺様ー! 志乃様を送ってきたのですが、あの方、記憶が消えてないみたいですぜ! 儀式のこと、ばっちり覚えていらっしゃるみたいで……。香術が失敗したんですかねぇ?」


 天狗の報告を聞いて、紫紺は一つため息をついた。


 屋敷内に焚いている甘い匂いの香には術を仕込んでいて、竜胆家を出たら記憶をなくすようにしてある。志乃はその術を跳ねのけて、記憶を保持しているらしい。術を無効化するだけの霊力なんて、彼女は持ち得ていなかったはずだが……。


 狐葉はすぐに察しがついたようで、困り顔を向けてきた。


「志乃様、まさか鬼神(きじん)を見てしまったのでは……?」

「目を閉じるよう、釘を刺しておいたのに」


 志乃はきっと、鬼神を目にして、強大な霊力にあてられてしまったのだろう。強い神霊の類に関わると、そちら側に引っ張られてしまうのだ。特に、見てはいけないとされている神々を見ることは、重大な禁忌である。


「……なるほど。これもまた、神の思し召しか」


 志乃を帰すのではなかった。彼女はもう、普通の人のようには暮らせない。きっと今頃、困惑していることだろう。早く迎えにいかねば――。


 紫紺は事態を受け入れて、足早に玄関へと向かった。



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