23 神降ろしと呪いの出所
早朝のひと悶着を経て、食事を取った後。
昨日の約束通り、志乃は『神降ろし』の手ほどきを受けることになった。
紫紺と二人、秋の爽やかな日差しが降り注ぐ庭先に降り立った。
「まずはお見せします。こう、指先に霊力を込めて、神の名を組み込んだ呪陣を描きます。そうして手を鳴らす、と」
紫紺は宙に向かってさらさらと呪陣を描き、パン、と手を打った。すると、陣からは白鷺が飛び出てきて、空へと舞い上がった。美しい鳥の神だ。
「次は志乃様もご一緒に」
「できるでしょうか?」
「手をお借りします。指を出して」
「はい」
紫紺は志乃の右手に自分の手を重ねて握り込んだ。志乃の人差し指を使って、地面に紋様を描き始める。
「空に描くのは難しいので、始めのうちは地面や紙に直接描くといい。呪陣の形は覚えてください」
「が……頑張ります」
地面に描かれた図形は複雑で、覚えるのはかなり大変そうだ。しかも、降ろす神によって変わってくるとのこと。
(後で復習をしないと……)
これから先、途方もない勉強が始まりそうだ。そんなことを考えながらも、ひとまず目先のことに集中する。
呪陣を描き終えると、紫紺の手が離れた。
「では、手を鳴らしてみますね!」
志乃は心の中で「出てきてください。お願いします」と祈りながら、両手を打ち鳴らした。
乾いた音が鳴り響いた直後――。
土に描かれた呪陣から、小さな白い鳥が飛び出してきた。
「できました……! 可愛い! 雀の神様でしょうか?」
「お見事です。こちらの供物を与えてください」
紫紺から米の入った巾着袋を渡されて、志乃は手のひらに取り出した。白雀は早速、ついばんでいる。
「この雀を使って、昨夜の呪いの出所を探りましょう」
「出所?」
「どこかに、あの藁人形の怪の本体があるはずです」
淡々と説明しながら、紫紺は昨夜の藁人形がまき散らしていった藁屑を出してきた。
白雀は藁屑をついばんで嘴に咥え、「ついてこい」と言わんばかりに、勢いよく飛び立った。
「藁人形ですから、どこかの木に打ち付けられているのでしょうか?」
「さて。どうでしょう」
門の外に飛び立った白雀を追って、二人は歩きだした。
■
その日の朝、豊原家ではトキ子が目覚めると同時に悲鳴を上げた。
「っ……! 何これ!? 腕が……っ」
腕にピリピリとした痛みを感じて、目が覚めてしまったのだが……袖をまくってみたら、右腕の肌がひび割れて血が滲んでいた。指先から肩のあたりまで全体に、酷いあかぎれを起こしている。
一夜にして、乾燥による肌荒れを起こしたのか? それとも、ネズミにでも齧られたのか?
(そんな馬鹿な……どう考えてもおかしいわ!)
こじつけようにも無理がある。あまりにも異常な怪我だ。
「平馬さん! 起きて! わたし腕が……!」
痛みをこらえて、隣の布団に眠る平馬を揺さぶって起こした。
平馬は寝ぼけ眼を擦ろうとしたが……その右腕も、トキ子と同じように赤くひび割れていた。
「ヒッ……! 平馬さんも……!?」
「えっ? うわ!? 何だこれ!」
驚いて袖をまくり上げた平馬は、トキ子も同じ状態だと気が付き、硬直した。
二人で声にならない声を上げて困惑していると、追い打ちをかけるかのように、遠くの方から女の金切声が聞こえた。シズの悲鳴だ。
「お母さん……っ!?」
二人は寝間着のまま、大急ぎで声のする方へと走った。
シズがいたのは廊下の先――弥次郎が臥せっている座敷の前だ。開けられた襖の前で腰を抜かしている。眼球が飛び出そうなほど目を見開いて、中を見て震えていた。
「シズさん!? 一体どうし――……」
座敷の中を見て、平馬は息を呑んだ。
室内は赤一色。弥次郎が血まみれになって息絶えていた。
その右腕は肩から切断されて、部屋の端に転がっていた。
天井まで血しぶきにまみれていて、後から駆け付けた使用人たちは、あまりの光景に眩暈を起こしている。
平馬とトキ子も吐き気をもよおしたが、視線は部屋の中に釘付けにされたまま、動かせなかった。
「誰が……っ! 誰がやったの……っ!? 誰がこんなこと……っ!!」
シズは尻もちをついたまま、半狂乱になって叫びだした。
(人間がやったとは思えない……)
平馬はそう直感した。
弥次郎の右腕は、無理やり引きちぎられたように思える。肩のあたりは筋やら骨やらが滅茶苦茶に飛び出ていて、刀傷には見えないのだ。
そう判断した途端に、背筋に悪寒が走った。
(右腕……。まさか、僕とトキ子ちゃんも――……)
部屋の端に転がる弥次郎の右腕と、自分とトキ子のひび割れた右腕を交互に見てしまった。
まさか、自分たちもこうなるのではないか――。そう思い至るには、十分なほどの異常事態が起きている。
人ならざる者によって、この惨事が引き起こされたのではないか――……?
トキ子も同じことを思ったらしい。血の気の引いた顔で、ぼそりと呟いた。
「……呪いのせいかも……」
「……っ……」
あの日出会った呪術師の言葉が、平馬の脳裏をよぎった。『失敗したら術者の方が死ぬ』――老婆はそう、忠告していた。
信じちゃいなかったのに……まさか、あの呪術は本物だったのか?
二人は震えだす体を寄せ合った。
「どうしよう平馬さん……! あのおまじないの藁人形、掘り返した方が……!?」
「そ、そうだな……。寺に持ち込もう……っ」
自分たちは失敗してしまったのか……? 何も状況がわからないが、とりあえず、こんな異常事態が起きてしまったのだから、あんなまじないを放置していてはいけない。
平馬とトキ子は慌てふためきながら屋敷を出た。
弥次郎を放り出して出掛けて行った二人を見て、使用人たちは怪訝な顔を露わにしたが、引き留めることはしなかった。
二人の様子があまりに鬼気迫るもので、恐ろしかったので。この家は何かおかしい、と感じ取り、暇をもらう心積もりをするだけだった。
■
志乃と紫紺は白雀を追って、隣村まで歩いてきた。田畑の道を抜けて、栄えている町場の区画へと入っていく。
商家が連なる一番大きな通りの上空で、白雀はくるりと旋回し、近くの木へと舞い降りた。ちょうどそのあたりの道では人だかりができている。志乃は異変に気が付いた。
「何でしょう、あの人だかりは。真ん中から煙が上がっているような……。こんなところで焚火でしょうか?」
「あの煙は私たちにしか見えていない、瘴気です。恐らく呪いの根源があそこに」
黒い煙は地面から発生し、細くたなびいている。それを囲うように人垣ができているのだが、二人はそこに割って入った。
集まっている人々は口々に「どうしたもんかね」「大丈夫かい?」などと心配の声を上げている。見てみると、一人の少年が座り込んで泣きべそをかいていた。
少年は六、七歳くらいの歳だろうか。その姿を見て、志乃は思わず目をむいた。
彼は腕を外側に捻った姿勢で泣いている。ふざけて変なことをしているわけでもなさそうだ。
「痛い、痛いよぉ……」
「ど、どうしよう! 誰か助けて! お医者様を……っ」
側には兄と思しき少年が寄り添っていて、困惑しきっている。志乃は慌てて兄弟の側にしゃがみ込み、事情を伺った。
「弟さん、腕を捻ってしまったの? 大丈夫?」
「なんか急に変になっちゃって戻らないんだ! どうしよう……」
痛みで泣きじゃくる弟に代わって、兄が事情を話し始めた。
聞くところによると、朝、彼らが道を通ろうとしたところ、土が変に盛り上がっている部分を見つけたそう。何か埋まっているんじゃないかと踏んで、面白半分に掘ってみたら、変な藁束の端っこが出てきた。それを引っ張り出そうと、弟が触れた瞬間、腕が捻じれて固まってしまった――とのこと。
捻じれた弟の腕を見ると、薄っすらと黒いもやがまとわりついている。
呪いに当てられたに違いない、と察して、志乃は紫紺の顔を見た。
「紫紺様、これは……」
「えぇ。大丈夫、治せます」
紫紺は指先で弟の捻じれた腕をなぞり、何か呪文を書いた。そしてペシリと、ひと叩きする。
すると瞬く間に、捻じれた腕の硬直が解けた。
「おぉ! 治った!」と、人々は驚き、兄も安堵の声を上げた。
ひとまず腕は自由になったものの、関節を痛めた弟はまだ泣き顔だ。
「何か冷やす物があった方がいいかも。ちょっと借りてきますね」
手当てをしようと、志乃は近くの商家に駆けていった。
店先で事情を話すと、女将さんが「手拭を濡らしてあげるから、待ってな」と、快く応じてくれた。
入口の端に寄って待ちながら、人だかりを遠目に見ると、紫紺が野次馬の人々と話していた。やがて、人々は適当な道具を持ち寄って、地面を掘りだした。どうやら、紫紺が掘り返す手伝いを頼んだみたいだ。
(呪物は道の下に埋まっているのね)
状況を察して、藁人形との対面に緊張を高めた。それと同時に、「それにしても、」と、志乃は心の中で別のことも考えていた。
(今まで世を忍んできた竜胆家のご当主が、村の皆さんの輪の中にいるなんて――)
これまででは考えられない光景だ。皆から、「すごいな、あんた」とか、「本当に医家だったんだな」とか、色々と声をかけられている。
当の紫紺は、真顔で応じているようだ。後で「こういう時には笑顔を返すのですよ」と教えてあげよう。
遠目に見える光景に、しみじみと感じ入ってしまった。
――けれど、そんなほのぼのとした気持ちは、直後にぶち壊されることになった。
突然、背後から腕をまわされ、口元を押さえつけられた。
「っ……!?」
何事か……! と思う間もなく、思い切り体を引っ張られた。
口を塞がれて悲鳴を上げることもできずに、建物脇の路地へと連れ込まれてしまった。
勢いのまま地面に引き倒されて、縄で腕を縛られる。猿轡のように布を噛まされた。
突然の荒事に、呻き声を上げることしかできない。どうにか首をまわして、犯人たちの顔を見て……志乃は言葉を失った。
(平馬様とトキ子……!?)
あなたたち、どうしてこんなことを……! と、声にならない声を上げてもがいたが、彼らは異様な形相をして、志乃を路地奥へと引きずっていった。
ちょうどその時、紫紺は掘られた穴の奥から藁人形を引っ張り出した。
小さな藁人形と、その三倍はある大きな藁人形。大きい方はかなり古い物で、たらふく呪いをため込んでいる。二つの藁人形は共鳴し合い、呪力が癒着してしまっている。質の悪い呪物だ。
(こいつらが昨夜の客人か)
素人が行ったであろう、粗雑な呪法。けれど、往来に仕込んで数多の人々に踏ませるとは、ずいぶんと悪知恵を働かせたものだ。
これらの呪物は火によって無に帰すことができる。屋敷に持ち帰って焼こう――と、ここまで頭を回して、まだ志乃が戻ってきていないことに気が付いた。
「志乃様?」
今さっき横目で見た時には商家の店先にいたはずだが……姿がなくなっていた。
村人たちへの礼もそこそこに、紫紺は人垣を掻き分けて駆けだした。




