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22 術と呪い

 豊原家の祝言から少し経った頃、竜胆家に一人の男の亡骸が運び込まれた。

 道端で息を引き取っていた浮浪者らしい。


 近隣の名主から「引き取ってもらえないか」と依頼を受けて、承諾した形だ。

 表立って申し入れを受けるのは初めてのことで、竜胆家の評価が変わり始めている兆しが感じられる。この前、思い切って祝言に顔を出して良かったと、しみじみ思う。


 志乃が感じ入っている隣では、紫紺も何やら考えて込んでいる様子だった。


「紫紺様、どうされました? さっきから亡骸の前で」


 亡骸は(むしろ)に巻かれ、屋敷の奥の広間に運び込まれている。この板張りの部屋は、誠一郎を供物として捧げる儀式を執り行った場所だ。

 筵に巻かれた遺体は、今、同じように、祭壇の前に安置されている。


 紫紺は亡骸を見下ろして、淡々と話し始めた。


「先日の祝言では、我が家は医家であると嘘をつきましたが、医術まがいのことならできなくもないかもしれぬ、と考えておりました」

「医術まがい?」

「志乃様は、この方がどうして亡くなられたか、わかりますか?」

「さぁ……。紫紺様にはわかるのですか?」

「目を凝らして、腹のあたりを御覧なさい」


 言われた通り、亡骸の腹部をよく見てみると、その部分だけ空気が濁っているように見えた。


「何かいる? 濁った空気がうごめいているような……」

「霊力をお貸しします。これで鮮明に見えるでしょう」


 紫紺は背後に立ち、後ろから手を回して、志乃の顔の前に()()()を作った。狐の窓とは、両手の指を組んで輪を作るという簡易な呪術である。その隙間から覗き見ると、神霊界が見えやすくなるとのこと。


 彼の狐の窓を借りると、濁りの正体が明瞭になった。亡骸の腹部にうごめいていたのは、虫に似た(あやかし)だ。大量にたかっていて、ぞわりと鳥肌が立った。


「……っ! 虫があんなに……」

「あれは病怪(びょうかい)の一種です。腹に憑く蟲なので、彼は腹を病んで死んだのでしょうね」

「怪のせいで亡くなったと?」

「病の元凶が神霊であることは、よくある話です。それを見極めて、早く祓えば死なずに済んだことでしょう」


 病怪の群れに御神酒(おみき)をかけて、紫紺は指先で(くう)に何かを描いた。そうして「失せろ」と一言言い放つと、病怪は焼かれたみたいに消滅した。


「医術まがい」の意図するところを理解して、志乃は目を輝かせた。


「なるほど。病を治せるのなら、医家を自称しても嘘にはなりませんね」

「すべての病が神霊のせいではないから、治せぬものも多い。(やぶ)医者もいいところではあるが」

「それでも、人を救える可能性があるのなら、素晴らしいじゃないですか」

「……世間に需要があるのなら、将来的にそういう仕事を請け負っていくのもよいかもしれないな。その仕事は、志乃様に託しましょう」

「え、わたし?」


 突然、仕事を託すと言われて、目を丸くした。紫紺は平坦な声音ではあるが、どことなく柔らかい口調で話す。


「もう少し霊力を高めて修練を重ねれば、志乃様もある程度の呪法を使えるようになる。医家まがいの呪法を駆使して、竜胆家の新たな生業を確立してください」

「……」

「子にも(わざ)を継げたらいいですね」


 紫紺の語りぶりは、『自分が消えた後の事』をほのめかしていて、志乃は言葉を返せなかった。


 ささやかながらも生活の足しになる生業を妻子に残せたら――。そんな想いが感じられて、胸にたとえようのない気持ちが込み上げてくる。


 消えゆく定めにある紫紺が、未来のことを前向きに語っている。嬉しくもあるが、寂しさもある、複雑な気持ちだ。


 最初に「消える宿命」を知った時よりも、今の方がずっと心の痛みを感じる。


――わたしはもうすっかり、夫に心を奪われてしまっているのだな――

 今更ながら、そう自覚した。


 始まりは契約結婚だったが、今はもう――……。それゆえに、彼の宿命を思うと途方もなく辛い。


 顔を歪めた志乃の頭に、ぽんと、軽い調子で手が乗せられた。


「まぁ、まずは子を成さねばなりませんが」

「そ……そうですね」

「今宵から共寝をしましょうか」

「……こんな大勢の前で大っぴらにおっしゃらないでください」


 今、広間には、儀式の準備を進めている式神たちが大勢いる。皆、にやけた顔で聞き耳を立てている状況だ。大恥をかかされて小突いてやりたくなった。


 しんみりとした気持ちをひっくり返されて、志乃はガクリとした。

 紫紺はそんな志乃の頬をひと撫ですると、さっさと祭壇の前に歩いて行ってしまった。


 その姿を目で追いながら、ふと思い直した。もしかしたら紫紺は、気落ちしてしまった志乃を元気づけようとして、冗談を言ったのかもしれない、と。


(皆の前で「今宵から共寝」なんて、下世話な冗談を。……冗談、ですよね?)


 皆の前で宣言して外堀を埋めた、という推察も頭をよぎったが……考えないでおこう。



 儀式の準備を終えると、式神たちは消えていった。彼らの依り代になっていた紙切れが板間に散っている。

 志乃は誠一郎を見送った時と同じように、亡骸の傍らに正座した。


 あの時と同じように、祝詞(のりと)を奏上してから紫紺が手を叩く。すると、室内を満たしていた香の煙が寄り集まり、巨大な鬼神(きじん)へと形を変えた。


 鬼神を前にするのは、これで三度目だ。

 最初にこの場で対峙した時は、ひたすら恐ろしくて腰を抜かしそうになったけれど、今回は怯む体を叱咤して、深く(こうべ)を垂れた。


 鬼神は一瞬で亡骸を食らい、そして突然、志乃に向かって牙をむいた。


『これも食ろうてよいか?』


 地響きのような低い声を轟かせて、鬼神は言葉を発したのだった。「志乃を食ってもいいか?」と。

 

 あまりのことに志乃は思いきりのけぞってしまったが、紫紺が前に立ち、静かに言葉を返した。


「ご容赦ください。私の妻です」


 そう言うと、鬼神は耳をつんざく咆哮を浴びせてから、スゥと消え去った。


「す、すみません……鬼神様を怒らせてしまいましたか?」

「気にしなくてよい。あの鬼神はよく『食ってやる』と軽口を言うのだ」

「軽口……」


 軽口の冗談には思えなかったが……紫紺曰く、むしろ機嫌が良いとのことだ。

 紫紺も、鬼神も、冗談がわかりにくくて困る。


「竜胆家の嫁として、どんな冗談もあしらっていけるように、慣れていかないと」と、志乃はまた一つ、密かに決意するのだった。





 こうして、志乃は鬼神との三度の対峙を経た。


 高位の神と関われば、それだけ霊力も高まっていくとのことで、志乃は以前よりもはっきりと神霊を感じ取れるようになった。


 能力の高まりは竜胆家の嫁としては嬉しくもある。けれど、常にこの世ならざる者の気配を感じながら生活するのは、恐ろしくもある。


 特に夜。暗い中、(かわや)に行く時や、湯浴みの最中など、どうしても気になってしまう。

 

 竜胆家の屋敷には結界が張られていて、滅多なことでは魑魅魍魎が中に入り込んでくることはないそうだが、それでも、外を彷徨う気配は日常的に感じ取れる。隙をうかがっているかのような、底冷えするおぞましい気配が……。


 この夜もそんな気配が強くて、志乃は湯浴みを躊躇(ためら)っていた。

 湯浴みの順番を待つ間、志乃は狐葉に相談してみた。


「狐葉様、恐怖心をなくすにはどうすればいいのでしょう」

「魑魅魍魎が恐ろしいのですか?」

「恥ずかしながら……」

「確かに、最近は嫌な気配が強い日が続いていますからね。無理もございません。けれど、怖いものは怖い、という気持ちのままで良いと思いますよ」

「でも、竜胆家の嫁として、そんな弱い気持ちでは……」


 甘えてはいけない、と思ったのだが、狐葉は志乃の手を握って諭してきた。


「怖いとか、嫌だ、とか。そういう普通の人間らしい感情を手放してはいけませんよ。恐怖を感じなくなったら、それこそ紫紺様の二の舞になってしまいます。克服しようなどと思わず、ご自身の心の動きはそのまま受け止めて、大切になさってくださいませ」

「狐葉様……」


 狐葉の手はひんやりとしていて、温もりは感じられない。けれど力強くて、握られるととても安心できる。大いなる存在に守られているような心地になる。


 実際、狐葉は霊格が非常に高い妖狐である。霊力が高まってきた最近、ようやく彼女の本質を感じ取れるようになって、気が付いたことだ。


「わたくしがお側におりますから、怖くなったらいつでもお呼びください」


 狐葉は隠していた九本の尻尾を出して、志乃の体に巻きつけた。尻尾には膨大な霊力が込められていて、ふわふわな見た目とは裏腹に、強固な盾のように感じられた。


 これほどの霊力を持っている狐葉だが、そんな彼女を越える霊力を秘めているのが紫紺なのだそう。彼がこの世ならざる者の側にいる、という事実が身にしみてわかるようになったのも、最近のことだ。


 狐葉の尻尾と戯れている間に、湯浴みを終えた紫紺が顔を出した。


「霊力を垂れ流すな。志乃様に障りが出る」

「おや、やきもちですか? 志乃様も耐性がついてきていますし、尻尾を巻くくらい大丈夫ですよ。ねぇ、志乃様」

「はい」


 狐葉は揶揄(からか)って笑ったが、紫紺はいつもの無表情で無視を決め込み、尻尾に埋もれている志乃を引っ張り出した。


 慣れていない人は、神霊との接触で体調を崩してしまうそうだ。が、志乃はもう、狐葉の霊気に当てられても平気である。


 その様子を確認してから、紫紺は「ふむ」と頷いた。


「霊気に慣れてきたなら、そろそろ神降ろしを教えましょうか」

「神降ろし? わたしにもできるのですか?」

「霊格の低い神ならば。蟻の神とか、小石の神とか」

「ち、小さそう……」


 神降ろしと聞いて、紫紺が降ろす鬼神の姿を想像して身構えたのだが、規模の小ささに力が抜けた。


「でも、蟻んこの神様でも、わたしには難しそうですね。教えていただけますか?」

「では、明日――……」


 ふいに、紫紺が言葉を止めた。


 その瞬間――。

 ぞくりと、異様な寒気が走って、志乃は体をこわばらせた。


 部屋の柱に張り巡らされている注連縄(しめなわ)が、風もないのにざわざわと揺れ出し、一ヵ所がぶつりと切れた。

 間髪を容れずに、紫紺は志乃を抱き寄せて、切れた注連縄の方向に手を振りかざす。


「控えよ!」


 彼が鋭く叫ぶと、おぞましい金切り声が上がり、部屋中に藁の屑が散らばった。


 紫紺の腕の中から、志乃は首をまわしてナニカがいる方を見る。天井近くの暗がりに退(しりぞ)けられたモノは……巨大な藁人形の怪だった。


「あれは……!?」

「結界を越えてくるとは。厄介な客だ」


 あの藁人形は、豊原家で弥次郎の背後にいたモノだ。しかし、以前とは形が変わっている。より大きく膨れ上がり、胴体部分からはもう一つ、小さな藁人形が生えていた。歪で、不気味さが増している。

 紫紺が放った退魔の術によって、右肩から腕にかけてが切り落とされていた。


 藁人形は目玉と歯茎をむき出しにして、ニタニタと笑いながら退き、闇の中に消えていった。


「誰かが差し向けた呪いの類でしょう。竜胆家を相手取るとは、身の程知らずが。――大丈夫ですか?」

「あ、は、はい……っ」


 腕に込められた力が解かれると同時に、志乃は大焦りで身を引いた。湯上りの熱を帯びた紫紺の胸元に、ぺたりと張り付く体勢になっていたので……。


 紫紺から離れると、代わりに狐葉が抱きついてきた。大きな尻尾を絡められて、よしよしとあやされた。


「怖かったですね。今日は湯浴みを共にしましょうか。こうしてお守りしますので、ご安心を。尻尾でお体を洗って差し上げましょうね」

「狐葉様、くすぐったいです……!」


 志乃の気持ちを和らげようとして、狐葉は尻尾でくすぐってきた。その様子を見て、紫紺は冷ややかな真顔で吐き捨てた。

 

「……お前が女狐でよかった。雄なら滅していた」


 紫紺は千切れた注連縄を回収して、部屋から出て行った。


「まぁ、あの人ったら、こんな軽口まで叩けるようになって」


 今のは本当に軽口だったのだろうか……本当にやりかねない、怖い目をしていたけれど。志乃は慌ててしまったが、狐葉は一人で感動に浸っていた。やはり、この狐は大物だ。



 


 それから、湯浴みを済ませて、寝支度を整えたはいいけれど。布団に入ったものの、暗がりが気になって寝付けそうになかった。


 闇の奥に、あのおぞましい藁人形が潜んでいる気がして……。

 

 紫紺曰く、(のろ)いの類は解呪の手順を踏まないと、完全に滅することはできないのだそう。つまり、アレはまだどこかを彷徨っているのだ。


 どうにも落ち着かなくて、何度も寝返りを打っていたら、隣の布団から声がかかった。


「眠れないのですか?」


 いつの間にか、紫紺がこちら側を向いていた。


「また藁人形が出てきたらと思うと、怖くて」

「……。こちらにおいでなさい」


 紫紺は少し考える顔をした後、自身の掛け布団をめくってみせた。


「え……ええと……お邪魔、いたします」


 突然の誘いに、志乃は目を泳がせてしまった。が、気遣いを断るのもどうかと思い、従うことにした。


 同じ布団に入って添い寝ると、やんわりと腕をまわされ、抱きしめられた。


「私を襲える者はそういないから、安心なさい」

「はい……」

「やはりあなたの肌は温かいな」


 低い囁き声が耳に吹き込まれる。心地良いのにぞくぞくする、たとえようのない色香のある声音で、彼は話し始めた。


「私はあなたに触れて、初めて人の肌が温かいことを知りました。幼き頃より、神霊たちの冷たい肌しか知らなかったので」

「ご両親と手を繋いだことも……?」

「ありません。子育てに関与しない人たちでしたから。物心ついてから初めて触れた温かい肌が、赤子だった志乃様の頬でした」

「赤子……!?」

「遠い昔、お会いしたことがあったのですよ。私たち」

「初めて聞きました……」


 思わず目を丸くしてしまった。父からも聞いたことがなかった、初めて知る話だ。


「もう一度、こうして温かな肌に触れる機会が訪れるとは、思いもしませんでした」


 紫紺は感慨深そうに、吐息をこぼした。

 そうして、おもむろに身じろいで、志乃の体の上に覆いかぶさった。


「あなたの温かさを味わい尽くしてみたい」


 彼は妖艶な微笑を浮かべて、低く囁いた。

「紫紺様……?」と、呼びかけようとしたのだけれど。その前に、そっと唇が重ねられた。


 わずかに離れて、もう一度重なり合い。探るように、接吻は深さを増していく。

 

「っ……紫紺、様……」


 絶え間なく責め立てられると、腹の奥の方がぎゅうとなる、たまらない心地がせり上がってくる。

 志乃はこの夜、溺れないよう息をするだけでやっとだった。


 もうこのまま、すべてを暴かれてしまってもよかった。



 よかったのに――……。





 翌朝。志乃は朝一番に狐葉の元へと駆けていった。

 顔を真っ赤にして飛び込んできた志乃を見て、狐葉は何があったのかを察したようだ。とびきりの笑顔で志乃を抱き留めた。


「狐葉様……! わ、わたし……紫紺様に、梅の実を……」

「摘み取っていただいたのですか!?」


 このあたりの農村部では「梅の実を摘む」というのは、男女の営みの隠語である。志乃は顔を両手のひらにうずめて、小さく叫んだ。


「摘み……取ってもらえませんでした……っ!」

「えぇ!? なにゆえ!?」

「紫紺様ったら……『梅の実問答の正式な文章を忘れてしまったから、しっかり覚えてから仕切り直します』とかおっしゃられて……そのままお眠りになられました……」


 昨夜は今までにないほど、色っぽい雰囲気になって、このまま暴かれるのかと覚悟を決めたというのに。形式的な文言を忘れたから、という理由で延期となってしまった。


 紫紺曰く、「これからは地域のしきたりを大切にしたいので。こういうことも、きちんと踏襲したい」とのこと。


 やり場のない気持ちに震える志乃を抱きしめて、狐葉は一言ぼそりと呟いた。


「後ほど、わたくしが殴っておきますわね」


 その後、狐葉が返り討ちにあって地団太を踏んでいるのを見てしまい、志乃はあまりの申し訳なさに、平身低頭を余儀なくされたのだった。


 



 この夜、紫紺はどうして肌を重ねることを控えたのか――。

 志乃が本当の理由を知ることになるのは、もう少し後になってから。


 彼の透き通った胸元を見て、涙を流しながら子を成す夜が訪れるのは、まだ先の話だ。



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